「お嬢様とジョン」作:顎男
☆☆☆
『お嬢様とジョン 作:顎男』
「ほうら、取ってこいジョン!」
僕の名はジョン。人間だ。
お嬢様に放り投げられた枝が空を切って飛んでいく。
動かない僕を見て、じろ、とお嬢様は僕を睨む。
右手が腰に携えられた剣の柄に触れているのは王侯貴族流のジョークだと信じたい。
「あのですね、お嬢様、何度も申し上げているように私を犬のように扱うのはおやめください。結構きついです」
「なぜだ。おまえは私の犬以下の働きしかしないではないか」
確かに以前、山賊に襲撃された時に僕はお嬢様を置き去りにし、ない尻尾を振って逃げ出して、後にたった一人で賊を成敗して戻ってきたお嬢様に、
「犬の方がまだマシだ! 賊に吠え掛かって噛み付くぐらいはするだろうからな!」
とこっぴどく怒られたことがあり、犬以下であることはグウの音も出ない真実であることは認めざるを得ない。
まぁでも、お嬢様の強さは身に沁みて知っているし。
あれぐらいの賊であれば左手一本で皆殺しにしてしまうだろうことは火を見るよりも明らかすぎた。
「まったく、なんて由々しきことだろうか。国に戻ったら父上に申し立てておまえは死ぬまで王宮の便所掃除当番にしてやる」
お嬢様はあんなことを言っているが、王宮で働くというのは、たとえ便所掃除であろうと庶民にとっては夢のまた夢である。
「お嬢様ってなんだかんだで私のこと好きですよね」
「死にたいのか? ちょうど生の肉を切り刻みたいと思っていたところだ」
ちゃり、と鞘から身を表す銀剣。
「すいません、僕は犬です豚です、だから十七分割するのは勘弁してください」
「素直でよろしい」お嬢様は満足気だ。
この人が国を治める立場に収まったら世界は破滅である。
「今、私が国を治める立場に就いたら恐ろしい、とか考えなかったか、ジョン」
「滅相もございません」僕は平身低頭して身を守った。
けれど僕はちっともそんな心配はしていない。
なぜなら彼女の国は、とっくに滅んでいるからだ。
隣国の侵略を受けて王宮の外は、蠢く敵兵でぎっしりと埋まっていた。
お嬢様の父上である国王は、表向きは庶民上がりの新米兵士、その実体は裏の世界から引き抜いた腕利き王宮剣士である僕にお嬢様を預けた。
「私も戦う!」と言って聞かないお嬢様を僕と二人がかりで押さえつけた国王は、こう言って彼女を国から送り出した。
「いつか、おまえを必ず迎えに行く。その時が、おまえがこの国の女王になるときだ。
それまで外の世界を見て、国を治める力をつけてこい。
そうだな、言わば武者修行だ」
その言葉にお嬢様はピーンときちゃったらしい。
それまでとは打って変わってうきうきした顔で銀の鎧と王家の血を引く証である剣を身につけ、僕の手を引っ張りながら秘密裏に掘られた地下道から脱出したのである。
それから、僕とお嬢様、二人きりの逃避行が始まった。
祖国から三つほど国境を越えると、もう言葉も文字も違う文化の国になった。
だから、移民上がりの僕だけが、酒場での噂話を、我らが祖国滅亡の知らせを知ることができた。
お嬢様には言わなかった。だから彼女は今でも、祖国では激しい戦争が起こっており、父は果敢に戦い続けていると信じている。
実際は、すでに国王は処刑され、彼女の王宮は隣国の王族の別荘になっている。
民は搾取され、敗北した王家への恨みつらみで空も曇るほどだという。
「どうした、ジョン。何をしみったれた顔をしておるのだ。次の街へ行くぞ!」
僕とお嬢様の旅は続く。いつ終わるのかは分からない。
ただ――祖国が滅ぼうと、どの国の空の下にいようと、僕はお嬢様の従者であり、それだけは死ぬまで変わらないだろう。
それだけが確かなことだ。
「ほら、今度は木の実だ。取ってこい、ジョン!」
「お断りします」
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