「夢毒」
この世とは思えないほどの煌きに包まれた世界。ひたすら美しい光景だけを寄せ集め、それを可能にするためにおよそ言語道断なほど非常識な世界。昼も夜もなく、時間の概念も勿論ない。永遠だが、永遠を表現する意味すらも失うほど停滞したこの世界は、人間が言うところの夢の中、だ。
しかしこの夢の世界は、毒である。
夢を見る生物全てから、少しずつ美しい記憶を盗み取り、混ぜ合わせて作られたこの世界は、いわば流れを止めた川である。淀み、濁った毒水である。だが、恐らく人間がこの世界に入りこんだとしたら、その美しさに見惚れる事だろう。その身が毒に蝕まれ、朽ちていくことすらも気付くことなく。
もしこの夢が、それを見ている存在の中で納まっているだけなら何の問題もなかった。しかし、そもそも外部の生物の夢を喰らって作られている世界である。この毒の塊は肥大し、他者の夢の領域を蝕み始めていた。そして美しい毒は、静かに、緩やかに、全ての生物を死へと導こうとしていた。それがこの夢を見ている存在の願いであるからだ。「彼女」は死ぬ事を望んでいたのだ。
「彼女」は絶望していた。目を覚ますことができず、しかしまだ若い自分の命に絶望していたのだ。夢を見続けることしかできない自分を慰めるため、ひたすら美しい光景を集め続けた。見せ掛けだけの美しさと引き換えに毒は強まる一方。しかし勿論「彼女」にその自覚はない。今もまた、「彼女」は自分の夢を飛び回っている。自分にはないはずの美しい光景の記憶を、全ての生物が共有する深層意識から汲み取り、自分を慰め続ける。毒の夢は際限なく広がっていく。「彼女」は無邪気に世界を滅ぼそうとしている。誰もそれには気付かない。
夢を見たことがあるなら、記憶にないはずの街や人々の夢を見たことがあろうだろう。だがもしも、貴方の記憶にないはずの美しい光景を夢で見たことがあるなら…もしかしたらそれは、「彼女」の夢に触れてしまったという事なのかもしれない。貴方は「彼女」と違い、目を覚ます事ができてしまう。「彼女」の毒が貴方の精神を蝕み、彼女と同じ死への渇望を刻み込まれた状態で…
「彼女」は夢の中では、その美しい世界で楽しそうに笑う。魔法のように光を生み出し、身軽に飛び回る。そして毒は…広がり続ける…