「kick !」作:51
風が吹き荒れていた。
野郎が二人、歩いていた。
「冷えてきやがった」
「そうだな」
鮮やかに染まる世界。路地裏はいつだってゴミ溜めだ。
左右に苔とツタを這わせた廃墟が並び、ひどい匂いが鼻を刺す。 網目模様のゴミ箱が、ゲロをブチ撒けていた。群がる小蠅。それを見て、クソッタレ、吐き捨てた。
「エイリアンの卵みてぇだ」
躊躇わず奥へと進み、角を曲がる。
ますます暗く、臭く、ジメジメした気配。広がっていく。
「足元に死体が転がってても、不思議じゃねぇ」
「……冗談はよせ」
「ソーリー」
前を歩く男が明るく言った。すぐ後ろの壁を指差している。
壁に張り付いたポスター。札束で頬が叩けるぐらいのスーツを着た男。肥えた中年でありながら、清廉さ、もしくは潔白であることを証明するように、親指を立てていた。白い歯を輝かせ、スマイル。
『クリーンな政治を約束いたします』
「クソくらえ」
「同感だ」
眉を顰めた。笑い声が重なった。
丸められ、投げ捨てられたスーツの男。対して野郎二人の格好は、そんな世界とは無縁に見えた。
ゴーグル、ジャケット、ジーンズ、ブーツ。鍛えあげた体躯に適したLサイズ。安くはないが高くもない。大量生産の量産品だ。前を歩く男には、もれなく松葉杖がついてくる。指揮棒の如く振り上げた。
「ヘイ、スティーブ。本当にこっちであってるのか?」
「間違いない」
「こんなシケた場所は、さっさとオサラバしたいぜ」
「あぁ、すぐに着くさ」
「頼むぜ本当――ヘイヘイヘイ!」
杖を振るう。壁や足元のアスファルトをブッ叩く。
晴れた日に、子供が傘を持て余すように。
「よせよ、グレイス」
「ソーリー、スティーブ。今日はちょいとばかし浮かれてるのさ」
路地をさらに曲がる。奥へと進む。
匂いは一層強くなる。奥へと進む。
固いレザーブーツが不協和音を奏でた。繰り返す。
カツ、コッ、カツ、コッ、カツ、コッ。カカン!
「――――♪」
ハミング。勢いを増して、体を上下に踊らせる。
リズムは無視。ひたすらに、ダンス、ダンス、ダンス。
薄暗い影のある路地裏を、奥へ、奥へ、奥へ。
泥酔した浮浪者のような足取りで。しかし確実に地面を踏みつけた。手にした杖が、一拍遅れて響き渡る。カカンッ!
後ろを歩く男、溜息をこぼした。
「ゴキゲンだな」
「そりゃそうさ、久しぶりに美味い酒が飲めるんだ。喜んで当然だろ?」
「……そうだな……なぁ、グレイス。さっきの話、本当なのか?」
「この街を出て行くって話か?」
「そうだ」
「今日が、最後の夜になるぜ」
「……寂しくなるな」
「そんな顔するなよ。本当は今晩発つ予定だったのさ。お前から連絡もらって、犬のように駆けてきたんだぜ。バウワウ!」
「感謝してるさ。きちんと、話をしておきたかったしな……」
「よせよせ。そういうのは酒を飲み交わしてから言うもんだ。ヘイ、マスター。洒落たバーがあるのはどっちだい?」
「左だ。あと二つほど角を曲がったところに、店がある」
「ラージャー」
再び、踊りだす。踊らない男は、静かにその後をついていく。判断を間違えてはならぬというように、慎重に、
「…………」
時折、後ろを確認した。ゴーグルの下に隠された瞳は、スカイブルー。中々の美男子を思わせる目鼻立ち。今は、血走った瞳に変わりつつある。
左右をチラチラ。周囲の腐った匂いを、猟犬のように嗅ぎとろうとしていた。
「ヘイ、スティーーーブッ!!」
「な、なんだっ!?」
「今夜は最高に楽しくやろうぜっ!!」
「……お……驚かせるなよ……」
小刻みに何度も頷く。顔を背けた。しかし反射的に、もしくは吸い寄せられるように。ニヤニヤ笑う男の足元に、目が留まる。
「―――俺の足が、今でも気になるか?」
「!!」
驚きに見開かれた瞳。ヒゲ面の笑みが出迎えた。
「相変わらず、分かりやすいんだよ、お前はさ」
片手がゴーグルを持ちあげる。青空とは対極にある、黒の瞳が現れた。整った顔立ちだが、随分とガキ臭い。シニア・ハイスクールの門ですら、ノー・チェックで抜けられる匂いだ。
「正直に言えよ。俺の足が今でも気になるか?」
「……あぁ……」
「気にするな、アレは単なる事故だった」
「しかし……」
「思い出せスティーブ。確かにあの日、俺達は二人でツーリングに出かけた。お前の気晴らしにって名目でな。だが誘ったのは俺だった。そうだろ?」
グレイスが胸を張って笑う。スティーブが曖昧に頷く。
「あの日はアンラッキーだったんだよ。ヤク中のオヤジを乗せた車が、突っ込んでくる程度にな」
「…………」
「それに前にも言ったろ。この義足、結構気に入ってるんだぜ、ほら、カンカン、カン――いい音してんだろ?」
「……すまない……」
スティーブが深く頭を下げる。グレイスが参ったというように頭を掻いた。
「悪ぃ。嫌味言ってるわけじゃねーぜ。確かに、あの事故は思いだしたくねぇ。限定品のバイクは保険が効かなかったし、気の良いフレンドとのトークショーは、値上がる一方だ」
「……」
「あとは、そうだな。犬に噛まれたことが問題だ」
「……犬? 噛まれた?」
「公園のベンチで昼寝してた時さ。ガキがな。ほーら、ジョン、取ってこい―――つって、骨を投げたんだ。したらよ、犬畜生が俺の足を咥えて、ベンチから引きずり落としやがったのさ。そのままガキのところまで、お持ち帰りだ」
大仰に手を広げて、白い歯を見せた。スマイル。
二人の間を、腐った風だけが通り抜ける。
「……なんだよ、それ」
強張っていた顔が、少しだけ、本当に少しだけ笑った。
「相変わらず、ジョークの意味がわからないな」
「ちげぇよ、こいつは実話だぜ」
「実話?」
「イエス・サー。後の話も聞きたいだろ?」
「あぁ」
「じゃあクイズだ。ガキの野郎、俺になんて言ったと思う?」
「ソーリー・ミスター?」
「ノー。パーフェクト・ジョン! グッジョブッ!!」
「……ワーオ」
「しかもその後に、ヘイ・ミスター、僕の賢い犬にご褒美をあげてよ、近くにおいしいアイスクリームショップがあるんだけど、よければ一緒にどう、ってな」
「そいつはいい。その後どうしたんだ? 蹴り飛ばしたのか?」
「いいや、三人揃って仲良く、アイスを食って別れたさ」
「……お前らしいな」
「サンキュー」
カツ、カツ、カツッ、踊ってみせた。
よけいなことだけ語り、本音は決して語らない。
それが今の自分にとってのポーカーフェイスだと、アピール。
明日にはもう、この街にはいないのだから。
忘れようぜ、お互いに。
告げていた。
「グレイス……お前とフレンドで良かったよ」
「俺もさ。さて、この路地裏みたいな話は終わりだ。続きは酒を飲みながら語ろうぜ」
「オーケイ」
互いに向き合い、笑い合う。
一人は、幼い色を孕んだ子犬のように。
もう一人は、覚悟を決めた男の眼差しで。
「―――さぁて、上手い酒はどこにある?」
「次の角をまっすぐだ」
「グッド」
ハミング。リズムを無視したステップ。
酔っぱらいのように、ふらふら、踊り始める。
それでも確かに地面はあった。
偽りの両足、感覚は既にない。松葉杖が、一拍遅れて響いた。
カツ、カツ、カツ。カカンッ!
すぐ後ろから追いかけてくる、不協和音。
コッ、コッ、コッ。
音は風に消え、白い吐息もまた、追って消えた。
**
「ついた。ここだ」
「―――は?」
「聞こえなかったか? ここだと言ったんだよ」
「スティーブ、一つ聞いてもいいか?」
「あぁ」
「俺には、行き止まりの壁しか見えないぜ」
「いい場所だろ?」
「おいおい……」
「逃げ場がないのだからな」
振り返り、向き合う。
お互い、思わず漏れてしまったように、笑いだす。
ハハハッ。
「確かに、随分と洒落てやがんな。店もなければ看板もなし。空いた酒瓶すら転がってねぇ」
「後ろに水路があるだろう」
「ドブ水が溜まってるだけの、な」
「天からのセルフ・サービスさ。腹が弾けるまで、飲めばいい」
ジャキン。装弾音。
手に持ったブッソウな代物。
お取り扱いにはご注意を。
火器厳禁。
幼児の手の届く範囲には、置かないでください。
人に向けないでください。撃つ前に、よく確認してください。
動物にも優しくしてください。自然も大切にしてください。
指先一つで弾が出ます。別売りです。
どれもリサイクルできません。
「……腐った水の匂いは、ここに留まり、外へは漏れない」
「鉛玉の音すら、届かないってか?」
「そういうことだ―――ホールドアップ・グレイス」
ゴーグルの僅か下。
赤い光源が、鼻梁の上を照らしだす。
殺すぞ、殺すぞ。
囁いている。
「……どうしたんだ、それ。落ちてたのか?」
「そうだな。以前来た時に、落としていったのさ」
「へぇ」
「グレイス、銃の存在理由を知ってるか」
「ラブ・アンド・ピース」
「……余裕だな……」
「そんなはずねぇよ。ほら、カメラを持ったサプライズ野郎をさっさと呼びだせよ。ドコに隠れてやがるんだ?」
「黙れッ! さっさと両手をあげろッ!!」
「……サー」
素直にバンザイ。
持ち上げられた松葉杖。夕焼け空の下、避雷針。
「……どうしてこんな目にあってるか、知りたいだろう?」
「さぁな」
引き金。
微細な粉塵が舞う。
サイレンサー付属の渇いた音。
「……ッ!!」
ヒット。
義足の左足。痛覚はなくとも、衝撃には見舞われる。
直下型地震、震度は不明。
手にした松葉杖が、初めて役に立つ。
「理由、聞きたいだろう?」
「聞きたいね」
「それなら、クイズだ」
「出題する方が好きなんだが」
「真面目に答えろ」
「お前こそ」
もう一度、指が動く。
ヒット。右足。
地震の規模は増大。
「……ッッッ!!」
地面とキス。松葉杖が滑り落ちた。
手の届く範囲だ。素早く拾い上げ、縋るように片膝をつく。
「気分はどうだ」
「最悪さ。ファイアードラゴンに、剣一本で立ち向かうナイトの気分だな」
ニヒルに笑う。額から零れた汗が、幾筋も落ちていく。
それでも銃口は逸れない。
赤い光線が、ピンポイントで顔面を捉えて離れない。
「……どうして、そこまで笑っていられる?」
「それ、二問目か?」
三発目。今度は逸れた。
顔のすぐわきを飛び、建物の隙間に消える。
音速跳弾。跳ねろ。タ・ラ・ラ・ラ・ラ・ッ!
「答えろ、俺をなんだと思ってる」
「―――この瞬間まで、フレンドだと思ってたさ」
「違うな」
「違うのかよ」
「あぁ」
初めて余裕が消え失せた。苦笑する男に、頷く男。
「満足だ。ようやく言いたいことが言える」
嬉しそうな雰囲気を漂わせ、銃を持った男は、過去を喋る。そして語る、演説する。
「グレイス。お前のタフな精神が羨ましかった。バカで煩わしい軽口も心地良かった。あの事故の後、意識を取り戻した時、両足が無くなっていることに気がついても、平然としていたな。自分でなんて言ったか覚えてるか?」
「もちろんさ―――俺の足、グラム単価でいくらだった?」
「マリファナを定期的に一袋。半年分だ」
「……?」
「おっと、意味がわからないか。わからないだろうな。わからないなら教えてやろう」
口元を緩ませた。
くつくつ笑う。それは次第に強くなり、風に乗る。
今にも乱射してしまいそうに、激しく嗤う。
ハハハハハッ!!
「難しい問題じゃないのさ!! 薬欲しさに、クソがお前を轢き殺そうとした!! だが殺せなかった!! テメェはしっかり、天国までスピンしてったくせになっ!!」
「…………」
「お前が生きているとさ! 迷惑なんだよ!」
「どういうことだ」
「意味なんてない! 無意味に! 無駄に! 邪魔なんだ!」
ガタガタガタ。
顔の上を、小蠅のようにブンブン踊る、死の光源。
刺されたら、赤く染まって犯される。
当たりどころがよっぽど悪くない限り、即死まっしぐら。
「いつかこうなることは分かってた。だからこれが正しいんだ。君が生きていると安心できない。仕方がなかったんだ。運命だったんだよ。神様はいい仕事をくれる。祈りの時間ぐらいくれてやる」一人呟きながら、渇いた笑みで見下していた。
長い長い口上に、四発目は飛んでこない。
「ったくよう……」
飽きたように呟いた。
「つまりだ。俺が事故だと思っていたのは、実はテメェが仕組んだものでした。理由はわからねぇが、なんとなく俺を殺してやりたいわけでした――――そういうことだろ? スティーブ?」
「そういうことさ。お前が深く考えずフレンドだと言ってしまうように、俺も深く考えず殺すのさ」
「呆れたぜ」
「サンキュー、グッバイ・グレイス」
その言葉を最後に、いよいよやってきた。
弾丸。ミリ秒コンマ。
1000m/s
クイズの解答時間。
問題:飛来してくる弾丸。
脳天をブチ抜かれないためにはどうするか。
「―――――――――――」
解答A それ以上の反応、反射神経、動体視力を以つ。
解答B 殺傷能力を上回る強度の物質で防ぐ。
解答C ①かつ②の前提条件を持ち、ブッ叩く。
正解。
それでは始め。
ナノコンマ。
松葉杖。
構え。
横薙ぎ。
一閃。
ライト・ファイア。
クラッシュ。
クイック。
快音。
削、削、削。
分解。
バラバラ。
破片。
ヒット。
擦傷。
オンリー。
ミリコンマ。
音速。
秒速。チク、タク、チク、タク。
カウントワン、ツー、スリー、フォーー……。
リターン。
唇が、ニヒルに嗤う。ニヤニヤ。
「ヘイヘイヘイ! 次はまだか? それとも弾切れか?」
「……今、なにを……した……?」
「それともジャムったか? いいぜ、優しく分解してやりな」
「答えろ!!」
「ところで、だ」
「なんだッ!!」
「知ってるか」
「なにをだッ!!!」
「シザー・ハンズ」
「シャラップ!!!!」
発射。
消えた男の居場所を、放たれた次弾が抉りつけた。
つまり、ハズレ。
「―――俺の場合は、シザー・レッグだけどな」
「!?」
跳躍。地面から少し浮き上がる。
夕焼け空をバックに、銃弾よりも迅く、迫る。
軽い口調、目は笑っていなかった。
怒りに歯をむき出して、松葉杖を剣のように左に構え、
「食われちまえッ!」
噛みついた。
義足の両足が、銃を手にした肩を抑えつける。
触れただけでジャケットが裂けた。内側のインナーが引き千切られた。さらには皮膚を破り、肉をぶちぶち食い荒していく。
「ああああああああああああああああああ!?」
そのまま、ノック・ダウン。
冷たく硬いアスファルト。
「――――――ガッ!?」
肺に溜まっていた息が、一気に溢れ出た。
スカイブルーの瞳が回る回る回る。
「グレ……イ……スッ……!」
それでも意識は消えない。殺そうとしていた男が、すぐ目の前にいる。睨みつけた。ニヒルな笑みが返ってくる。
「動くなよ。両腕が飛ぶぜ」
「ぐっ……!」
背後には、真っ赤な夕焼け空。いっぱいに広がっていた。
赤。軽蔑、侮蔑、憤怒。哀愁。
「テメェじゃ、勝てねぇよ」
「ッ!」
銃のトリガーを引く。だが的を得られない。殺せない。
「残念だ。本当に残念だぜ。スティーブ」
楽しげに笑い、寂しげに笑う。
子供と大人の入り混じった声。
年齢不相応に若く、童顔のヒゲ面相応に若い。
「グレイス! なんなんだ! その足はッ!!」
「さっきも言ったろ、結構気に入ってるってよ」
腿までジーンズが破れ飛び、内側より現れたソレ。
肉の一切ない、骨格の標本のような義足。
革靴に閉じ込められていた箇所は、今や足の形をした巨大なナイフだ。銀色の鋭月型。夕焼け空に、よく映えた。
「シザー・レッグってのも、中々イカスと思わないか」
「ふざけ……!」
「ふざけてんのは、テメェだクソがッ!!」
松葉杖を投げ捨てる。自由になった手で殴る。
殴りつけた。ひたすらに、顔面を強打しまくった。
グローブを嵌めているものの、威力は充分。
冬の風に、凍えていた皮膚がたやすく裂ける。
鼻の血管が破裂し、血が溢れだす。
びちゃ。ぐちゃ。べちゃり。
「や、やめ……!」
「うるせぇ」
開きかけた口元に、遠慮のない一撃。
前歯が数本、折れ砕けた。ガラス破片のように散っていく。
さらに拳を振り上げて、気が付いた。
「おいおい……風邪ひくぜ?」
「………………………」
「しゃあねぇなぁ」
最後に、友人の銃を拾い上げて、天に向かって掲げた。
手向けだというように。引き金を引く。
ぱきん。
「……弾切れかよ……」
八当たり。思いっきり、壁へと向かって投げ捨てた。
「おい。俺はどっかで飲みなおすから、お前もさっさと家に帰れよじゃあな」
気絶したままの男に一瞥をくれただけで、歩きだす。
そろそろ、夜が近かった。