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2章「ソうぐウ」

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 「また明日学校で、って言ったのに…。」
 ここ数日凪にゃんは学校を休んでいた。
 様子を見に行こうと何回か凪にゃんの家の前までは行くことはあったものの、その敷居をまたぐことは一回もなかった。
 最後に凪にゃんが見せた涙。
 あの顔が私の頭から離れなかったせいだ。
 私は、ううん、私たち家族は凪にゃんに隠し事をしている。
 それも、実は凪にゃんが小学校高学年までおねしょ癖が治らなかったとか、私の友達のアキちゃんが実は凪にゃんの事が好きとかそういう次元の話じゃなくて。
 もっと、もっと大事なこと。
 凪にゃんにとっても、きっと私たち家族にとってもだいじなこと。
 もしかしたらその大事なことを凪にゃんが思い出してしまったのではないだろうか。
 そしてそのことによって見せたのがあの涙ではないのだろうか。
 そう考えると凪にゃんの家の敷居を越えようとするその足をあげることができなった。
 まるで強力接着剤でも塗りたくられたように。
 もしかしたら私は凪にゃんに嫌われたんではないだろうか。
 凪にゃんに嫌われたら私は──
 「奈央?ねえ、奈央ってば!」
 「ふぇ?」
 「どうしたの?さっきからぼーっとして。」
 私の横でアキちゃんが心配そうに顔をのぞかせていた。
 「アキちゃん…。」
 「心配そうな顔は奈央には似合わないよ。いつも笑顔じゃないとさ。」
 アキちゃんはそういうと私の両頬を軽くつねってにっこりと笑った。
 アキちゃんは私を元気づけようと努めている事は分かっている。
 アキちゃんだって凪にゃんが学校に来なくて本当は心配でしょうがないはずなのに。
 それでも私のために。
 分かっている
 分かっている
 分かっているのに
 「なにそれ?まるで私がいつも何も考えてない能天気ヤローってこと?」
 「え?」
 口から出る言葉は相手をえぐるナイフとなってアキちゃんを
 「それは、私はアキちゃんみたいにおしとやかじゃないし落ち着いていないよ。」
 「ちょ、ちょっと奈央?」
 傷つける。
 「凪にゃんも落ち着いている綺麗系の女の子が好みだって言ってたしお似合いなんじゃない?ぐだぐだ悩んでないでさっさと告っちゃえば?ほら、今日にでもお見舞いにでもいけば?」
 「奈央っ!」
 傷つける。
 アキちゃんの瞳が潤み始めているのが目に見てわかる。
 それでも私の口から出てくる汚い私はとどまることを知らない。
 口調はどんどん荒くなっていく。
 「もしかしたら、そのままゴールインしちゃうんじゃない!?凪にゃん具合が悪いんだからあんまり激しくしたらだめだよ?ハハハ──」
 ──ぺチン!
 突然左の頬に強い衝撃を受けた。
 押さえてみるとひりひりと熱を帯びていた。
 「奈央のばかっ!」
 アキちゃんはそう私に言い捨てると教室を走って出て行った。
 目からは大粒の涙を流しながら。
 「……。」
 しばらく何も考えられなかった。
 ただただその場に茫然に立ち尽くすことしかできなかった。
 それだけが私の今やるべきことだと思わすほどに。
 「なんだなんだ?」
 「どうしたの?」
 私とアキちゃんのやり取りが普通ではないことに気付いたんだろう。
 クラスの皆が集まり騒ぎ出してきた。
 その騒ぎが合図となり、私は犯してしまった事の重大さに気づく。
 何であんな事を──
 「ねぇ、奈央ちゃん、いったい何が…」
 その言葉を最後まで聞く前に、私は教室の外へと走り出していた。
 この場にいることがつらくなったこともある。
 けれどもアキちゃんを捜して謝らなくちゃいけない、
 そんな一種の使命感のようなものが私を突き動かしたのだと思う。
 そう、信じたい。
 「私、どうしちゃったんだろう…?」
 凪にゃんがいた時はこんな事なかったのに。
 いつも笑っていることができたのに。
 優しい心でいられたのに。
 凪にゃんの事を考えると太い針で刺されたように胸が痛くなる。
 凪にゃんがいないと私──
 「と、とにかく今はアキちゃんを探さないと!」
 首をぶんぶんと振って雑念を取り払う。
 私が起こしたことなんだから私が何とかしないと。
 私は廊下を目的地も定まらないまま、走る速度に一層力を込めた。 



 結局、アキちゃんの行方も知るわけもなく、なんの手がかりを得ることもなく私は教室に戻るしかなかった。
 当然そこにはアキちゃんの姿はなかった。
 もしかしたらアキちゃんは戻っていて、いつもの優しい笑顔で迎えてくれるかもしれない、なんてきわめて非現実的な展開に少しでも期待していた自分が嫌になった。
 当然、休み時間に抜け出したとはいえ、午後の授業を丸々放棄した私はその後、榎本先生のありがたいお説教を長々と受け、さらに追い討ちをかけるようにクラスの皆から質問攻めを受ける羽目になった。
 とりあえず榎本先生とクラスのみんなには、アキちゃんは具合が悪いから早退したとそれらしい理由でその場を切り抜けた。
 ──アキちゃん、ごめん。アキちゃんが来たらちゃんと弁解するから。
 その弁解をする機会が訪れることはなかった。 



 アキちゃんとの一件があった翌日、
 アキちゃんが学校に来ることはなかった。
 おそらく、間違いなく私のせいだろう。
 私は気になって榎本先生に問いただしてみる。
 「あの、榎本先生。アキちゃ…、篠崎さんは今日どうしたんですか?」
 「篠崎は、昨日から風邪をひいたらしくてその…今日は学校を休むそうだ。」
 榎本先生はバツが悪そうに目をそむけながら答えた。
 私の嘘が現実になった?そんなに都合のいいことなんて起こるのだろうか。
 それにどこかそわそわしている榎本先生の態度が私の不安をあおる。
 「それじゃあホームルームは終わりだ。それと伊瀬。この後職員室へ来るように。」
 「え?はい。」
 私の不安は確信へとその歩を歩めていった。 



 「本当にただの風邪なんですか?」
 職員室の隣にある個別相談室。
 そこに設けられている机を挟んで私と榎本先生は向かい合って座っていた。
 私の質問に榎本先生は沈黙を続けるだけだった。 

 「なあ、伊瀬。昨日篠崎は本当に具合が悪くて早退したのか?」
 沈黙を破った第一声
 その辺あたりを聞かれるのは呼ばれた当初から何となくだけど予測はしていた。
 「実は──」
 もはや隠していられる状況じゃないし、私は素直に先日のあらましをすべて話した。
 それこそ嘘偽りなく。
 「そうだったのか。」
 全てを聞いた榎本先生は私を怒るわけでもなく、またしばらく何かを考えるかのように黙ってしまった。
 「お前にこのことを話すかどうか悩んだが、篠崎と一番仲がいいし、全くの無関係というわけでもないだろう。」
 やがて榎本先生は何かを決心したようにそうつぶやいた。
 「実はな、伊瀬。昨日から篠崎が行方不明なんだ。」
 「え!?」
 「篠崎の両親から電話があって、昨日家に帰って来てまたすぐに出て行ったきり帰ってこないらしいんだ。」
 「警察には連絡したんですか!?」
 「連絡はしたが、警察には学校に来てもらっていない。生徒を無駄に混乱させる原因になるからな。それに学校側からしたらあんまり公にしたくないらしい。高校の評判を下げる事はしたくないんだろう。」
 「そんな…。」
 私は頭を硬い鈍器でも殴られたような強い衝撃を受けていた。
 ただの風邪での欠席じゃないと思っていたけど、まさかこんな大事態になっていたなんて。
 「本当はこの事は職員内のみでの生徒に他言無用なことになっている。」
 「じゃあ私に話すのもまずいんじゃないんですか?」
 「ああ。まずいだろうな。」
 そういった先生の口調はどこか他人事というか、うわ言というか、自分にとってそんな禁則事項は関係ないといった様子だった。
 「他の先生たちはどう思っているかわからんが、俺にとっては学校の評判よりも、一人の教え子の方が大事なんでな。」
 「榎本先生…。」
 「だからほんの些細なことでもいい。篠崎の事が分かったら俺に連絡をしてくれ。これが俺の連絡先だ。」
 先生は上着の内ポケットから手帳の紙を少し破り、自分の携帯番号を書いて私に渡してくれた。
 「ありがとうございます。私も何かわかったらすぐ連絡します。」
 私はその紙を胸ポケットにすっと入れた。
 誰だろう、榎本先生を鬼拳の榎本なんて粗暴な二つ名をつけた人は。
 こんなに生徒の事を思う優しい先生なのに。
 「いやぁ、それにしても伊瀬が事件の犯人、まあ事件というにはまだ早急かもしれんが、それじゃなくてよかった。」
 重苦しい空気からやや軟らかくなった個別相談室の中で先生は腕を伸ばした。
 「そんなことあるわけじゃないですかー。」
 私の口調も心なしか柔らかくなる。
 「もし犯人かなんかだったらしたら、人生で初めて俺は女に手を振るうところだったぞ。もうそのことだけが心配でな!ハッハッハ!」
 さっきの言葉を撤回しよう。
 この人ほど鬼拳の名が相応しい人はおそらくこの世には存在しないと思う。 



 学校が終わった私はアキちゃんを捜すために高校付近を捜しまわっていた。
 学校帰りによく寄ったゲームセンター、お菓子屋さん、デパート。
 けれどもそのどこにも彼女の姿を見ることはできなかった。
 「一体どこにいるの…アキちゃん…。」
 思い当たる場所、探せる場所は全て捜したはずだ。
 ──いや、違う。
 まだ重要なところを私は見逃しているような気がする。
 思い出すんだ。昨日私がアキちゃんに対して行った言動のすべてを。
 私の頭の中で断片的に散らばった記憶のかけらを少しずつ、少しずつ組み合わせていく。 


 ──「おはよ~奈央ちゃん~」
 「おはよ!アキちゃん!」
 「そういえば昨日のあのドラマ──」 

 違う!ここじゃない!

 ──「またアキちゃん胸大きくなったんじゃない~?」
 「もうやめてってば~」

 ここでもない!



 ─「なにそれ?まるで私がいつも何も考えてない能天気ヤローってこと?」

 もう少し先!

 ─「凪にゃんも落ち着いている綺麗系の女の子が好みだって言ってたしお似合いなんじゃない?ぐだぐだ悩んでないでさっさと告っちゃえば?ほら、───」


 「ここだ!」


 そう叫んだ頃には私の足はすでに目的地に向けて動き出していた。
 なんでもっと早く気付かなかったんだろう。あの日彼女が行くところなんてもともと一つしかなかったんだ。
 他でもない私が言ったことじゃないか。
 きっと、いや、必ずアキちゃんはそこに向かったはずだ。
 だって彼女は優しいから。
 私なんかと違って臆病じゃないから。 


 

 「すぅーはぁー、すぅーはぁー」
 途切れ途切れになった呼吸を整えるために大きく2回深呼吸をする。
 全速力で向かった先、それは凪にゃんの家だった。
 ──もしあの日、アキちゃんが私の言った事を受け止めたのならば、凪にゃんの家に見舞いに来ているはず。もし来ているのならば凪にゃんにつきっきりで看病しているのかもしれない。
 それで看病が忙しくて両親に連絡し忘れた。今回の事件の真相はそんなものじゃないだろうか。
 そう考えると複雑に思われたパズルのピースが嘘のように綺麗に埋まっていく。
 ずっと消えなかった私の心の靄も、綺麗に晴れていくような気がした。
 ──きっとそうだよね。全くアキちゃんもおっちょこちょいなんだから。というか男女二人きりで看病といいつつ、あんなコトやこんなコトとかしちゃってるんじゃ…それはダメ!それは絶対に!

 アキちゃんにあんな事を言っちゃった手前、今度は別の意味で私は心配になってきた。
 正しい男女関係の付き合い方を私がレクチャーしてあげなくては!…私もよく知らないけど。
 妙な焦燥感が私の歩みを進める。
 その焦燥感が、ここ数日入ることを躊躇した凪にゃんの家の敷居を私にまたがせていた。


 ピンポーン。ピンポーン。
 何回か呼び鈴を鳴らす。けれども反応は全く返ってこなかった。
 もしかしたら今手が離せない状況なのかもしれない。
 そう思い、無作法ながらドアノブをひねる。
 「あ。」
 どうやら鍵はかかってないようで、手前に引くとなんの抵抗もなくドアが開いた。
 ──不用心すぎるぞ凪にゃん。
 「おじゃましまーっす!凪にゃん、アキちゃんいる~?」
 玄関に入って声を出してみても、相変わらず反応は返ってこない。
 誰もいないのだろうか。
 靴を確認すると、凪にゃんのと女子用の学生靴が2足分置いてある。一応家にはいるようだ。
 それよりも気になるのはこの2足の女子用学生靴だ。
 2足あるということは、仮に一人がアキちゃんだとしても、もう一人女の子がいるということになる。
 「凪にゃんがこんなにも甲斐性なしだったとは。」
 私の体がみるみるうちに熱くなっていくのがわかった。
 「もう家にいるのは分かってるんだからね!」
 半ば叫ぶように言いながら、私は2階にある凪にゃんの部屋に向かう。
 呼び鈴を押しても居留守を装って、なお且つ女の子を二人も連れ込んでいる。これはもういかがわしいことをしてますと言っているようなものじゃないか。
 こうなると、何日も心配していた自分とか、凪にゃんにあった時どういう言葉をかけようかとか、アキちゃんに謝る言葉とか、それらの全てが明後日の方向に飛んで行ってしまった。
 凪にゃんへの文句。それだけが頭からふつふつと沸き上がってくる。

 「凪にゃん!学校休んでなにしてる…の…。」
 勢いよく扉を開きながら叫んだ私の声は、途中で途切れてしまった。
 苦しそうに悶えている凪にゃん。
 その隣で安らかな寝息を立てて寝ているアキちゃん。
 そしてその二人を囲むかのように幾重にも施されたお札。
 それを見守るように、少し離れたところで学習机の椅子にちょこんと座っている見知らぬ少女。
 現実なのにあまりにも非現実的な光景に私の言葉は完全に呑まれてしまった。
 そしてなによりこの部屋に入って来てからの異様なまでの空気。まるで空気のなくなった真空状態のような息苦しさを感じる。自分の体さえも満足に動かせない。
 これはいったい何なのだろうか。
 この部屋だけがこの世界とは別の原理で存在している。そんな気すら起こさせる程に自分の存在が不安定なものになった気がしてならなかった。
 「凪…にゃん?アキ…ちゃん?いっ…たいこ…なん…」
 自分が出したい言葉さえ上手く発音できなくなってきた。息苦しい。
 「あ…いったい…だ…れ…」
 視界がかすむ。
 自分が自分でなくなる。

 「────」
 意識を失いそうになる寸前、私は凪にゃんとアキちゃんの声を聞いた気がした。
3

優希ヤサイ 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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