雲古仙人と便所博士
とても不快なブログを見つけた。『雲古仙人の雲古日記』と題されたそれは、比喩的なうんこブログではなく、正真正銘のうんこブログだった。
すなわち、雲古仙人と称したブログの書き手は、日々放出する排泄物を写真に撮影し、インターネットを通じて、全世界へと発信していたのだ。酷い、酷すぎる。
そんなブログ見なければよかったんだろうが、トップページにこんな注意書きがあったので、逆に興味を惹かれてしまったんだ。
「このブログには小生の雲古写真が多数使用されております。甚だ不謹慎かつ変態的な行為であることは重々承知の上でございますが、我が身から産み落とされた排泄物を何の記録も無しに汚水の彼方へと葬り去る事は耐え難く、一期一会の出会いを永遠に残すと共に、同好の士と万が一にも出会えるのではないかとの希望的観測から、忸怩たるものがありながらも我が身の片われを世間へと晒すものであります。
従いまして善良なる常識人からいたしますと、眉根を寄せ、唾棄すべき内容がこのブログには含まれております。精神の歪んだ者の狂乱行為で御座いますゆえ、不幸にしてこのページに辿り着かれました方は、気紛れの好奇心などに揺り動かされる事なく、速やかにこのページを閉じ、記憶の海馬より永遠に消去される事を所望いたします。
この先に貴兄の望まれるものは何も御座いません」
こんな仰々しい注意書きは、リアクション芸人が「押すなよ! 絶対に押すなよ!」 と言っているようにしか見えないだろ?!
かくして俺は、「ENTER」と表示されたリンクをクリックし、津波のように押し寄せる赤の他人のうんこ写真をずらずらと見せられる羽目に陥ったという訳だ。正直言って、プロバイダに通報して削除してやろうかと思ったし、場合によっては損害賠償を求める訴訟も辞さない程の憤りを感じていた。
ところが、だ。
人様には聞かせられない罵倒を繰り返しながら、短い解説付きのうんこ写真を見ているうちに、俺は驚異的なスピードでその悪趣味な画像に慣れてしまっていた。考えてみれば自分も毎日放出し、見慣れている物体だ。あまり認めたくはないが、排泄物に対する愛着もまったく理解不能という訳ではない。
そして幸いな事と言っていいのか判断に苦しむが、雲古仙人のうんこはなかなかに健康的なものばかりだった。言葉を飾らずに表現するなら、見事な一本糞と言うより他に無い。撮影用に気を使っているのであろう、綺麗に磨かれた洋式便器の中で軽いカーブを描き、時にトグロを巻く程のうんこは、落ち着いてみれば美しくないとは言えないかもしれない。俺は飽きるまでの一時的な事だと思い、このブログをお気に入りに登録した。
雲古仙人は几帳面であるようだ。1日としてブログの更新を怠る事はない。ほとんどのうんこは前述の通りの一本糞であったが、時折、ころころとした鹿のフンのごとき写真が混じっている。そんな時は、写真の下に添えられたコメントにかすかな恥じらいが混じるのだ。
「昨日は体調が芳しくなく、食事を控えたところ上記のような雲古となりました。
良、とする雲古のみを記録するのが目的であれば、日々欠かさずの記録は意味を為さず、むしろこのような雲古を残す事にこそ、この塵芥のごときブログに一筋の存在理由を見出すものだと理屈では考えておりますが、それでも尚、不出来と感じる雲古をそのままに晒す事は、教師から問われた内容に答えられず、学友達の嘲笑の中で立ち尽くした幼少の砌を思い起こさせるものであります」
うんこを晒すことには恥じらいを感じず、出来の悪いうんこを晒すことに恥じらいを感じる。頭がおかしいのではないかと思いながらも、なぜか理解できるような気がしてしまう。
過去分へとどんどん遡ってみると、最初の更新は2年前だった。つまりこのブログには単純計算で800枚近いうんこ写真がUPされていることになる。これは病気と言って差し支えないレベルだと思う。そのすべてに目を通した俺も、最早、同じ穴のムジナなのかもしれないが。
ある日、雲古仙人のブログにコメントが入った。これまでにもコメントが寄せられる事はあったが、「キモスwwwwwww」「通報しますた」「死ね、士ねじゃなくて死ね」といった類のものばかりだった。
しかし、今回のコメントはいささか趣きが違う。
「当方、ネット上にて便所博士と称し活動している者でございます。
かねてより雲古仙人氏のブログを拝見しておりましたが、ご献言したき点があり、僭越ながらコメントを残させて頂きたい所存であります。
雲古仙人氏の雲古への深き想い、常日頃より感服しております。されどその愛情と比較するに、便所への配慮の無さに対しては苦言を呈するより他に御座いません。
成程、常に便器は清浄に保たれ、通り一遍のお手入れはされている事でしょう。しかし、写真撮影のために上がった便座の奥、水の跳ね上がりが当たる便器の返し部分、そこに不浄なる汚れが写り込んでおります。また便器内に残る数多の水滴、これは水切れの悪い素材を使用している為に他なりません。水の残った便器には垢が溜まり、いずれは磨いても決して落ちぬ汚れへと変質いたします。
私は雲古と便器とは切っても切れぬものと考えております。ですから、雲古仙人氏の雲古に対する深き愛情の些かを、便所にも向けて頂きたいと切にお願いしたく、無礼千万な文書を残すものであります。
私も一般には嫌悪すべきものに対しての愛情を持つ者です。もし私の思いの一端でもご理解頂けるのであれば、ご協力は惜しみません。数々のご無礼をお許し頂けるのであれば、無上の幸いでございます。
ご返信を心待ちにしております」
コメントの主は『便所博士』と名乗っていた。類は友を呼ぶ、という言葉がこれほどまでに頭の中で輝いたのは初めてだ。しかし、なんというか指摘が細かすぎるのではないだろうか。俺がブログを作ったとして、こんな重箱の隅をつつくような事を言われたらキレる。お前はお前の美学にのっとって、勝手にやっていればいいじゃないかと。
俺は雲古仙人がキレるのを期待していた。黙ってろ、引っこんでろと。しかし、当のご本人はそう思わなかったらしい。
「便所博士殿>
まず、コメントに深く感謝いたします。
便所博士殿にご指摘頂いた事項は、小生のみの嗜好として小生のみが孤独に親しんでいたのであれば、悠久の時を経たとしても気付き得ぬ事項でありました。このブログを始めるにあたり、いくら自由が尊ばれる様になって久しいとは言え、あまりにも度が過ぎるのではないかと自問自答を繰り返しておりましたが、便所博士殿よりコメントを頂けた事で、小生は本来在るべきであった永遠の孤独より救われた思いがいたします。
これまで雲古の事ばかり考えて参りましたので、便器に対しては便所博士殿のご見識に近づく事すら叶いません。御言葉に甘えさせて頂く図々しさをご容赦頂けるのであれば、是非とも便所博士殿の御力をお貸し頂きたく思います。
身勝手なお願いとは承知しておりますが、どうぞ宜しくお願いいたします」
「便所博士でございます。
雲古仙人氏のお言葉、この上ない喜びでありました。コメントを送らせて頂いた後、傍若無人、慇懃無礼という言葉が何度頭を駆け巡ったか数え切れません。私の考えを不躾に押し付け、剰え、尊大な物言い……改めてお詫び申し上げます。失礼をお許し下さい。
私の力など微々たるものでありますが、ご協力は惜しまぬつもりです。雲古仙人氏のご活動に対して、微力ながらもお役に立てるのならば喜ばしい限りであります。……」
何やら2人は通じ合い、分かり合ってしまったらしい。
この後、幾度かのコメントのやり取りが続き、雲古仙人と便所博士は個人的に連絡を取り合うようになったようだ。しばらくして、雲古仙人のブログに映る便器が新しくなった。素人目にも便器はグレードアップしていて、心なしかこれまでよりもうんこの写真写りが良くなったように感じた。
別の日には通常の便器とは違う便器に鎮座するうんこがUPされていた。
「本日は便所博士殿のお宅からの更新です。
知人宅で排泄した雲古を、ご了承を得た上で撮影出来る日が来るなど夢にも思っておりませんでした。小生は変態であると自覚しておりますが、実に恵まれた変態であると感じる事が近頃は多くなっております。日々、形の変わる雲古に良し悪しなど無いと思っておりますが、それでも本日の雲古は特別に思えて仕方がございません」
俺は気分が悪くなった。うんこばかりが並ぶブログを見たってこんな気持ちにならなかったのに、何だって言うんだろう? 便所博士が気に入らない? それもある。偉そうで図々しくて、どうにもいけすかない。
けれど、それだけじゃない。強いて言うなら、雲古仙人が便所博士と仲良くしてるのが気に入らないんだ。俺だって雲古仙人のうんこを全部見た。2年分全部だ。それなのに、雲古仙人は俺の事を何も知らない。
じゃあ、コメントすればいいだろうって? 馬鹿か、なに話すんだよ。俺は雲古仙人ほどうんこを愛してないし、便所博士みたいにうんこに関する趣味なんて持ってない。だいたい、うんこ自体に興味なんてないんだよ。
それでも、なんか雲古仙人のことが気に入ってたんだ。自分のうんこを毎日毎日律儀に晒している雲古仙人が。普通とは違うところで恥ずかしがる雲古仙人が。
だけど、俺と雲古仙人に共通項なんてない。興味はあるけど、興味があるだけ。そして100%、雲古仙人は俺に興味なんて持たない。友達でも知り合いでもないけど、仲間外れにされた。そういう気分なんだ。うんこよりもずっとうんこな気分なんだ。
俺は雲古仙人が特別だと言っていた、便所博士の家からの更新分にコメントを付けた。
「おまいらキモスwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
まさにくそったれwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww」
送信。
そして、お気に入りから削除。
2度と見るか、こんなブログ。くそったれどもが。