ざ………ざ………
ざ………ざ………
不意に静寂が訪れる。
何となく話しかけづらい空気が二人の間にあった。
どちらとも無く空を見上げると、流れ星。
明るい夜だ。
「もしも、さ。」
「うん?」
男がふいに口を開いた。
「もしも、だけど。」
「うん。」
「このまま記憶が戻らなかったら、って…」
「え…?」
「君は、もうしばらくしたら帰ってしまう。だろ?そうしたら僕は…病院に行く。」
「…うん。」
「病院はきっと、寂しい。」
「うん…」
ざ………ざ………
「ごめん…ね。」
「…ううん。」
ざ………ざ………
「そういえばさ、何か手掛かりになる物とかは持って無いの?」
「え?」
男はまったく気付かなかったというように、驚いた顔で立ち上がった。
すっかり乾いた髪が風になびいている。
「ポケットの中とか、何か無い?」
「えっと…ちょっと待って…」
男は上着やパンツのポケットをひとつずつ調べる。
はだけたシャツを『ちょっとセクシーだな』とアヤは思った。
「ごめん…何にも無いみたいだ。」
「そっか…」
ざ………ざ………
「寂しかったらさ。」
「ん?」
「寂しかったら、あたしの事、思い出してよ。あたしも、そうするから。」
「…うん、そうするよ。」
ざ………ざ………
「でも、きっと、君は僕を忘れてしまうよ。」
「どうして?」
「見ず知らずの人間と、ほんの数時間話しただけじゃないか。若い君は、すぐに忘れてしまうよ。」
「そんな…それならあなただって同じじゃない。見ず知らずのあたしと、ほんの数時間話しただけ。条件は一緒よ。そしたら、あなたもすぐ忘れちゃうの?」
「僕は…僕は忘れないよ。」
「どうしてよ。なら、あたしだって忘れないわ。」
「うん…」
ざ………ざ………
「ほんの数時間ってあなたは言うけど、思い出に時間の長さは関係ないと思うわ。」
「…どうして?」
「あたしね、幼馴染にいっこ下の女の子がいるんだけど、その子があたしの五歳の誕生日に自分のお小遣いでお花をプレゼントしてくれたの。」
「うん。」
「プレゼントをもらったっていう思い出は、時間にしたら本当に一瞬の思い出よ?でも、あたしはその花の色も、香りも、よく覚えているわ。」
「うん。」
「嬉しかったから。」
ざ………ざ………
「幸せな時間は、一瞬でも、永遠になれるんだよ。」
ざ………ざ………
「実は。」
「え?」
「実は、色々思い出してきたみたいなんだ。」
「ほんと?」
「うん。何をっていうわけじゃないんだけど、だんだん頭がすっきりしてきたって言うか…」
「…良かったぁ。もう、はやく言ってくれれば良かったのに。」
「ごめん。何て言ったら良いか…怖くて…」
「…名前は?」
「名前は…ごめん。」
「じゃあ…歳は?」
「28。」
「あたしとちょうどひと回りだ。」
ハハっとアヤは笑った。
ざ………ざ………
「どうして海に落ちたのかは、思い出した?」
アヤの質問に、男は目をそらす。
「言いたく、無い?」
「…ごめん。」
「ううん。」
ざ………ざ………
「今、何時かなぁ。」
ざ………ざ………
「お父さん、もう帰ってきたかな…」
ざ………ざ………
「そろそろ、帰っちゃおうかなぁ…」
ざ………ざ………
「またさ、ここで待ち合わせるのってどうかな?一ヶ月後でも、ううん、一年後でもいいからさ。」
ざ………ざ………
「幽霊の友達なんて、なかなか出来るもんじゃないしね。」
ざ………ざ………
「帰ったら、お父さんに自慢しちゃおうかな。『幽霊の友達ができたんだぞ』って。」
ざ………ざ………
ざ………ざ………
「…お母さん、見つかるといいね。」
「…ばか。」
うつむいたアヤの目から涙がこぼれた。
『帰りたくない』と、言いそうになって唇をかんだ。
(どうして…?どうしてだろう?どうして、こんなに帰りたくないんだろう。)
泣き続けるアヤの髪を、男は何も言わずに、そっと撫でた。
あったかい。
そう、思った。