「泣き、やんだ?」
「ばか…泣いてないもん。」
「そっか。」
「『そっか』は禁止でしょ。」
「あ、そっか、ごめん。」
「ほら、また。」
「あ…」
ざ………ざ………
「立てる?」
「…大丈夫。」
そう言って立ちあがったアヤが少しよろける。
男はその体をそっと受け止める。
「大丈夫?」
「…大丈夫、です。」
「そっか…あ。」
「いいよ、別に…」
「うん…」
ざ………ざ………
「待ち合わせしなくても、また、会えるよね?」
「え?」
「また、会えるよね?」
アヤの真っ直ぐな目を男は直視できず、ごまかすように月を見上げた。
月は眩しいくらいに輝いている。
「じゃあ…帰るね。」
「うん。」
「ちゃんと、病院行くんだよ。」
「うん。」
「病院、一人で行ける?」
「子供じゃないんだから。」
「そうだね。」
ハハっと、二人は顔を見合わせて笑った。
「じゃあ…あたし、帰るね。お父さん、心配しちゃうし。」
「うん。」
「じゃあ、ね?」
「うん、バイバイ。」
「…バイバイ、なの?」
「え?」
ざ………ざ………
「あたしは、おうちに帰るけどさ、あなたは…あなたは何処へ帰るの?」
「どこ、って…?」
「病院は…この後行くのよね。その後よ。その後。一生病院にいるわけじゃないでしょう?」
「それは…わからないけど…」
「ばか!ねえ、もしも記憶が戻らなかったら…ううん、もし記憶が戻ったとしても、幽霊のあなたは、何時か、何処へ帰るの?」
「そう、だな…幽霊だから、あの世かな?」
「やっぱり!」
「やっぱり…って?」
「急に、怖くなっちゃったの、ほんとに、もう二度と会えないんじゃないかって、お母さんみたいに…どっか行っちゃうんじゃないかって…」
そう言うと、アヤはまたぽろぽろと泣き始めた。
(言ってる事が、めちゃくちゃだよ。)
男は内心、苦笑した。
けれど、まんざらじゃ無かった。
「大丈夫、冗談だよ。」
「…どれがよ、どれが冗談なの?」
「あの世に帰るって。」
「…じゃあ、何処に帰るの?」
「生まれ変わって、この世にさ。」
「…ほんと?じゃあ、また会える?」
「うん。」
ざ………ざ………
「じゃあさ、『バイバイ』じゃなくて、『またね』だね。」
「うん。」
「…またね?」
「うん、またね。」
「…うん!またね!」
アヤは笑顔でぶんぶんと手を振りながら歩いて行った。
足元を気にしながら、それでも見えなくなるまで男に手を振り続けていた。
見えなくなるまではほんの数分だったが、男にはそれが永遠にも一瞬にも感じた。
ざ………ざ………
「ふう…」
男はひとり、ため息をつく。
それは白く空気を霞ませる。
ざ………ざ………
(寒いな…)
男は思い出した事をひとつひとつ確認していく。
自分の名前、海に落ちたその理由、そもそも自分が誰で何処から来たのか…
(嘘、ついちゃったな…)
ざ………ざ………
(生まれ変わって、か…)
ざ………ざ………
「…またね。」
男はひとり呟いた。
その時、流れてきた雲が月を隠した。
海岸は闇に沈む。
ざ………ざ………
ざ………ざ………
ただ、波の音だけが冷たい空気を震わせていた。