騙し騙され愛されたい!
プロローグ
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人の病気をどうのこうの言う前に自分の病気を治しましょう。
1
精神病患者に対してどのような処置が有効かと僕に尋ねられても困る。
だが、目の前の依頼人と名乗る彼女はそんな僕の心のつぶやきを無視して言葉を続けた。
「貴方は、その……精神病や、そういった疾患の患者を秘密裏に調査してくれる方だと存じております。そこで、お願いしたいのです。」
「はあ、なんですか?」
「ウチの娘を、保護して欲しいのです。」
メガネを掛け、肥え太る様な装飾に身を委ねている、如何にもマダム、セレブ、という言葉が似合いそうな女性は重苦しい雰囲気を立ちこませながら言う。
「保護……ですか?」
「はい、保護です。」
「あの、確認しておきたいんですが、一応娘さんの年齢は…?」
「今年で十七になります。」
「実家暮らしですか?」
「そうです。」
「なら、保護…というのには少し語弊があると思うんですが。」
顔色を伺うようにいう僕。
「僕の仕事……といいますか、僕の行動に関しては、色々と誤解が生じるのは仕様がないんですが」
「ええ、判っています。でも、この場合そう表現するのが適切かと思われますが。」
「んむ……まあ不毛になるので止めましょう。それで、娘さんを……保護? でしたっけ。いったいどんな症状があると思われるんですか。」
マダムはよく喋りそうなその口を閉じ、考えるように目線を下げた。
やはり、抵抗があるものなんだろうね、自分の娘の精神がいかれてる。なんて人に言うなんてさ。
「彼女は……人を殺したがっているのです」
「彼女? 娘さんですか」
「ええ、彼女は人を殺したがっています」
「へえ…人を。なぜ、そう思われるのですか?」
「彼女は、よく虫を殺すのです」
へえ、それだけで、彼女……いや、娘さんが人を殺したがっていると。
「もちろん、それだけではありません。彼女の感情表現は少し人と違っているのです。」
「というと?」
「彼女は、嬉しいことがあると必ず動植物を殺します。」
空恐ろしいことをいうものだ。
「どんなことがあったのか、お聞かせ願いますか?」
「例えば、そうです、彼女の十四歳の誕生日のことでした。私たちは夫婦で考えて、彼女に犬を飼ってやったのです。しかし、彼女はその翌日にその犬を、丸ごと解体して、箱に詰めて飾りました。犬の骨を蝋燭に見立て、十四本の骨を犬の体に付きたてバースデーケーキと言って…。嬉しそうに……そのケーキを……ううっ」
思い浮かべることを止める。
あまりにも凄惨な青春の一ページだねえ、位に思っていよう。そうでもしないと、僕の素晴らしい想像力ってやつが、勝手にその犬の凄惨さを思い浮かばせてしまう。
「それは、娘さんの癖があるとわかっての判断ですか?」
「…もちろんです、彼女のその癖は六つのときには出ていましたから。」
「では、なぜ生き物を」
「愛情が足りないせいだと、先生がおっしゃっていたからです。」
「精神カウンセリングでもお受けになったのですか?」
「いえ……教えの先生が」
ああ、なるほどね。
娘を思うあまりに、自分の信心をどこかの他人に預けてしまったわけだ。ここの所も慎重に扱わなければならないわけか。
確かに、自分の娘が犬を殺し、解体して、食った。となれば、どこかの神様仏様に祈りたくなるのが人間の心情だ。いるかいないかわからない物に願ってそれで、彼女自身が回復すれば事は万々歳という話である。
まあ、でも僕を頼りにしてきたということはそれも駄目だったというわけだけれども。
「そうですか。それ以降彼女の癖はいつでましたか?」
「いえ、彼女の癖は頻繁に出ています。月の半分ほど」
「なるほど、深刻な回数ですね。なぜ、精神病院に連れて行かないんですか」
「察していただけます? 質問が過ぎるわ。」
「それは失礼、質問が好きなものですから。」
あまりいい趣味とはいえないわ。と、口を伏せるマダム。
そういう貴方の趣味もいただけたものではないですよ。なんてことは言えず、僕は苦笑いを浮かべつつ、テーブルに乗っている珈琲に手をつける。どちらにしたって、子供の精神に問題がある場合は大抵、親の教育的趣味ってやつが引っかかってくるって僕は思っている。その理論でいくのであれば、このマダムはとびっきりのご趣味をお持ちのようだ。
「まあ、世間体などがありますからね。そこらへんはお察しします」
「お願いしますわ」
「とりあえずですね、僕がすること。所謂仕事ってやつですね。それを説明させていただきますと……。」
「ぱやっぱー! 流暢な日本語を携え、オーストラリアから帰国子女到来の巻!! ポロリはねえよ!?」
と、営業モード。基、承諾などをしようと思ったところにトンデモナイ馬鹿が登場した。
ちなみに、この場所は事務所と言われる所で、もうそっと説明すると探偵事務所なんていう肩書きの付いた事務所である。探偵事務所なのになんで精神病の子供の相談受けてるのかーとか、まあそういったところは置いといて。とりあえず、このいきなり登場してきたこの女のことを描写しよう。
この女は馬鹿。はい、終わり。
「あらあら、お仕事中だったかしらん」
「そのようだよ、シンディちゃん」
「きっちり稼いでね」
「母ちゃんの為とあらば、気合もはいらあね。」
「私お風呂はいってくるね」
「はいはい、どーぞ」
部屋に入ってきたテンションも駄々下がりなご様子で、お客さんに挨拶もなしに奥の住居スペースに消えていくシンディちゃん。なんともまあ、母ちゃん役の癖に役割が徹底してないこと、してないこと。ため息も出てきそうだわさ。
「助手の方ですか?」
「似たようなものですよ。」
「そうですか。」
マダムは不安の色を表情に浮かべている。
だが、別段引けを感じることもないので、話の続きをすることにする。
「それで、ですね。仕事についてですが。」
「全てに関してお任せしますわ。」
「……それでかまわないので?」
「探偵さん…なんでしょう? 助手までお抱えになっているくらいですから」
「そうですね。それじゃあ、好きにやります。」
「報酬については?」
「いや、報酬は後々貰いますよ。それに、なんといいますか。あまり期待されても困るのです。はっきりいってこちらは本業ではありませんから。ぶっちゃけていうと……探偵も法人を組んでるわけでもないですしね。」
モグリといいますか。便利屋といいますか、と。言葉を濁すと目の前にある瞳はその言葉を渇望していたかのように、逞しく見開いていた。あらら、この答えが正解なのかね。というか、この人興信所になんか偏見あるのかしら。モグリの方が情報の管理が甘いですよ? 抱えてる資金が違いますから。あっちとは。
「口外して頂かなければ十分ですよ。」
「もちろん、守秘義務は守ります。信頼ですから」
「それでは、こちらの書類にウチの娘のプロフィールが明記してありますので。」
背丈は痩せているのに、バッグもやはり肥え太っていた。もちろん、財布も肥え太っているのだろう。まあまあそれはいい。マダムはそのバッグから書類を取り出す。写真も貼り付けてある。
そして、感じる。ああ、やっぱり可愛い子。なんともまあ、お嬢様なお嬢様。絵に描いたお嬢様きどちゃってもう。その内側はどうなっているのかね、なんて。くだらないなあ。
書類に手をかけようとすると、マダムは備え付けのソファから立ち上がる。
「もう、お帰りですか?」
「ええ、用事は済みましたから」
「一応、今後の打ち合わせなどをしたいなとは思うのですが」
顔色を伺いつつ、打ち合わせを提案する。こちらとしても、必要経費くらいは報酬とは別に貰う算段の話をしなくてはならないのだ。どうやって、ターゲットの娘さんと近づくかが、この副業には重要なのだから。
そんなことをちらつかせながらの引きつり笑顔を、マダムは一蹴するように輝かしい笑顔をして
「貴方はプロ…でしょう?」
と、鋭利な言葉を僕にお届けしてくれた。
「は、はあ。」
ぐっさりとくる僕。モグリでもなんでもお金貰ってりゃプロですよね、そうですね。
「くれぐれも、貴方のお仕事をなさってください。……それでは。」
細身の体系のマダムはドアノブに手をかけ、まるで民衆に手を振る皇后陛下のような感じで別れの挨拶を済ます。なんとなく、手を振ってみる。満面の笑みも一緒に。もちろんプラス料金なんて取らないさ。
ドアノブがカチリとお上品にしまる。ほ、とため息。
でも、よく言うもんだよね。
「只より高い物はないね。」
話を聞いていたのかいないのか、よくわからない感じにひょいと頭をだすシンディちゃん。
「はてさて、どの口が言うものやら。」
「言ってないよ。君が代弁したじゃないか」
「そうだっけ」
歪ませた笑顔とくしゃくしゃと髪をかき混ぜながら僕の隣に座るシンディちゃん。先ほどのサバイバルな格好とは裏腹に、キャミソールにホットパンツというなんともイヤラシイ格好をしている。
うーん、ドキドキしちゃう。
「今度はどこら辺に行って来たのさ」
「あちきはねー、九州に行ってきました」
「あら、意外と国内か」
「国外脱出にはお金が足りんで、あえなく断念。どっかの働き手さんがお給料をくれたらなあ、なんておもっちゃったりなんだったり?」
「へえ。」
「興味なし?」
「だって、僕は別に助手要らないもの」
書類を手にとって、斜め読みしてみる。なるほど、17歳赤野鳥女子高等学園の二年生ね。しかし女子高か、んむ、辛いじゃないのよ。なんて思って眉を寄らせていると、シンディちゃんは資料を奪い取る。
「あ、こらっ!」
「ふーん、次は赤鳥女子ねえ。女子高じゃないのさー」
シンディちゃんは、僕に向かって嫌らしい笑顔を浮かべる。その笑顔だけで何を考えているのかわかるよ。ったく。
「ねえ、ねえ。あちきねー、旅行が趣味なのー」
「ええ、よくわかっておりますけど」
「お金がないのー」
……、だから、その豊満な体でも何でも使って稼げばいいじゃないんでしょうか。別に、僕はこういう仕事をしているわけだから、倫理道徳の観念で奉仕活動じみた労働をとめることはないよ。
なんて、そんな一言を言えるはずもなく。
「ねえ、ねえ、助手って、本当に要らないのかな?」
「………はあ。」
甘やかすのはよくないんだけど……背に腹は変えられないよなあ。
ため息をついて、僕は両手を上げた。
***
{シーン1:赤い鳥の籠}
***
前川千鶴が、彼女と知り合ったのは意外に時近く。二日ほど前に為る。
季節は紫陽花の色を忘れさせ、降り注ぐ灰色の雨粒でさえも払拭させる、茹だるような日差しの強い夏。湿度もそこまで高くはなく、梅雨のじめじめとした嫌らしさが嘘のような日だった。
千鶴は、その日なぜ裏庭に出かけたのか思い出すことが出来ない。酷く単純な理由だった気もするし、変動しない毎日に複雑な心境というものが混ざり合って、理由を複雑にさせていたのかもしれない。とにかく、鬱屈している毎日に何も考えず、考える気にもなれず。千鶴は放心に歩いていた。
ふ、と。裏庭にあるものを見つけて千鶴は立ち止まる。
この赤野鳥学園女子高等校は、財閥の娘や政界関係の令嬢などが集まる、世間一般で言われるところのお嬢様学校という所だ。実態としては、対称にある男子校との橋渡し、つまり昔ながらの親たちの勝手な政略結婚を円滑に進めるための学園装置といった所なのだが、そのことは前川千鶴にとってあまりにも関係のない事柄で、まるで自分はその政略縮図の枠の外にいるような気分でいままで暮らしていた。元々頭のいいほうではない、そう考えている千鶴はこの学校で模範的な学生とはいえなかった上、学園の事を快くも思っていなかったが。それでも裏庭に粛々とある花壇は唯一のお気に入りの場所なのだった。お嬢様学校とはいえ、一介の女子高生は中々こんな場所に来たりはしない。それぞれこの学校の一般的な生徒は、見晴らしの良い、遥かに生徒数を上回る席数を用意しているカフェテラスや、茶請けの用意された部活用というにはあまりにも設備の整えられた部室などに集まり、お互いの身分をひけらかしている。
だから、こんな所に生徒なんているはずがないのに。
ましてや、庭師がいるこの学校で、土を掘り返しているなんてありえないのに。
どう見たって、あの生徒はシクラメンの花壇を掘り起こしている。
日は高く、どうしたって、防ぎようはない。
暑くて熱くて仕様のない日。黒い長い髪の生徒は土を掘り起こして、何かを探しているようだった。千鶴は体を自然とその生徒の方に向けていた。興味があったからなんて理由ではない。どちらかというとその生徒とは関わりたくないという気持ちのほうが強かった。だけど、彼女が何を探していたのかというのは気になった。
一歩、一歩と近づくたびに花の強い香りが立ち込めてきて。陽炎が、千鶴とその生徒の間に立ちはだかるように揺らぐ。
「あの……」
勇気を出して声を掛けても、黒い長い髪の少女は淡々と土を掘るばかりで答えないばかりか振り返りもしない。千鶴は苛立ちにも似たどこかお節介な部分が心を突付いているのを感じる。どうしても彼女とひと言会話がしたい。
「あのっ!」
黒い髪の少女が、動きを止める。ゆっくりと振り向くと、千鶴は驚くようにして目を見開かせた。白い肌に長いまつげ。いかにも深窓の令嬢という言葉が似合うような、厳かで美しい顔立ち。
「……なにか?」
千鶴にとってその透き通った声が、鼓膜を優しく撫でたように思えた。
「あ、え、あの」
「何をしているか気になるんですか?」
「あ、はい」
「そうですか……あ。」
「あの、お名前は」
千鶴の前の少女は、何かを見つけて『ソレ』を恭しく拾う。伸ばす指の滑らかさに千鶴は言葉を失ってしまって、彼女が何を拾おうとしたのかという所にまで思慮が浮かばない。
だから、彼女が『ソレ』を、自然な動作で。
間もなく、見つめる事もなく。
口に運んだときに息が止まるような思いをした。
忘れもしない。
彼女は確かに、地面に這っていた『カナブン』を口に放り込んだのだ。
「私の名前は、石原野奏(いさの かなで)といいます! ねえ! 名前のわからない貴女、私と友達にならない?」
―
――
―――
夢から覚めるようにと、千鶴は瞼を開ける。
テラスから差し込んでくる夏の日差しは、座っている生徒に当たることなく分ける様にして、壁に当たっている。眩しそうにその日差しを眺めていると千鶴の隣に座る少女が気づいたように顔を覗き込んだ。
「どうかしたか? 千鶴」
「あ、ううん。大丈夫だよ」
辺りを眺めても、彼女はどこにもいない。あの日のことは現実だったのだろうか? 虫を何の感慨もなく食べて、しかも豹変する少女。名前をカナデ、といっていた。この学園で私もそこそこ接触してはいけない人間としてあるが、あそこまでの危険人物は規定外だ。どうやったって知り合いにはなりたくない。でもなあ……。
友達にならない? 千鶴の頭にカナデの言葉が反芻する。
ああ、現実逃避をしたい、と。締めくくるように千鶴は自分の目の前にあるトレイの上の定食に箸を伸ばした。
「千鶴、どうしたんだよ。一昨日くらいからぼーっとしちゃってさ」
「忍がカッコいいから見とれてるの」
忍、と呼ばれる少女は胸を張って大きく息を吸い立ち上がった。
「ついに、私の魅力に気がついたか」
「冗談だよ、お馬鹿さん」
「お馬鹿さん、ね。確かに、馬鹿といったら私のことだけど、魅力はあるつもりだ!」
「なんだかため息のつきたくなる様な答えね」
忍は立ち上がってずれた椅子を直し、訝しげな表情で千鶴の顔を見る。
「本当に、元気ないね。ツッコミに切れがないよ」
「そう? いつもの通りだと思うけど」
「うん。元気ない」
「…そういわれると本当に元気がなくなる気がするわね」
唸った忍に千鶴は目を細める。聊かわがままだと千鶴も自分の勝手さにため息が出るが、それでも、落ち込んでいる気分を無理矢理持ち上げても自分には似合わないな、と刹那で諦める。
「何かあったのですか?」
かまわず食事を続けていると、声を掛けられた。志保か、と呟く。
呟いたひと言が聞こえたのか、志保は温和な雰囲気をたっぷりと含ませた笑顔で、こんにちわ。と挨拶する。
「珍しいですね、千鶴さんがテラスで食事だなんて」
「気分だよ」
「頑なだった、千鶴さんが……忍さん、どんな魔法を使ったんです?」
「わからないのだ、私にだって! まあ、私は千鶴が一緒に食事を取ってくれるだけで、感無量だがね」
「同意見です。」
こいつらは……、と呆れる千鶴を尻目に志保が隣の席に座って、そういえば、と手を叩く。
「そうそう、二人とも知っていますか?」
「知らない」
「知らなんだ」
「まだ、何も言っていませんよ?」
お約束のやり取りに、千鶴も笑みを零す。その笑みを確認してか、志保は更にその顔を緩ませた。
「それで、何を知ってるかって?」
「最近、この学園に生徒じゃない生徒が二人いるらしいんですよ?」
「生徒じゃない生徒?」
千鶴が尋ねた志保の答えに忍が聞き返す。
「そうです、生徒じゃない生徒です」
「つまり、この学園に勝手に入ってきてる子たちがいるってこと?」
「らしいですよ。噂になってます、この学園にも幽霊が出たって…、でもあまりにも堂々と知らない人が歩いているなんて本当に幽霊みたいな話ですよね。」
「判りにくい例えね」
「だって、堂々といちゃいけないところを歩いているんですよ?」
「だから?」
「だから、なんていうか…その…可愛いじゃないですか」
「志保の価値観はわかりにくな!」
嬉々として言う忍に、志保も応えて微笑んだ。千鶴はどこかその姿を俯瞰して、自分の思惟に走る。
幽霊か、幽霊といえばあのカナデという女の子は友達になろうといった後に、私の前に姿を見せていない。もう二日にもなる。会いたいかといわれば会いたくないのだが、それでも目の前にもう現れないというのも意外と寂しいものだった。
だが、自分は、本人に会わないために昼休みこのテラスに逃げ込んでいる。二人の笑顔をみて、自分の姿を改めて情けなく思えてくる。
でも、体は動かない。やはり、気味が悪いのだ。
「でも、気味が悪いね」
ドキリとした。
「何が?」
「何がって、知らない人がいるんだろ」
忍は、不思議そうに千鶴の顔を見つめる。気取られないようにして、千鶴は間を置かずに応えた。
「忍って怖がるような性格してたっけ?」
「私にだって、怖いものくらいあるさ。饅頭が怖い」
「落語か!」
「いやいや、本当に怖いんだって。昔、隠れて食べてた饅頭を丸呑みして病院に運ばれてさー」
「本当に落語じゃないのよ」
自信満々に胸を張る、忍にため息を吐く。なんで、お嬢様学校にこういう変わり者がいるんだろうなんて、自分を省みない事を思ってみる。忍はひっくり返してもお嬢様には見えないけど。これでも、ちゃんとしたお嬢様なのだ、お嬢様なんてピンからキリで、中流階級が無理をして入れたような人もいるが。忍は確実にお嬢様、といって間違いのない家の育ちである。
そんな人間が饅頭怖い、と。世の中わからないものだ。
「それ以来、饅頭アレルギー。目の前にあるだけで、針のような鳥肌が立つって訳さ」
「饅頭怖いですよね」
「志保も何かあるの?」
「ええ、まあ、忍さんよりも面白い話ではないのですが」
「聞かせてよ」
「……昔、受験を控えていた頃の話なのですが。深夜部屋で勉強をしていると、使用人の方が饅頭を持ってきてくれたのです。」
「うんうん。」
「うちは泊まりこみの使用人も居りますから何も疑問に思わなかったのですけど、実はその使用人のお人は、先月お止めになっていた方だったのです」
「ん? どういうこと? 態々深夜に屋敷に饅頭を届けにきたってこと?」
「いえ、まあそういうことなのですが、その使用人の方、実は……」
ま、まさか止めた理由が死んでいて働けなかったから……とか?
「止める際、父に対して殺してやると騒いで大喧嘩していた方だそうで……」
「リアルにこわっ! その饅頭こわっ!」
というか人間怖い。だな、なんて千鶴は思う。
「まあ、勉強に集中してしまってその饅頭は食べなかったのですけど、翌朝その事を教えてもらって、饅頭怖いなあって」
「その饅頭の中身の方が気になるな」
「確かにね」
「よくある中身でしたよ?」
そのよくある中身ってのが、お嬢様が食べるような物なのか、それともお嬢様が食べさせられそうになる物なのかが気になるところだけど……。
「しかし、話が逸れてしまったが、知らない生徒というのはどこに居るんだろうな?」
話を戻す忍。
「いいよ、別に放って置けば」
「私は興味ありますよ」
「そんなの探したって、ろくな事にならないって」
「そうだな、ろくな事になりやしないだろう。そんなことより今はテストだ。もう一週間で、期末テストだろう?」
「そうだね」
「二人は……聞くまでもなかったな」
「そうよ、心配なのはアンタだけ」
「なあ、頼むよ二人ともまたさー」
と、何を期待されているのか、記憶がよみがえる。
そう、前回の中間試験の際に千鶴と志保の二人は忍の家に招かれて深夜にまで及ぶ勉強会に参加させられていた。……といっても勉強会は途中から唯のお泊り会になってしまったのだが。もちろん忍の成績はあがる事はなかった。
「私は構いませんよ?」
「私はパス」
「千鶴ー」
椅子から立ち上がり、机を挟んで千鶴の両肩に手を伸ばす忍。思わず身を避けるが、構わず手を伸ばしてくる。ついには掴まれて、肩から始まって胸まで撫で回される。
「あー! 懐くな!」
言って、手を振り解くと千鶴は立ち上がり、トレイを持ち上げそのままトレイを洗浄台まで運ぶ。
「千鶴ー、まってくれー、俺をおいていかないでくれー」
「お前は駄目な亭主か!」
振り返らずに、テラスを後にする。
うーんちょっと可哀想だったかな、なんて、後々反省する千鶴だった。