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プロローグ

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初夏の朝、天気はよく、涼しい風が身をなでるように吹いている。2階の窓から見えるのは、青い空と住宅街、少し向こうに山があり、ありがちだがスズメの鳴き声が心地よく響いている。
1階に降りると、まだ誰も起きていないようで、テレビもついていなかった。テレビをつけるといつもの顔。
大津歌(おおつか)さんだ。画面左上に表示されている6:03という時間を見て、
「俺ってば、最近規則正しすぎやしないか?いつも最初に起きるのは俺、みんなの朝飯作るのも俺、学校に行く前に掃除するのも俺。」
 そんな愚痴を言いながら顔を洗い、朝食の準備をする。炊飯器のスイッチを入れ、ポットの中に水を入れて沸かせ、味噌汁を作り、魚を焼き、卵焼きを作り、ご飯を盛る。そのかたわらパンを焼き、コーヒーを入れて、こんどはスクランブルエッグを作る。パンとスクランブルエッグを、テレビを見ながら食べて、食器を洗い、少し落ち着いたころに、
「おはよう洋ちゃん・・・。朝ごはんはぁ?」
こうやって母親が起きてくるのである。
「もう食べたよ。さっさと食べてくれよ、掃除できないじゃんよ。」
「そんな焦んないでもいいじゃん。今日はお母さんがやっとくからさ、ね?」
洋祐はあきれた顔で言う。
「そんなこと言って!こないだだってそうやって任せたら、掃除するどころか汚くなってたじゃねえかよ!」
母、育子はパクパクとご飯を口に入れ、テレビを見ている。
「そんなこともあったっけかぁ?あーははは、ごめんごめん。今日はやっとくからさ。それよりさぁ・・・。」
「あん?」
「今日はお母さんもパンがよかったなぁ・・・。」
「あぁ!?何ほざいとんじゃこらっ」
そのときやっと父親が起きてきた。
「何を朝から騒いでいるんだ!」
「ちょっとお父さ~ん、洋ちゃんがいじめんのよぉ。」
「なにぃ?洋祐、お前はな、両親に対する言葉遣いがなっとらんぞ!だいたいなあ・・・ぶつぶつ・・・。」
「はいはい、ふたりでやってろ。今日は少し遅れるかもしれないから、腹減ったら晩飯はテキトーに食っとけよ。
あとさ・・・、俺の部屋も片付けといて・・・行ってくる。」
2人は声をそろえて、
「はーーーーい!いってらっしゃーーーい!」
「最近洋ちゃん部屋には入るなって言ってたのにね。」
「そうゆう年頃なんだよ。」
「そうね、もう17歳ね。頑張って育てたのよね。あたしたち・・・。」
「まだ、17歳なんだよ。自立してくれるまでは、僕たちが責任を持たないとな。片桐さんに申し訳ないよ。」

さっきとは打って変わり、急にシリアスな雰囲気に包まれる・・・。母親はソファに座るとテレビを見ながら言った。
「洋祐は将来どうするつもりかしら?今まで自由気ままに育ててきたけれど、そろそろしっかりとしなくちゃね。」
朝から陽気なこの家族は3人とも愛し合い、理解しあって生活している。普通よりかは明らかに楽観的で、楽しい、陽気な家族なのだが、特にこれといって他の家族との違いはない、血が繋がっていないということ以外は。
3人とも元ホームレスだった。
洋祐は他のホームレスとは違い、普通の家庭の子供だったが、その親は洋祐を公園に置いて逃げ、それをホームレスの1人が見つけたという風に両親は聞いていた。その当時は、洋祐の両親は若く、ホームレスではなかったため、そう話を聞いていた。

彼らのホームレス集団は相当なもので、幾つかの街のホームレスらが集まり、「キメラ」と呼ばれる組織を築いていた。
一般の人たちの間でも「キメラ」という名前は知られていた。
「キメラ」はメンバーそれぞれが役割を持ち、それでいて平等でわりと規則正しい生活を送っていた。中には働き手があり、テレビなどももっていて、比較的裕福そうな生活のものもいた。それでもほとんどの人が、自分たちが生活していくのにも精一杯なのに、次々と増えていく若い仲間たちをできるだけ社会に復帰させようとベテランたちは必死になる。
そのころはまだ若かった母親と父親、木村育子20歳、小宮和哉23歳であった。そして、年齢的にもちょうどいいと、洋祐の世話係になったのがこの2人であった。この2人も、ベテランたちの社会復帰させようという暖かいエネルギーを貰っていた。しかし楽観的な2人は「どうにかなるであろう」と思っていて、ベテランたちの努力もむなしく時はたっていった。

そんな厳しいホームレスの世界に、新しい命が仲間として加わるのは珍しいことで、また刺激的だった。逃げ出した若い2人を追うものはいなかった。
洋祐という名前は誰が付けたのかいつの間にかその名前で呼ばれていた。
「キメラ」には必要最低限に抑えられた、メンバーの自由を尊重する掟があった。その中でも、最も重要な掟の中の1つが、ボスではないがボス的存在の片桐という男への敬意である。たいていのルールは話し合われた上での決定であるが、これだけは「キメラ」の暗黙のルール、常識という異例の形の掟である。それだけ皆は片桐に世話になっていて、尊敬していた。


そして3年後、2人は念願の社会復帰を果たす。洋祐を連れて。
「片桐さん、今まで本当にありがとうございました。何から何までお世話になって、こうしてまた家を持つことができるのは、片桐さんや「キメラ」の皆さんのおかげです。」
「おう、ここに舞い戻ってくるようなことが無いよう身を粉にして働くんだ。もうお前は今までのお前じゃねえ。いいか、お前はお前のモンじゃねえ、育子ちゃんと洋祐のモンだ。働くのはお前のためじゃねえ、洋祐を立派に学校に通わすために働くんだ。だからお前の自分勝手に会社が嫌になったからってやめることはできないんだ!そのことを忘れちゃなんねえ。」
「はい!」
育子は黙ってその会話を聞き、下を向いて泣いていた。
「育子ちゃん・・・。」
「・・・はい。」
「泣くんじゃねえ、嬉しいことなんだ。泣いちゃいかんよ、洋祐に心配かけんじゃねえ。育子ちゃんは母親なんだから。洋祐が辛い時に優しくできる母親になるんだ。それだけで洋祐はしっかりと育ってくれるはずだ。いいか、2人とも。洋祐はお前らのモンじゃねえ。「キメラ」のモンだ。だから・・・。だから自分勝手に教育をやめちゃなんねえ、逃げた2人のようにな。「キメラ」の名前の由来は複数の街の仲間たちが集まって作られたことにある。キメラは様々な種類の動物が1つになってできた伝説の動物だ。家のねえ奴等でもひとつになり、力を合わせれば生きていくことも難しくない。大切なのは、くだらん概念や偏見を捨てること。また相手を理解するという努力をすることだ。」
「ありがとうございます!」
涙ぐみながら説教してくれる片桐に2人は、心から感謝していた。もちろん他の「キメラ」のメンバーにもだ。
「皆さん本当に今までありがとうございました。これから少し遠いところに行きますが。暇さえあればまた顔を出させて
いただきます。「キメラ」は忘れません。さようなら。」
そういって洋祐を連れた和哉と育子は、駅に向かって歩き出した。それを見守る「キメラ」のメンバーの一人、佐川が片桐の所に来る。
「片桐さん、本当にこれでよかったんですか?」
「いいんだよ。」
「本当のことを言ったほうがいいんじゃないですか?」
「これでいいんだよ。」
片桐と言う男は初老を迎えていた。


 それから2年間、和哉はひたすら働いた。身を粉にして働いた。育子も働いていた。洋祐についてやれないときは「キメラ」に預けた。そのせいか、初めて覚えた言葉が「泣くんじゃねえ」だった。これで片桐の洋祐のあやし文句が「泣くんじゃねえ」と判明した。
 必死に貯金しただけあって、小学校に立派に通えるようになった。つまり、何の援助も受けなくてだ。このことは和哉たち2人の大きな自信となった。自分たちが、普通の生活をしているという達成感と充実感が満ち溢れていた。2人は更に働いた。
片桐の言ったように、洋祐のために働いていると思えば、働くことなんて苦ではなくなる。
ただ1つの不安は元ホームレスということで、洋祐と友達との間に壁ができることだった。しかし、そんな心配をよそに洋祐はどんどん大きくなっていった。限りなく幸せだった。
そんな幸せを断つように何処からか、
「小宮さん宅はホームレスと関係を持っているらしい・・・。」
という噂が流れていた。「キメラ」に出入りしているところを、近所の人見られたようだ。瞬く間に周囲の態度は冷たくなり、この家族は孤独感を味わずにはいられなかった。洋祐への影響が心配されたが、
「なにか学校での悩みはないか?友達が相手してくれないなんてことはないか?」
なんて訊くと、ケロッとした顔で、
「別に、何にもないよ。僕の友達のことそんな風に言わないでよ!」
と怒られる始末。
2人は顔を見合わせてホッと胸をなでおろすのであった。洋祐さえ幸せでいられるならそれでよかった。もともと、ホームレスだったという偏見の目で見られるのは覚悟していた。これはどうしようもないことと諦めていた。
洋祐はひたすら元気がよかった。いつも外に遊びに出ては、怪我をしたり、泥まみれに汚れて帰ったりしていた。和哉たち2人は仕事仕事であまり構ってやれなかったが、洋祐は2人の愛を感じているようで、たいした反抗もなく少なくとも2人には順調に育ってくれているように見えた。
そんな時期、久々に3人で「キメラ」のところに行った。この日はクリスマスイブ、3人はイブとクリスマスを「キメラ」と一緒に過ごすつもりで、大量の差し入れを用意していたのだ。ケーキにターキー、そしてもちろんお酒もだ。
400人を超える「キメラ」のメンバーはいつもにぎやかに、楽しく活動していた。しかしその日は、見張り当番の山さんこと山中憲太郎という、おじいさんとあと数人しかいなかった。
「こんにちは!山さん!元気かい?えらく静かだけど、他のみんなは?」
「ああ、和哉か・・・。ごめんなぁ、ホントはもっと早く知らせてやりたかったんだが、片桐さんが・・・。片桐さんが言うなって・・・。」
「なに?なんなの?山さんはっきり言ってよ。」
明らかにいつもと雰囲気が違うことに気付いていた洋祐も、
「山さ~ん、どしたん?」
山中は、歯を食いしばり手を震わせ泣きながら言った。
「片桐さんが・・・。片桐さん・・・。ううう・・・。片桐さんが、交通事故にあって・・・。」
「え!?」
「いつ!?大丈夫なの!?何処の病院?みんなはそこにいるのね?」
「病院に運び込まれたんだけど・・・。昨日・・・。」
「うそ!?」
「まさか!?うそだろ!山さん!うそだろ!!泣いてないで!うそって言ってくれよ!」
洋祐は何がなんだかわかんない、
「ね~、どしたの~?ね~、何で泣いてるの?」
育子は座り込み、顔をぐしゃぐしゃにしながら泣いていた。和哉はただ放心しながら立っていた。
「キメラ」の住居、通称「キメラ」公園は、重く湿った空気を漂わせていた。洋祐が小学3年のときだった。
「ううう、片桐さん・・・。まだ逝くのは早ぇよぉ・・・。」
「そうだよ、俺たちどうすりゃいいんだよぉ。」
通夜には「キメラ」のメンバーだけではなく、一般の人も沢山いた。多分、片桐さんがホームレスになる前の知り合いたちだろう。
そこに長身で角ばった顔のスーツ姿の男と、腰まであるのではないかという長い黒髪の女が入ってきて、「キメラ」のメンバーに会釈をした。
「おめぇら!!」
「キメラ」の幹部、佐川、今井、小池、黒澤、菊池・・・。総勢20人がいっせいに立ち上がった。和哉たちには何がなんだか
分からなかった。和哉たちだけではなく、「キメラ」の比較的若いメンバーも同様だった。
「誰だ!こいつらに連絡したやつは!」
「よく通夜に出てこられたな!お前らにお焼香をつまむ権利はねえ!帰れよ。」
散々言われている2人は、何も言わずに下を向いたままだった。
「片桐さんが・・・。どれだけ辛かったか!片桐さんは、奥さんに裏切られてからお前が心の支えだったんだよ!」
女は下を向いたまま言った。
「あれは・・・。ああするしかなかったんです。」
「子供を置いていくのが最善の方法だったのか!?な訳ねえだろ!」
和哉は気付いた。洋祐の本当の親だった。
「今井さん、あの人たちは・・・。」
育子が訊いた。
「そうだよ、ホントの親だよ。洋祐をどっかに連れて行ってくれ。」
「はい・・・。」
そういって育子は、洋祐を連れて行った。
黒澤が言う。
「その男は?あの時の男じゃねえな。」
 女は座りながら言った。
「あれから1年ほどで別れました。この方は、武田雄喜さん。私の夫です。」
男は、申し訳なさそうに言いだした。
「武田です。良子さんとは先月籍を入れさせていただきました。お父様にも挨拶するつもりが・・・、こういうことになるとは・・・。」
 和哉はまさかと思った。まさか、
「お、お父様?お父様ってどういうことですか?」
佐川は他の「キメラ」のメンバーにも聴こえるように言った。
「洋祐は・・・、片桐さんの孫だ。」
 そのことを知らなかった「キメラ」のメンバーも驚きはしたが、それとなく気付いていた者も少なくはなかったようで、「やはり・・・。」とつぶやくものもいた。
和哉は片桐の死と、皆が今まで隠していた秘密とのショックで、頭が混乱した。
「な、何で今まで隠していたんですか!!隠す必要がないじゃないですか!な・・・なんで、なんで片桐さんが亡くなってから言うんですか!!」
佐川は仏のほうを向き、手を合せた。
「片桐さん、ごめんよ。でもやっぱりさ、こいつらにゃホントの事言っといてやったほうがいいと思うんだ。」
片桐は振り向き、和哉を見る。
「今言ったとうり、洋祐は片桐さんの孫にあたる。そしてそこの女が、片桐さんの娘だ。」
和哉はちらりと良子を見た。目が合った。申し訳ないという顔と、嫌悪感の入った顔を混ぜ込んだような顔をしていた。それは、今まで洋祐を放ってきた罪悪感の目と、ホームレスを見る偏見的な目。
「武田良子です・・・。あなたには洋祐の面倒を見ていただいたようで、感謝しております。」
まるで、わが子を一晩看てもらったかのような口調だった。和哉は少しムッとした、明らかに洋祐を引き取る様子である。
良子は夫と少し話して、バックから小切手を取って、和哉の前に差し出した。
「今までの洋祐の教育費、生活費および迷惑費です。少な・・・。」
和哉は思いっきり畳を殴った。
「ふざけるな!あんた、あんたは!あんたは洋祐を捨てていったんだ!」
「分かっています!・・・でも。」
「でもなんだよ!」
「いい加減にしなさい!」
和尚が立ち上がった。
「今を何時(なんどき)と思ってるんですか!ここを何処だと思ってるんですか!仏様の前ですよ!色々と問題があるようですが、あなたたちが争うことを仏様は喜びはしない!」
「申し訳ない・・・。」
和哉はそう言うと、スッと立って部屋を出て行った。
「あの・・・。私たちもこれで失礼させていただきます。」
そう言うと、すでに暗くなり始めた扉のむこうに向かっていった。その後を深々と礼をした武田がついて行った。
「・・・。」
「キメラ」は大切な、とても大切な人をひとりなくした。その夜はやけに静かだった。いつもワイワイやっている「キメラ」
が静かにしていたせいもあったが、それとはまた違った何かがこの状況を作っているとしか思えなかった。
その夜和哉は眠れなかった、眠る気力もなかった。何かおかしいと思っていた。しかしそれがなんなのか、どうして自分はおかしいと思っているのか、それを考える気力もなかった。
和哉はキッチンに行き、ワインを注いで、それを少し口に含んだ。
(味がもう変わってる・・・。)
そのワインは、「キメラ」公園に行くちょっと前にあけていた。和哉はそのワインの、あけてすぐに飲んだときの少しピリッとした味が好きだったのだ。少しだけ甘みがあって、後から後から渋みを感じる。
「まだ片桐さんにお世話になってた頃は、こんな量が少なくて、高いワインなんか飲もうとも思わなかった。皆でワイワイやるために、安くて量の多いものばかり、酒なら何でもよかった・・・。こうしてワインを飲んでいるのを、片桐さんが見たらどう思うだろうか・・・。」
 ボーっとした頭が、少しずつではあるがスッキリしてきた。
(そうだ・・・。片桐さんは死んだんだ・・・。あんなにいい人が、どうして・・・。)
「そういえば、交通事故で亡くなったって言ってたな。ぶつけた相手はどうしたんだろう、捕まったのかな。明日佐川さんに訊いてみようか・・・。寝るか。」
和哉が時計を見ると、"2:13"とあった。
「メリークリスマス・・・片桐さん・・・。」
ようやく和哉は横になった。
「今夜は眠れなさそうだ。」
そのころ洋祐は、ひとり布団の中でうずくまって目を見開いていた。少し震えながら、何も考えずにただジッとしていた。
洋祐の中で何かが切れた。
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