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第二章「消極のシビリアンコントロール」

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 四年前
 
 なぜ私がわざわざ国立大学に入ってまで学生運動をしたのか。
 昔見たテレビ番組でやっていた学生運動特集で、佐々とかいう警官が「最近の若者には熱が無くて不安だ」だとか言っていたことが印象深かったからだろうか。
 今となってはよく分からない。
 だが、現に今、私は「九大全学共闘会議」なるサークルに入って学生運動をしていた。どのようなきっかけであろうと、今やっていることには代わりが無い。
 「全学共闘会議」というぐらいなのだから、よほど真っ赤な、共産主義者の集まりみたいなサークルなのだろうと思ったのだが、実際は違った。学生運動をメインに活動するのは変わらないが、彼らは真剣に国の未来について語り合い、自身の考えうる国歌の理想の形態を追い求めて、日々議論を重ねていた。
 「どうすれば世界が平和になるのか」
 「どうすれば世界から戦争がなくなるのか」
 専門家と呼ばれる人たちから見れば、失笑ものだろう。それは分かっている。だが、考えないことには実現するわけがない。
 「飢餓を根絶すればいいのか?」
 「イデオロギーを統一すればいいのか?」
 次第に意見は狭められる。もちろんのこと、結論はでない。
 「遠い親戚より近くの他人」とは、よくいう。グローバルではなく、もっとローカルに。世界ではなく、私たちの住む国で。
 「日本を良くするには、どうしたらいいのか」
 それが、「九大全学共闘会議」の、最大の目標だった。
 学生運動が単純にゲバ棒振り回して国や大学に反発しようとすると思ったら大間違いだ。
 議論をして、国の未来を憂いる。
 これも、学生運動なのだ。

 ○

 「北小路って、なんでレーニンが好きなの?」と坂口が聞いた。
 「それは、レーニンが歴史上初の社会主義革命を成し遂げたからよ」テンプレート通りに返す。「新しいものは、流行りやすいけど、同時に不可思議で理解が得られにくいモノでもある。カルトじみている面もあるけど、ロシアという巨大な国でそれを成し遂げたのはとても素晴らしいことだと思う」
 「けど、ソヴィエト連邦は崩壊したし、いまでは社会主義、共産主義は失敗したというのが定説だ。それに、スターリンのような権威主義者を産む可能性もある。我々は過去を知っている。もっとプラグマテイストであるべきだ。レーニンは評価に値しない」
 私は、最終的に意見をそらすこの男が大嫌いだった。
 だが、坂口は憎たらしいほどの美青年であり、見かけるたびに目で追わないわけには行かなかった。日には、それがたまらなくイヤで自己嫌悪に陥る。
 「じゃあ、ゲバラ」あのアルゼンチン人の有名な肖像画を思い浮かべながら、言った。
 「『祖国か死か!』。今でもキューバの体制は維持されているし、なによりも支持されている。彼らは評価にする。いまだに第三世界ではゲバラは圧倒的なカリスマだ。カストロは微妙なところだけど、キューバの政策によるものも大きいだろう」
 「坂口君は、なんだか自分の知識をひけらかしたいだけのように見える」
 「周知の事実を言って何が悪い」坂口は腕を広げて、芝居じみたポーズで言う。
 「周知なら、いう必要が無いでしょう」
 「その通りだ。だが、ここで再度言うことによって、何らかのパラダイムシフトが起こる可能性だってある。可能性は無限だ」
 「それが簡単におきれば苦労はしないんだって」口を尖らせて抗議する。
 「我々は、この国を変えなければならない。貧困を掃討し、争いの無い国を、そしてそれを実現するシステムを考えなければならない。可能性は無限だ、いつかはこの思想、フローリズムを実現させることだって、可能だろう」
 坂口が提示したフローリズムという思想は、酷く荒唐無稽であり、そして、本当に無形だった。
 架空かつ、現行、目標のみの思想。フローリズムなど、新しい言葉のように無理やり言っているが、結局のところはロマンチシズムとなにも変わらない。
 「フローリズムって言ったって、まだ何も中身が無いじゃない」
 「共産主義でも、資本主義でもない。大多数の国民が幸福に暮らすことができるであろう形態こそがフローリズムだ。ロマンではなく、実現しうるイデオロギーとして。中身は、これから我々が考えていけばいい。そして、完成したらこれを実現するための努力をしよう」
 「完成したら、ね」
 永久に実現することはなさそうだ、と内心につぶやく。



   現在


 「今日極端なる所の左傾思想が有害であると同じく、極端なる所の右傾思想も亦有害であるのであります、左傾と云い右傾と称しまするが、進み行く道は違いまするけれども、帰する所は今日の国家組織、政治組織を破壊せんとするものである、唯二つは愛国の名に依って之を行い、他の一つは無産大衆の名に依って之を行わんとして居るのでありまして其危険なることは同じことであるのであります。 我が日本の国家組織は建国以来三千年牢固として動くものではない、終始一貫して何等変りはない。 又政治組織は明治大帝の偉業に依って建設せられたる所の立憲君主制、是れより外に吾々国民として進むべき道は絶対にないのであります」



 学食でカレーを購入し、食堂の隅に座る。三百円の割には安っぽい上に量の少ないカレーに少なからず多からずの愚痴をこぼし、スプーンを取って手をつけた。意外にも味は上々だが、やはりというか、肉が少ない。これではカレー汁だ。
 二割ほど食べ終わった頃、案の定外山がアンパンを牛乳を引っさげて僕の向かいに座った。袋を開けて、アンパンを頬張る。六〇円のアンパンが、この時ばかりはカレーよりも美味しそうに見えた。
 「それは美味いのか」と、外山に聞く。外山はきょとんとした顔で「うまくなければ食わん」と言った。
 「お前な、俺の昼食代の二倍の値段のものが、その五分の一のアンパンに勝てる訳無いだろう」
 「それはそうだが」
 「お前は贅沢だ」外山が僕に向かって指を指す。「あの先公と知り合いの時点で、憎たらしいほど羨ましい」
 「そうよ、幸せに思いなさい」と、急に後ろから声を掛けられた。ビクリと体が反応し、後ろを振り返ってみれば北小路のお姉さんが、そこにいた。
 外山が過剰に反応し、「先生のこと美人だって噂してたんすよ。いや、本当に」とか心にあるかもわからぬ褒め文句を並べ立てる。
 北小路のお姉さんは、外山に「ありがとう」と軽く返して僕の隣りに座った。
 「職員室暇でねー。きちゃった」そう言ってお姉さんはバックからミスタードーナツの紙袋を取り出し、テーブルの上においた。
 「先生って弁当はミスドなんすか」外山が袋を指差す。
 「ええ、そうよ」お姉さんは袋に手を入れるとポン・デ・リングを取り出して口に入れた。
 「昼食替わりにポン・デ・リングですか?」と、隣のお姉さんに聞く。
 「ポン・デ・リングだからいいでしょう? 糖分多いから頭の回転も早くなるわよ」
 「エンゼルクリームでもいいじゃないですか」
 「エンゼルクリームは論外」とお姉さんは微笑んだ。
 「先生、なんでここに来んすか。やっぱり陶山のことが気にかかって?」
 外山が対面の席から見を乗り出して、聞いた。余計なことを。外山を睨むと、照れくさがるように微笑した。死ね。
 「初日だからって言って、まったく仕事が無いのよ」手を組んでつぶやく。
 ふぅ、とため息を漏らして、お姉さんは「それより聞いてよ」、と招くように手を振った。
「授業予定表を作ろうとは思っていたんだけれど、それも赴任前にやっちゃたし。どっかの副担任だったりしたら生徒その他諸々と仲良くなるために一緒に御飯食べるんだけど、それもないしね。まだ教師陣に友達は一人もいないし、学食で食事しようと思ったら陶山くんいるしさ。ラッキーって思って。甘ったる。コーヒー飲みたい。ところで、世界史の教習範囲って知ってる? なんとロシア革命じゃあないですか。レーニンカッコいいよね。ハゲだけど」
 若干引いているのか、外山はすこしトーンダウンしていた。
 外山は、はは、と微かに笑い「俺、よくわかんないんすけど、レーニンってスターリンみたいなものっすよね」と聞いた。
 バカ。それは地雷だ、と内心に叫ぶ。
 次の瞬間には、お姉さんが矢継ぎ早に言葉を積み、マシンガンのように反論を始めて、外山はそれを満身に受け、無残にも蜂の巣と化していた。

 ポン・デ・リングでは足らなかったらしい。十三個ものポン・デ・リングを平らげたのち、お姉さんが興味を示したのは、学食だった。
 「ちょっと、それおいしいわけ?」と、カレーを食べる僕からスプーンを取り上げ、学食の肉の少ないカレー汁を、お姉さんは啜った。お気に召したのだろう。そのまま食堂のほうへ向かい、新しくカレーを注文して戻ってきた。
 「太りますよ」と僕が冷やかすと、お姉さんは少しはにかんで、「食わなきゃ痩せる」と笑った。
 「羨ましい体質じゃないですか。全国の女子一同に嫉妬されること間違いないですね」
 「だから私に友達がいないのよ、たぶん。嫉妬ってみにくいわね」
 「それはちょっと自意識過剰だと思います」
 「そうね、ちょっと大人気なかったわね」お姉さんが肩をすくめる。「ところでさ、中央校にお偉いさんたちがくるのって知ってる?」
 「知りませんけど」初耳だ。
 「今の与党の政策の一環で、高校義務教育化と、ゆとり教育と詰め込み教育を適度にブレンドした新しい教育の実現ってのがあるんだけど、そのために、文部省の大臣がここに来るわけ。視察ね、視察。官僚なら天下り先を見つけているとかなんとか言われそうだけど、彼らは政治家であって官僚ではないからね。しかも与党の支持率は七〇%強と非常に高い。世間も、マスコミも味方につけている。まあ、この視察は名目的なものではあるけれど、マスコミは好意的に発表するでしょうね」
 そう一気に言った後、「気にくわないけどね」、とお姉さんはボソリと漏らした。
 「なぜ中央校に?」古臭い以外に特徴はないように思える。
 「無作為らしいけど、この高校が所謂中高一貫という性質を併せ持つ珍しい公立高校だからじゃないかしら。マイノリティを見て、それをマジョリティに還元する。ありがちね」ありがちかどうかはひどく疑問だった。
 「ていうか、そんな制度あったんですか?」
 「知らないの? 近くに平尾中学ってあるでしょう。あそこの生徒はもれなくこの学校へ入学ね」
 「この学校って、県下でも四番目ぐらいの偏差値ですし、中学でおち潰れた人間はやっていけないはずですよ? 成績不順で退学する人だってちらほら居るんですから」
 「平尾中学から直接進んだ人から、成績不順者は一人もいないの。不思議なことに。多分、なにかあるんだろうと思う。平尾中学、平尾中央高校にね。そういう要因もあっての視察じゃないかしら」七不思議みたいな話だった。
 
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