世界リセットスイッチ
「仮にさ、これが『世界をリセットするスイッチ』だったとするじゃん?」
と言って充は小さなスイッチを指差す。
「うん? うん」
ベッドに腰掛ける拓海は一旦頭を捻って、首肯した。
「押す?」
「いや押さないでしょ普通。それよりボクを押し倒してくれてもいいんだよ」
「黙れホモ。て言うか何ナチュラルに俺の部屋にいるんだ。藍子のとこ行け」
しっしっ、と充は拓海を追い出そうとする。も、拓海は居座り続ける。
「ボク藍ちゃんに嫌われてるみたいだから。何でか避けられてるんだよ最近」
「お前らが一緒に歩いてたらカップルに見られたのがショックだったんじゃねぇの、性別逆に間違われたんだって?」
「藍ちゃんかわいいと思うけどなぁ」
「髪が短いのと胸が存在しないのがまずい」
「そんな事よりセックスしようよー。ボクの子供を産んでよー」
「しねーよ! しかも俺が産むのかよ! 帰れ!」
背中に纏わり付く拓海を振りほどこうとし、充は右手を地面に付いた。
カチリ。
「あ」
「え?」
ちょうどその位置にあったスイッチを、充はその気無しに押し込んでしまった。
しばし流れる沈黙。
あー、と面倒くさそうにする充とは対照的に、拓海の顔には冷や汗が滝の如く流れていた。
「…………みっちゃん、そのスイッチってさ。ひょっとして本当に世界をリセットするスイッチだったりする?」
「らしいよ? 知らんけど」
それを聞いた拓海はあわあわと手を振り回しながら、充に静止を促す。
「そ、そそそそそその手を離したらだめだよみっちゃん! 確か確か、地雷を踏んでしまったときはその体勢を維持したまま靴をガムテープで縛ってぐるぐる巻きにした後に」
「マスターキートンかよ。大丈夫だって」
よっと、と、いとも簡単に充はスイッチから手を離した。
「にゃーーーーーーーー!! リセットされちゃうーーーーー!!!」
充のベッドの中に潜りこみ丸くなる拓海。
「何かわいい声出してんだお前は。なまじかわいいからマジで止めろ」
「……リセットされた?」
顔だけ出して充に尋ねる。
「知らねーって。ってか、お前が来る前に既に押したし。一回」
「え……特に何も変わりないね」
「だろ? お前女になってたりしないのか」
「ちょっと待って」
と言って、いそいそと自分のパンツの中身を確認する拓海。
「変わってないね」
「そこは変わっておいて欲しかったなー」
「で、だ」
再びスイッチを挟む形で座り直す二人。
「このスイッチは本当に世界をリセットしてるのか否かなんだが」
「え、って言うか普通にただのスイッチなんじゃないの? なんでそんなに信じてるの?」
「お前さっきものっそい信じてただろ。いや、俺も割とそういうのは信じない派なんだけど、買った経緯が経緯だけにな」
「買ったの!? そんなうさんくさい物を!?」
「いや、だって路地裏で超がダース単位で付くくらいのうっさん臭い老婆が売ってたんだもん。108円で」
「既に消費税を増やしてるあたり本当にうさん臭い……!!」
「これ本物なのって聞いたらこうだぜ? 『それはお買い上げになった方のみが解るのでございます』」
「八割方バッドエンドになるパターンだ……!!!」
「まあ、誰かに買われて勝手に使われるよりかは押すにしろ押さないにしろ俺が厳重に保管した方が安心かなーって思ってさ」
「既に二回押した人の台詞じゃないよねそれ」
「押しちゃったもんはしゃーない。それよりも、このスイッチの効果についてだ」
「特に変化した様子はないよね」
「うむ。とりあえずこのスイッチを本物と仮定しよう。『世界はリセットされた』事になる」
「そうなるね」
「『世界』の定義について疑問が残るな。地球の事なのか、宇宙の事なのか、それよりもっと大きなものの事なのか」
「確かに、結構曖昧だね。でも地球でも宇宙でもそれ以上でも、ボク達の主観では差は無いよね」
「そうだな。他には、俺達とは全く関係ない、平行世界か他の惑星か外宇宙と言う可能性も有り得る」
「そうだとすると、変化に気付かないのも納得できるね。こっち側は変わってないわけだし」
「押し放題だな」
「やめようよ」
「それに、『リセットされた』と言うのもイマイチようわからん」
「最初の状態に戻った……って事じゃなくて?」
「そうなんだが、そっからどうなるんだって。同じ歴史を繰り返すのか、全く違う筋道を辿るのか」
「うーん……どうなんだろう」
「地球か宇宙かはともかく、『俺達がいるこの世界がリセットされた』とすると、今の俺達はスイッチを押す前とは別人なのかどうか」
「別人って定義も曖昧だよね。ボクが一回リセットされても、次のボクが同じ歴史を繰り返したらそれは別人なのかな」
「少なくとも別人だと言う認識はできてないな」
「でも、ボクはスイッチが押される前の記憶があるよ? これっておかしくないかな。スイッチを押したらリセットされるなら、その記憶も消えて赤ちゃんからやり直さないといけないんじゃない?」
「五億年ボタン」
「何それ?」
「ちょっと前に有名になったやつでな。五億年一人っきりで何もない空間に閉じ込められ、不老不死で過ごす代わりに100万円貰えるボタンの話だ。
詳しい説明は省くが、この話のミソは『その五億年は終わった瞬間に忘れられる』ため、体感では何もしないでも100万円貰えるように感じるって所だな。
俺達は既にリセットから今現在までを経験しているが、それまでの出来事を忘れてしまっている……って事」
「……それってものすごい恐ろしいことなんじゃ」
「元ネタはどんな拷問よりタチが悪いな」
「だよね……やっぱりこれは、何の世界がどのようにリセットしたかはわからないし、そもそも本物かわからないけど……人の手には余りそうだね」
「だな。解体しとくか」
幸いにして、スイッチは簡単な作りだった。
手持ちの工具だけで楽に分解することができ、それぞれを綺麗に仕分けして、ゴミに出した。
「さらば俺の108円」
「お婆さんがまた売ってないといいんだけどね」
「確か同じもんは売らない設定なんじゃなかったか、知らんけど」
とにもかくにも、リセットは終わりだ。
本物かどうかもわからないスイッチに振り回されるのも、もう面倒だしな。
「おーにいー。……あれ、くみちゃん来てたんだ」
ノックもせずに部屋のドアを開ける藍子。言い忘れたが妹だ。胸は抉れている。
「お邪魔してるよ、藍ちゃん」
いつもなら俺を差し置いてこのホモとなんちゃってガールズトークに勤しむところだが、今日に限ってはばつが悪そうだ。
「じゃあ私はここらへんで、後は若い人同士でごゆっくりどうぞ」
「お見合いかよ。何の用だ」
いそいそと離れようとする藍子の首根っこを掴み、引き止める。
「ごえっ」
重低音を喉から鳴らす藍子。
「お前反応っつか咄嗟のリアクションほんっと女らしくないよな」
「いや、今のは仕方ないんじゃないかな……」
「……」
「ん、どうした?」
藍子は沈痛な面持ちで顔を伏せる。
「私って、女の子に見えないかな……運動部だから髪も短いし、胸も全然無いし……」
例の話の事をまだ引きずっている模様だ。
今にも泣き出しそうな目で、俺の言葉を待っている。
残念だったな。俺は自分に正直なんだ。例えお前が大泣きして俺の鎖骨をへし折ろうとも、自分を曲げることはしない。
そう、俺が好きなのは――
「いいんだよ、お前はそのままで……
髪が短くても、
料理がド下手でも、
躊躇無く喉を狙ってきても、
リアクションが生々しくても、
顔芸が多彩でも、
若干腐ってる趣味をお持ちでも、
俺の事をパシリ扱いしても、
…………おっぱいが小さくても。
俺が好きなのは、ありのままの藍子だ。
世界で一番かわいい、俺のたった一人の妹だ」
どうして、俺の方が泣いているんだろう。
わからない。
涙の理由がわからないまま、ただ胸の無い藍子を抱きしめた。
「突然何言ってるの、気持ち悪いよ………ありがと、おにい」
「ずるいよーボクもボクもー」
藍子は突然の告白に困惑しながらも俺の背に手を回し、拓海も囲うように俺達二人を抱きしめてきた。
俺はただ、なさけなくみっともなく、ひたすらに泣きじゃくるだけだった。