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しずさきさん1

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入学式を乗り越え、それなりに忙しかった春も終わろうとしていた。
クラスの7割ほどの顔と名前が一致するようになってきたし、他人と上手くコミュニケーションを取れない僕にも数人の知り合いができた。
「一応進学校ではあるが、有名な大学への進学率はまずまずといった高校」という前評判通り、授業内容もそれほど高いレベルを要求するものではなかった。
向上心のある生徒は自主的に塾やら補習やらをこなし、それなりの生徒はそれなりに針路を見失わない程度に勉学や部活動に励んでいる。
様々な情報をまとめ、僕自身が感じ取ったこの学校の風評はそんな感じであった。
学歴を重視した、詰め込み教育気味な最近の風潮に逆らうかのような伸び伸びとした教育方針である。
「やっぱ学食のカレーは神がかってる美味さだな、福乃!」
そんな僕の脳内近況報告は、正面からの大声によってかき消された。
「そうだね、美味しいよねー」
僕はカレーよりシチューの方が好きだけど。でも学食のメニューにシチューが無いので、手頃な値段のカレーで済ますしかないのだ。
「お前、食細いよなー。いっつも小盛り頼むじゃんかよ」
僕の正面で美味しそうにカレーを頬張る男、綾原 望は僕の皿を覗いて口を尖らせた。
「そんなんだから見た目が弱っちょろいんだよー」
「うるさいな。僕は少食でもちゃんと活動できるんだ、燃費がいいんだよ」
「さいですか。…ごちそうさまー!」
綾原が食べ終わると同時に、僕も最後の一口を飲みこんだ。
「ごちそうさま」
昼休みに入ってすぐ食堂に来たため、授業開始まであと30分も時間がある。
僕と綾原は食堂が混み始めるまで一服することにした。



「ウチのクラスの本間っているだろ、身長でっかいコ」
食券販売機の方を眺め、女の子を物色しながら綾原が話しかけてきた。
僕は壁に掲げてある学食のメニューを見ながら返す言葉を考えた。
本間さんと言えば、女性ながらにして身長が190前後あるという非常に見た目のインパクトが強い女の子だ。高校で出会った人の中では、おそらく最も早く名前と顔を覚えたと思う。
「うん、千絵さん…だっけか。あのコがどうかしたの?」
「出席番号1番の青野と付き合ってるんだってよ」
「…どうみてもカップルっぽかったし、皆知ってると思うよ。今更気づいたの?」
「青野がまさかとは思ったが…。やっぱりか」
青野は同じクラスで、確か剣道部に入ってる奴だ。がっしりした体格で身長も結構高いはずだが、本間さんが巨大すぎるために二人で並ぶと青野は小さく見えてしまう。
二人はいつも一緒に居るイメージがあり、おそらく今も教室で二人仲良く弁当を食べているであろう。表立ってイチャイチャしないが、無愛想で無口な青野と愛想がよくて甲斐甲斐しい本間さんは一見正反対だが、どことなくお互いを信頼し合っている絆の深いカップルのようだ。
「本間さんって良いお嫁さんになりそうだよね」
僕は特に羨むでもなく、率直な感想を述べた。
だが、何故か机に肘をついている綾原の腕に力がこもっている。
「俺だって…」
何やらブツブツ言い始めた。
「ん?」
「俺だって…イチャイチャしてーよ!!」
急に、券売機を視線で壊しかねないほど険しい目つきになった。綾原の視線を追うと、券売機の向こうの廊下を歩く青野と本間さんが確認できた。
「……」
男の嫉妬ほど…いや、言うまい。
「スタイル良くて、家庭的で美人さんで…。しかも高身長を気にしてるらしいな。ちきしょー、可愛いぜ!!一昨日、二人の会話を聞いたんだよ」
「はぁ」
「『青野くん、私が身長高くてごめんね。青野くん背が小さく見えちゃうよね』って本間が言って、ちょっとしょげてたんだ。そしたら青野が黙って本間の手を握って…。『気にすんな』」
ぐわー、と今にも吐血しそうな綾原は見ていて痛々しい。
僕の見立てだと、綾原は普通にモテそうなルックスだと思うが。浅黒い肌で、どことなくサーファーを連想させる。シャツの胸元を開けたり、いつも腕を捲っていたりと肌の露出を好むようだ。…ワイルド系?とやらを目指しているのだろうか。
他人の幸せを妬んでいるようでは、むしろ見た目のワイルドさが滑稽に見えるのだが…。
「……同じ中学でもあるらしいな。昔から付き合ってたのか?」
なんでそんなに二人の事を知ってるんだ。全くの他人なのにカップルのストーカーをしているなどという話は聞いたことがない。
綾原の存在が少し気持ち悪く感じ始めてきたその時、食堂の入口から騒がしい声が聞こえてきた。



「お、多嶋達じゃねーか。相変わらず騒々しい連中だ」
負の連鎖から立ち直ったらしい綾原の言葉に、僕も入口のほうに目を向けた。
券売機に近づく3人組は、同じクラスの多嶋、水城さん、そして……。
「静崎がいる。あいつ、指導終わったんかな」
クラスの問題児、静崎さん。
彼女もまた、本間さんと同じくらい早く名前を顔を覚えることができた。
なんといっても、肩にかかるくらい伸ばした髪を派手な金髪に染め上げ、ピアスを堂々と両耳につけているのだから。……しかも入学式から!
「静崎さん、煙草吸ってるのが見つかったんだっけか?」
「よく知ってるなぁ、福乃!しかも深夜の道端で警察に見つかったもんだから深夜徘徊も含めて補導されたらしーぜ」
確か、先週あたりから特別指導扱いになったはずだ。ほぼ毎日のように放課後の教室に残って、せっせと指導日誌を書いている彼女の姿を見かけたものだ。
担任は生徒たちが噂するのを危惧して、深夜徘徊の件しか説明しなかったが、本人が多嶋と水城さんに話しているので全て筒抜けなのであった。
「静崎もイケてるんだけどなー。喫煙しててヤンキーっぽいのが痛いな」
目を細めて、静崎さんの全身を舐め回すように視線を這わせる何かが、ボソボソ呟いている。
「綾原。僕はね、目に入った女子を手当たり次第吟味するヤツを『キモなめくじ』って呼んでるんだ。綾は…失礼。『キモなめくじ』、そろそろ教室に戻った方がいいと思うよ」
「合点承知!」
僕の毒舌を受け入れる綾原はなかなかの気持ち悪さであった。
それにしても、こんな時間に学食に来るなんて。彼女達には授業の開始時刻など眼中にないというか、腹を満たすことが最優先事項なのだろう。
皿を片づけてる時に、不意に静崎さんと目が合った気がした。……気のせいだと思うが、なんとなく彼女が僕のほうをチラチラ見ている気がする。
「さっさと行こうぜ、福乃ちゃん」
どうやら学食の出入り口でボンヤリしていたらしく、綾原に急かされた。
あまりガラの悪い人たちとは関わりたくないものだ。今後の学校生活に支障を来すかも知れないから。
そう思いながら、僕は綾原と一緒に教室へと向かった。
静崎さんたちが教室に入ってきたのは、午後の授業が始まってから20分も経った時であった。
先生に厳しい言葉を掛けられ、出席簿にチェックを入れられ、だるそうに3人はそれぞれの席に着いた。
「綾原クン、ノート貸してくれる?」
「おぅ、もうちょい待っててなー」
着席するなり、多嶋が綾原に声をかける。
綾原の後ろの席が多嶋でその左が水城さん、右が静崎さんのため、3人が遅刻してくるときは綾原がノートを見せる場合が多い。意外に綾原は達筆で、ノートのまとめ方が凄く綺麗だったりするのも理由の一つだろう。
「ほい」
「へい、サンキュー!」
ノートを借りた多嶋は、遅刻した分の遅れを取り戻すべく急いでペンを走らせる。
こうして見ると、彼は生活態度は不真面目だが、勉強に対する意欲はなかなかのように見える。多嶋が写し終えたノートをさらに写すべくぼんやりと待機している水城さんもまた、一応は授業に臨む意思はあるのだろう。
一方静崎さんは、机の上に筆記用具もノートも出さずに、伸ばした腕を枕にして眠る準備に入っている。授業中に時折見かける彼女の状態は、どんなに鮮明に記憶を蘇らせてもトレースのように今と何一つ変わらない。
……ここまで授業態度の悪い生徒は、普通の進学校ではあまり見かけないだろう。多嶋や水城さんも、無理に起こさずそっと寝かせてあげているようだ。
普段なら教師も呆れて注意しないのだが、今日の数学の教師はいつもと違った。黒板付近から聞こえる似たような数式を解きながらの、一本調子が不意に止まった。



「…おい、静崎。起きろ」
白髪のニホンザルを連想させる初老の教師、木田の重々しい言葉に教室中のペンを動かす手がピタリと止まる。遅刻した上に着席早々スリープ状態に入った生徒に、一つ物申したいらしい。
水を打ったように静まり返る教室は、緊張と好奇心に満ちているように思えた。木田は今まで誰も触れなかった爆弾に、直に接触しようとしているのだ。
急に木田が怒鳴りつけるのも恐ろしいが、静崎が木田に対してどんなリアクションをするのか、恐らくクラスのほぼ全員が興味があるに違いない。僕も不安と好奇心を同時に感じている。
さすがの多嶋も無音の教室に何らかの意思を感じたのだろう。ペンを止め、静崎さんの肩を揺さぶりつつ小声で声をかけている。
「リョー、起きろ!リョー!」
「…う~ん」
数回揺さぶられた後にむっくりと上体を起こした静原さんは、なんだか寝起きのネコのようだった。
「あれ、まだ授業中じゃん」
寝ぼけ眼で辺りを見回す静原さんは、並みの思考では考えられない言葉を吐いた。どうやらマイペースどころの問題ではなく、彼女にとっての『授業』に対する考え方は僕たち、ひいては一般の学生とはかけ離れたものらしい。
木田が立っている辺りからギシギシと何かが軋む音がした。目を向けると、木田は教卓に寄りかかって静崎を睨みつけている。……突然教卓を投げつけられたらどうしよう。
「…静崎 涼奈。他の教科の先生方からもお前の噂は耳に届いとる。そんなにオレの授業はつまらんか?あ?」
目をひん剥いて、いつもより少し大きな声で話しかける木田。僕の予想だと、この先生は怒る時は大きな音を出したがるタイプのようだ。
「わざわざ起こしといてそんなこと聞きたいんですか?つーか、センコーが女生徒にガン飛ばすって何なの?」
まるで友達の冗談を小馬鹿にするような調子で、素早く静崎さんは言い返した。どうやら彼女はいつもと様子の違う木田から、何の脅威も感じないらしい。
一旦深く息を吐いて、木田は少し落ち着きを取り戻したらしい。さっきより冷静な口調で語りだした。
「そんなんじゃ進級できねーぞお前。1年でこんなやる気の無い奴は初めてだ!いい加減中学生気分から切り替えたらどうなんだ?いいか、高校は中学と違って…」
急に言葉を切って、木田は教卓の横を蹴った。ステンレスの凹む大きな音に、大半の生徒がビクッと体を震わせた。
「なめてんじゃねぇぞ、静崎!!」
腹に響く声で怒鳴ると、木田は早足で静崎さんの席の前まで迫った。多嶋が心配そうに彼女をチラチラ見ている。
何故急に木田がキレたのか、席が彼女の隣りである僕には分かった。木田が説教を始めると同時に彼女はまた寝ようと顔を伏せたのだ。
彼女の机の端に木田が両手を叩きつけると、またむっくりと彼女は上体を起こした。
「…こんなふざけた態度を取る馬鹿はお前が初めてだ」
「またかよ、うざいなー。女子生徒に触れただけでセクハラ扱いされたり、ちょっと小突いただけで体罰になったり、教師も大変らしいですね」
まるで世間話をするように彼女の言葉は軽い。
「あ?お前、俺を脅してんのか?」
「いや別に。そういえば、昨日駅前のカラオケに行ったときに先生に似てる人見かけたんですけど、挨拶したほうが良かった?」
「……」
一瞬木田の顔が真っ赤になり、わなわなと震える右手をギュッと握って拳を作った。
「んー?殴るの?」
猫のような静原さんの目が細められ、挑発するように小首を傾げた。
木田が何かを言おうと口を開いた瞬間、スピーカーからチャイムの音が鳴り響いた。いつもより授業の終了時間が早いが、確か今日は特別時間割で午後からは授業が早く終わる予定だ。
木田は慌てて今日の授業を終わる旨を伝えつつ、教卓に戻った。
「明日は35ページの第2章から授業に入る。中間テストが近いんで予習・復習をしっかりするように!…それから静崎は放課後、職員室に来い」
「行くかよ、ばーーか」
静崎さんの暴言に、木田は去り際に教室のドアを荒々しく叩きつけて閉めることで答えた。
3, 2

  

「ほいほい、アガリだ。帰りにマック奢りな」
「…はぁ、綾原はヤケに強いね。次からハンデでもつけようか」
いつもより早い放課後が訪れ、人が少なくなった教室で僕は綾原とトランプに興じていた。短縮日課のお陰で昇降口が込み合うのが予想できたので、少し教室で時間を潰すことにしたのだ。
静崎さんの席に座ってカードをシャッフルしながら綾原はニヤニヤと笑っている。女子の席に勝手に座るとは、デリカシーの無い男である。
「お前が弱すぎるんだよ、表情が読みにくいのは長所だが勝負の掛け方がまだまだ甘いっ!」
「僕はあまりこういったゲームは得意ではないよ。何かを賭けるプレッシャーが伴うなら、尚更プレイングがおぼつかなくなるだろう」
と、言い訳。
帰ってきた静崎さんに綾原がしばかれる、という若干リアルな妄想をしながら、僕はふと疑問に思っていることを口にした。
「…そういえば。あれだけ木田に喧嘩を売ってたのに、結局静崎さんはお咎め無しだったね」
木田が教室を出て行った後、静崎さんは全ての授業が終わるまでずっと寝ていた。クラスのみんなはなるべく静崎さんに近寄らないようにしているように見えた。
あれだけ教師に暴言を吐いたにも関わらず、何事も無かったかのように放課となった。正直、6限目か帰りのホームルームあたりで担任の島田から数学の授業中にあった話を切り出されると思ったのだが、それも全くのノータッチであった。木田のキレ具合からして生徒指導部に話が通されると思ったのだが。ちなみに島田は生徒指導部長でもある厳ついおっさんだ。
ガラの悪さもあそこまで行くと、教師からも見捨てられるのだろうか?
綾原は興味なさげに、あとから呼び出されるんじゃねーの、と言ってトランプをケースにしまった。もうトランプはお終いらしい。
綾原はあまりこういった事件に興味が向かない性格のようだ。
「福乃は将棋できるか?」
「まぁ、それなりに」
「じゃあ、明日携帯用の将棋セットをもってくるわ」
確か、明日も短縮日課のはずだ。綾原とゲームをするのは良いが、まさか僕をカモる気では無いだろうな。
「別にいいけど、賭けはしないよ」
僕が返事をした時、教室のドアがガラッと開いた。
「で、このあとどうする?また駅前にでも行って遊ぶ?」
「とりあえずオヤツ食いながら考えるべ~」
ガサガサとお菓子や弁当の入ったビニール袋を鳴らして、静崎さん達が教室に入ってきた。近くのコンビニで食糧調達をしてきたらしい。
「あ、悪ぃ。勝手に椅子使わせてもらったぜ」
綾原が椅子を引いて立ち上がろうとするのを、静崎さんは手で制した。
「座ってていいよ。私も綾原の席借りるからさ」
そう言って彼女は綾原の席に座り、多嶋、水城さんと向き合う形で机の向きを変えた。



ふと教室に残っていたいくつかのグループを見ると、何人かは帰り支度を始めているようだ。端っこで今日の授業内容を復習している男子グループは、こちらの様子を窺っているようだ。
周りの空気が気にならないのか、静崎さん達は談笑しながら買ってきたものを机の上に広げている。
…やはり、木田との一戦は静崎さんの印象を大きく変えてしまったらしい。「いつも寝ている見た目が不良の女の子」というイメージからどれほどの飛躍を遂げたのかは、個人個人のとらえ方によって違ってくるだろう。
だが、少なからず彼女に対して距離を置く人は増えた筈だ。
僕はそれを、少し小気味良く思った。
あんなに教師になめた態度を取るなんて!ほぼ毎回朝と午後の授業は遅刻してくるし!体育以外のすべての授業を、惰眠を貪るだけで無駄に流すなんて…。おっと、それには理由があったっけか。
そんな適当な、周りに不快な思いをさせる不良女は孤立したほうがいい。
いつも一緒にいる二人と違って、彼女はあまり人と接することに慣れていない。だから、似たようなテキトーな雰囲気の奴としか仲良くなれないんだ。人に傷つけられるのが怖いから。裏切られるのが怖いから。余計に、他人との溝は深くなるだろう。
そう思うと、見た目が派手で、教師に怒鳴られても平然としている彼女が道化師よりも滑稽に思えてくる。
あんなにアウトローぶっているのに、中身は普通なんだ。むしろ一般人よりも心が細いんだ。強面の教師に大声で叱られることよりも、見ず知らずの他人のちょっとした陰口が気になるんだ。
…なんて脆いんだろう。
むしろ中身の脆弱さを、見た目で威嚇することで隠しているのかも知れない。



「静崎さん、ちょっといいかしら」
迷いの感じられないきっぱりとした声が聞こえた。綾原が振り返るのと同時に、僕も声の主を確認した。
机の向きを180度変えて多嶋の席とくっつけている静崎さんの後ろに、ムッとした表情の女の子が腕を組んで立っていた。綺麗な黒髪は肩にかかるくらいのショートで、前髪を切りそろえている。大きな瞳は表情のせいか元からか、吊り上っていてちょっと怖い。
…えーと、なんだっけ名前。
「あ?なに?」
静崎さんが体を捻って応える。そうだ、宮野 静香さんだ。
確かウチのクラスのホームルーム長で、配布物のプリントなどは彼女が配っていた記憶がある。
宮野さんは少し息を吸い込んで、
「今日の数学の授業態度はヒドいと思うわ!勉強する気が無いなら、家で寝てればいいじゃない!」
静崎さんにぶつけるように言葉を吐き出した。
宮野さんの鋭い口調に、教室のアチコチから聞こえていた全ての音が消えた。残っていたクラスメートの、恐らく全員が動きを止めた。多嶋と水城さんも驚いてスナック菓子を食べる手を止めている。
綾原がゆっくりと音をたてないように椅子を引いて、姿勢を変えた。急に二人が取っ組み合いになっても巻き込まれないようにするためであろう。
突然の事態に周りがそれぞれリアクションを起こす中、静崎さんは棒状のチョコを咥えたまま全く動じていないようだ。
「だって、来ないと出席日数が足りなかったら卒業できないじゃーん。宮野さんて馬鹿?ってか逆にさ、私は寝てただけなのになんであんなに怒られなきゃいけないの?ふざけんな~!」
ぶーぶーと口を尖らして反論する静崎さん。真剣に怒っている宮野さんに対する彼女の反応は、数学の時と同じでデジャブを感じさせる。
ギリッという宮野さんの歯ぎしりが聞こえた。
「ふざけてるのは貴女よ。出席日数が足りてても、成績が悪かったら卒業できないのよ!?静崎さんはあんなに寝ていて、ちゃんと授業の内容を理解してるのかしら?」
「あははは!当たり前じゃんよ~」
「…え?」
顔を真っ赤にして説教する宮野さんの顔が、予想外の返答に呆けたような表情に変わった。
「なんなら、今度の中間で勝負してみる?負けたら1週間昼飯おごれよー」
鋭い犬歯をむき出しにして笑う静崎さんの表情はある意味、無邪気だ。冗談にも真剣にも聞こえない、しかし内容は冗談にしか聞こえない自然な言い方だ。
「…本気で言ってるの?」
「うんうん」
少し考える素振りを見せた後、
「……いいわ。その勝負、乗るわ。ただし!私が勝った時は、静崎さんは生活態度を改めること。髪も黒くしてもらうわ」
「はいはい、じゃあ勝負成立ねー。内容は全教科の平均点でいいっしょ?」
どうやら本当に勝負する気らしい。宮野さんが頷き、それじゃ頑張ってね、と皮肉っぽく言い残して席に戻った。どうやら教室の隅で授業の復習をしているガリ勉女子グループが彼女の居場所らしい。
「リョー、あんな約束して大丈夫か?」
少し笑いながらも心配そうに声をかける多嶋に、静崎さんはだいじょぶだいじょぶと手をヒラヒラさせて返した。
「カンニングでもするの?」
小声で水城さんが問いかける。
「いんやー、ガチよ。どうせ口ばっかのセンコーが作る甘っちょろい問題ばっかでしょ。あー、なっちんの飲んでるのくれよー」
そういって静崎さんは、水城さんの飲みかけであろう紙パックのミルクティーをストローでチューチュー吸っている。
僕は、彼女が本気で「学校」というものをなめていると確信した。どれだけ頭がいいか知らないが、授業のノートを取らずにテストで高得点が取れるものだろうか?努力しだいで取れるだろうが、普段の授業でさえ寝ている彼女にそんな気力があるとは思えない。
ならば、意地や見栄であんな約束をしたのだろうか?…いや、彼女の宮野さんに対する接し方からは、そのようなものを感じなかった。
ということは、残るのは「驕り」だ。
「勉強しなくてもなんとかなるだろう、実際にそれなりに高い点数を取っている」という人がいると思う。物覚えが良くて授業を少しだけ聞いていて、たまたまテストがその内容を中心としたものだった場合、こういった感想を持つと思う。
記憶力が良ければ、前日に少しノートを見ただけでそれなりに点数を取ることもあると思う。彼女もその類で、浅い睡眠の中でなんとなく授業を聞いたものと勘違いしているのではないだろうか。
だとしたら、今回の勝負は一方的に宮野さんが勝つだろう。高校に入ってまだ小テスト程度しか実施されていないが、宮野さんの自信のある振る舞いから彼女の実力が覗える。
中学までの授業に比べ、格段に内容の密度は濃くなっている。彼女の今までしてきたテスト対策が、今回のテストで通じるのだろうか…?
「なにボーッとしてんだ、福乃!帰るぞ」
はっと我に返ると、帰る準備の整った綾原が僕の横に立っていた。僕が考えに耽っている内に準備したのだろう。
「ごめんごめん、すぐ準備するから」
立ち上がる際に静崎さん達の席に目を向けると、もう違う話題に花を咲かせているようだった。




僕の家は学校から4,5キロ離れたところにある。綾原の家はその途中にあるらしく、お互い部活動などをやっていない上に家の方向が同じなのでいつも一緒に帰っている。
この街は学校周辺と駅前以外はほとんど田んぼと山という、典型的な地方土地だ。学校から駅前までの約5キロくらいの直線は大通りで繋がっていて、商店街やらショッピングモールやらで栄えている。しかし悲しいかな、僕の家は大通りからはずれにはずれた山のふもとに位置している。静かなのはいいが、もう少し近くにコンビニがあったほうが便利だ。
夕方にしては日が高い、中途半端な時間。僕と綾原は駅前の大通りを歩いていた。平日の街中はたまに人とすれ違うくらいで、この時間に帰る高校生は僕たち以外にほとんど見当たらない。
それでもたまに見掛ける暇そうな女子高生を見つけては楽しそうにする綾原の隣で、僕は家に帰ってから何をしようかぼんやり考えていた。
さっきの宮野さんによる宣戦布告の話をしようとしたが、綾原があまりにも興味が無さそうなので止めたのだ。こいつはルックスの良い女の子を観察することと、他人の色恋沙汰以外に対した興味を示さないらしい。…なんで僕はこんなのとつるんでいるんだろう。
「はぁ…」
思わず溜め息を漏らす。今から女性に飢えているようでは、先が思いやられる。
…ふと、聞き覚えのある声が聞こえた。辺りを見回すと、数十メートル先にあるコンビニから1組のカップルが出てくるところであった。
ショートカットの背の高い女の子と、坊主頭が少し伸びたような髪形のゴツイ男。
「あ!綾原君と福乃君だー」
「何だ、お前ら今頃帰ってるのかよ」
本間&青野カップルである。手を振りながらこちらに近づいてくる二人は相変わらずの高身長で周りに威圧感を与えてるが、一つのコンビニ袋を二人で持ってるのがなんとも微笑ましい。
「『何だ』とはなんだ、勝ち組気取りやがって」
そんな微笑ましい光景さえも、荒んだ瞳には嫌味ったらしく映るのだろう。綾原が青野に絡み始めた。
「機嫌悪そうだな。何かあったのか?」
「嫉妬してるだけだよ」
綾原に発言の機会を与えないよう、僕は即答した。綾原が横目で睨む。
「そうか、頑張れよ綾原」
分かってるのか分かってないのか、特に感情を込めずポンと綾原の方を叩いて励ます青野。こいつも何だかんだでヘンな奴だと思う。
「二人とも、もし良かったら一緒に帰らない?」
本間さんが人懐っこい笑顔で提案してきたので、そうすることにした。





「そっか、そんなことがあったんだ」
やや賑やかになった帰り道、僕は静崎さんと宮野さんのことを本間さんに話した。彼女を挟んだ向こう側で、青野と綾原が何故か肩を小突きあっている。その内殴り合いに発展しそうだ。
「静崎さんは自信があるようだったけど、どうなんだろうね」
予想はついているのだが、あえて口にしなかった。なんとなく角が立ちそうだと思ったからだ。
「福乃君はどっちが勝つと思う?」
「え?」
少し体を傾けて、いたずらっぽい笑顔で本間さんが聞いてきた。僕がかなり背が低いので、会話しやすいように彼女は微妙に体を曲げている。露骨だと僕を傷つけると思ったのか、なるべく自然に振舞っているように思える。…こういう細かい配慮がとても彼女らしい。青野には勿体無い、なんて考えたら綾原と同類なのだろうか。
「う~ん、やっぱり宮野さんじゃないかな」
よほどの間違いが無い限り、宮野さんが勝つだろう。『ウサギとカメ』のウサギどころか、彼女はチーターではなかろうか。油断しそうに無いチーター。
「ふふ。二人の対決、どっちが勝つんだろうね」
本間さんが意味ありげに微笑む。まさか静崎さんが勝つとでも思っているのだろうか。まさか、ね。
考えが表情に出ていたのか、彼女はニコニコしながら
「そういえば『ウサギとカメ』って話あるよね。あの話ってさ、ウサギさんがゴール手前で寝ていたから負けちゃったんだよね」
と言った。
一瞬遅れて、その言葉の意味が分かった。
上手い比喩だと思ったが、それは過大評価だと思う。というか有り得ない。百歩譲って宮野さんがカメになるはずはない。
柔和な笑顔を崩さない彼女の表情から、考えが読み取れない。もしかしたら違う意味で言ったのだろうか?
「それってどういう…、あー着いちゃった」
ビルに挟まれた、大通りから山へと伸びる細い路地が目の前に見える。つまり綾原達との分かれ道に着いてしまった。
それじゃ、また明日、と別れを告げて僕は一人違う道路に入った。
本間さんは最後までニコニコ笑っていて、バカ二人はお互いの頭を本気ではたきあっていた。




一人寂しく農道を歩きながら、さっきの会話を思い出す。
本間さんの言うとおりなら、静崎さんは文字通り眠れる獅子だ。僕自身は当事者でもなんでもないので、あれこれ考えても無駄なのだが…。
それでも、なんとなく。
本当になんとなくだけど。
もし静崎さんが宮野さんとの勝負に勝ったら面白いだろうな、と思った。
5, 4

りょーな 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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