『 Hello World ! 』
人の手によって作られた道具――製品が、それを作った一企業の製品に収まらないのは、既に常識となりつつあります。
コンピューターや携帯電話等、インターネット回線に繋がる物においては、全世界から技術力を持つ人々が、自ら作ったアプリケーションソフトを公開し、フリーソフトとして全ユーザーと共有してきました。この試みが、今、さらに進歩しようとしています。
フリーソフトを企業が公式に認め、制作者にライセンス料を支払うことで、技術者の敷居をもっと低く、幅広くしようとする、新しい制度が生まれています。
こちら――日本の複数の大手企業が集まり開発された、携帯電話の最新機種『Revo-Phone.2nd』。現在、この画面上に並ぶアイコンは全て、とある一人の外部ユーザーが制作したという、驚くべき事実が存在します。制作者のハンドルネームは『クロ』さんです。
一年ほど前、『クロ』さんの作った製品が、ネット上で認知され始めていました。初期はフリーの制作掲示板で『対話型アプリケーション』を公開していたそうですが、それがあまりにもリアルで、かつ、『自立進化型』の機能を備えており、まるで『本物の人間と会話をしているようだ』との声が多数。クロさんはその後も様々なソフトを開発し、ネット上で、一躍有名な人物となりました。
クロさんのプロフィールは一切不明。フリーの製品を解析しようとしても、未だに中身はブラックボックス――誰一人として、正確には解析できないそうです。クロさんのことを大真面目に「宇宙人か未来人」と評する学者さえいます。
『――なんですか、それ! ひどい! 私九十九神ですっ!」
「……正直、その定義も怪しくなってきたよな」
『信也までっ!?』
むっ、とした表情で睨みつけてくるクロ。携帯を振動でじたばた動かして、画面中央から浮かび上がった小さな姿が、平手をかましてくる。
「悪かったよ。でも、3D技術って、今のお前の姿だろ? もう大分前にできてたじゃねぇか」
『……はい……』
携帯の画面から現れたクロ。最初に見た時は驚いた。しかしよく考えてみれば、以前の黒電話が依代だった時には、普通にその辺りを歩いて、壁抜けとかもしていたし、割とすぐ慣れた。穴吹は逆に目を輝かせて、「すごい!」と一日中驚いていたが。
「やっぱり、初見だと凄ぇんだろうな。じーちゃんは、そこまで驚いてなかったけどさ」
「バカ言え。十分驚いとったわ。孫があまりにも平然としとるもんだから、今はこれぐらい常識なのかと思っただけだ」
「じーちゃん、意外と世間知らずだよな」
「やかましいわ」
しかめ面をして、ずずず、と音を立て、味噌汁を啜るじーちゃん。再びクロの方へ視線を戻すと、話を聞いて欲しそうに、じーっと見上げていた。
「悪かった。話逸らしたな」
『いいえ、構いませんわ。えぇと、発表が遅れたのは、向こうの方にも色々と、思うところがあるようでしたの。新しい機種を作ってから売った方が、儲かるから待ってくれとか、以前の物には適用できないようにしてくれ、とか……』
「なんだそれ、作ったのはクロなのによ」
「けしからん連中だな」
知りたくなかった大人達の事情を聞いて、飯が不味くなる。
「でもさ、なんで今回は、企業に応募したんだ?」
『……お金が、ほしくて』
「金?」
予想外の言葉だった。思わず、反射的に言ってしまう。
「使い道あるのか?」
『寄付するつもりです』
「寄付?」
『はい。私は――クロは、この世界でなにが出来るのか、ずっと思っていたのです。信也はもう、私の力がなくても生きていける。だけどこの世界には、十年前の信也のように、すべてを失って、助けを求めている声がある。たくさん、たくさん、あるのです』
「……クロ」
『私の想い――ヒトは技術と呼びますが。それを対価にお金を得て、十年前の信也や、美緒さんのような子供たちを助けたいのです。そして、道具とヒトとの距離を、もっと、もっと、近づけていきたい……』
クロが笑う。
気がつけば、彼女の小さな頭の上、指を添えていた。
「クロ、ありがとうな」
『……うふふ』
本当に嬉しくて、胸が熱かった。
くすぐったそうに笑うクロの瞳は、まっすぐだった。俺達と同じだった。自分で目標を見つけて、考えて、目指す物を追いかけながら、生きていく。
なにが正しくて、なにが間違っているのか。
この目で、いつか見極めてみせよう。
自分が信じるものを、手にしてみせよう。
いつか、必ず、絶対に。諦めることだけは、したくない。
『――それでは、いよいよ、3D技術公開の時間ですっ!
今回は制作者のクロさんのメッセージが、新技術と共に、
直々に公開されるそうですっ!』
テレビの中。アップで映し出された携帯画面の中央。浮かび上がる。
優しく笑っている、彼女の姿。
世界が大きくどよめいた。
記念すべき最初の初声を発した。
『 はじめまして、クロです 』
ヒトと道具が、もっと身近に、優しく繋がっていけるように。
正しく、一緒に歩んでいくために。
世界が大きく広がるように。彼女は言った。
『 私達は、貴方達の、手の中に在ります。
その中で、共に歩んでいきたい。変わりたい。
よろしく、お願い致します。 』
――クロ電話ノ鳴ル処 了――