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◇7.いったい何なんだこの女確実にふざけている

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 おかしい。
 雑多な人ごみの合間を縫って歩きながら、右腕の感覚について水火大封はそんな感想を抱いた。
「俺の腕から離れろ東条。歩きにくい」
 口を動かしながら彼は思う。
 何だ、この状態は。この女は一体何を考えている。
「付き合ってる子がいるわけでもないんでしょ? だったら問題ないじゃん」
「俺には問題点しか見えねえ」
 右腕に押しつけられている柔らかい何かが、着実に大封の思考力を奪っていく。思わず彼はニヤつくりんごの顔から目をそらした。完全に遊ばれている。
「いいじゃん、目立つし」
「それが嫌なんだよ」
「私は目立つのが好き」
「俺は大嫌いだ」
「ふうん。私は大好き」
「……」
 太陽のような笑顔で自分を全否定してくるこの女に意見を通そうという試みが、そもそも間違いなのだろう。そうだ、間違っているのは自分なのだ。半ば無理やり自分を納得させる大封に、りんごは口をとがらせる。
「何さ。ちょっと怒りっぽいよ、君。細かいこと気にしすぎ。カルシウム取った方がいいよ、カルシウム。カッコ牛乳カッコ閉じ」
「牛乳はカッコの中に入れるべき単語じゃねえだろが……」
「そんなことよりさ」
 りんごは限界まで顔をそむけようとする大封を覗き込む形で、さらに身体を密着させた。
「……っ!」
「今からどこに行くのかそろそろ教えてよぅ」
「テメエが俺から離れたら教えてやるよ」
「そう? じゃあいいや。このまま歩いてても目的地には着くんだし」
「……っ!」
「本当は君だってそっちのほうがいいんでしょ? 大封君。ほれほれ、素直になりなさいなー」
「馬鹿言うな。さっさと離れろ」
「またまたあ。口ではそう言っても、身体は正直だぜぇ?」
 むぎゅ。りんごはしつこく大封に身体を押しつける。
「……っ! い、いい加減にしてくれ!」
 そろそろ何かがヤバイ気がした彼は、必死の形相で彼女を振り払った。
「あらあら。本当に身体は正直みたいだねえ」
「どこ見て言ってんだテメエは!」
 大封はぜえぜえと息を切らせながら、りんごを睨みつける。
「俺の純潔は渡さねえぞ」
「いらねーよ」
「それはそれでめちゃくちゃ腹立つわこの痴女が!」
 彼の声は派手に裏返った。
「痴女だなんて失礼な。これでもりんごちゃんは今時貴重な処女だぞっ!」
「しょっ……!」
「あー、赤くなったー。チョーウケるんですけど。カッコ嘲笑カッコ閉じ」
 冷めた顔で台詞を棒読みにすると、りんごは羞恥心で石になった大封を置いて歩き出す。
「ほら、早く行こうよ、童貞君」
「うるせえッ! ほっとけ!」
 ほとんど脳の容量を使い果たしてオーバーヒートさせながら、大封は俯いて歩き出す。テメエには羞恥心ってものがないのか。そんな独白も口に出せば逆手に取られる気がしてならなかったので、彼はそれを心の内に留めておいた。
 大声で言い争ったからか――とはいえ大声を出したのは彼の方だけであるが――通行人の目線が以前にも増して突き刺さる。余計に顔を上げられなくなった大封は、りんごから一歩引いて歩きつつ視界の端にあるものを捉えた。
「……?」
 綺麗に舗装された歩道脇の排水溝。そこで何かが動いた。思わず一旦停止して、彼は目を凝らす。
「……」
 再び動きを見せたそれは、太陽光を反射して銀色の光沢を放った。しかしほんの一瞬の出来事に、次の瞬間大封はそれを見失ってしまう。
「……鼠?」
「何してるの?」
「ほっ!」
 いつの間にか傍らまで戻ってきていたりんごに虚を突かれて、大封は奇声を発する。
「あー、いや、なんでもねえ。少し喉が渇いたから、そこのコンビニの陳列商品に目を奪われてただけだ」
「エロ本?」
「喉が渇いたつってんだろうが!」
「そう。まあ、そりゃそうだね、目の前にこんな慎ましくおしとやかな美乳美人がいるんだし、喉の渇きを癒やすには事欠かないよね」
「どういう意味だ。ところで俺には傲慢で生意気なアホ乳痴女しか見えねえが、テメエのいう美女ってのは一体どこにいるのかね」
「む、アホ乳痴女はいただけないなあ。爆乳淫乱処女にしときなさい」
「悪化してねえかな!?」
「処女と痴女は二律背反ではないのさ」
「なんとなく格好いい言い回しだが言ってる内容が最低だな!」
 大封がツッコミで手いっぱいになっている隙をついて、りんごは彼の左腕を速やかに絡め取った。
「あっ、テメエ!」
「いいじゃんいいじゃん、気にしない気にしない」
「チッ……」
 空いた右手で頭を抱えながら、大封は歩き出す。
「俺からもテメエに聞きたいことがある」
 不機嫌な声のまま、彼はりんごに顔を向けた。
「お、私はまだ君の回答を聞いてないのにな。質問を質問で返すと零点らしいよ?」
 大封は無視して語りかける。
「さっきの画像――ありゃどういう意味だ」
「合成ドラッグのやつ?」
「ああ、それだ」
 合成ドラッグ。
「まさか全ての犯行予告画像を『合成』してマウスで『ドラッグ』しろ、という指示だとは思わなかったがな」
 鼠小僧からの犯行予告に添えられた画像には、そのように操作を行うことでまた一つ別の画像が浮かび上がるという加工が施されていたのである。
「手の込んだ嫌がらせだぜ」
「単純なお戯れだよ」
 りんごは余裕の言葉を嘯いて、得意げに微笑んだ。
「で、テメエはどう思ってる」 
「いやあ、意味が分かれば私も苦労しないって。何のために君を引き入れたと思ってるのさ。私はただの一流ハッカーで、その他の能力は一般人並なんだから。情報提供が私の仕事。考えるのは君の仕事。おーけー?」
「考えるのも、だろうが。それにしても一流ハッカーねえ、自分を謙遜しないところがいかにも不遜でテメエらしいぜ。その言葉が過大評価だと断言しきれないのが全く不愉快だがな」
「お褒めに預かり光栄ですっ!」
「褒めてねえ」
 言いつつも彼は考えを馳せた。
 あの画像。考えられる可能性は幾つかあるが現段階では何とも言えない。ただ、おそらく調査の手掛かりにはならないだろう。尤もこんなこと、東条だって気付いてるに決まっている。
 あれは、多分――
「今回の鼠小僧は何かがおかしい」
 大封はそれを声に出した。
「何かって?」
「不確定要素が多すぎてまだ結論は出せないが――今回の予告状に添付された画像を見る限りでもおかしな点が幾つか目立つ」
「へえ。おかしな点って?」
「それを確かめに行くために今歩いてるんだよ」
 もって回る大封に、りんごは若干のイラつきを見せる。
「で、結局どこに行くのさ」
「学校だよ」
「学校?」
「用があるのは地下一階だがな」
「ああ、そういうことね。了解了解。カッコ納得カッコ閉じ」
 会話を交わすうちに、二人は鏡界の駅へと到着した。
 このニホンの首都には都立高校が一校しか存在していないが、それにはそれ相応の理由がある。勿論財政難など、経済的な問題がその一つであることには違いない。しかし一番の理由は、都内のほぼ全生徒を受け入れられるだけの大型施設が都心『白界』に存在していることだ。
 通称、バベルタワー。
 ワンフロア当たり約二ヘクタールもの面積がありながら、従来の建築技術では不可能とされていた千メートルもの高さを誇る、三百階建ての超高層ビル。視界が良好でありさえすれば、都内のどこからでもその姿を望むことができる。
 そのバベルタワーに、都立高校は組み込まれていた。
「しかし今頃こんなこと言うのもあれだが、馬鹿げた建物をぶったてたもんだぜ」
 大封はほとんど揺れることのない電車のドアに背中を預けながら、何食わぬ顔でシルバーシートに座るりんごに言葉を投げる。
「そう? まあ政府が何を考えてあれを建てたかは私も疑問だけどね。ただ便利だとは思うよ、ああいう建物があるってのは」
「そうか? 名前からして、いつ崩れ落ちてくるか知れたもんじゃないね。毎日通う身としては不安で仕方がねえ。大体、半数以上のフロアは得体が知れないときてる。特段知りたいとも思わねえが、不可解というか、不愉快だよ俺は」
 黄昏時の紅い光が、ビルとビルの切れ間から点滅するように煌めいて、りんごの横顔をチラチラ物憂げに照らした。
「うーん、ま、その点に関してはりんごちゃんも同感かな」
 本家『バベルの塔』は旧約聖書に登場する。人々はこの塔を天まで届かせようとしたが、結局そんなことが実現できるはずもなく、塔は崩壊してしまったという。これを人の技術の限界を示す逸話だとする場合もあれば、あるいは、馬鹿げた計画や妄想的な先行き見通しを指してバベルの塔と揶揄することもしばしばである。
 この高層ビルがそう名づけられたのは、人間の技術の限界を取っ払う、という意味があるのかもしれない。大封もりんごも、そんな世間の噂を自説にしてしまう程度に、バベルタワーそのものへの興味は薄かった。
 夕刻のラッシュアワーにもまれながら、二人は電車を降りた。無機質な街の中、五分ほど歩を進めると、タワーの入口へと到着する。
「で、君はAMSSを使って何を調べたいのさ?」
 AMSS――全首都圏検索システム。都内の情報、いや実際は国中の、ほとんどすべての情報を網羅するニホンのデータベース。守護者、および許可をもらえた守護科の生徒だけが、使用の権限を与えられている。
「AMSSなんてもんは端から信用しちゃいねえが、今回は少し特例だ。簡単な調べ物で済むかもしれんからな」
「だーかーらー、早く詳細を教えちゃって欲しいの、私は! カッコイライラカッコ閉じ!」
「まあそうカリカリすんな」
「イライラだってばさ!」
 幾つもあるエレベーターのうちの一つに乗り込みながら、大封は説明を開始した。
「おかしな点は二つ。第一点は、犯行予告の画像が屋内だったこと。今までの全ての画像は建物の一部、屋根だとか玄関だとか、窓だとかが映っていた。つまり屋外、外観だ。なのに今回は屋内ときている。今までと異なる点があるとしたら、それはおそらく簡単に侵入できるか否かだ。今まで犯行予告の画像が建物の外観ばかりだったのは、わざわざ忍びこんでリスクを犯すことを奴がしなかったからだと考えられる」
 軽やかにB1のボタンを押して、二人は地下へと降りていく。
「第二点は、獲物の特定が出来ないことだ。今までは美術館だとか、大富豪の邸だとか、あるいはこのバベルタワーだとか、大体宝石やら絵画やら、何を狙いに行ってたのかが明確に判断できた。しかし倉庫みたいなとこに鼠小僧が狙うような宝があるのか? いや、たとえあったとしてそんなものを鼠小僧は狙わない。今までの犯行から推測するに、あいつは守護者をからかってる節すらあるからな。そんな地味な盗みをしたことはなかったはずだ」
 ずらりと部屋の並ぶ廊下に踏み出しながら、大封は続ける。
「とにかく、このことから推定されるのは、第一に一般人でも容易に侵入できる、いや侵入どころか一般人にすら開放されている場所だということ。そして第二に鼠小僧が狙うだけの何かが保管されている場所だということだ。しかしこの二点は普通同時に成立しない。そんな大切なもんを保管しながら一般人に開放されてる場所なんてあんのか?」
「ん、確かにそうだね……」
「つーわけで、とりあえず確認のためにコイツを使わせてもらう」
 個室の一つに入り、二人が入るには狭い部屋で大封は目前のメインモニターをいじる。
「よし、検索完了」
「早いね」
「テメエも使ったことくらいあんだろ」
 画面には『検索時間0.1秒』という文字。
 そして。
「ビンゴ」
 『幻界ゴミ埋め立て処分場』
 たった一件の検索結果が表示されていた。
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