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◆12.おっぱいは正義

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 鼠小僧によって示された雷鳥の校章。
 それは一体何を意味するのか?
 第一の可能性として、鼠小僧が都立高校の生徒だということ。考えにくい上、大封は考えたくもないが、あり得ないとは言い切れない。だから彼はそれを、犯行予告というより挑発ではないかと考えた。しかし、あの爆弾騒動はなんだろうか? おかしい。鼠小僧のやっていることの意図が掴めない。
 だから第二の可能性として、犯行現場ということが考えられる。犯行予告。つまり、バベルタワー。ただ、大封がその可能性を速攻排除したのには理由があった。
 バベルタワーは一か月前、既に鼠小僧によって盗みに入られているのだ。


 五月二十九日、日曜日、午前九時。
 抜けるような青空の下、初夏のさわやかさと生命力を乗せて、透き通った風が吹いていた。ぐんぐん昇り行く夏の太陽に照らされ、青々と茂る街路樹の葉は若々しく、風に揺られる度に存在を主張するかのごとくざわめいている。
 そんな情景には似つかわしくない人物が約一名、電柱の影からひょこりと頭を出した。
「尾行大作戦ーっ! いえーっ! ぱふぱふっ!」
 りんご、超小声。
 サングラス、薄手のカーディガンにデニムのパンツ。しかし、頭から垂れる四本の頭髪の束があまりにも目立ちすぎており、服装に関する努力はほぼ無に帰している。
 彼女の隠れる電柱の数十メートル先を、私服に身を包んだ大封が歩いていた。教えてくれる気がないのなら後をつけさせてもらうまで、そう言わんばかりにりんごはニヤリと笑う。いささか古典的すぎる手法もコミカルにこなすりんごに、死角はないようだ。
「ふっふっふ、本当に調査をさぼるだけの用事かどうか、私が見極めてあげるよ大封君」
 ご苦労にも明朝六時から男子寮の前で張り込んでいた彼女は、一つ大きな欠伸を打って次の電柱の影へそそくさと走る。パーカーに黒のジーンズという地味な格好の大封だが、そのバケツを逆さまにしたような髪型からして人違いということはありえない。
 見失わないよう適当な距離を保ちながら、りんごは大封を追う。
「どこまで行く気なのかな……」
 白界から東に向かって順に並ぶ、鏡界と幻界。昨日と同じ鏡界の駅で電車を降りてから、大封は三十分ほども歩き続けている。ついさっき喫茶『鼠捕り』を通り過ぎたところであった。
 後をつけてどうするのか、りんごに主だった考えはない。問い詰めるつもりもなければ、彼が自分から言い出すのを待つというつもりもない。本当にただの好奇心からの行動である。
「お互いの事を知る必要はない――そう言ったのは確かに私だけど、知りたいと思うのは勝手だもんね」
 周囲の人間から割合好奇の目を向けられていることなど、りんごは気にしない。
「さあ、どこへ到着するのかな」
 彼女は道を一本折れて狭い裏路地に入る。
 誰もいない。
「!?」
 さっそく大封を見失ったようだ。目を丸くして、首をぶんぶん振りながら彼女は周囲を見回す。しかし、誰もいない。少し走ってゴミ箱の中身を確かめるが、やはり誰もいない。当たり前である。
「ほわっと! どういうことさ!」
 口をあんぐり開けて叫ぶ彼女の声は、閑散とした路地に響き渡った。見れば彼女の足下に一枚のレシートが落ちている。拾い上げて裏面を見ると、そこにはこのような文章が書かれていた。
『失せろ、爆乳淫乱処女』
 明らかに大封からのメッセージ。その文字列は、りんごを馬鹿にするかのように達筆である。
「……ぐう」
 くしゃりとレシートを握りしめて、りんごは犬のように唸った。
「あやつめ、なかなかやりおるわ。……カッコ悔しいカッコ閉じ」
 その刹那。
「うわああぁぁぁああぁぁっ!」
「!」
 りんごの鼓膜を揺らしたのは、野太い男の叫び声。
「……近い」
 ビルとビルの側面にはさまれて車一台通れるか通れないかという路地を抜けると、視界が少し開ける。それなりに広い通りだが、メインストリートを外れたせいか人気がない。
 ほとんど車のない駐車場。そのすぐ後、マンションの側壁に背をつけて、小太りの男が怯えていた。
「ま、待て! お、お、落ち着け!」
「至極冷静ですよ――自分でも驚くほどにね」
 どうして男は怯えているのか? それは追い詰められているからだ。
 ひょろりと背の高い、鳥取登坂の手によって。
 正確には、その手に握られた電磁銃によって、である。ピンポイントに銃口を向けられた男は、尋常でない量の汗を垂らしながら両掌を前に、登坂へと語りかける。
「ほ、ほん、本気なのか!」
「俺様さすがに冗談でこんなことは致しません」
 対する登坂は涼しい顔だ。口の端は柔らかに持ち上がっていても、見下すような目がその氷点下の感情を雄弁に物語っている。様々な意味で、冷たく涼しい笑顔。
 季節外れの青いトレーナーに、ハーフパンツ。少々ファッションセンスが欠如しているようなその恰好は、彼の行動の異常さを際立たせていた。
「それでは、観念してくださ」
「何やってんの?」
 割り込む、声。
 いつの間にか、風にでも運ばれたかのように、音もなくりんごが立っていた。彼の左隣、一般的な人間なら親しい友人以外の侵入を好まないだろう、半径三十センチ以内の位置にである。
「……」
「何やってんの?」
 彼女は登坂を見上げる形で、サングラスを外して胸のポケットにしまいながら、その台詞をリピートする。
 一瞬の沈黙の後。
「た、助けてくれ!」
 滑稽なまでに声を裏返らせて、男がヘルプを求めた。
「豚は黙っててよ。私は今この優男に話しかけてるのさ」
「ぶ、豚……!」
 頬をひきつらせて、小太りの男がさらに後ずさる。といってもほとんど壁に密着している以上、後ずされるだけのスペースはほとんどなかった。無様にも足がずりずりと動く。
「それ、守護者かその見習いが持ってる電磁銃だよね」
「……」
 沈黙の登坂に、りんごはもう一度同じ台詞を口にする。
「何やってんの?」
「見てわかりませんか?」
 目前の男から目を離さないまま、彼はりんごに返した。ピンと張りつめた空気に絡まって、三人は動かない。棘のある言葉だけが宙を行き交う。
「一般人にそれ向けちゃだめだ、って教わらなかった?」
「この豚は一般人ではありません」
 すっかり豚で定着した男に対し、登坂は銃を構えなおした。
「昨日発生した強盗事件の犯人です」
「ひ、ひぃ!」
 ぎゅ。
 登坂の手が掴まれる。
「……何のつもりですか」
「逃げていいよ」
 一瞬。
 登坂の指が引き金を引くよりも早く、りんごが手首をひねり上げる。
 小太りの男はそれを見て一目散に逃げ出した。登坂はりんごの手を振りほどくと、逆に彼女の手を掴み、力を込めてそれを捻る。体勢を立て直しながらもう片方の手は照準を合わせ、遁走の男に向かって銃を向けた。しかし今度こそ引き金が引かれようかというその間際、彼の目に留らぬスピードでりんごの左脚が跳ね上がり、
「だからぁ」
 電磁銃は軽い金属音と共に空中高く舞い上がる。
「駄目なんだってば、そういうのはさッ!」
 そのままの高さで左脚は停止。登坂はりんごの腕から手を離そうとするが、既にワンテンポ遅い。綺麗に伸びた脚はそのまま次への予備動作、蹴り上げた時と同じ軌跡をなぞって振り下ろされる。
「がっ!」
 運動靴の踵が、避け損ねた登坂の後頭部を直撃した。よろけるながらも振り返る細身の鳩尾に、クワッドテールを振り乱すりんごの右拳がボディーブローを見舞う。
「うっ!」
 彼はなんとか反撃しようとするも、りんごは同時に接地した左脚をそのまま軸足にして、右脚でのローキックを膝に、切り返してミドルを脇腹にもう一撃。
「っ! っ!」
 左半身を中心に攻められたことで、体勢を立て直そうと自然と飛び出る登坂の右足に、大外刈りの要領で極めつけの足払い。登坂は何をすることもできずアスファルトの地面へと倒れこむ。
「ぐはあ!」
 一瞬の出来事。
「なんだ、超弱いじゃん。カッコ笑いカッコ閉じ」
 ほぼ同時に地面に落下した電磁銃が、カランカランと転がった。
「……はっ……はぁ……」
 りんごは、背中を強かに打ちつけて呼吸に苦しむ登坂を上から見下ろした。
「目は覚めた? 鳥取登坂君」
「た、大したごあいさつですね、初めから覚めてますよ……」
 そこで一つせき込んで、登坂は続ける。
「どうやら……自己紹介の必要は、なさそうですね、東条りんごさん」
「あら、君も私を知ってるみたいじゃん。私ってそんなに有名だっけ?」
 悪びれる様子もなく笑うりんごを見て、登坂は声を出さずに苦笑する。
 彼の息が落ち着くのを待って、仰向けのままの登坂にりんごが語りかけた。
「あれが強盗犯なわけないじゃん」
「……どうしてですか。俺はこの目で見たんですよ」
「何を? まさか体型が同じだからって同一人物、とか言わないよね?」
「それは、勿論顔を」
「覆面してたのに?」
「……見ていたのですか?」
「あれ、本当に覆面なんかしてたんだ。古典的な強盗だったんだなー」
 沈黙。
「鎌かけですか、趣味が悪いですね」
「鎌かけですよ、お頭が悪いですね」
 再びの沈黙。
「目ですよ」
 住宅街の、天上に空いた穴のような青空を見上げながら、登坂は呟いた。
「目?」
「……俺様は目を見ればわかるんです、それが誰か」
「へえ、それはすごいね!」
 りんごは明らかに信じていない。
「でも、現行犯逮捕でもないのに守護者見習いが犯人を捕まえていいわけないよね」
「問い詰めた結果彼は逃げ出そうとしました、十分現行犯逮捕に値します」
「法律を自分の都合のいいように解釈しちゃだめだよ」
「そんなことはありません、これは確実に堅実な客観的解釈ですよ」
「ふぅん」
 こうなれば水掛け論、どちらも譲らない。
「しかし、あなたの手痛い仕打ちのおかげで犯人を逃してしまった」
「犯人かもしれない豚、でしょ。あ、犯豚か」
「責任を取っていただかなければ困りますね」
「ネタにはツッコミを入れてもらわないと困りますね」
「……」
 どうやら、二人の相性はよくないらしい。
「あーあ、君のせいで大封君も見失っちゃうしさ」
 少なくとも登坂のせいではないはずであるが。
「あなた方は男女交際でも?」
「うんっ!」
 りんごは大胆にも、即答で大嘘をついた。
「……そうなのですか」
「まあ、それはいいとしてさ、私は君をすごく怪しんでるわけ。わかる?」
 ニコリと輝くその顔は、決して友好関係を求める笑顔じゃない。
「ええ、貴様の言いたいことはよくわかります。しかし俺様は貴様の期待にはこたえられません」
「ん、どういうことかな?」
 りんごがその輝かしい笑顔を顔に張り付かせたまましゃがみこむと、登坂はおもむろに起き上がる。そして。
 むぎゅ。
「へ?」
 もにもに。
「いい胸だ」
「……………………………………」
 りんごがトドメの鉄拳を登坂の鳩尾にぶちこもうとした。
 その時だった。
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