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◇3.名コンビ(笑)

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「……は?」
「もう一度言うよ」
 りんごはクワッドテールの栗毛を揺らしながら大封から顔を離すと、今度は彼を指差して声を張った。
「君は私と一緒に鼠小僧を捕まえなければならないの」
「……」
 いや、さっきと微妙に台詞違くね? しかも大事なところのニュアンスが変わってないか。などと口には出さない大封であったが、顔には存分に出てしまうものである。
「なにさ、その顔は」
「いや、意味、わかんねえし」
「君は日本語が不自由だ、なんていう情報はなかったはずだけど」
「そういうことではねえよ」
「それなら私の言う意味くらいは理解できるでしょう」
「……」
 この女、本当に何なんだ? これほどの重さのバケツを三十分以上持ち続けても顔色一つ変えなかった大封の額に、汗が浮かぶ。依然として彼女は、身動きとれない大封の前をからかうようにゆっくりと歩き回っていた。
「てか俺、こんな状態だし、先生呼んできてくれよ」
「そのままで結構だわ」 
「俺は結構じゃねえんだよ」
「私は結構なのよ」
「……」
 駄目だコイツ。短く、しかし痛切に、大封はそう直感した。一気に血の気が引いた音が聞こえた気がする。話にならないとはまさにこのことだ。彼の苦手なタイプである。そのりんごは、大封の隣に立って壁にもたれかかった。
「まあ、そう余裕ぶってられるのも今のうちっていうことさ大封君」
「なれなれしく下の名前で呼ぶんじゃねえよ」
「それでは大封君、本題に入るけど、何か問題あるかな?」
「ある。名前で呼ぶな」
「じゃあ私が君にゴージャスなあだ名を付けてあげよう」
「いや、名字で呼べよ」
「すいかたいほう、だったよね」
 彼の提案は華麗に棄却して、りんごはんーと唸る。
「ウォーターメロ」
「却下だ」
 即、否決である。
「じゃあ、リュウとか」
「脈絡ねえなおい」
「いやー、ガイルじゃさすがに芸がないかなー、とか……」
「見た目の特徴からいっちゃったよ!」
 割合気に入っていた髪形をネタにされて、彼はややへこんだ。
「嘘よ。君の名前と髪形は君だけのものなのだから! ね、大封君」
「……」
 もはや、ツッコミは入れまい。そう誓う大封である。
「ま、ここからは結構真面目なお話よ、だから真面目に聞く方がいいと提案するりんごちゃんなのである。カッコ真剣カッコ閉じ」
 真面目なお話。その言葉がどれほどの何を示すのか、今の大封には測りかねる。全く得体のしれない女生徒が真横にいて、しかも自分は抵抗できる状況にないのだ。リラックスして5杯のバケツを支えていた身体も、緊張する。
 少なくとも、鼠小僧関連であることは間違いない。
「いい、水火大封」
 大封はゴクリ、とつばを飲み込む。
「一度しか言わないから心してきくように」
「……おう」
 そこで一つ嘆息を入れて、りんごはシリアスな面持ちを作り、言った。
「ズボンのチャックが開いているわ」
「マジかああああああぁぁぁ!」
 自分が三十分近く――いやヘタをすれば昼休みにトイレに行ってからずっとそのような醜態をさらしていたのかと思うと、大封はいろいろな意味で絶望し、そして赤面した。
「両手が使えないんだよね。私が閉めてあげよっか? た・い・ほ・う・君」
「んなっ!」
 そこはかとなく淫靡な言い回しに、大封の顔が真っ赤に燃える。
「あらやだ、結構初なんじゃん! かーわいいとこあるー。ちなみに今のうっそー」
「ふふふふふふざけんなッ!」
 カラカラと笑って、りんごは隣に立つ男に目をやる。
 場の空気を変えるのに要した時間は、一秒にも満たなかった。
 その顔にもう笑みはない。
「君が個人的に鼠小僧を調査してるのは知っている」
 りんごの活発な声が急激に氷点下にまで冷え切ったことで、大封もまた一つ、心のスイッチを切り替える。散々ペースを握られてきたが、ここからは対等に話し合う必要がありそうだ。
「ごめんね、割と勇気ってものを持たない人間なのよ、私。これくらい誤魔化し誤魔化し進まないと心臓がハートブレイクしちゃうわけ」
 頭痛が痛い、みたいな言い回しを気にも留めず、大封は静かに聞き返した。
「……、どうやら本当におふざけは終わりのようだな」
「ええ」
「確かに」
 そこで一つ言葉を区切り、大封は大きく息を吸う。
「俺は鼠小僧について調査している、あくまで個人的にだがな」
 それを片足立ちでバケツを両手に二個ずつ持ち、頭に一つ乗せた状態で言うのだから、傍目に見れば滑稽であっただろう。しかし幸いなことに、放課後の校舎には人気がない。
「しかし捕まえるとなれば話は別だ。第一に俺は学生だし、今はそんな危なっかしいことに首を突っ込む気もない」
「今は? 今は、って言ったよね」
「……失言だ」
「いいから。ゆー、言っちゃいなよぅ」
 りんごがせかす。
「チッ……そうさ。今は、だよ。どうせこのまま追いかけっこやってたって、今の守護者に鼠小僧は捕まえられないだろうぜ。ま、こんなこと言ってるのが教師らにバレたら大目玉だが、俺の率直な意見だ」
「それで?」
「鼠小僧は既に十六回もの犯行を繰り返してる。被害総額は数十億じゃきかないって話だろ。それでもまだ盗みを止める気配がない。俺は俗説を鵜呑みにするほどおめでたくはないが、やつの盗みの目的は自身の資産を増やすことではないと思う」
 つまり鼠小僧の目的は、盗んだ金銭の分配、だということ。
「単なる金稼ぎ――そんなことが目的だとすれば、もう十分すぎる程奴は稼いでるさ。これ以上のリスクを冒す理由はねえ。短期間にこれだけ犯行を重ねれば、守護者のマークだって厳しくなる。適当にどっかの外国にでも飛んで逃亡し続ければ、安全ではないにしろ、一生楽しく遊んで暮らせるだろうぜ」
 遠くを見るようにして、大封は続けた。
「だから少なくともまだ犯行は続くだろうよ。経済的な格差なんてもんはそう簡単にはなくならねえからな。いつまで続ける気かは知らねえが、もしも俺が守護者になったとき、愚かな鼠野郎がまだ下らねえ泥棒稼業やってるっつーんならその時は」
 続けて、声高に言う。
「俺が奴を捕まえてやる」
 その言葉に、りんごはまた口だけで笑った。
「随分自信があるんだねえ」
 そして感心したように唸る。
「それでこそ私の見込んだ男だ。なーんちゃって」
「勝手に見込んでくれるな、迷惑だ」 
「それにしてもさ、君の話が全部正しいと仮定して、これから先二年間も鼠小僧を野放しにするだなんて、正気? 私にはそれが正しい判断だとは到底思えないんだけど」
 ほんのわずかな、沈黙。
「……さあな。残念ながら今の俺は、守護者候補の学生とは言え、ただの一般人だ。そんなことで思い悩む義理もないし、その責任もない。鼠小僧を捕まえられないのは、今の守護者が頼りないからであって、俺のせいじゃない。所詮事件の調査だって趣味レベルの俺にどうこう出来る話じゃないんだよ」
「嘘つき」
「!」
 りんごは壁から背を離してもう一度大封の正面に立ち、そして無表情に彼を見つめて、言い放つ。
「だったら何で、そんな悔しそうな顔してるのさ」
「……」
 唇を噛んで、俯き、眉根を寄せる。そんな表情は演技ではできない。りんごは続けてそう指摘する。
「本当は捕まえたいんでしょ? 鼠小僧」
 違う? そう口にするりんごは、返事を求めない。
「君がそこまで鼠小僧に拘る理由を、私は知らない。それに知る必要もない。君にしたって、私が鼠小僧に拘る理由を知る義務はないし」
 でもね。りんごはそう続ける。
「君には似合わないよ、そういう顔。大封君。って私全然君の事知らないけどね」
「……!」
 目を丸くする角刈りの男を前に、彼女はまた、カラカラと、瞬く星のように笑う。
「いやあ、あっはっは。初対面の男子相手になにこっ恥ずかしいこと言ってんだか私は。カッコ恥カッコ閉じ!」
 太陽の煌めきさえ、うかがえるような笑顔だった。
「それにまあ、君の調査が趣味レベルだってことくらい知ってるし。私の情報収集能力舐めんなよー。私が求めてるのはそんなことじゃあないの」
「何が言いたい」
「私と協力しなさい」
 またそれか。大封は内心参りつつも、言葉を返す。
「素人どうしがお互い組んで、何が変わるよ」
 その言葉にりんごは鋭い目を細めて、ちっちっちと指を振った。
「変わるんだなあ、これが。なんでか教えてほしい?」
「……勿体つけてないで、さっさと言え」
「ざーんねんでした! 今は言えないの」
「はあ?」
「一応ここ、放課後の校舎だし――まあ校舎っつっても建物の一フロアに過ぎないんだけど――万が一、億に一でも人に聞かれちゃ困るのさ」
 彼は思わず声をひそめて返す。
「人に聞かれちゃまずい話ってなんだよ」
 そんな大封の耳元に、りんごは口を近づけた。
「お、おい?」
「明日の放課後四時ごろに、鏡界の六区、カフェ『鼠捕り』で待ってる」
「!」
 そうして元の位置に戻ると、制服であるブレザーのポケットに手を突っ込んで、りんごは何かを取り出す。
「透き通ったキャンディと甘ったるいクッキー、もしくはビターなチョコレート。どれがいい?」
「……何の真似ですか」
 りんごの両手にあるそれらのお菓子を目にして、大封は嘆息する。
「何さ、その顔は。いいじゃない、私と仲良くなってもらう人には皆にあげるポリシーなのさ。お近づきの印ってやつだよ」
「餌付けの間違いじゃねえのか」
「あ、言い得て妙ね。それ頂きっ!」
「納得してんじゃねえ!」
「いいからほら、早く選びなさいな」
 この女のペースに巻き込まれてはならない。そう頭では警鐘を鳴らしているのに、どうも調子が狂ってしまう。大封は苦い顔のまま答える。
「悪いけど、俺は甘いもんは食えねえんだ」
「まあ、知ってるんだけどね」
「……」
「それでもいいの。女の子からの贈り物断ってるようじゃ、モテないよぅ?」
 言いつつりんごは、流れるような動作でそれらのお菓子を全部まとめて大封の制服のポケットに突っ込んだ。
「俺が動けないのをいいことに……」
「捨てたりしたら電磁銃でドタマ撃ちぬくわよ」
 冗談にならない話であった。
「それじゃ、そろそろ先生来る時間だと思うから、私は君の前から去るよ、大封君」
「おうおう、さっさと去ってくれ」
 そう言って栗毛のクワッドテールを揺らしながら、りんごは廊下を駆けていく。そしてエレベーターの前で大封を振り返って一言。
「約束、破ったら承知しないからカッコ殺カッコ閉じ」
 残された大封も、窓から見える茜空を振り見て一言。
「カッコの中の字はもう少し穏便にしてください……」
5

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