ナガセが役満をアガった。
国士無双だ。流局間際で、リーチ者もいないのにぽつぽつとヤオチュー牌がこぼれだしていたから、張っているかもとは思っていたので、俺は驚かなかったが、クリヤとアサノは目を丸くして驚愕していた。
そういえば、と俺はぷかあと紫煙で輪っかを作ろうとして失敗しつつ、考えた。役満が出たのはこれが初めてだったな。
三人は働きに出始めていたが、平日の昼間はいることが多かった。
夕方くらいから出て行き、日付が変わる前に帰ってくる。
そのたびに俺はやつらに暖かい茶も出さずに、しげしげと整った三人の顔を値踏みするのだった。
ナガセの元に、ばらばらと点棒が集まる。
賭けていないから点数移動なんて面倒くさいが、まァクライアントの要求には応えてやろう。
「ああ、くそ!」
アサノが自分の手牌を倒して見せた。
やつの姉と妹が首を伸ばしてそれを覗き込んだ。
「見てよ、シマノ。純チャン三色イーペーコードラドラだよ。ええといくらだっけ、あー」
俺はアサノの手牌を拳骨でぶっ壊した。クリヤが短い悲鳴をあげた。
「何するんだ!」
立ち上がって俺を見下ろすアサノは、日に焼けていて健康的だ。
まだ華奢な少年だが、そのうち俺なんぞ捻り殺せる青年に成長していくのだろう。死ななければ、だがな。
俺はぐっと腹に力をこめてアサノを睨み返した。
八つ当たりで手牌をぶち壊したわけではなかった。
「アガれなかったとき、他人にへらへら手牌を見せるんじゃねえよ」
「なぜだよ。その局は終わったんだから、見せたっていいだろう。それに気の毒がってもらえる」
「気の毒に思ってもらえると、点棒がついてくるのか?」
「――――」
「いいか、俺は楽しい麻雀なんぞ大嫌いだ。へらへらするなら桃鉄でもやってろ」
言ってから俺はやつらが桃鉄のある環境で育っていないことを思い出した。
「麻雀じゃなくたってそうだ。何かを真剣にやるというのは、賭けているいないにかかわらず、全力をもってやらねばならない。
誰のためでもないどころか、自分のためですらない。
だがそれは、勝負の裏生地にしっかり金糸で縫い付けられたルールなのだ」
俺の話を、三人は神妙に聞いていた。
俺は気恥ずかしくなったが、喋りやめられなかった。
人に本心を打ち明けるのは、ひょっとすると初めてに近い経験だったかもしれない。俺は2chに書き込まない。
「今の局に限っていえば、俺とクリヤは国士を警戒してオリていた。
だがアサノは終盤、かなりきつい字牌を捨ててきた。
当然、俺はその手の中身が気になった。
チャンタ系、ドラ抱え。純チャンまである。三色は?
だがもしかするとアサノがただのバカで、何も考えずに切った牌だったのかもしれない。
相手がバカかどうかというのは麻雀を打つ上で重要なものだ。
二千点の手でオリないやつ、染め手に援護してしまい責任を取るのが男のあり方とかほざいて全ツッパし始めるかっこつけ、そういうやつにはそういうやつとの打ち方がある。
アサノが手を開けてしまったことで、俺はおまえがバカではないとわかった。
まァ役満に突っ張る時点でバカという意見もあるかもしれんが俺はそうは思わん。
言い方を変えれば、ヤミ倍満の手で国士にオリない程度のバカ、ということがわかったということだ。
おまえは自ら打ち筋を見せびらかしたのだ。何も考えず。
そんなやつに麻雀を打つ資格はない」
アサノは目に見えてションボリした。
だが、アサノの言うとおり、手を見せたから悪い、というものではない。
それでツキが逃げるか。逃げないかもしれない。
それで負けるか。勝つかもしれない。
そんなことは神様に聞いてくれ。
それよりも、まだ俺には言い足りないことがあった。
「アサノ、ションボリするな」
「でも――」
「元気を出せ。俺の話なんぞ糞だと思ってろ」
「いや、シマノは正しいよ。僕わかった。反省する」
「だからおい頭悪いな、反省するなといってるんだ」
「え――?」
「動揺するな、他家の言葉なんかで。知らないやつらと打ってみろ。
ああそれはダメだね、とか、今のは右二でよかったのでは、とか、あるいは黙ったまま意味ありげなため息をついてくるやつもいるかもしれない。
そんなのはな、それこそ全ツッパだ。無視しろ。
勝負してるのは常に自分だ。周りがケツをもってくれるわけじゃない。
責任を取らないやつらの言葉なんぞは糞以下なんだよ。
無論、中には筋のいいアドバイスも混じってるかもしれない」
「そのアドバイスについて、考えたいときは、どうすればいいの?
無視したら、ずっと間違いに気づかないかも」
「その局の河と他家のそぶりと自分の手をまるごと覚えて家に帰ってから復習しろ」
さぁ――とアサノと、ついでにクリヤの顔が青ざめた。
こいつら、勉強嫌いなタチだな?
「まるごとは言い過ぎた。だが、その局がどういう性質を持っていたのか、その要点ぐらいは把握してしまうんだ、一瞬で。
ドラは何枚切れてる、染め家や国士はいたのか、東場南場の何局だったか、親は誰か、点差は。おおまかにそれぐらいだ」
「むりむりむりむり」
「無理じゃねえ。やれったらやれ。俺はできる範囲で、やってきた」
そして負けた。
「てめえら、自転車に乗れるか?」
三人はふるふると首を振った。ナガセがなんでもないように言う。
「車にしか乗れない」
少し外国のにおいをかいだ気がした。
「うむ。俺は車には乗れないから、自転車でたとえるぞ。うるせえ文句言うな。
最初はみんな上手く乗れないものなんだ。最初から乗れるやつなんていない。
実際にはいるんだが、いないものとしろ。
少数の天才なんぞはシカトしてしまえばいいだけの弱者にすぎん。
世の中は99%のクズで成り立っているのだ。
で、だんだん乗れるようになってくる。少し危ない動きだってできる。身体が、覚えてしまうのだな、動きとか使い方というやつを。
それと同じだ。できて自然、当たり前に持っていくのだ」
なんだかスタンドの使い方講座みたいになってきた。HPのえんぴつは俺の家にはない。
「できねえと思うな。仮にできねえのが真実だろうとかまわん、おまえらのやることは決まってるんだろう?
麻雀を打つ。だったら、できると思うのだ。
それが無理なら、初めから打たなければいい。それだけの話だ」
俺は自分の口上に酔っていた。
とても自分では実践できないが、喋っている間は、まるで自分がその分野にかけては失敗を知らぬベテランのような錯覚を起こした。
なるほど、これが教師の気持ちか。
驕ってやがるなァ、あいつらァ。