人は生まれてから死ぬまでに、数え切れない程の選択を迫られる。
例えば靴を履いた後、右足から歩き出すか、それとも左足から歩き出すか。
一見何事も無いかの様だが、歩き出す足の選択によっては、車に轢かれるかもしれないし、犬の糞を踏んでしまうかもしれない。
そう、人は無意識のうちに、いつも何か行動を起こすたびに選択をしているのだ。
好きな女の子に、朝声を掛ける場面があったとしよう。
その時の第一声によっては、女の子の好感度が上がるかもしれないし、下がるかもしれない。
これはエロゲやギャルゲだけでなく、今では一般のRPGにも使われている行為である。
この選択行為を、人は「選択肢」と呼んでいる。
僕は今、まさに選択肢を選ばなければならない場面にあった。
時計の針は七時を指している。
そう、学園へ行くために起床しなければならない時間である。
学園が始まるのは、八時半。
僕の家から学園へは、どんなに早く歩いても三十分は掛かる。
おまけに舗装されていない砂利道の長い坂のため、徒歩で向かうには少々つらいのである。
ならば学園へはバスを利用すれば楽に行けるのではないか、誰でもそう思うハズである。
しかし、この新都町のバスは一時間に一本、それも何故か毎時の三十分にしか存在しない。
八時半の学園に間に合わせるのに、八時半発のバスに乗るのはどう考えても遅い。
そうなるとそれより一本早いバス、七時半発のバスに乗るしか方法は無い。
だが徒歩で三十分掛かる道のりも、バスに乗ればわずか十分弱程で到着してしまう。
つまり七時半のバスに乗ると、七時四十分には学園に到着してしまい、誰も居ない教室に一番乗りしてしまうワケだ。
ここで僕に迫られる選択肢は二つ。
七時きっかりのこの時間に起床し、七時半発のバスに乗り、学園に一番乗りする。
もうひとつは八時ギリギリまで睡眠を取り、慌てて徒歩で学園へ向かうかである。
僕は意思が弱い。
朝の睡眠は貴重だ。
いくら楽だからといっても、わざわざ早起きをし、学園に早く到着して無駄な時間を消費するのは勿体無い。
そういう理由で僕は後者を選び、八時まで貴重な睡眠を取った。
ここで寝坊し、学園へ走って向かうことになってしまうのは言うまでもない。
僕は歩きにくい砂利道を、必死に駆け上がっていた。
腕時計は八時十五分を指している。
トロトロ歩いていては遅刻してしまう時間である。
遅刻のひとつやふたつ、どうってことは無いと皆は思うだろう。
だが新都学園には、信じられない地獄の掟が存在する。
一ヶ月間に三回以上の遅刻をした生徒は、一週間一人で便所掃除をすることである。
新都学園の便所は信じられない程、強烈な悪臭を漂わせている。
それは流石田舎町の学校だけあって「ボットン便所」と呼ばれるものだからであろう。
あの便所を一週間も一人きりで掃除となると、本気で挫けそうになる。
いつ事故にでも巻き込まれて遅刻をしてしまうかもわからないのに、転校二日目のちょっとした寝坊で、遅刻を消費してはいられない。
「くそ・・・バスに乗れば良かった・・。」
僕は無駄だとわかりつつもそうボヤきながら、長い坂を必死に走り続けた。
八時半、朝のホームルームが始まった。
僕は汗だくのシャツをパタパタさせながらも、なんとかギリギリ教室に滑り込むことができた。
「ふっ。」
廊下側の席から誰かに笑われた。
笑い声の方向を見ると、そこには昨日常識知らずな質問を僕に問いかけてきた童貞少女が僕を見つめていた。
理由はわからないけど、僕はあの子に目をつけられている。
それだけは瞬時に把握できた。
ホームルームが終わると教師は教室を後にした。
そして黒板には「一時間目 自習」と書き残されている。
流石、教師まで適当である。
期末試験を控えたこの時期に、いきなり一時間目から自習にするなんて普通じゃありえない。
テスト対策の授業があるなら理解できるが、あからさまにやる気のない教室を見渡して僕は肩を落とした。
誰も自習なんてしていないからだ。
まぁ予想通りである。
この学園に普通の学園生活を求めても、無駄、というのは僕にもわかっているから。
一人暗いムードに入りつつ、教科書を開こうとしたその時である。
「和泉、ちょっといいか?」
馴れ馴れしく肩をポンと叩かれ、振り返るとそこに居たのは、昨日童貞少女と言い合いをしていた男子生徒だった。
「な、何?」
僕がそう答えると彼は微笑みながらこう答えた。
「俺、お前に自己紹介してなかったよな?俺は、春日翼(かすがつばさ)って言うんだ。」
何て名前負けしてる奴なんだ、と僕は思った。
こいつの容姿はお世辞でも、カッコイイとは言えない、不細工の部類に入るような男である。
ニキビだらけの顔、黒ずんだ肌、お洒落のカケラも感じられないスポーツ刈りの頭、小さい一重の目・・。
「ああ、春日君ね、よ、よろしく。」
「春日で良いぜ、それよりお前、部活はどこに入るか決めたのか?」
ああ、そういえばこいつは昨日もそんなコトを言っていた気がする。
とても嫌な予感がするのは、僕だけだろうか?
「いや、まだ決めてないけど、どうして?」
僕が答えると、春日は待ってましたと言わんばかりの笑顔で、僕にこう言った。
「じゃあさ、探検部に入らねーか?俺、探検部の部長なんだけどさ、今部員が俺ともう一人しか居なくて、困ってんだよ。」
た、探検部?
探検なんて言葉が高校生にもなって使われて良いのだろうか?
そもそも探検部って何だ?そんな部活、僕は今まで一度も聞いたことは無い。
「た、探検部?どんな活動をしている部活なんだ?」
「え?いや探検するんだよ、そこら中な。」
確かに探検部と言えば探検する部活なのだろう、流石にそれぐい名前から察することは容易だ。
でも普通、ドコドコを探検するとか、どんな風に探検するとか、そういった説明があるもんじゃないのか?
そう思ったが、話がこじれると困るので、僕は例によって相槌だけ打っておいた。
「そ、そうなんだ。」
「ああ、おもしろそうだろ?お前は絶対探検部に向いてるんだよ!お前みたいな奴が現れるのを、俺は待ってたんだ!」
いよいよ意味がわからない。
探検部に向いてるって何だ?そもそも僕を待ってた?頭が痛くなりそうだ。
昨日の今日で僕を待っていたとか、部活に向いているとか、本当にこいつは適当に話しているんだ、そう思った。
「悪いけど遠慮しとくよ。まだ転校したてだし、部活だって何があるのか良く知らないから・・。」
「いや、他の部活はおもしろくねえよ!そもそも人が少ないこの学園だぜ?大きい部活なんてありゃしねーって!」
誰も大きい部活に入りたい、とは一言も言っていない。
「え、いや、でも他に入りたくなる部活があるかもしれないし、ちょっと考えさせてもらっていいかな?」
「何言ってるんだよ、お前はこの学園に来ると決まった日から、探検部に入ることになってたんだよ!いいから入れよ、後悔はさせねーからよ!」
「いや・・だからちょっと考えさせてもらえないかな・・?」
「だから、後悔させないって言ってるじゃねえか?とりあえず入ってみろよ、入って楽しめなかったら、退部すりゃいいんだ。」
まとまな会話になっていない。
確かに退部はできる、でもそういう問題ではない。
僕は極力変人を避け、極力普通の人だけで構成されている、限りなく普通に近い、そんな部活にどうせなら入りたいからだ。
こんな馬鹿な奴の部活に入ってしまうと、馬鹿がうつるのも時間の問題だ、僕はそう悟っていた。
「よし、解った!じゃあ体験入部でどうだ?とりあえず俺達と一度探検をしてみようじゃないか。
そうすればきっとお前も探検の楽しさがわかるし、ずっと探検部に居たいと思えるハズだ!な?いいだろ?な?」
どうしてこんなにしつこいんだ。
よほど評判が悪くて転校生でも勧誘しなければ誰も入ってくれないのか?
そんなに僕に探検部に入って欲しいのだろうか?
理解できない・・。
とりあえず一度体験入部をして、断ることにしよう。
それならこいつも文句は無いだろう。
「わかったよ、じゃあ体験入部ね。一度だけ探検してみるよ。」
「流石だな、和泉、お前は話がわかる奴だ!じゃあ早速だけど、今日の放課後は第一回探検を行うからな!絶対来いよ!」
「ああ、良いけど探検ってどこを探検するの・・?」
僕がそう問うと、春日は窓から西の方向を指差す。
そこにはとてつもなく深い山が広がっていた。
決して人が立入る場所ではない、誰が見てもそう思うであろう場所、春日は笑顔でそこを指差していた。
「放課後あの山の入り口に集合な。もし来なかったら、俺は全身全霊の力を込めて、お前を拉致する。」
どうやら僕に選択肢は出ないらしい。
転校二日目。
火曜日、曇り。
僕は生まれて初めて本気で命に不安を感じ、これまで幸せに生きてこられたことに感謝をした。
どうか無事に自宅で夕食を迎えられますように・・。
何故か遠めから僕を見つめている童貞少女の視線に気づかないフリをし、そっと手を合わせ、神に祈った。