幸せとは簡単に壊れてしまうものである。
誰かが、そう言っていた。
彼女の名前は、神無藍(かんな あい)。
厳しくも優しい父、多くの愛情を注いでくれる母、そして我侭だが藍を誰よりも可愛がってくれる姉。
そんな絵に描いたような幸せな家庭で生まれ、育った。
父の仕事は大工だった。
決して裕福とは言えないが、ささやかな幸せがある。
専業主婦の母は我侭な姉の面倒を見つつも、いつも藍に構ってくれていた。
本当に幸せで他に何もいらない、藍はそう思っていた。
だが、幸せは簡単に壊れてしまう。
藍がそれを知ったのは、小学校三年生の時だ。
一家を乗せた車は路面バスと正面衝突。
父は即死、母と姉も病院に運ばれた後、亡くなった。
奇跡的に生き延びた藍は、母方の祖母に引き取られた。
祖母は夫を亡くしていたため、裕福とは言えない暮らしの中にあったが、他に身寄りのない藍を快く引き取ってくれた。
祖母は藍をとても可愛がり、本当の家族のように愛情を注ぎ、育ててくれた。
だが、何よりも大切だった家族を失った少女の傷は、そう簡単に癒えることはなかった。
家族を亡くしたショックから藍は誰とも話さなくなり、やがて学校へも行かず、部屋に引きこもるようになった。
そんな藍を、祖母は不憫に思ったのか、藍が小学校五年生になる年の初め。
藍は祖母からプレゼントを貰った。
藍の前に現れたのは、生まれたての子猫だった。
友達の居ない藍の話し相手になり、少しでも藍の傷が癒えてくれれば良い。
祖母の願いがこもった最初で最後のプレゼントだった。
藍は子猫に「愛」と名づけた。
藍と愛はいつも一緒に居た。
食事の時も、遊ぶ時も、眠る時も。
愛が来てから藍には次第に笑顔が戻り、傷が癒えていくと思った。
その矢先だった。
藍が中学校に上がる年。
もともと体の弱かった祖母が他界した。
祖母は亡くなる寸前、
「藍には愛が居るから、一人じゃないのよ。」
そう言い残し、祖母は眠りについた。
藍は泣いた。
中学校に上がった時には身寄りを全て無くした藍だったが、愛が居てくれたからだろう。
友達ができなくとも、どんなに寂しくても、一人じゃない。
そう自分に言い聞かせて生きてきた。
いじめられることこそ無いが、友達はできなかった。
それはやはり幼い頃、大きな心の傷を追った藍から感じられるのは、悲しみの想いだけであったのであろう。
冷たい心で自分を閉ざす藍に、誰も近寄ろうとは思わなかった。
いつも愛と二人きり。
そんな藍だが、中学校生活を終える頃には、心の傷はほとんど癒えていた。
高校生になった春、藍は異変に気付いた。
何だか最近、愛の元気が無い。
藍の脳裏に最悪の事態が過ぎる。
死んでしまうかもしれない。
愛が死んでしまえば、藍はまた一人ぼっちになってしまう。
愛が居たから、藍は生きてくることができた。
藍はただ愛だけを想い、愛を愛していた。
だがそんな藍の想いも虚しく、愛は藍を置いていってしまった。
藍は本当に一人ぼっちになったショックで、笑えなくなってしまった。
自殺も考えた。
もう生きていく自信が無い、藍はそう思っていた。
愛が死んでから三ヶ月程が経ったある夏の日。
その日はとても強い雨の日だった。
友人の居ない藍は、学校が終わるとまっすぐ家に帰り、死んだ家族と祖母、
そして愛の仏壇に手を合わせるのが日課になっていた。
この日も藍は学校の帰り、まっすぐ家に向かっていた。
そんな中、ふと藍の視界に入ったのは、雨にぬれて寒そうに震えている一匹の子猫だった。
「お前も、一人ぼっちなのね。」
藍がそう言うと、子猫は藍を悲しそうな瞳で見つめていた。
「おいで、一緒に行こう。」
藍は子猫を抱きかかえ、自分の家へと向かった。
自宅についた藍は子猫に餌を与え、体を温め、優しく愛情を注いだ。
子猫もとても藍に懐き、二人はいつも一緒に居るようになった。
藍は子猫に「哀」と名づけ、一緒に生活を始めた。
それ以降のことだろうか、藍によく野良猫が寄ってくるようになったのは。
まるで自分も一緒に居て欲しい、そう言わんばかりの子猫達。
藍はそんな子猫達一匹一匹に餌を与え、世話をし、一緒に居るようになった。
「きっと皆寂しいの。一人ぼっちにするのは、可哀想だから。」
藍は野良猫達を優しく受け入れた。
そして気付くと、藍の自宅は野良猫達の憩いの場のようになっていた。
家に居る野良猫は五十匹ぐらいだろうか?
何匹居るのかはわからない。
でも、ちゃんと皆を見れば名前がわかるし、どんな子かもわかる。
子猫達と暮らしてから、すっかり藍には笑顔が戻っていた。
そんな生活が続いたからだろうか、藍は「猫屋敷の猫少女」と呼ばれるようになっていた。
別に他人にどう思われようが良かった。
友達を作る気もないし、ただ子猫達が居てくれればそれで良かったから。
藍は周りを拒絶し、周りは藍を避けるようになっていた。
そして藍が高校二年生になり、そろそろ夏を迎えようかという季節。
藍のクラスに一人の転校生がやってきた。
彼の名は、和泉新斗。
和泉は都会から来たらしい。
そのせいだろうか?
どうもちょっと変な人に思える。
新都町の皆とは違う何かを感じた。
私達、新都町の住民が変わっている訳ではない。
和泉は私の隣の席になった。
クラスメイトの春日、桜井と仲が良いらしい。
探検部に入ったらしく、よく放課後、山や泉に散歩に行っているようである。
和泉はよく笑っている。
苦笑いは楽しいってことでいいのかな?
春日、桜井、三人でいる時の和泉は楽しそう?だった。
そんな和泉を何気なく観察するのが、藍のちょっとした日課になっていた。
猫にキャットフードをあげるような日課に。
ある日、ちょっとヤンチャな雄猫のアンダーソンと、雄猫のミカエルが、和泉の席のほうへ逃げていった。
私はとっさにアンダーソンとミカエルを追いかけた。
でも私が追いついた時には、和泉に抱かれていた。
「この猫、君のだよね?」
初めて和泉に話しかけられた。
「は、はい。」
何故だかわからないけど、上手く声がでなかった。
そもそも人とまともに会話すること自体が久しぶりなので無理も無いが。
「可愛い猫だね。はい、もう逃げないようにちゃんと見てなきゃ。」
そう言うと和泉は二匹の猫を優しく私に手渡した。
「あ、ど、どうも有難う・・。」
そう言うだけで、精一杯である。
喉が渇いて声が出ない、何だか体が熱かった。
「どういたしまして。席隣なんだし、また逃げたら捕まえるよ」
そう言い残すと、和泉は優しく微笑んで、春日と教室を後にした。
何だかよくわからないけど、私は嬉しかった。
何が嬉しいのかはわからない。
人に優しくされたから?
違う?
わからない。
とにかく、私は嬉しかった。
その次の日から、和泉は私に話してくるようになった。
「猫好きで有名なんだよね、そんなに猫が好きなの?」
「は、はい・・。」
「いつも一緒に居るよね。まぁ、猫は可愛いし。」
「ね、猫が好きなんですけか!」
猫は可愛い、という和泉の発言に興奮して私はとっさに声を張り上げた。
でも大きな声で話すことなんてないので、舌がうまく回らず、おもいっきり噛んでしまった。
情けない・・。
「はは、猫は好きだよ、見てるとほのぼのするし。」
「ほ、ほんとですかっ!?」
噛んだ私を気遣ってか、ちょっと困ったような表情で和泉はそう言った。
そりゃあ、いつも暗キャラの私がいきなり叫んで、しかもおもいっきり噛んだのだ。
苦笑いにもなって当然である。
「ほんとほんと。猫少女さんは本当に猫が好きなんだね。名前はなんていうの?」
「あ、アンダーソンとミ、ミ、ミカエルです。」
「いや、猫じゃなくて、君の。」
「・・・・・。」
どうも今日の私は調子が悪いらしい。
会話はかみ合わないし顔が火照ってるのもよくわかる。
原因は不明だけど。
「わ、私は、か、神無藍、って言います。」
「神無さんね。僕転校してきたばっかりであんまりこの学園のことわからないし、
いろいろ迷惑掛けるかもしれないけど、せっかく隣の席になったんだから。
これからよろしく。」
和泉は優しくそう微笑んだ。
「は、はい、こちらこそっ・・。」
そう答えるだけで限界だった。
帰宅すると私はシャワーを浴びながら考えていた。
その日、私はとても幸せな気持ちだった。
和泉と話した。
上手く話せなかったけど、それでも和泉は話してくれた。
これは、もしかしたら友達ってやつかもしれない。
友達が、できたかも。
「和泉君か・・・。」
私は幸せな気持ちのまま、ベッドに入り、眠りについた。
翌日。
「ハックション!」
僕はおもいっきり大きなくしゃみをした。
「ん、和泉、風邪でもひいたか?」
「いや、風邪じゃないと思うけどなぁ・・」
「んじゃ噂でもされてんじゃねえの?」
「さぁ?」
春日は思いついたように僕にいった。
「そういえばさ、お前最近猫少女と仲良いんだよな。」
「仲良いって言うほどじゃないって。席隣だし、話したりするだけ。」
変人に免疫がついたのか、猫少女、もとい神無藍と話すことに抵抗は無かった。
決して僕が変人になった訳ではない。
ここだけは譲れない。
その時。
教室のドアが開き、登校してきた猫少女、いや神無藍は僕にこう言った。
「あ、あ、お、おはよう、い、和泉君っ・・。」
「あ、ああ、おはよう・・。」
それだけ言うと彼女は席についた。
「お、やっぱり仲良いじゃねえか!」
「クラスメイトと挨拶するのぐらい別に "普通" だろ。大げさなんだよ、春日は。」
「はいはい、まぁそういうことにしといてやるよ。」
僕は今、平凡な生活を送っている。
思った以上に普通な生活が送れている。
不安を感じつつも、その平凡さに安堵していた。
でも、僕はこの先、新都学園で様々な事件に巻き込まれることになる。
予想通りの、様々な事件に・・。