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第十話「君と僕」

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 ざあざあと、雨の打つ音が響く。
「君は今、とても迷っているように見えるよ」
 修二はそう言うと、呆けたまま座る僕の横に腰かけ、そして本を読み始める。僕が読んでも多分すぐに頭が痛くなるような本だ。わけのわからない公式の並んだそれを僕はぼんやりを眺め、そしてやがけ彼にあおむけになるようにして寄りかかる。
「重いよ」
「ああ、重いね」
「僕が非力なことを知ってるだろう?」
「僕も非力だよ」
 彼は呆れたようで、溜息を吐きだすと本を巡る音を再び響かせる。
 木崎美紀が死亡したことで事態は全て白紙に戻った。被害者にあった法則性も全て消え、そして次に一体誰が殺されるのかさえ消え去った。僕が一番最後であることに変わりはないだろうが、これから殺人犯は無差別に殺害を試みていくだろう。
 ふりだしに戻った賽は一体これから何をすべきなのだろうか。
「……それは?」
「ああ、日記だよ」
 君にしては随分と可愛らしい日記だ。修二はそう言って笑う。僕はそんなことも気にせずにただひたすらにぺらり、ぺらりとページを捲っていく。
 彼女が言いたかった全てはもう見た筈だ。もうここに何かが残っている気はしない。けれども、何か動く為にできるとすればこれしかない。これに縋らざるを得ない。
 そうやってページを捲っていると、次第に僕が何をしようとしているのかという疑問が生まれてきた。死なない為か、はたまた彼女の意思を継ぐとでも考えているストーカーを正すべく行っている行動なのか。僕は答えさえもまた探さなくてはいけないような、そんな感覚を覚える。
 雨の音が、僕の耳から、視界をゆがませ、そして意識を揺さぶっていく。ぐらりぐらりとぶれる世界の中で僕はただ修二の存在だけを確かに感じながら、瞼を閉じかける。
「動くよ」
 その一言が聞こえたのは、僕がベンチから転げ落ちてからだった。
「大丈夫かい?」
「平気」
 僕は一言だけ言葉を吐き、そして手から滑り落ちた日記を手に取った。カバーが若干破けている。ああ、非常に申し訳ない事をしたと思いつつ、僕は謝罪をすべき相手がもういない事を思い出して、唇をかみしめた。
 そこで、修二はあ、と呟いて僕から日記をひったくった。
「カバーの裏、なにかあるよ」
 その言葉と共に彼は丁寧にカバーを外し、そして隠れていた表紙を僕に向けて差し出した。
――些細なものだが、君に送る。     Sachi
「サチ……?」
「君のじゃなかったんだね」
「貰いものだよ。高校の時の“友人”のね」
 そう言うと僕は修二から日記を取り返し、そして暫くその一文を見つめ続ける。機械のように丁寧なその一文は、どこかで見た覚えがあった。
「修二、ありがとう。先に進めるかもしれない」
 そう言って僕は駆けだす。後ろで修二が何か言っていた気もするが、今はこの文章を照らし合わせる必要がある。そうすることで、僕はまだ進む事ができる気がするのだ。
 このサチという人物が一体誰であるのか分からない。けれども、これは明らかにこの混沌とした世界の中の“住人”であることは間違いない。僕や宮下亜希子、三島奈々子や木崎美紀達と同じくこちらに存在している筈だ。

 自宅に辿りつき、濡れた手で玄関の戸を開ける。そして僕は仕舞ってあるあの手紙を探そうと玄関に踏み込む。
 かさり、とポストから音がした。
 そして、その白い封筒が、僕の予測を確信へと変えた。
――貴方ではなくて、私。
 機械的な文章を書く主からの新たな手紙だった。

   ―アンダンテ&スタッカート―
   ―第十話―

 何度照らし合わせても、筆跡は同じだとしか思えなかった。これだけの字を書ける人物はそういないと思う。だが、身近にいる人物にそれほど字が上手い人間はそういない。これから一人一人に字を書かせる行為もありかもしれないが、正直なところそれほどの労力を呈しても果たして効果があるかと思えば、ないだろう。
 もしこれだけの字体を持っている人物がいたとして、僕に書けと言われて素直に書くだろうか。もし書く人物だったら、こんな廻りくどいことはしない。単純に僕に言い寄ってくる筈だ。
 ならば、どう調べるべきだろうか。僕はコーラのプルを引くと思い切り喉を鳴らして飲んでいく。ごくりごくり、という音と喉を通過して行く際に感じる刺激が意識に針を刺す。混乱している場合ではないのだ。少しでも刺激をと思って飲んでみたが、意外と効果はありそうだ。
 すっきりとした意識で、次は日記の最初の日付を見てみる。
「高校入学当初、か……」
 今から約六年前にこの日記はプレゼントされていた。日記は暫くして三日坊主で終わり、そして苛めが行われ始めてから衝動を書きなぐる場所として存在していた。
 入学時にプレゼントされたものと考えると、中学時代からの知り合い、いやだとしてもその人物が今も交流があったかどうかは分からない。
 すると、入学時に彼女には恋仲がいたかもしれないという考えが浮かぶ。がしかし、だとしてもそれ以降連絡をとっていないのと、日記にその内容を記述していないところからその可能性は薄いと見ていいだろう。
「……すると、知られてはいけない人物、か?」
 秘密裏に会う事しかできない人物、それが果たして誰であるかは分からないが、それでも関係性としては間違いはないのではないだろうか。
 だがそうなると、今度は事情を知っている人物が浮かぶと同時に、“彼女”に聞く事はできないという考えも浮かんでしまう。果たしてそんな出来事に触れてしまったら、宮下亜希子の母は一体どんな反応をするだろうか。正直考えたくもなかった。
 行き止まり、か。
 ベッドに飛び込むと僕は枕をぎゅうと抱き、そして目を閉じる。暗闇が支配する空間が何故だか今の僕にはとても心地よかった。ベッドに敷かれたマットと掛け布団の感覚も、そのひやりとした感触も、全て僕を癒す為に存在しているように感じた。
 少しだけ眠ろう。
 壊れたテープのようにこんがらがった頭を捲き直すには、それしかないように思えたのだ。
ふと、死神がやってくるかもしれないと思いつつ、ここに辿りつくのならまたそれでもいいかもしれないと思う。
 目をつぶってから数分して、僕の意識は暗闇に波紋を残しながらゆっくりと沈んでいった。

   ―――――

【やあ、ようやく会話ができるよ】
 “それ”はそう言うとやけに整った顔で笑った。
「喋れたんだね」
 僕は少し驚いた顔をしてから、そのハンサムな顔をした白髪の死神を見据える。
【ようやく君の想像がその段階までいったってことさ】
 そういうと彼は大きく背伸びを行うと僕に向けてとびきりの笑顔を見せる。
「段階?」
【そうさ、段階は段階だ】
 彼はそう言うと僕を指差し、そしてふふ、と笑った。
【死に対するイメージが、君の中で次第に固まっているんだよ】
「なるほどね、僕の中で着実に死ぬ覚悟ができつつあるわけだ」
【簡単に言えば、そういうことだね】
 彼はそう言うとまあ座れよ、と濁った闇から丸い机を引っ張り出し、そしてやけにお洒落な椅子もついでに引き上げた。そのどちらも汚れ一つない白であり、僕は少しだけその白さに目がくらんだ。
【具体的に言えば、君の想像でできあがっただけで、僕には行動理念はない】
「死神という想像で生まれたのだから、君は僕の死を望んでいるんじゃないのかい?」
【基本的にはそうだけれども、結局のところ僕は君の死を望んじゃいない】
 どういうことだい、と僕は首を傾げながら椅子に腰かけた。
 彼はまた不敵に笑みを浮かべると頬杖をついて僕をじっと見つめる。
【想像でできた僕は神でもなければ、霊体ですらないのさ。所詮は追い込まれた君の心理が作りだしたただの幻想でしかない。つまり君が死ねば僕も消えてしまうのさ】
 僕が作りだした幻想が、何故僕と違った思想を持っているのだろうか。
【まあ疑問だろうね】
「驚いた、僕の考えも読めるのか?」
【僕は君だからね】
 つまりは。と彼は自らの頭を人差し指でこつこつと突く。
【結局のところ君は死に対して納得は感じていないんだよ。僕と言う存在を生み出し、まるで追いつかれたら死んでしまうかのような理由を作り出しているが、それは単なる思い込みであって、君自身の本質じゃない】
「言っていることがよくわからない」
【少なくとも、死にたい気持ちはないのさ。全てが八方ふさがりになって、投げやりになっているだけでね】
 そろそろ“キミ”は起きたがっているみたいだ。彼はそう言うと席を立ち、そして暗闇の中へと歩いていく。
【困ったらおいでよ。君とは違った“君”の意見を聞けるよ】
 そう言って彼が消えた瞬間、僕の意識もそこからふっと消失し、そして感覚も何もかもが消え去った。

   ―――――

 目が覚めて初めに思ったのは、死神の事だった。あれは、夢であったのだろうか。それとも、本当に僕自身の想像が生んだものであったのだろうか。
 だがこの状況を誰かに話したとして理解してくれるとは全く思えない。僕はベッドから起き上がるとまず時間を確認する。帰ってからぐっすり眠っていたようで、外は日が暮れようとしている時間であった。僕は空腹を覚え、とにかく何かを口にしようと思いキッチンへと向かう。
――着信音。
 充電器に挿したまま放りっぱなしであった携帯を手に取ると、その電話の主を確認する。
「彩香か」
 僕は着信ボタンを押すとスピーカを耳に充てる。
「先輩、元気ですか?」
「ああ、どうした?」
「大して用はないんですけど――」
 いつも通りのおっとりとした声質で彼女はそう言うと、僕にどうでもいい内容の会話を次から次へとたたみかけるように喋り始める。面倒なものに捕まってしまったと頭をかきつつ、僕はその会話内容に相槌を打っていく。
「――ってことなんですよ。分かりました?」
「ああ、分かった分かった」
「なんか適当ですね、反応が」
「内容が大してないからな」
 彼女と絡むとやけにペースを乱される。僕は一度大きく、彼女に聞こえるように溜息を吐きだした。
「じゃあ、どうでもよくない内容を言ってもいいんですか?」
「ああ、いいよ」
 大した事じゃないだろう。僕は軽くいなすような気持ちで彩香の言葉を待つ。

「先輩と、お付き合いしたいです」

 暫くの間、その場の空気が止まったのを感じた。いや、僕自身も止まっていたのかもしれない。


   つづく
10

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