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第十八話「リピート・アンド・フェード・アウド」

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 ベルに指を載せて、ゆっくりと押しこむ。
 じりり、と耳ざわりな音が響いた。
「どなたですか?」
「明良です」
 僕のその声で、彼女は黙った。
 インターホンごしでも分かる。彼女は今とても不機嫌になっている。
 彼女の反応を暫く待っているが、依然スピーカーから言葉が返ってくる気配はない。また出なおすべきだろうかと振り返った辺りで、扉の開く音がして再び振り返る。
「何の用よ」
 日吉飛鳥は扉から顔だけを出して僕をじっと睨んでいた。その化粧っ気のない顔と乱れた髪からして、彼女はどうやら暫く家から出ていないようだった。
「行方不明の事件、解決させたくないか?」
 その言葉で、日吉の目が変わった。
「どういう、ことよ」
「僕はこれから犯人と会いに行く。けれども、僕一人じゃいけない気がするんだ」
 扉から覗く顔はひどく困惑しているようであった。
 僕だってできるのならばこの出来事の根幹にいる人物、しかも意図して宮下亜希子を死に追いやった人物と並びたい等とは思わない。
 けれども、これは止むをえないのだ。こうでもしなければ、終わりは訪れない。この出来事を片づける為に、日吉飛鳥は必要な人物なのだ。
「関係している人物は、もう君だけだ」
 この数日間で、行方不明者は依然増え続け、事情を知っている僕から見れば、残るは僕ら二人だけ。彼女もそれをそれとなく理解していたから、今日まで引きこもっていたのだろう。
「君は、このまま外に出られないままでいいのか? いずれヤツは家でさえも関係なく君を襲ってくる。それまでの時間稼ぎをするか、それとも僕と共に犯人に会いに行って真相を知るか、どちらが良いと思う?」
「……本当に、助かるんでしょうね」
 それに関して、僕は返答をしなかった。
 日吉は暫く無言のまま僕を見つめたあと、扉を閉めた。
「今外に出る格好するから、待ってなさい」
 その言葉に僕はふう、と息を吐きだした。
 これから、僕は西田遥と会うのだ。苛めの主犯を連れて。
 ストーカー行為を行った人物、そして死の瞬間を目撃した僕、そして日吉が集まらなければ、この冷たい死の感触から逃げることは決してできない。
 携帯が鳴った。
 ディスプレイを開くと僕は暫くその画面に映る名前を見つめ、そしてボタンを押して耳にあてる。
「――やあ」
 全てつなげなくてはならない。そしてそれができるのはきっと僕だけだ。

   ―アンダンテ&スタッカート―
   ―第十八話―

 喫茶店はいつも以上に閑散としていた。僕は珈琲とチーズケーキを、日吉は紅茶とシフォンケーキをそれぞれ頼み、無表情な店員はその注文をカウンターへと持っていった。
「それで、何故貴方は犯人が分かったのかしら?」
 この喫茶店に来るまでの間ずっと黙っていた彼女が初めて口を開く。
「何故だろうね、色々とおかしな点は転がってはいたんだ」
「おかしな点?」
「まず一つ目に、本当に驚くくらいに僕らの行動が後手後手に回っていたんだ。それまで順番に行方不明となっていたのが突然ランダムになり、そうして僕にまで刃がきた」
「単純に撹乱を狙っただけのことじゃないの?」
「だろうね、多分それだけだったら何も気にせずにいられたんだ」
 目の前にケーキと珈琲が置かれた。僕はカップを手にするとゆっくりと口に運ぶ。苦味と熱い感覚が喉を通って行く。
「でも、僕を襲ったこと。それは本当にイレギュラーだったと思うんだ」
「イレギュラー?」
「僕はとある女性を振った後に襲われ、それから次に他の異性の友人と会っている時にまた襲われた。そのどちらもがもしかしたら計画じゃなくて、犯人の意思が先行して起きた出来事なんじゃないかと思ったんだ」
 日吉は頭を抱える。僕は構わずにケーキをフォークで切り分け口に運ぶ。珈琲によってかチーズの酸味とケーキの甘みがふわりと広がって行く。
「……つまり?」
「犯人はその二度に関しては、私情を挟んでしまったんじゃないかと思ったんだ」
 犯人は僕と言う存在を早めに殺害したい程に嫉妬していた。計画を早め、二度も襲うほど執拗に僕を狙った。そう思えるのは、多分僕が関係していないという考えを手にすることができたからなのだろう。
 僕は苛めには関連していない。実際それほど殺害してもしなくてもというレベルであったのではないかと考えてみたのだ。ストーカー、宮下亜希子になりたかった人物は彼女の気持ちになりきっているとすれば、まずは自分を死に追いやった人物を憎く感じる筈なのだ。執拗なまでの苛めを受けていたことを悪意に変えて、彼女となって総てを罰しようと。
 だがそれをしなかった。目の前で死を止められなかった程度の優先度の低い人物を何故ターゲットとしたのか。メインディッシュとまで考えていたであろう人物を中盤で何故殺そうと思いきったのか。
 直前で僕に対する憎しみが、感情が強くなったからなのではないだろうか。
 そうやっていくと、浮かび上がってくるのはたった一人なのだ。
 僕のこの拙い予測がはじき出すことができるのは、存在する筈のないたった一人なのだ。
「まあ、僕の予想に過ぎないんだけれどね」
 パン屑の残った更にフォークを置き、飲み終えたカップを戻す。やはり日吉は理解できないという表情で暫く唸っていたが、少しして目をつぶり、一度だけ頷いた。
「まあ、いいわ。それで私が死ななくて済むのなら」
「そうなるといいね」
 日吉の意地の悪い笑みを見て、やっぱり僕は彼女のことが嫌いだと再確認できた。
「それじゃあ、そろそろ行こうか」
「どこへ?」
「宮下亜希子が死んだ場所に」

   ―――――

 陽は落ちて人気は全くない。こういう状況で見る校舎というのは何故こうもおどろおどろしく見えてしまうのだろうか。窓から漏れる非常灯の赤いランプが暗がりで滲むように光り、それがまた気味の悪さを助長している。本来助けを呼ぶ為にあるこの光も、今では人の恐怖心を貪る怪物であった。
「随分と、暗いわね。こんな時間に来るって死にに行くようなものじゃないのかしら?」
「君が犯人だったとして、白昼堂々と人ごみのあふれる中に現れようとするかい?」
 日吉は首を振る。
「それで、何故ここに来たのかしら?」
「全てを終わらせるなら、うってつけの舞台かなと思ってね」
 彼女は冗談のように受け取ったようであったが、僕は本当にそう思っていた。もし犯人の行動に終止符を打つとしたならば、亜希子が死んでしまったここで終わらせることを願うだろう。いや、それよりも元々ここから全ては始まったのだから、ここで終わらせるべきだ。大した理由はないが、そう僕は確信していた。
「ここから、宮下亜希子は飛び降りたんだ」
 目的の廊下に到着すると、僕は宮下亜希子の乗り出していた窓を開ける。からり、となんの造作もなく窓は開いた。あの時と全く同じその音を聞いて、もしかしてこの校舎はあの時から時間を止めてしまったのではないか、なんて馬鹿なことを脳裏で呟いてみる。
「そう」
 日吉は色のない声でただその二文字を吐きだした。
「君は、彼女が死んだことに関して何も思わないのかい?」
「別に、日常のよくある風景だったじゃない。たった一人を敵として見ることによって周囲が団結することなんて。元々誰かとそれほど深く絡む子でもなかったからかばう人だっていなかったし、全てにおいて好都合だったのよ」
 日吉はさっしに寄り掛かると、外の景色を眺める。
「もしかしたら仲間外れにされない為に必死になっている横で、誰ひとり深い友人を作らずとも平凡に日常を過ごせている。そんな彼女が見ていて少しいらついたのかもしれないわね」
 窓から入ってくる夜風が心地よかった。けれども、彼女の言葉はどれだけ経っても心地よさに変わる気配はないし、むしろ若干の怒りとして僕の感情に注ぎ込まれている。
「それで、死ぬことまで予想していたの?」
 首を振る。
「なにをしても、普段と変わらないのよ、彼女。だからそこまで思いつめているとは思わなかったし、死んでからも特に何かを思うことはなかった」
 そうか、と呟くと日吉は付け足すようにそれと、と口を再び開く。
「彼女の逆恨みで勝手に殺されるのだけは、ごめんよ」
「そうか……」
 彼女の本心を聞いて僕は穏やかな気持ちになれた。少なくとも、彼女は助けなくても良いという判断が僕の中で生まれたことによるものだろう。これから起こる出来事の成り行きの中で、僕は絶対に日吉飛鳥を助けることはない。
 友人を殺されたことに変わりはない。人を殺すほどの覚悟なんてものはないし、あったとしてもこんな人物に向けて僕が使うことはない。僕がするのはきっと、見殺しなのだろう。
 ふと、視線を感じて後方を向く。
「よく来たね」
 その言葉に日吉もそちらを見た。そうして、彼女の顔色は一瞬にして真っ青に落ちていった。
 やはり来た。
フードを深く被り、ナイフを手にしたそれは、紛れもなく先日僕を襲った“あいつ”であった。
「どうするのよ……」
「逃げるよ」
 そう言うと僕は日吉の手をとって走り出す。行先ははっきりと決まっている。きっとあいつも僕についてくるだろう。なにせ、その為に彼女の手を握っているようなものなのだから。
 窓から差し込む光でナイフは鈍く輝く。それが血に飢えているように見えるのは気のせいであろうか。目の前に喰らうことのできる二人がいるとして、ナイフはどれだけ空腹に耐えることができるのだろうか。

 暫く走り続け、僕らは屋上の扉の前へとやってきた。その扉を思い切り開けると外へと飛び出た。地上よりも多少の高度があるからか、風が中々に強く吹いている。乱れまくる髪を手で何度も直しつつ、僕と日吉は屋上の鉄柵の隅で犯人が入ってくるのをただ待ち続ける。
「何故、わざわざ逃げにくいところに来たのよ……」
「いいんだよ。逃げるつもりは毛頭ないんだ」
 不可思議そうにする日吉をちらりと見てから僕は微笑んだ。そう、僕はあいつと相対するためにここに来たのだ。逃げるつもりもなければ、通報するつもりもない。本当に僕は全てを繋ぎ合わせる為に、ここに来たのだ。
 ぎいいと錆びた音を響かせて扉がゆっくりと開く。錆びた音の不快感に顔をしかめながらも、僕はその扉から視線をけして外さず見つめ続ける。
 扉から、顔を隠し、ナイフをその手に持ったそれがぬるりと姿を現した。
 奴は僕らを確認すると、ゆっくりと歩み寄ってくる。鈍い色を放つそれからは圧倒的な殺意が感じられるし、このままならきっと僕らは無残にも切り裂かれて、殺されてしまうだろう。亜希子の死に場所というのも、もしかしたら都合が良いと考えているのかもしれない。
「久しぶり」
 だから、僕は先手を打つことにした。勿論死なない為に、僕自身の目でこの出来事を終わらせるため、そして亜希子という存在から僕自身が離れる為に。
「ユキヒト、雪咲。扉を閉めてくれ」
 僕の言葉を聞いて、あいつは自らの入ってきた扉の方を確認した。
 錆びた金属の擦れ合う音と共に、扉はその入り口を閉じ、そして扉を閉めた人物、ユキヒトと雪咲がこちらをじっと見つめていた。
「まさか本当に現れるとはね。驚いたわ」
「こいつが、全部の事を起こした……。明良を殺害しようとした人物なのか?」
 僕は頷く。というよりも、この場で圧倒的な殺意を向けているそれを犯人と思わないことなんてできるわけがない。
「ターゲットが僕ら二人になったからこそできたことだよ」
 僕ら四人に囲まれたことであいつは戸惑いでも覚えるのではと思っていたのだが、随分と落ちついていた。そればかりか、ナイフを下ろし、僕ら四人を見回してから肩をすくめる。
「なんだ、ここで終わり、か」
 聞き覚えのある声が聞こえた。それでやっと僕は一つの予測を確信に変えることができた。
「やっぱり、僕を襲ったのも、ストーカーも、苛めた人物を殺して回ったのも気味だったんだね」
「大正解だよ」
 そういうとあいつはフードを脱ぎ、身体の中に詰め込まれていた物を全て放り捨てた。
 見覚えのある顔は僕を見るとふっと笑みをこぼす。
「久しぶりだね、彩香」
 その言葉を聞いて、彼女は嬉しそうに身体を揺らした。
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