02
踏切までの一本道を歩きながら、赤田はポケットから端末を取り出す。そこには確かに、さっきカメラに収めた雑誌が写っていた。
「……まさか本当に、この中に取り込んだっていうのか?」
彼は一〇〇年ほど後の時代からやってきたネコ型ロボットのポケットから出てきそうな道具を連想する。そういえばそんなカメラがあったかもしれない、と思った。けれどもそんなのは少し不思議なセカイの中の話であって、現実にはありえないことは重々承知なのである。それでも彼は、端末の画面を少しいじくり続けた。なんだか何かが起きそうで、興味津々津々浦々である。ぽこぽこ画面を押していると、噴出しがぴょこっと飛び出した。そこには『取り出す』と書いてある。
「いよいよ怪しくなってきたな」
彼はためらいもせずにその噴出しを指でさすった。するとどうだろう、ぽんと音がして画面の中の雑誌が飛び出してきたではないか。彼は地面に落ちた雑誌を拾い上げて、パラパラとめくって中身を確認する。間違いない、間違いなくそれはさっき手にした雑誌だ。グラビアアイドルもちゃんといる。
「完全犯罪達成だな。これは」
だか過失だ。と付け加えて彼は雑誌を読みながら歩き始めた。どうやらなんだか凄いものを手に入れたみたいだが、まずはグラビアアイドルだ。彼は黙々と肢体を舐め回した。あまりに集中していたので、気づけば踏切の前で立ち止まっていた。別に遮断機も降りていないのに、彼は踏切の前で立ち止まっている。なんだか少し滑稽だったが、これはこれで安全装置が働いたと考えれば損した気分にはならなかった。自分はまだまだ若い。焦ってもしょうがないのだ。彼はそう解釈して、足を前に出そうとしたが、同時にカンカンとベルが鳴り始めた。これは流石にタイミングが悪い。彼はそう思って顔を上げて、段々と降りてくる遮断機を睨みつけた。いや、睨みつけても意味が無いことが分かっているのだが、せめてもの抵抗である―――と、向かい側の踏切に目が行った。
(……なんだか暗いオーラがプンプンするな)
彼の向かい側で踏切を待っている女の子から、なんだか変な雰囲気を感じ取るのである。別に赤田は超能力使いや超人類でも何でもないが、なんというか、日本人の趣の範囲内でそれを感じ取ったのだ。ついでに思い出した。あぁ、日本というのは自殺大国だと。これでは趣もあはれもあったものではない。そして、遮断機が完全に降りてから、それは雰囲気から確信へと変わる。
(遮断機の内側にさり気なく入っちゃってるよ……)
あまりにも自然なので、一瞬見ただけでは分からないかもしれなかったが、今の彼には分かった。そう、女の子は遮断機の内側にいる。こちらから見て、彼女の後ろに遮断機がある。右手に電車が見え始めた。なんとも間の悪いことに、あちら側には彼女以外に人はいない。のら猫が端の方でごろにゃんしていたが、彼女の立ち位置に関して気に止めている様子はなかった。
「おーい、危ないですよ~!」
彼は叫んだ。だが、彼女は動かない。今度は雑誌を丸めてメガホンみたいにして叫んでみる。それでも動かない。いよいよ電車が近づいてきた。それにあわせて彼女が二、三歩歩みを進めたのが見えた。まずい。これは本当にまずい。いよいよまずい。彼は足に力を入れてみたが、今から行ったら自分も巻き添えになるのは明白だ。
「ええい、ままよ」
赤田は端末を取り出し、カメラを起動した。すぐさま被写体を向こう側の彼女に合わせる。もう時間が無い。電車はすぐ目前に迫っている。彼は迷わずスイッチを押した。カシャッと音がする。次の瞬間、ゴーッと音がして、目の前を凄いスピードで電車が駆け抜けてゆく。どうやらブレーキも何もかけられていないようだ。おそらく誰も緊急停止スイッチを押さなかったのだろう。無理もない。彼女はさり気なさ過ぎた。とりあえず、ダイヤの乱れは回避できたようだ。もちろん、彼女の死体や肉片が転がっていなければの話だが。
「撮れてるかな……?」
彼は画面を確認する。するとそこには、彼女が写っていた。どうやら上手く撮れたようである。彼は確認のために画面の中の彼女を撫でてみることにした。すると、彼女が動いた。
「きゃっ」
びっくりである。なんと、本当に彼女はこの、この端末の中に入っているのだ。一安心と行きたいところだが、やはり驚いてしまう。
「うわっ、ごめん」
赤田は反射的に謝る。なんだかセクシャルハラスメントをしてしまった気分である。
「えっ、あれっ………あれっ、ここどこ? 天国? それとも……地獄?」
つぶやきながら、彼女はオロオロと画面の中を歩き回る。こちら側が見えていないのか、気が動転しているのか、その両方か。それは分からないが、少なくともそこは天国でも地獄でもない。といって、どこなんだと聞かれたら、端末内と答えるしかないだろう。なんだかとてもサイバーだ。赤田はトロンを思い出した。しばらくオロオロしていた彼女は、ぺたりと座り込んでしまった。そして、泣き始める。両手を顔に当てて、ひっくひっくと嗚咽を上げて、まるで絵に書いたような女の子泣きを、彼は少し眺めていた。
「お母さん……お父さん……どこにいるの? 迎に来て……」
そう言いながら、彼女は泣き続ける。なんだかとても、重い過去を背負っているようだった。平々凡々な生活をたしなんできた赤田には、その気持はドラマの主人公への感情移入程度にしか理解出来そうにもなかったが、それでも助けたいとは思うのである。
「とにかく、このままじゃらちが明かないよな……」
彼は再び女の子を指で撫でた。冷えたタッチスクリーンの感触しか分からないけれども、なんだか暖かい気がした。すると先程の雑誌同様に、『取り出す』と書かれた噴出しが飛び出してくる。彼は迷わずそれを押した。
「……あれ?」
押した。
「あれ、押したよな?」
押した。
「おーい、反応してくれ~」
押した。
「おいおい、壊れたのか?」
無反応の画面を、彼はしばらく眺める。まさか、このまま彼女はこの中で暮らし続けるとか、そういうオチなのだろうか? と、その時、どんっと音がした。
「痛いっ!」
画面の中の女の子は消えていた。赤田が端末を視界からどけると、その先には尻餅をついた女の子がいた。どうやら壊れていたわけではないらしい。
(読み込み時間だったのか……? まぁ、さっきのは雑誌でこれは人間だからなぁ……情報量が多かったのかも)
「あの……」
画面とにらめっこをしていたら、彼女が横からのぞきこんできた。
「ここって天国ですか? それとも地獄?」
先程まで泣いていたからだろうか、少し弱々しい声でそう言われて赤田はドキリとした。意外なほどに可愛いのである。なんだか人形みたいな顔をしている。
「えっと……どっちでもないです」
そう言いながら、彼は彼女から一歩離れた。あまりにも近すぎたので、安全地帯への退避が望ましい。先程まで眺めていたグラビアアイドルの肢体が頭の中に蘇る。煩悩とは恐ろしいものだった。
「どっちでもない……? って、ここってさっきの踏切ですね」
彼女はあたりをくるくると見回しながら、首をかしげてみせた。端末内なら頭の上にクエスチョンマークが浮かんでいてもおかしくなさそうな感じである。
「そうですね。踏切です。えっと……その、あなたが電車にはねられそうだったので助けました」
彼はどのように説明したものかと悩んだ挙句、素直に言った方がいいだろうと決心した。まぁ実際は、助けたというよりは、カメラに収めただけなのだが。
「えっ、助けてくれたんですか? ……でもどうやって?」
再び首を傾げて、彼女は言い寄ってくる。まぁ、予想出来たことだった。
「えっと、後ろからあなたの手を引いて……なんか気絶してたみたいですよ」
まさかカメラに収めて助け出したなんていうこともできないので、彼はありがち戦法で無難に説明した。それにしても、この子は自殺をしようとしていたのではないのか。赤田はそこが気になっていた。
「それより、なんで電車に飛び込もうとしたんですか? 危ないですよ」
危ないどころでは済まない。下手したら目の前で未曽有の肉片酒池肉林が拝めた可能性があったのだ。恐ろしいことである。
「………」
赤田の言葉を聞いて、彼女は少し押し黙った。やはり、何かあったのだろうか。彼は彼女が先程画面内でつぶやいていた言葉を反芻する。恐らくは、なんらかの理由で両親がお亡くなりになっている可能性が高そうである。
「お父さんとお母さんが……死んでしまったんです」
「それはまた、どうして」
分かっていることに驚いていてもしょうがないので、彼は理由を聞いた。
「昨日、私が学校から帰ってきたら――――二人で首を吊っていました」
言って、彼女は顔を手で覆う。
「私、どうしたらいいか分からなくて……!」
そのまま黙ってしまう。それにしても、と赤田は思う。先程のおっちゃんの言葉ではないが、いよいよ日本も本格派な不景気に突入したというところなのだろうか。やはり自殺大国は伊達じゃない。それにしても、さきに二人して死んでしまう無責任な親に対しても、こうしてちゃんと敬った態度を見せているところに、彼は彼女が真摯な心持ちであるのだろうと見当をつけたのであった。
「とりあえずもうすぐ日も暮れるし、外は寒いから、あそこのファミレス入りません?」
すでにダークトーンに染まりつつある景色のある一点を指さしながら、赤田は言う。その先には、ありがちなファミレスチェーン店があった。
「………」
黙って頷く彼女の肩を抱いて、彼はファミレスに向かって歩き始めた。なんだかエスコートしている気分である。まぁエスコートという言葉の意味すら彼の中では定かではなかったのだが。