05
ファミレスから出ると、あたりはもう完全に日が落ちていた。このファミレスから赤田の家までは2分かからずに着くので、彼はとりあえずそこまで月村を案内することにした。曇ひとつない月明かりが爛々と輝く空は、彼女の重過ぎる運命と対照的だった。それは彼女にも分かったのだろう。先程からずっと、顔を地面に15度ほど傾けている。しかも一言もしゃべってくれないので、赤田は不安になった。ファミレス内ではあれだけ喋ったのに、ここにきてみてこれでは困る。彼は歩きながらいろいろ考えた。何だろう、何がいけないのだろう。やはり僕は臭かったか。いや、昨日はちゃんと風呂に入った。学校にも一応毎日言ってるからヒッキーでも根暗でもなんでもない。じゃぁなんだ、やっぱり僕は年齢=彼女を作る努力をしなかった歴の人間なのだろうか。と、どんどんとことん突き詰めていったら止まらなくなって、いつのまにやら彼まで顔を地面に傾け始めた。それからしばらくして、家に一番近い交差点で信号待ちをしていると、突然ぐぅと音がした。
「あっ、ゴメンナサイ」
声の主は月村だった。彼女はそう言って、お腹のあたりをさすっていた。なるほど赤田は手のひらをポンと叩いた。納得した。そうか、彼女はお腹が減って力がでない。そういうことだったのか。
(なんということだ。僕はそんな単純なことにまで気が回らなくなっていたのか)
腹が減っては戦はできぬ、武士は食わねど高楊枝、いやこれは違うか。とにかく、彼はお腹のあたりをさすり続ける、可愛らしい彼女に言った。
「あ、月村さん。さっきのドリア、食べます?」
彼はポケットから端末を取り出して、画面に映る先程のドリアを見せた。
「えっ………」
彼女は言葉に詰まった。だが、その視線は画面に釘付け。じ――――っという擬音が盛大に聞こえてくるようだった。だが、彼女は交差点の向こうを振り向いて言う。
「赤田君の家までって、もうすぐそこですよね? 大丈夫です、とりあえず家に帰りましょう」
そう言って、彼女はニッコリと笑う。驚いた、先程までのあの、哀愁ただよう彼女はどこへ行ってしまったのだろうか。赤田は少し驚いた。これも女の持つ強さなのだろうか。流石、人間一人を生み出す生命力はケタが違う。スカウターも壊れてしまいそうだった。
「そうですか。もうすぐですから、頑張ってください」
赤田は信号が青になると、こっちですと、自然な早歩きで家に向かう。家にはすぐ着いた。典型的な一戸建て。可もなく不可もなく、日常生活を送るのには大して不便も感じない家だった。この家で生まれて生活してきたわけだが、特に思い入れがあると言うわけでもなかった。彼は家の明かりがついていることを確認すると、近くの外灯の側まで歩いていく。
「月村さん、いきなり正面から突入するのは、ちょっとキツイのです。どうか、ここでカメラに収められてもらえると助かるんですけど」
そう言いながら、彼は端末を取り出す。月村は外灯の明かりの元に踊り出て行った。
「大丈夫です。どうぞ、収めてください」
その言葉を聞いて、赤田はカメラを構えた。外灯の明かりがまるでスポットライトのようで、彼は人形劇でも見ている気分になった。そんな気分を3秒ほど味わってから、彼は無言でスイッチを押し、彼女をカメラに収めた。画面を確認すると、たしかに彼女はそこにいる。
「よし、それでは突入するか」
彼は意味がないのは分かっていながらも、そっと家の鍵を取り出し、なるたけそっと鍵を回して、そっと玄関の扉を開けた。
「よぉ、兄ちゃん。今日もエロ本立ち読み三昧か。精が出るねぇ」
中学生の妹が、腕を組んで立っていた。
「よぉまりん。KYGの二つ名は伊達じゃないな」
やはり、意味はなかった。ちなみにKYGとは『空気読めないガール』の略称である。最近はこの二人の間でしか使われていないので、マイナーな方言よりも数倍絶滅寸前な言葉であった。赤田は軽く舌打ちをして、まりんと呼んだ妹を、右手で握った雑誌で軽くつつく。
「お兄さまのお帰りだぞ。おかえりなさいの一言があってもいいだろう」
別に、本気でそんな言葉を求めているわけではないけれど、彼は普段の妹の態度に手を焼いていた。まったく、中学生になってからは本当に可愛く無くなった。彼はシスコンでは無かったから、どうでもいいのだけれど、なんだ寂しかったのである。人肌恋しいとはこのことかと、彼は思った。またあの頃のようにぺたぺたと妹の顔を叩いてみたいという気持ちは、やはり捨てがたいのである。
「ただいまも言えない常識はずれのお兄様に掛ける言葉など、この世のどこに存在するのでしょう? いや、きっとないのでしょう」
彼女はそう言いながら、ダイニングの方へ消えていった。よし、このまま二階へ行こうと赤田は靴を脱ぎ、そのままドタドタを駆け登った。自分の部屋には難なく着いた。隠し事をしているからなのだろうか、なんだか妙に焦って息苦しくなる。体は正直か。なるほど、と彼はそれを今ここで実感した。
「はぁ……はぁ……そうだ、月村さん」
部屋のドアをバタンと閉めて、彼は端末を取り出した。画面の中の月村を指でさすり、噴出しを指で押す。すると、間を置くこともなく、すぐさまドンと音が聞こえた。
「あいたっ」
可愛らしい声は、間違いなく月村のものだ。なんだ、と赤田は首を傾げる。一度この中に取り込んで取り出せば、二回目以降は読み込みなしなのだろうか。それはそれで便利でいいや。と彼は気にもとめなかった。
「大丈夫ですか、立てますか」
尻餅を着いた状態の彼女を見て、せめて布団の上で出してあげた方が良かったか、と彼は思う。けれども勘違いされるのが怖いので、これしかないなと確信した。まずはドリアを食べさせなければいけないだろうと彼女の顔を見たら、口に何かついていた。それは少し赤かった。
「……ドリア、食べたんですね」
「ごめんなさい、我慢できなくって」
彼女は両手を合わせて体を少し傾けた。なんだか少し卑屈だ、いい意味で卑屈だ、と赤田は思った。
「あやまることじゃないでしょう。それよりも驚きました、食べれちゃうんですね」
「えぇ、不思議ですよね」
彼女はそう言って、伸びをした。やっぱり疲れているのだろうか。赤田は気を使うことにした。
「大丈夫ですか? そういえば、制服のままですけど、着替とかは――――」
「あ、大丈夫です。少しぐらいなら耐えられます」
遮られて言われた言葉に、彼は疑問を持った。おそらく全然大丈夫じゃないのだろう。彼は妹から借りてみようと画策した。
「妹のパジャマを借りてきますよ」
「ええっ、そんな。別にいいのに。悪いですよ」
お気になさらず、と、彼はドアノブに手をかけた。本当はお風呂にも入った方がいいのだろうけど、それはリスクが高すぎたのである。
「あ、妹さんてどんな方なんですか。会ってみたいです」
赤田はこれまでになく勢い良く振り向いた。ななな、なんてことを言うんですかと、声を荒げる。
「まりんはこういう男女のなんやらかんやらにとってもうるさい妹です。バレたら一番まずい人間だ」
「えっ、まりん?」
まりんという言葉を聞いて、彼女は首をかしげた。そして、まりんてまりんちゃんですよね、と、聞き返してくる。
「えぇ、今年中学生になった、生意気な一人妹ですけど」
「えっ、てことは中学一年生ですか」
もちろんです、と彼が言うが早いか、彼女は部屋から飛び出していった。なんだ、なんだというのだ。彼は突き飛ばされるがままに部屋の隅に転がっていくだけで、何もできなかった。
06
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