1.5。
こう書くと大した数字でないように見える。
けど、1500と書いたらどうか。
これはなかなか大きい数字だとみんなが思うだろう。
つまり、現実から目を背けるわけには行かないってことだ戸田友里音!
「うっわー……マジで……」
思わずもう一度確かめてみるけど、やっぱり数字は変わっていない。
1500g。
これが、あたしについた肉の量だ。
自慢だが、あたしの彼である荻窪 京はイケメン眼鏡である。
加えて背も高いし頭だってあたしよりいい。あ、あといい声その他もろもろ。美点尽くし。
一応言っておくけどあたしだって学年上位4分の1程度ではあるし、この学校のレベルだって平均よりそこそこ上だ。
付き合ってから最初の2回ぐらいはテストでどっちが上か賭けてみたけど惨敗だった。
ちなみに3回目で「あたしが勝ったらキスして」「……俺が勝ったら?」「キスしたげる!」「落ち着けおかしい」というやり取りの結果賭けは廃止されてしまった。もったいない。
ファーストキスまではそれからもうちょっとだけ時間を要することとうふふへへ。
でももし強いて欠点を上げるとすれば……髪の毛のクセ? けどそれもひとつのチャームポイントとして全然いけるしなー。
あ、そうだテニス部に所属しててあんまり一緒に帰る機会がない。これかな。まあそれ以外はパーフェクト。
こんなハイスペックな人間があたしの彼氏でいること自体が類稀なる幸運としか言いようがない。
だからあたしも釣りあうだけの女子でありたいと日々努力を続けてい、ないわ全く……。
まあとにかく、減量に取り組まねばならないことだけは確かなのだ。
何が恐ろしいって、昨日どこについたのかとお腹をむにむにし続けていた感触と朝ブラに胸を押し込む時に触った胸の感触が同じだった。
つまり胸と同等の肉がついてるってことなのか。でもまあなんというかそこまでふくよかではないのでまだ焦る必要はないかもしれない。
いや駄目だ。これはこのままずるずる行くパターンだ。
よし今日から腹筋しよう。
決意を決めて、あたしは彼のいるクラスへ入っていった。
始業まであと20分ほどある朝の教室にいるのは10人ほど。
3人は机に伏せっているとはいえ、理系のクラスだけあって女子はひとりもいない。最初は入るのをちょっとためらったけどもう慣れた。
残りの起きている人の中で、教卓周りでだべっているグループにも窓際でPSPをいじっているグループにも混じらずに一匹狼を貫いているのが彼だ。
実はあたしが来るようになってから、朝だけ教卓周りのグループに爪弾きされてるらしいけど。
「おはよー」
爪弾きグループの微かな「あぁまたか……」みたいな視線を浴びながら声をかけると、彼はイヤホンを外して「あぁ、おはよう」と応じてくれる。
「ジョジョ持ってきたよー」
「お、机置いといて」
そう言って彼は席を立つと、ロッカーに置いてあるらしい続きを取りに行ってくれる。
あたしも鞄から中身のぎっちり詰まったパン屋の紙袋を取り出して、おおよそ女子高生の鞄の中にあっていいものじゃない濃い表紙の漫画をの上に置いておく。
これからまたクラスの人に貸すらしいから、あたしは毎回この袋に次の5冊を詰めて持って帰ることになる。
最近本の角が当たる部分擦り切れてきたけど彼から渡されたものなので限界まで使い倒そうと思う。
「ほら次の5冊」
「ありがとー」
袋の中に新たなジョジョを補充して鞄にしまいこんで、机の上のジョジョを隅に寄せて鞄を置く。
「今回で3部終わっから楽しみにしてろよ」
「ザ・ワールド出るんでしょ? 超楽しみなんだけど」
「もうね、ザ・ワールドはやばい。名勝負すぎる」
そういう彼の笑顔はとっても眩しい。この笑顔の源泉が知りたくてジョジョ借りたけど最近それ抜きでハマりつつある。
「また名言ばっか出るの?」
「ああもうね、ネタバレだけど言っちゃうと『てめーは俺を怒らせた』がやばい超かっこいい」
更に眩しくなる彼の笑顔。眼鏡の奥の瞳が普段あたしといるときよりはるかに輝いている。複雑な心境だけどまあ見れたのでよし。
よしじゃああたしもなんかネタに走ってみよう。
「ねー」
「ん」
「また今度ズキュゥゥゥゥンすんぞー」
言った途端に思いっきりむせる彼。どうした、キスするぞ宣言がそんなに衝撃的か。もーオクテなんだから。
「ちょ、バッ! お前何を!」
「えーいいじゃんどうせ分かんないんだし」
「よくねーよ!」
叫ぶといきなり音量を落として、
「小口、えっとあのでかい眼鏡かけてるやつな」
「うん」
「あいつもジョジョ読んでる」
……え?
ちらっとそっちを見てみる。
凄い顔でその小口君がこっちをガン見していた。
あたしが振り向くや否や凄い勢いで首ごと目を逸らしたけど、一瞬だけ見えた。
よし。
「じゃあたしそろそろ教室戻るから」
鞄を持ち上げて、
「いやいやいやいや」
逃げ出す前にがっちり腕を掴まれた。
「いや後で! 後でやろうこういう腕組むみたいなのは!」
「待って! 1人にしないで! 釈明して!」
逃げようとするけど、帰宅部女子とテニス部男子ではパワーが違いすぎる。
「あー、気にしなくていいから」
教卓のほうから明らかに気を使った声が飛んでくる。
「ほっら小口超気にしてるじゃんどうしてくれんのこれ!」
「知らない! あたしは知らない!」
「それだけはないだろ!?」
全力で振りほどこうとするけど、彼も割と本気で掴みにきている。
不本意だけど今だけは彼と触れ合っているこの状況が憎い!
「廊下でやれよバカップル……」
小口君が小さく漏らす。
「違う! 違うのこれはあのね、もうとにかく俺の話を聞いて!」
それに対応するため、彼が後ろを向いた。少し手の力が緩む。
逃げるなら今だっ!
日々チャリ通で鍛えた成果を今こそ見せるとき! 全体重を前にかける! ついててよかった1500g! いやそれは嘘だ!
「いやだからそういうんじゃなくて、とにかく、え、うぉわっ!」
あたしの全力に屈したか、彼がバランスを崩した。一瞬手の力が緩んだ隙を突いて、腕を、抜く!
「ちょ、ま、」
「ごめん!」
彼が辛うじてワイシャツを掴んでくるけど、それを勢いよく振り払って教室から逃げ去る。
廊下を歩いてた人に変な目で見られたけどちょっと今はそれを気にするどころではなかった。
その後、『どうなりましたか……』とメールを送ってみたら2時間目の休み時間に『どうにかしてくれ』とだけ返ってきた。
具体的なことは分からないけどとりあえず深刻な事態ということだけはひしひしと伝わってくる文面でどう返信したらいいやら困った。
流石にこれは申し訳ないと思ったので、謝ろうと『待ってる』とメールを入れて近所のマックで彼を待つこと2時間。
外がだいぶ暗くなり、コーヒーのおかわりを3杯ほど飲み干したところで(ジャンクフードは今のあたしが摂っていい食物じゃない)彼は現れた。
扉を開けてあたしを探す彼に手を振って、
「ほんとにすいませんでした」
席に鞄を置く彼に向けてまずは頭を下げる。
「ん、あー、もういいから」
ひらひらと手を振る。きゃー優しい。
「まあとりあえず奢り?」
「それはいただく」
財布から千円札を取り出して彼にパス。
「何でも好きなものを買ってらっしゃい」
「じゃあきっちり1000円買ってきてやろうか」
「いやそれは勘弁してください」
今月厳しいんです。いやまあ正確には今月「も」だけど。
あと、あたしの前にあんまり食物を置かれると誘惑が。
「あー冗談冗談。じゃ買ってくっから」
「待ってー。あたしもコーヒーのおかわり貰いにいく」
ということで二人してレジで頼んで、あたしはコーヒーを持ったまま彼の頼んだビッグマックセットが来るのを待つ。
「で、どうなったん?」
「まあいろいろあったんだけど、とりあえずクラスでの俺の立場が――あ、あざっす」
そこでビッグマックセットが来たので席へ戻って話の続き。
「クラス内での立場が?」
彼はソースが垂れかけているビッグマックを頑張って一口かじると、
「『彼女持ち。死ねばいいのに』から『大人の階段を上った。死ね』になった」
「え、ちょまだ上ってないよシンデレラだよ!」
そして幸せを運んできてくれるのはもちろん彼だ!
「駄目だ。女っ気不足の理系には童貞をこじらせた奴らが多数いる」
つまりキスでも十分すぎるほど大人の階段だと。どうしてそうなった。
「具体的な被害は?」
「話し相手がいなくなった」
「それいじめじゃん……」
「まあ元々あんまりいなかったから問題ない」
「じゃああたしとお話しましょう」
「ぐふっ」
あ、むせた。
「っぐ、なぜ更に悪くするような行動を!?」
「電話がいい? 直がいい?」
「いや俺の話を聞いて」
あ、すっげーショボンってなった。写メりたいわー。
「どうせお昼も1人なんでしょ。よし一緒に食べよう」
「そこは間違ってないけどまずは俺の話を」
「食べよう」
最近気付いたが彼はゴリ押しに弱い。のでガシガシ押していけば大体最後にはあたしの思い通りになる。
「ちょ、だが断る」
「許可しない」
あ、ええーっ!? みたいな顔になった。どうしようこれ本気で携帯取り出しとくべきかな。
だが断るは伝家の宝刀らしいがあたしには通じない。これもジョジョネタらしいけどまだそこ読んでないし。
「まああたしの教室で食べれば気にならないよね。ということで明日からいらっしゃい」
「すいませんほんと勘弁してください」
「そういうことで」
はいこの話題終了。これより彼の喜ぶジョジョの話題に移行します。
「いやだって待って滝澤とか夕月とかテニス部バリバリいるじゃん」
「そうそうザ・ワールド超凄かったわー」
「あ、でしょ? ――じゃなくてね、ちょっと戸田さん話聞いて?」
困り顔の彼にもまたなんともいえない魅力があってよろしい。ので彼の話はスルー。
「あとヴァニラ・アイスもやばかった。イギーかっこよすぎ」
「うん確かにかっこいいけどさ、今そういう話してたっけ?」
「してたでしょ?」
今までの話はあたかもなかったような顔であたしは返す。
けど明日彼が来なかったら電話の1本もかけることは辞さない。
正直半分引かれるレベルでのろけてあるクラスの友達に今更気兼ねすることはないし、夢のらぶらぶたーいむ。
さああたしの掌の上で踊るがいい!
それからなんだかんだで1時間近くだべって帰還して、いよいよ現実に目を向けて。
とりあえず腹筋50回くらいから始めようかな、と思った。
もちろん夕飯は控えめ、間食も片っ端からカット済みとはいえそれだけで痩せるなら誰も苦労はしないんじゃー。
見よこの全身のそぎ落としたい肉! 二の腕ぷーにぷに! ぷーにぷに!
うん、後で余裕があったら腕立てもだな。
これでも中学時代は弱小卓球部に所属していたのだ。確か部全体でも地区大会2回戦が最高成績だったと思う。
……なんかできない気がしてきた。
いや落ち着け、あたしはできる子だ。多分中学生時代は普通にやれてたはずだ。そもそも授業でもいくらかやってるはずだ。
今更ながら帰宅部に堕ちなければよかったかなとも思う。何kg増えたかとか考えたくない。少なくとも1.5kgは確実。
よし、現実逃避やめよう。
着替えてジャージだし、髪まとめてからベッドの下に足を差し込む。
頭の後ろに手を回してそのままごろごろ、したいけど我慢してお腹に力を篭める。
「いーち、」
あ、思ったより楽だ。
「にーぃ、」
普段の授業が手抜きフルだから気付かなかったけど思ったよりまだいけるぜこれは。
「さーん、」
これは腕立てまでできるかもしれない。死ね1500g。燃焼しろ。爆発しろふはははは。
というテンションで35回目ぐらいまではいられた気がする。
その辺から腹筋で疲れと痛みの中間点みたいな何かが主張を始めて、40回目辺りから上半身が持ち上がらなくなってきた。
なんで初っ端から高い目標設定にしたのかと泣きそうになりながら、どうにか根性で50回やり遂げて倒れる。
あーもう駄目。腕立てどころの話じゃない。まず起き上がれない。
「姉ちゃんNARUTO返……おわっ!?」
なんか部屋入ってきた弟が入り口付近で倒れてるあたしを見て驚いてたけど、それに反応する気力すらない。
「えっと、なんで死んでんの?」
「乙女の事情」
あ、これ生理に聞こえたらエロガキと罵ってやろう。
「……何それ?」
と思ってたけどこいつ反応する素振りもない。ピュアか。
あれ、逆に恥ずかしくなってきた。
「まあ色々あんのよ」
「ふーん、まあいいやNARUTO返して」
「ベッドのとこ」
腕を持ち上げるのもだるいので指差すことすらせず口だけで場所を説明。
「ん、ありがと」
あたしの顔を跨いでベッドへ向かい「人の顔を跨ぐとは何事だー」「いいだろー」、漫画数冊を抱えて弟が部屋を出て行く。
帰りはちゃんとお腹のところを跨ぐ辺り素直なのかなんなのか。
まあ淳平はバカだから多分素直に従ったんだろうけど。
賢そうなフリしてるけど、なんか企んでるとそれ以外に気が回らないしそもそもなんか抜けてるし。
昔からよく寝込むせいで親がやたら漫画買ってくるもんだからそれでバカになったのかもしれない。
あ、そうだ本棚に漫画狩りに、おっと借りにいくとすぐ目ざとく見つけて回収しに来るからウザいのはそろそろ何とかならないかな。
彼ぐらい寛大な心を持つべきだ。あと彼女に振り回されやすくなるべきだ。これは美徳ですよ。
けどバカだから彼女なんてできるわけな――――ん。
そういやあいつ。
腹筋の疲れを無視して体を起こす。もしかして。
ベッドの上を確認。ああやっぱり!
ぐってりしている場合じゃない。立ち上がって、弟の部屋に突撃。
「淳平ー!」
「うぉあっ」
勉強机に足を乗せて、椅子を傾けた姿勢で漫画を読んでいた弟はバランスを崩しかけて慌てた後、そっと読んでいた漫画を置いてこっちを向く。
普段なら読んでるページ開いたまま置くのに閉じる辺り、あたしに表紙を見せないようにしているのがバレバレすぎるわ。
「床傷つくからそれはやめろって言ってるでしょ! あとそれ返せ!」
「待って待って待って! 最後まで読ませて!」
言いながらまだジョジョの27巻をあたしから隠そうとする弟。
こいつはあたしの漫画を回収するときには最後に必ず「持ってくな」みたいなことを言うけど、自分があたしの漫画をパクっていくときには後ろめたいのか何も言わない。
昔からクセみたいで、本人は未だにそれに気付いていない。バカだ。
それに気付いて起き上がってみれば、予想通りに最終的にマックで盛り上がったのでもっかい読もうと思ってた27・28巻が持っていかれていた。
彼から借りたジョジョに万一のことがあってはならないので、この弟に読ませるわけにはいかん。
「うっせー返せ! 最後はスタープラチナもザ・ワールド使えるようになる!」
「え、ちょ、えー!?」
「ジョセフも生き返る!」
「う、うわー! ひでー!」
「黙れ!」
半ば強引に持っていこうとするけど、弟が抵抗を始める。ふざけんな。
「いい加減にしろ!」
「ネタバレしたんならもう最後まで読ませてよ!」
「駄目!」
もみ合いが続くけど、中1にならあたしでも勝てる。元卓球部なめんな。
ということで隙を突いて手に持つ27巻を回収しようとした瞬間、
「「あっ」」
暴れた弟のせいで本の角が机の角とぶつかり、柔らかい方である本の角は当たり負けしてグチャっとなった。
「ほんっとごめんなさい」
「いやもういいから……だから俺をこっから返して? ね?」
あれから弟をとりあえずボコって、頑張って復元してみてでも駄目で、また今日もあたしは彼に頭を下げている。
けど今日はその場所があたしの教室である。
執拗な誘いの末何かが吹っ切れたらしく教室まで弁当を持って訪れた彼は、しかし3分ほどで元に戻ったらしい。それからは今の調子だ。
あたしが昨日のいきさつを語ってる途中もずっとそわそわしている。ヘタレかわいい。
「本当に済まないけど買って弁償は来月まで待ってください」
「いや別にそこまでのダメージじゃないしいいって。だから、ね?」
「うっせー1500g増えたあたしは揺るがんぞ」
もうバラしちゃったんで公言することに躊躇いなし。
そして今日はあたしが袖がっちり。お弁当(こっちも減量済)食べにくい。
「ていうか1kgちょっと増えても別によくね?」
「いやこれはとても深刻な問題なのです」
「ほら、女子はちょっと肉付いてるぐらいがいいって言うじゃん」
「言うけども限度ってものがあるの」
「いや、俺は今ぐらいのが……好きだよ?」
脳内で何かが爆発した。
なんでもないようにサラリと言う彼。
多分今までのパターンからして半分冗談だろうけど構わない。
シャイボーイな彼があたしを好きって言ってくれたことそのものが嬉しくて、脳内麻薬がどっぱどぱ。
むしろ彼が麻薬だわ。もう依存症。彼ジャンキー。
「うわーマジですか本当ですか事実ですか!」
「え、あぁ、うん」
「じゃあもうダイエットやめます維持します」
「え、あ、はい」
いやまあ一応少しは気を使うけど、ちょっとだけならジャンクフードもオッケー!
むしろ彼ジャンキーなんだからジャンクフードは彼! いいだろう喰ってやる!
「もー昼間っから愛の告白とか戸田さん照れちゃうわー」
「いやあのだからそういうことはもうちょっと小声で!」
彼は相変わらず涙目だけど気にしない!
ざくざく刺さるクラス内からの視線も気にしない!