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病院にて

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「失恋性ジフテリア…」
医師から伝えられた病名を聞いて、余計に熱が上がった気がした。

38度の熱が出て、はじめはただの風邪かと思って会社を休んだ。
3日経っても熱が引かず、全身に発疹。その後咳が止まらなくなった。
これはただの風邪ではないぞ、と病院にやってきた。
念のため、昨年のインフルエンザの時に買い込んでおいたマスクをつけて家の近くの内科にかかった。
感染症の疑いということで隔離された待合室に通されて、待つこと30分。
喉の粘膜を採取されて検査結果が出るまで更に30分。

そうして出てきた病名が「失恋性ジフテリア」だった。
いや、そんな馬鹿な。聞いたことがない。意味がわからない。
「……それは、何か精神的なものが要因の病気…ということですよね?」
強いストレスによって身体が蝕まれるというのはよく聞く話だ。
きっとそういうことなんだろう。それ以外考えられない。
何故失恋と名付けたのかは知らないが、きっと名付けた医者の頭がお花畑だったんだろう。
そうでなければこの医師にからかわれているんじゃないかとも思えた。

「この病気の場合、ストレスなどの心理的要因は無関係なんですね」
神経質そうな少し高い声で早口に医師は答えた。
「――失礼ですが、最近失恋されたことは?」
「…はぁ、それ、答えなくてはいけませんか?」
「正確な感染時期を特定する必要がありますのでね。」
痩せていて背の低い55~60代くらいの男性の医師だ。
大きな目が黒縁メガネの奥からギョロリとこちらを覗き込んでくる。
どことなくコウモリのような印象があった。

「……いえ、その、失恋と病気に関係があるとは思えないんですが。」
コウモリの目から視線をそらしながら答える。
傍に控える看護師の女性は何も言わずにじっとしているが、早く次の患者を呼びたがっているのか妙なプレッシャーを感じた。
しかし、こちらだって必死だ。感染症とあれば会社に報告しなくてはならない。
その時に「失恋性ジフテリアでした」なんて意味の分からない病名は言えない。
「確かに感染例は非常に少ないですがね、あなたのように、実際に発症している方は少なからずいるんですね」
「はぁ…」
「失恋をするとですね、ある種の物質が体内に生成されるんですね。これは、男女の別離の時にだけ生成されると言うことが報告されていましてね、例えば親子や友人との別離などでは生まれんのです。また、精神的なことも関係がない。あくまで男女関係があった者と別れることになった場合のみなのですね。そしてこの物質が、ある細菌を体内で爆発的に繁殖させる。この細菌の起こす症状が初期のジフテリアと似ていることから、『失恋性ジフテリア』と名付けられているんですね。」

「ジフテリアと言うのは…」
聞き慣れない病名だった。
「ああ、小学生のときに予防接種はしませんでしたか。三種混合とか二種混合という…。発症したら大問題になる、症状の重い感染症です。まぁ、しかし、失恋ジフテリアの場合はジフテリアのワクチンは効かんのですが。」
何がおかしいのか医師はふふふと笑いながら言った。私にとってはそれどころではない。
どうやらこの「失恋ジフテリア」というのは正式な病名らしいということがわかってきて絶望感を味わっていた。
「ああ、失恋ジフテリアは厳密にはジフテリアではありませんので、発症しても薬を飲んで安静にしていれば治りますがね。」
絶望的な顔色の私を見て医師が見当違いな気遣いの言葉をかけてくる。
病名としては普通のジフテリアだった方がどれだけマシだったか…
「さて、それで、感染時期はいつ頃と思いますかね?」
気を取り直すように医師が最初の質問をもう一度してきた。
熱のせいか頭痛のしてきたこめかみを抑えながら、私は搾り出すように答える。
「……二週間前だと…思います」
医師は若干目を細めてこちらを見ると、カルテに向かい何かしら筆を走らせた。
「先程薬を飲んだら治ると申しましたがね、薬は私どもの小さな病院には置いてありませんで、大きな病院へ行ってもらう必要があるんですよ。紹介状をお渡ししますのでね、上大和町の大学病院まで行っていただけますか。」
診察が終わってから紹介状を手に入れ、病院の外に出たときには、結局11時30分になっていた。
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