「……さみぃ……」
「大丈夫? 上着、貸そうか?」
「や、そういう訳には」
どうやら俺は軽率だったらしい。セーターだけで防げるような寒さではなかった。南ちゃんみたいにごついコートでも着込んで来ればよかったな……そう思うが、時既に遅しである。まさか今から引き返すわけにもいかないだろうし。
「そういやそのコート、やけにデカイよな」
「サイズは合ってないけど、お気に入りだから」
「そうなんだ」
150cmあるかないかの彼女に着せると、なんだかとてつもなくアンバランスな気がするんだが……どう見ても男物だし。
「あ~、今ボクの事ちっちゃいって思ったでしょ」
「ぐ、鋭い」
「これでも150はあるんだからねっ」
その外見に似つかわしくて、ぷく~っと頬を膨らませるという子どもっぽい仕草にも、違和感を感じない。
「参考までに聞いとくけど、15いくつ?」
「……う~」
南ちゃんは悩ましそうに唸って、しばらく間を置いてから、
「ひゃ、152……で、でも去年のだから、今はもっと伸びてるはずだからっ」
そうまくし立てた。
「まあ、いいんじゃないか? ちっちゃい方が好きな奴もいるだろうし」
「励ましになってないよ~」
そんな会話を交わしているうちに、商店街についていた。相変わらずの賑わい方である。
「さて、ここが商店街だ。ヤンキーやチャイニーズ……」
「そ、それ昨日も聞いたよ~」
「そうだったか、すまん」
「………」
なんだか苦笑されてしまったが、好意的なニュアンスだと歪曲解釈しておくことにしよう。きっとそうだ。
「それで、どこに連れてってくれるの?」
「まあ、南ちゃんの行きたいところでいいけど」
「んー、初めて同然の町でそんな事言われても」
「それもそうか。じゃ、行き着けのライブハウスで、ダイブしてくるギタリストを運んで――」
「そ、そんなことしてるの……?」
「軽いジョークだよ。まあ、ウィンドウショッピングでもしてるか」
「うん、そうだね」
にこやかに微笑む南ちゃんを見ながら、このぶんだとまた柚樹が怒りそうだな……そんな事を考えている俺がいた。
「ほらほら、早く行こーよー」
「あ、ああ……」
少し前から手を振る南ちゃんと、ぽかーんと突っ立ってしまっている俺。なんと表現すればいいのか、よく分からないが……
「眩しい……」
その姿は眩しすぎた。これってやっぱデート……なんだよな? そんな不埒な事を考えずにいられない。例え脳内柚樹にトゲトゲつきのバットで撲殺されても、こんな美味しい状況を素直に楽しまないなんて事ができようか。いや、できない。
「ほんとに、どうしたの? まだ寒い?」
気付くと、すぐ目の前に心配そうな南ちゃんの顔があった。お互いの息がかかるかかからないか、そんな距離。
「……って、うわわっ」
一瞬の間があって、俺は後ろに尻餅をついていた。
「だ、大丈夫!?」
「あ、ああ……元気元気」
「もう、いきなり倒れたりしちゃ危ないよ……はい」
すっと目の前に小さな手が差し出される。
「……悪い」
俺は好意に甘えて、その手につかまって立とうと――
(……え?)
立とうとしたのだが、南ちゃんとの体格差を考えていなかった。手を引いた瞬間、南ちゃんの小柄な身体が大きくぐらついた。
――どさっ。そんな音と共に、もう一回空が見えた。衝撃はほとんどなくて、暖かいものが身体の上に乗っている感覚。さっきの接近よりさらに近くに南ちゃんの顔があった。頬にさらさらとした髪の毛の感触があって、柔らかな芳香が鼻をくすぐる。
「……ぁ」
南ちゃんが小さく声をもらしたが、右耳から入ったその声は、脳をスルーして左耳から出ていった。もしくは鼓膜で拡散して、何ら意味のない信号になり果ててしまったのか。
とにかく、コート越しにも暖かくて、柔らかくて……さっきから、鼓動が止まらない。
ついでに、アレが固くなってきた。どこに当たっているのかは知らないが、柔らかい肉を押してしまっているのは分かる。
「――っ」
その感覚に気付いたのか、南ちゃんは大きく息を飲むと、
「ごっ、ごめんっ!!」
真っ赤な顔でばっと俺から離れた。
「お……俺こそ、悪い……」
立ち上がり、しどろもどろになりながら俺も謝る。モノが収まってくれそうにないのが情けない……そして気まずかった。
「………」
まだ真っ赤になったままの南ちゃんは、絶対に目を合わせてくれようとしない。けれど、たまにこちらをちらちらと確認するように、躊躇いがちにキョロキョロしていた。周囲の奇異の視線が痛い……
「……あ~」
「ふ~ん……」
俺が『行こうか?』と切り出しかけたところで、後ろからストップを詠唱する奴がいた。いや、星の白金でもなんでも構わない。とにかく、時間が停止したのだ。
「ご主人様って……以外と、手が早いんですねっ」
行動不能を降り切って、俺はロボットみたいな動きで後ろを振り返る。
もしかしたら人違いかもしれない、と一厘の望みを持っていたのだが、見事に打ち砕かれた。右手に買い物袋、左手にエスカリ――ゲフンゲフン、トゲトゲつきのバットを持った、もとい構えた柚樹がいた。というかそんなもんどこで手に入れてきたんだ。
「ど、どこから見てた?」
「お二人が抱き合っているところからです」
最悪のタイミングだった。
「柚樹、勘違いするな、これは――」
「問答無用、天誅ですっ」
大きく降り下ろされたバットを、素早くかわす。一瞬目の前の光景がスローに見えかけた。
「だあぁ、こ、殺される~!!」
宇宙新の記録が出せそうな勢いで、俺はすっ飛んで逃げ出したのだった。
「あ、あは……柚樹ちゃんって怖いね……」
「怖いなんてもんじゃねえ……あいつは猫の皮を被った悪魔に違いない」
「猫?」
「い、いや……普段は猫被ってるからさぁ」
「ふ、ふ~ん……」
少し府に落ちない様子だが、一応納得してくれる。危ないところだった。猫耳のことはあまり知られたくない。
「猫っていえば、柚樹ちゃんの帽子って――」
「ななななななな何かな?」
「う、ううん、猫みたいで可愛いねって言おうとしたんだけど……」
「……そうか……」
冬だというのに、背中を冷たい汗が流れ落ちるのを感じた。女の子と商店街を歩いているだけなのに、今にも切れそうな綱の上を渡っているような、そんな錯覚を覚えさせられる。
「あれボクも欲しいなぁ……でも、似合うかな?」
「………」
「隆一君? またぼーっとしてるよ?」
「……に、似合うんじゃないか?」
「そっか、ありがと。あ、そうだ、ゲームセンターに行ってみたいんだけど」
「ゲーセン?」
「うん……駄目かな?」
「別にいいけど、何するんだ?」
「ちょっと、話題になってるクイズゲームがやってみたくて」
「クイズゲーム? QMUのこと?」
「そう、それそれっ」
QMUとは『クイズ・マジック・ユニバーシティ』の略で、なんか最近人気らしいクイズゲームだ。うちの商店街のゲーセンにも最近導入された。まあ、俺はやったことないんだけど……
「でもゲーセンならさっき通り過ぎたぜ?」
「え、そうだったの?」
仕方ないので、来た道を引き返すことにした。
『Q:古代オリエントに於いて初めて製鉄法を生み出した国家、ヒッタイトの首都はどこ?』
「ボガスギョイ……っと」
『Q:バリン、ロイシン、イソロイシン等、分岐鎖状の構成を持つアミノ酸を、4文字のアルファベットで略してなんという?』
「BCAA……だよね」
『Q:蟻や蜂など、群れが強い社会性を持つ生物種に於いて、生殖能力を持たず群れに貢献する個体を何という?』
「ヘルパー……だったっけ」
『世界初のルアーは何を模したものだった?』
「蛙っ」
『Q:10×1000÷100=?』
「100……って、ひっかけじゃないよね、これ?」
「い、いや……わからん」
最後の問題だけは俺にも分かった。というか、どうなってるんだ、こりゃ。一問も落とさない、しかも他の解答者よりずっと早いなんて、おかしすぎる。
「あ、やった、優勝だって!」
「……そうか」
隣の席から『サブカうぜー』とかいう声が聞こえてきたが、よく意味が分からないので気にしない事にする。
「凄いんだな、南ちゃんって」
「え……? そ、そんなことないよっ」
真っ赤になって謙遜してきた。さっきクイズゲームの台にかじりついて、全問正解をの偉業を成し遂げた人物の仕草だとはとても思えない。
「それで……気は済んだ?」
「うん、すっごく楽しかったよ」
「そっか、そりゃ良かった。それはそうと、神社に寄るんだったら、そろそろ行かないとまずいぜ?」
「あ、そうだね……冬は日が落ちるのが早いもんね」
「そういう訳だから、行こう。風花なら毎日いるはずだし」
「ん、わかった」
そんな会話を交わしたあとゲーセンから出てみると、空の色は微妙に変わりかけていた。
相変わらず、神社は綺麗に掃除されていた。脇にどけてある雪は固まってしまっている。柚樹、よく雪だるまなんか作れたなぁ……
「あら、南ちゃん……と、隆一じゃない。南ちゃん、こんにちは」
「こんにちは、風花ちゃん」
「帰ってきたよハニー、待たせたね」
「……あと100年でも1000年待っててあげるから、それまで帰ってこないでくれる?」
相変わらずひどい扱いである。南ちゃんの登場から、特にその傾向が強くなったような……
「それはそうと風花、巫女伝説って覚えてるよな?」
「あのねぇ……これでも私、五遠神社の巫女なのよ?」
「忘れたから、ちょっと聞かせてくれ」
「やだ」
即答である。
「……えと、聞かせてほしいんだけど……」
「ん、いいわよ、南ちゃん」
即答である。いい加減なんかこのパターンにも慣れてしまった。
「残念だったな風花、俺はたった今耐性を獲得した」
「何言ってるんだか……じゃあ南ちゃん、話すわね。隆一も聞きたかったら聞きなさい」
「やーだよー、誰が聞いてやるもんか!」
「……子供かあんたは」
俺を精一杯の蔑視の視線で見つめた後、風花はゆっくりと話し始めた。
遥か昔、邪を破し正を顕す存在があった。彼女等はハライビト――祓人と呼ばれ、魑魅魍魎と闘い、それを打ち倒した。しかし魍魎の力は強大で、時には傷つけられ、果てる者もいた。
特に五遠の祓人は最強と謳われていた。他の者には到底比肩し得ない相手に於いても、その身の肉薄するを決して許しはせず、邪なる者が断末魔を上げ、苦痛に蠢き滅びるその瞬間まで、たった一滴の返り血を浴びることも無かったという。
しかし、その様な脅威を、物の怪の軍勢が放置しておく筈は無い。
とある、牡丹雪の舞う冬の日の事であった。各地で力を温存していた物の怪達が、大挙して五遠の地へと押し寄せ始めた。異形の影が山々を覆い尽くし、空を黒く染めた。
先見の力にてこれを知る五遠の祓人。幾等兵どもばかりの集団とはいえ、この事態に立ち向かう程の力を有してはいなかった。しかし、術がない訳でもなかった。
嘗て無き天才と呼ばれた祓人・雪はとある決断をする。抑、巫女とは神に近い存在であるが、その魂の器が人である故に、解放できる力は本来の一分にも過ぎない。ならば、人の器を捨てる事ができれば、かの魍魎の大群にも比肩し得るのではないか、と。
そして魔の軍勢が街に達したその日、周囲の慰留を押し切り、雪は力を解放する。黒く染まった天は光で埋め尽くされ、地は震え、魍魎共はその亡骸の一つをも遺す事も無かった。
かくして街は救われ、骨すら残さなかった雪は手厚く葬られた。その場所が後の五遠神社であり、五遠の巫女は祓人の血を受け継いでいるという。