お題③/ユウくん/黒兎玖乃
「ねえねえユウくん」
「うわっ」
弥生の柔らかい声で、僕は項垂れていた顔を上げる。すぐ近くにはほんのりと頬をピンク色に染めた弥生の顔があって、僕は思わず仰け反った。
「うわってなんなの、うわって」
「ご、ごめん」
「ちゃんと謝って! ちゃんと!」
「は、はんせいしてまーす……」
「へーんな謝り方」
弥生はむくれて、窓辺の方を向いてしまう。
僕は少し慌てたけど、それが僕の行動のせいではないということはすぐに分かった。
「あのね、あそこの木なんだけど」
弥生が窓の方を指差す。その先をなぞると、枯れ木が僅かにはっぱを一枚だけぶら下げているのが見えた。強風にでも煽られたら、すぐに飛んで行ってしまいそうだ。
「あの葉っぱが落ちる頃には、私死んじゃうのかな?」
弥生は実に不思議そうな顔で、恐ろしいことを呟く。それを聞くと僕はいつも、返事が出来ずどうしようもなく深く重い感覚に陥ってしまう。
弥生はもう、助からない。僕も弥生もそれを知っている。
だからこそ僕は、悲しいような良く分からない心持ちがした。
「そんな事考えるものじゃないよ。生きる希望を持たなきゃ」
「ユウくんにだけは言われたくないなー」
あっさり一蹴される。昔から弥生に口論では勝ったことはないけど、こうなった今でもまったく勝てる気がしない。
「死ぬのって、いったいどんなんだろうね」
唐突に、トーンを小さくして弥生が言う。その表情にはどこか悲しいものが垣間見えたけど、必要以上突っ込めばまた圧倒されることになりそうだからあえて触れない。
「さあ、そんなものは僕にも分からないよ」
「えー? ユウくんなら絶対分かると思ってたのにー」
確かに分かるかもしれないけど、そんなものは結構何となくだ。
「僕にだって分からない事はあるんだよ。僕は全知全能の神ってわけじゃないんだから」
「ふーん」
納得いかない、という風に首を傾げる弥生を横目に、僕はベッドの傍の窓に目をやる。
枯れ木に引っ付いている葉は確かに弱々しいけど、そう簡単に取れそうにも見えない。
「あーあ。こんなことだったらもっと頭のいい人好きになればよかったなー」
「ちょ、ちょっと弥生何を」
「冗談だって、ジョーダン」
慌てる僕を見て、弥生はアニメの猫のようにニシシと笑う。やはり、どうも手駒に取られている感が否めない。もう少し言葉に強くならないといけないな。
「ユウくん見たいな素敵な人、二人といるわけないじゃんか」
「え。……あ、うん。ありがとう」
「ちょっとー。普通にお礼言われると照れるじゃんかー」
頬を赤らめて笑う弥生。そりゃあ、急にそんな事を言われると、恥ずかしくなってそう返すしかないじゃんか。
僕は痰を切るようにわざとらしく咳払いすると、ベッドの横にある花瓶を眺めた。めずらしいタマスダレの花が飾られている。
花言葉は、なんだっけ。忘れてしまった。
「その花、きれいでしょ? ユウくんのお母さんが持ってきてくれたんだよー」
「あ、そうなんだ」
そんな事実はまったく知らなかったので、素直に驚く。
「知らないのもしょうがないけどね。ユウくんがいないときに持ってきてくれたし」
「へぇ」
まったくそういう話は聞かされてない。親が弥生の見舞いに行ったということも。
知らないと言えば、当然なんだけど。
そんな事してるうちに、そろそろ時間が迫ってきたみたいだ。
「弥生。それじゃあ、僕はもう行くね」
「うん……」
俯いて、寂しげな表情でそう返す弥生。どうも帰りづらくなってくる。
「また…………会えるよね?」
顔を上げて、僕に訊ねる。そんなこと、言うまでもない。
「当たり前だよ。信じていれば、絶対に願いは叶うから」
「そう……だよね! うん、ユウくんありがとう!」
「ありがとう。それじゃあね」
僕は弥生に背を向けると、病室のドアの方に、
「あ、待ってユウくん! 忘れ物してるよ!」
そんなもの、あるわけはなかったのだけれど。
僕は、ゆっくりと振り向いた。
「あれ? 弥生ちゃん、何してるの? 鳩のものまね?」
「ううん、お嫁さんになったときのためのキスのれんしゅうー」
「あらあら、おませさんね」
「そういう看護士さんは、もう結婚してるの?」
「さあね、当ててごらん」
「っていう人って、大体結婚してないんだよねー」
「あはは、さすが弥生ちゃん勘の鋭いこと……旦那さんの浮気なんてすぐに見抜いちゃいそうね」
「大丈夫! 私の未来の旦那さんはぜーったいに浮気なんてしないから!」
「本当に? 何でそんな事が分かるの?」
「だって約束したんだもん!」
弥生は静かに風が流れ込む窓を見て、太陽のように笑う。
「……だから、待っててね。ユウくん」
ひとひらの葉っぱは、それに答えるようにそよりと揺れた。