「組織を作ろう」
紙パックをゴミ箱へと放り投げながら、また三橋が訳の分からないことを言い出した。
「は?」
「何言ってんのかわかんねーよ」
俺と河本のツッコミもいつも通り。こいつは何を言うにも自分の中だけで完結してるから困る。
「傘を共有する組織を作ろうって言ってるんだ」
「余計訳わかんねえよ」
「だーかーらー、傘を共有するんだってば。俺と飯田と河本、3人でビニール傘2本。
飯田はサッカー部、河本は吹奏楽、俺が帰宅部。それぞれ帰る時間も違うだろ?
だから、共用のビニール傘を傘立てに2本置いておくんだよ。なんか印つけておいてさ。『共』って書いておくとか。
名前のついてる奴は持っていかれにくいだろ。それの意味を知ってる奴だけが使える傘だ」
「いやそれ一人あぶれる奴出るだろ」
「バカ、三橋は算数できないんだよ」
「いや俺の弟じゃねえし、足し算ぐらいできるわ。予め雨が降ることがわかってるような日なら傘持ってくるだろ。
通り雨とか、夜遅くから雨のときに便利じゃん」
「おー」
思わず感心する。なんか、こいつにしては珍しく賢いこと言ってる気がする。
「なんかそれいいな。よし乗った」
「じゃあ500円」
「金取んのかよ!」
「傘2本買ってくるからその金だよ」
「てめえ金出してねーじゃねーか!」
「消費税消費税」
「1050円だろ、なら350円ずつになんだろ!」
「うっせー特許使用料だ!」
「特許取ってから言えよ!」
「じゃあ組織に入るための金!」
「抜けるぞバカ!」
「で、実際にやったんですか?」
「ああ、一応俺達が卒業するまでは続いたよ。メンバーもいくらか増えて、最後には10人以上いたんじゃないかなぁ」
あの頃は、25になってまでコンビニのバイトの後輩にこんな話をするとは思ってなかったな。
雨の日を牛耳る秘密組織だの何だの言ってふざけあっていた奴らを、片っ端から思い出そうとしてみる。
けど、全員は出てこなかった。卒業から7年という時間は、だいぶ俺の中の思い出を風化させている。
「その傘は今どこに?」
「受験終わった後、大体三橋が持って帰って、あいつんちにまだあるんじゃないかな……お、傘の話してたからかな。雨降り出した」
「ですね。傘出さないと」
慌てて裏から傘を店頭に並べる。
さて、今日はどれぐらい売れるかな。
「うわー、雨降ってる」
三橋の家から出て、思わずそんな声が口から漏れる。
どうしよう。家までは走って帰れない距離ではないけど、カードが濡れてしまう。服の中なら大丈夫かな。
Tシャツの内側に、輪ゴムで括ったカードの束を入れてみる。よし、どうにか行けそうだ。
「湯沢くん、傘使ってく?」
走り出そうとしたところで、三橋のおばさんが玄関からビニール傘を手に顔を出した。
「あ、じゃあ借ります」
「返さなくてもいいわよ。これ、うちのお兄ちゃんのボロいビニール傘だし。しかもいっぱいあるの」
その言葉の通り、だいぶ骨が錆びている。柄の部分もだいぶ傷だらけだけど、なんか文字が書いてある。『共』かな?
「ありがとうございまーす」
傘を受け取って、開閉のボタンを押す。錆び付いているからか、ゆっくりとしか開かない。
……そうだ、傘があるならコンビニでジャンプを読んでから帰ろうかな。
雨は降ったり止んだりを繰り返して、傘はだいぶ売れた。
「あーもう、こんな日は傘置いてくバカが多くて困るねー」
午後10時、上がろうとすると店長が表の傘立てに刺さっていた傘を回収してきた。
「どうしますこれ?」
「一応保管しとくけど、どうせ取りに来る奴なんていないんだから持ってっちゃえばいいよ」
「えー、じゃあ一本」
冗談のつもりで、傘を手に取る。一番安そうな、骨の錆びたビニール傘を。あの頃使っていた、懐かしい傘によく似た傘を。
「おいおい、冗談だってば」
「分かってますって」
笑いながら、何とはなしに柄に視線をやる。
そこに書かれている、消えかかった『共』の字に、目を見開いた。
「……店長、これ、冗談抜きで貰っていきますわ」
「え、いやちょっとそれはさすがに」
「友達のなんですよ、これ」
小中高と一緒で、そこそこ家も近くて、弟も歳が同じで、なのにもう随分会ってないけどな。
「ああ、なら」
店長も合点がいったという顔で頷く。それが引き金となったかのように、窓越しに雨が降り出した。
「んじゃ、お疲れ様でしたー」
錆び付いた傘を開いて、外に出る。7年前と同じように、雨の中を家路を急ぐ。