トップに戻る

<< 前 次 >>

追憶

単ページ   最大化   

――ただ一言、彼女は呟く。
「ふぅ……」
「お疲れのようだな」
「……まぁね」
 そこは、一つの部屋。机があり、椅子があり、書棚があり、特徴を言い表すなら執務室のような場所だった。そこで、一人の彼と彼女が向かい合って話す。女が椅子に座って、男が壁にもたれるようにしていることから、女のほうが立場が上だと見受けられる。女のほうは連日仕事が続いているようで、疲れ切った顔をしている。
「たまには息抜きでもしたらどうだ?仕事ばかりじゃ、いくらあんたでも心配になる」
「その言い方は癪だけれど、そうかもしれないわね。とは言っても、リーダーたるもの、いくらかの無茶は必要なのよ」
「それで俺らに心配かけちゃだめじゃないのか?」
「貴方たちには問題なし」
「いや、問題ありだろ」
 男は若干苦笑気味につっこむ。冗談を言える内は、まあ心配ないだろう、という考えだ。本当に危険な時というのは冗談さえ言えなくなるほどだ、ということを、彼はよく知っている。
「それに、そういうことを私に言うなら、先に自分の心配をしてほしいところだけれど」
「なんでだ?別に俺は心配させるようなことはした覚えは無いが」
「……私に心配をかけまいとするその精神は嬉しいけどね、私としても貴方たちのことは心配しているのよ?報告はしていなくとも、貴方たちがしていることは大体知っているわ」
「……」
 ちっ、と彼は舌打ちする。天井のほうを向いて、「あー、くそっ。またあいつか。ったく、あれほどリーダーには言うなって言っといたってのに……」、と愚痴るように言った後、再び目線を戻して彼は話す。
「まあ……なんだ。悪かった」
「いいわよ、許してあげる」
「……待て待て、なんか上手い具合に自分の事は流そうとしてないか?」
「リーダーたるもの、そうでないと」
「暴君かっ!」
「暴君じゃない、リーダーよ」
 真面目な顔で答える。抜けてるんだか、抜けていないのだか、といった彼の感想。そんなことなど、彼女には分かるわけもないけれど。
「……で、貴方は報告しにきたのよね。どうだった、状況は」
「あー、そういやそうだっけか」
 真面目に忘れていたようだ。どちらが抜けているのか分からないけれど、彼女からしてみればそれはいつものことのようで、特に責めもしない。
「とりあえず、一番厄介だったあの国は落とした。残りの国もいくつか抵抗しているが、後は時間の問題ってとこだろうな。それもこれも、あんたのおかげってわけだ」
「……そう」
 あまり驚いた様子もなさげに彼女は答える。
「どうした、そんなに感動もないってか?」
「いえ、ただ単に……実感できない、ってところかしらね。あなたも同じ反応をしたんじゃないかしら、その報告を受けたとき」
「まあたしかに、世界統一だなんて言われたところで、実感しろってほうが無理がある。一理ある。ちなみに俺は感動した。あの本には」
「私は本の話なんてしていないのだけれど……」
「いやいや、あの本はよかった。あんたにも読んでもらいたいぐらいだ。何がよかったって、そりゃあオチだな。それに、謎も多すぎず、少なすぎず、実に考え抜かれた絶妙なバランスの本だった。作者を探し出して勲章でもやりたいぐらいだ」
「はいはい」
 彼の趣味は読書のようで、いや別にそれ自体はいいのだけれど、困ったのは本について熱く語ることだ。ちなみに、彼女はその話を常に九割聞き流している(残りの一割は彼女の優しさだ)。
「とりあえず、あと少しだ。あと少しで終わるんだ。だから、あんたもあんまり無茶すんなよ」
 いつのまにか、彼の演説は終わっていたようだ。一呼吸置くこともなかったのでそれに気づくのに若干彼女は遅れたが、慌てることなどなく、かつ心を込めて彼女は彼に言う。
「貴方たちが私を大切に思っているのと同じくらいに、私が貴方たちを大切に思っているってこと、忘れないこと。いい?」
「分かってるっての。俺がそんな簡単に死ぬようなやつに見えるか?」
「……死亡フラグっぽい」
「おい待てなんか今ぼそっと怖いこと言ってなかったか」
「夜逃げでもしようかな、と」
「そんなこと言ってない。断じて言ってない。というかそれはそれで洒落にならん」
「私の言動の九割は冗談よ」
「随分扱い辛そうな人間だな」
 そう言い残して、彼は部屋から出る。これ以上仕事の邪魔をしても悪いと思ったんだろう。時間帯としてはもう夜とはいえ、仕事はまだまだ夜遅くまで続く。それが、世界を統一するだろう者としての務めだと思って。
「……なんてね」
 ふと、彼女は小悪魔な笑みを浮かべた。
「今回は、残りの一割なんだけどね」
 そう彼女は呟いた――。

「リーダーが……夜逃げ!?」
「はい、今朝お部屋を伺ったところ、既にもぬけの殻でして……」
「くっ……今すぐリーダーを探せっ!」
「はっ!」
 報告に来た兵士はすぐさま戻っていく。
 その一報を聞いた男、つまりは昨晩リーダーの部屋を訪れていた男は思わず舌打ちをする。
 昨晩はあのまま睡眠に入り、そして一夜を明かしたのだが、今朝になって今の報告だ。
 リーダーが、夜逃げした。
 理由だって何かしらあるんだろうが、今は理由なんかに構っている暇は無い。リーダーがいなくなったというその事実。それこそが問題だった。
 彼女は、今まさに世界を統一せんとする国のリーダーだったのだ。政務はもちろんのこと、時には戦場での現場指揮だってしたことがあった。そんな彼女、国の長が――今このタイミングでいなくなったのだ。
 当然国は混乱するだろうし、リーダーなしでは他の国の制圧だってままならない。あと少しで世界の統一、というところだったのに、それがまた巻き返されるかもしれない。
 この国の次に大きな力を持っていた国は、つい最近やっとのことで落とし、これからは残りの諸勢力の制圧に取り掛かろうとしていたというのに、そんな状況下での夜逃げだ。
 政務がいやになった?
 それはないだろう、と男は思う。彼女はそんなことで根を上げるような人じゃなかった。いつも兵士たちを元気付け、民にも慕われ、知略に長け、容姿端麗で(これはオマケだ)、とにかく完璧としか言いようのないほどの尊敬できる人だった。実際、彼女の次に権力がある俺や、あと二人の彼と彼女だって彼女を尊敬していたし、そして同時に彼女には到底何もかも及ばないと感じていた。それほどのカリスマ性を、彼女は持っていた。
 だからこそ――なぜ彼女が今のタイミングで夜逃げなどという行動に出たのか。そんなことより大切なことがあるのも事実だけれど、やはり男はそれを気にせずにはいられなかった。
「……ははっ、なるほどな。『言動の九割は冗談』、か。よく言ったもんだ。今回は残りの一割の方だったってか」
 皮肉交じりに彼は一人呟く。
 昨日の何気ない普通の会話。あの時に実は示唆していたとは流石に思いもよらなかった。
「あんな会話で、本当に夜逃げするんだと思う奴なんていないっての、ったく……」
 誰に語るでもなく、男は疲れきった顔で再び呟いた。


「……で、私は夜逃げしたはいいとして、これからどうしよっかな」
 と、街道を歩きながら呟く女がいた。もちろん、リーダーである。
 とにかく夜逃げをしたので遠くに逃げよう……という考えの下、彼女はひたすらに歩き続ける(最初は走っていたが疲れたので)。
「夜逃げ……しちゃってもよかったのかなあ」
 今更ながらに考える。
 仮にも、どころか本当に一国の長だった彼女だ。いくら彼女なりの考えがあったとしても、その行為が正しいとは限らない。もしかしたら、ただ皆に迷惑をかけるだけなのかもしれない。そう彼女は考え、そして悩んでいた。
 いやまあもちろん既に夜逃げをしてしまっている以上、そう簡単に戻れもしないから今更悩んだって仕方ないのだが、それは彼女の責任感の強さを表しているのだろう。
「だけど……これは正しい未来じゃないと私は思うのよね……」
 彼女は言う。
 彼女はもちろん理由無しに夜逃げなどしたのではない。理由は、ある。けれど、それはとても一国の長が言うべきようなものでは決して無い。
 『戦いで全てを統一したところで、それは皆の幸せではない』。
 つまり、戦争で世界を統一したところで、それは本当に平和へと繋がるのか。それが彼女には疑問だったのだ。
 一つの国は、その国の中で全てを決めた方が幸せではないのか。無理に戦争をしかけることで、むしろ相手の国の人々の幸せを奪うことに繋がるのではないか。そう、彼女は考えていた。
 そんなことを言い出したらきりが無い。事実その通りだろう。
 けれど、一度そのことを考え出してからそう一度戦争を仕掛けるなどというのは、彼女には到底不可能なことだった。悲しくも、それが彼女の性だ。
 もちろん、今このタイミングで夜逃げをする事の方がよっぽど多くの人々の幸せを奪う事になるのではないか、ということは考えた。それもたぶん事実だろう、と彼女は感じている。
 結局のところ、彼女には何が正しくて、何が間違っているのか――それが分からないのだ。どちらも正しいように感じてしまう。そういうことだ。
 それでも、彼女は夜逃げするという選択肢を取った。彼女にとって何が正しいのかは分からなかったけれど……少なくとも、今のままよりはそっちの方が正しい。そう考えた末の、夜逃げだった。
「奇麗事よね……」
 こんなこと、許されるようなことではない。
 それは重々承知だ。
 あくまで彼女は『罪人』であって、『善人』ではない。
「今から戻ったら冗談で済ませてもらえるかしらね……」
 つい、そんなことも考えてしまう。
 だが、ここまできたならもう引けない。それもまた、彼女の性だった。
「……。よしっ!」
 彼女は自分に気合を入れる。
 いつまでも悩んでいても仕方が無い。自分のするべきことをしないといけない、と彼女は思った。
「まずは、私の思う、あるべき世界に戻すために協力者を集めないといけないよね。いくつかの国を回って説得してみようかな」
 自分で自分に言い聞かせる。
 これから、自分のするべき行動。それを再確認するかのように、彼女は復唱する。
(急いだって仕方が無い。たぶん皆は私の後始末で忙しいはずだから、まだ時間は結構あるはず……!)
 そう思って、彼女は走りはせず、あくまで歩いて街道を進む。
 一度決めたからには、その信念を貫き通すしかないと彼女は考えて。
3, 2

  

 しかし、リーダーは一つ失念していた。
 協力を仰ぐ――それはまあ、いい。
 だけれど、彼女は今現在、立場を明かす事が出来ないのだ。いまや彼女の国は、たとえ他国であろうと情報が伝わるかもしれないほどに情報網が広い。もし他国に協力を仰ごうというものなら、たちまち本国にも情報が伝わるというものだ。
 かといって素性を明かさないものなら、それはそれで協力など得られるわけがない。他国のリーダーを知っているわけではないが、流石にそんな怪しい人物に協力などするわけがない。
 よって。
「一人ぼっちじゃん……」
 今更ながら、誰も仲間を連れて行かずに夜逃げをしたことを後悔した彼女だった。
 それになんと、そのことに気が付いたのは夜逃げした日の翌日。一夜で出来る限り首都から遠くへ行き、なんとか見つけた村で倒れこむかのように宿を取って眠り、元気に目覚めた直後の事だった。
「まあ……それはそれで私にはおあつらえ向きかもしれないけどね」
 自虐的な笑みを浮かべつつ、彼女は一人呟く。
 彼女は――異常だ。
 普通なら魔法というものは、一人につき一つの属性を司り、そしてその属性の魔法しか使えない。分かり易いもので言えば、『炎』なら火炎とか、そういうのを使えるといった具合に(まあ、そんなに分かり易い属性ばかりとは言えないけれど)。
 けれど、彼女は違った。
 彼女は、ありとあらゆる属性の魔法が使えた。強いて言うなら『全』。それが彼女の属性。
 その上、決して器用貧乏――とは言えず、むしろ彼女の魔法は全てが全て、極めていると言っても過言ではなかった。
 状況に応じて魔法を使い分けられる。それほどまでに、便利な魔法は前例がなかった。
 魔法は確かに強く、そして便利。けれど相手によって、もしくは気候などによって、弱点は存在する。それが冒険者たちの中での一般常識であり、そして事実だった。
 だが、彼女にはその弱点が存在しなかった。そんな彼女に勝る者などいるはずがなく、かつ人望もあったため、彼女はついに国のトップへと上り詰めた。この国は王政ではない。市民による代表選抜によってリーダーが決定する。そんな中で、彼女はリーダーに選ばれたのだった。
「そう言うと、聞こえはいいんだけどね……」
 しかし、彼女はその異常性ゆえに常に一人ぼっちだった。
 仲のよい友人がいないという意味ではない。
 本質的な意味での『一人ぼっち』だ。
 どんなに友人を作ろうと、彼女は常に外れていた。魔法が外れていることだけでなく、それによって彼女の精神や考え方さえもだった。
 自分は『人間』ではない――といったかのような錯覚。それに常に見舞われていた。
 まるで、自分は別の種、存在なのではないか。そう、感じてしまっていた。
 だが、彼女は悩んではいたが、それに負けるような人間でもなかった。
 だったら、自分がこの世界でのリーダーになればいい。皆を率いて、皆に認められればそれでいい。そう考えたのだった。
 結果、彼女はリーダーを引き受け、認められる存在となるべく、皆の期待に応えていったのだった。
「さてと、朝から悩んだって無駄無駄。頭を切り替えないとね」
 彼女は伸びをしてから、窓を開ける。朝の気持ちよい風が部屋に微かに入ってくる。季節は秋。少し涼しいぐらいだ。
 その後、彼女は朝食を食べ、そして足早に宿を後にする。
 いくら昨晩できる限り遠くへ逃げたとはいえ、こうして一度眠ってしまった以上、そんなに悠長にここにいるわけにもいかない。彼女の勘では、もうじきここにも追っ手が来ると予測していた。
 そして彼女がその村を後にしようとした時、まさにその勘が悪い意味で的中する事になった。
 ばったりと。
 村から出てすぐに、追っ手に正面から遭遇した。
「げっ……やばっ!」
「っ!?あれは、リーダー!?皆、リーダーを逃がすなっ!」
 この感じでは、まだお遊びで済みそうな展開だなあ、と彼女は考えつつ、一目散に逃げる。まだ、裏切り者としては追われていなかったようだ。まあ、普段からたまに遊びに出かけていた時もあったから当然といえば当然だ。
 だが、彼女が逃げた先にも追っ手がいて、結果、彼女は囲まれる形となった。彼女は走るのをやめる。
 そして、その中でもリーダー格っぽい男の人、つまり最初に鉢合わせした人が一歩前に出て、そして彼女に語りかける。
「さぁ、リーダー。遊んでいないで、さっさと首都に戻ってください。こんな田舎まで追う羽目になった私たちのことも考えて、お遊びはほどほどにしてください。今は大切な時期なんですから」
「んー……。……ごめんね、やっぱ私は戻れない」
 本当は、決断はもう少し先にするつもりだった。けれど、そういうわけにもいかない状況だ。彼女はついに、決意する。
「は?……何を仰っているんですか、リーダー?」
「私には、私の使命がある。この国は……間違っている」
「と、言われましても……。私にはどういうことだか……」
 よく分からない、といった口調で男は言う。まあ、分かるわけもないか、と彼女は思い、そして言う。
「私は、今のこの国を壊す」
 はっきりとした口調で、彼女は断言する。
 しばらくはその男も理解が出来ないといった表情だったが、今一度考え、そして意味を理解してから彼は信じられない、という表情へと変わる。
「ほ、本気ですか、リーダー……?」
「ごめんね。今回は私も本気。……私は、この国を裏切るわ」
「……そう、ですか」
 なんとも言えないような、悲しいような、そんな表情。
 信頼を置いていた人が裏切るということを言ったのだ。それはある意味当然と言える。むしろそれだけ、彼女が信頼されていたということの証だ。
「……この国を相手にする覚悟はおありでしょうか?」
「ええ、……もちろん」
「……分かりました。でしたら、それなりの覚悟はしていただきます」
 男が剣を抜く。両刃の一般的な剣。
 それに合わせて、周囲の十人ほどの男たちも剣を抜いた。
 裏切り者は生かしておくわけにもいかない。たとえそれが誰であろうとも。
「たしかに私は絶対的に『悪』なんでしょうね。それは認める。けれど、気づいた以上、この『悪』を見逃すわけにはいかない……!」
 そして彼女も、懐からあるものを取り出す。彼女愛用の、扇を。
 そしてパッと開き、盛大に宣言する。まるで、自らに言い聞かせるかのように。
「私は『魔王』。絶対的な『悪』の名の下に、私の『正義』を実行する!」
 彼女は、過去と決別するかのように、扇を振るった。
 今ここに、後に『神魔戦争』と呼ばれる戦いの幕が開いた。
 元リーダーが、その『元』である国に宣戦布告をしたことが首都に伝わったのは、彼女が自身を追いかけてきていた兵士を撃退してから一日後のことであった。
 それが、それほどまでに早く伝わったのには理由があって、というのも、リーダーが(正しくは元)兵士の一人を無傷のままわざわざ首都に帰したからだ。他の十数名の兵士は殺してはいないものの重傷。あのときの近くの町にいることが後に確認されている。
 リーダーは、別にミスをして一人を帰したわけではない。意図的にだ。
 今現在、彼女は自身で言っていたように一人ぼっちだ(かわいそうに言うならば)。そのため仲間を増やしたいのだが、やはり一人であるために時間がかかってしまう。
 だったら――仲間になりたい人を、そちらから来てもらうようにすればいいのではないか、と彼女は思いついた。
 首都などでは『魔王』などと呼ばれているらしいが(それと対比して、メイラ以外のリーダー格であった3人は『神』などと呼ばれている)、それでも少なからず仲間に出来る人はいるはず、と彼女は考えていた。
 そのため、彼女は本拠地を創り、わざわざその場所の情報までその一人に持たせて帰らせたのだった。
 元々彼女は人望もあったし、その策略のかいもあってか、一ヶ月ほど過ぎた頃には多くの仲間を集める事ができた。
 数としては、『魔王』側は『神』側の十分の一にも満たないほどだった。けれど、それだけ仲間を集められたなら十分すぎた。もっと少ないと予想していた彼女にしてみれば、それは嬉しい誤算だったといえる。



 『浮遊大陸』。
 元リーダーが創ったのは、それだった。自らの力に物を言わせて、地面を空中に浮遊させる。
 そう言ってしまえば簡単に聞こえてしまうけれど、言うまでもなくそんなのは簡単ではない。「できるわけねーだろ」と言いたくなるようなものだ。
 だが、彼女はできた。
 そのあまりの無茶苦茶ぶりなど、誰にも理解など及ばないけれど、それでも彼女は実際に創ったのだ。自らの力で新たな土地を(まあ、空中に浮かび上がらされた所の、元の土地は彼女の知った事ではないけれど)。
 それはいくつかで創られ、一つの大陸としてではなく、各地にいくつかの大陸として存在した。そして、彼女はそこに仲間を誘導し、そして住まわせた。
 その大陸は、どういうわけなのか地上と大差なく、作物も育ったし、もちろん木だって育った。
 集まった人々はそこに簡易なものではあったが家なども作って、そしてそこに住んだ。
 仲のよかった兵士たちも、彼女の仲間になってくれた。普通の人々だって、彼女に賛同してくれた。もちろん普通の人々に戦わせたりなんかはしない。ただ、そこにいてくれるというだけでよかった。
 こちらの人数が増えれば、より人が集まってくれる。そうして、少しずつこちらの勢力を強くすればいい。地味ではあったが、それでも一番確実な方法だった。



「……さてと」
 元リーダーが宣戦布告してから、既に一ヶ月あまりが過ぎた。そろそろ、少しずつ戦いに入る頃合だ。『神』の方から攻めさせるか、それとも『魔王』が先制するのか迷っていた彼女だったが、最後は結局『魔王』だから、という理由で先制攻撃を仕掛けることにしたようだった。
 今日は、新たな勢力のリーダーとなった彼女が、皆を集めて(一つの『浮遊大陸』に集まる分には流石に人数が多いから、それは地上で)感謝と、そしてこれからのことについて話す日だ。
 人前に立つのは慣れているとはいえ、それでも緊張しないことはない。どれだけ慣れようと、それは変わらなかった。
 それでも、その表情には緊張などよりも責任感とでもいうのか、そういう表情が見て取れた。
 そして彼女は、(自分で用意した)壇上に上がり、そこに集まった人々を見やる。老若男女問わず――とは、まさにこのことだった。時刻は昼。天気は快晴。まさに、うってつけの日であった。
 彼女は深呼吸をし、そして話し出す。
「えー、と。……皆おなじみの、イリザ・シュライナよ。知ってる人は、どうも、知らない人は、初めまして。……え、皆知ってるわよね?知らない人とかいたら、ちょっと私はショックなんだけど」
 冗談交じりに、彼女、イリザは話す。聞く方も緊張していたのだが、この一言で全員緊張が解れたようだ。何人かはくすくす笑っている。自身で冗談を言っておいてだが、彼女も緊張は解れていた。はっきりと、イリザは語りかける。
「まずは、皆に感謝。ここに集まってくれた人は、わざわざ『魔王』だなんて呼ばれている私の所に来てくれた、勇者諸君。あ、でも別に魔王討伐が目的な勇者っていう意味じゃないからね。勇気ある者っていう意味――なんだけど、分かっているわよね、やっぱり。というわけで、まずは。ただただ、感謝させてもらいます」
 心を込めて、皆に言う。頭は下げない。リーダーとなった以上、下げるわけにもいかない。それでも、彼女は気持ちは伝わると、そう信じている。
「ここに集まってくれている人は、私の考えに賛同してくれている人、そう信じている。知っての通り、私たちはこのパラシアという国を、私たちの思う正しい方向へともっていくつもり。人数は、たしかに少ないかもしれない。けど、別に『神』側全員を倒さないといけない、というわけではないの。文字通り、これは『神』と『魔王』の争い、ま、仮に『神魔戦争』とでも名づけておくとして。そして、この国が戦争を仕掛けているのは『神』である3人、クオーツ・センセントルートと、エンド・クルノアと、メスティア・シャイナルによるものなの。これについては、元々そこに入っていた私が保証する。つまり、私たちはその3人を倒せば、それで目的は達成できるの。だから、私はできればこの3人以外は殺さないようにしたい。その3人だって、殺したくないし、その3人以外を殺さないのだって、無理だろうとは思う。けど、できれば皆もこの考えで統一しておいてほしい。この戦争を、私は血塗られた戦争なんかにはしたくない」
 イリザだって、それが奇麗事だとは分かっている。
 誰も殺したくない――なら、戦争なんて仕掛けない方がいいのだから。けれど、仕掛けなければそれはそれで“普通の”戦争が引き続き行われてしまうわけで、どうしても仕掛けざるをえなかった。
 だから、この戦争で多くの命が散ってしまうことになれば、それはイリザの敗北を表す。たとえ勝ったところで、それでは負けている。
「私が言いたいのは、それだけ。だからこそ、その“それだけ”を大切にしてほしい」
 人々は沈黙する。だが、それは拒絶などではもちろんない。承諾の沈黙だった。
「まあ、堅苦しいのはここまで。皆、力を抜いてね」
 少し真面目な話をしたので、再び人々は緊張していた。それを、イリザの人懐っこい笑みが打ち消す。
「今から、私がリーダーとして『神』に自分から宣戦布告してくるわ。まだ、人づてにしかしてないからね。と、ゆーわけで」
 大きく息を吸って、これまで以上の声で言う。というより、叫んだ。
「留守番、よーろしっく!」
 人々も、それに負けないような声で、叫び声で、それに応えた。
 留守番、という表現に笑う者もいたが、その光景は決して悪いものなどではなかった。
 微笑ましい。
 その言葉こそが、相応しかった。



 そして、イリザの姿が、その場から消えた。
 人々は、イリザを信じて、そして待つ。
5, 4

  

 イリザが『転移』した。
 だが、別にそれは格好良く出発するためだとかそんなのではなく、むしろ格好悪い部類に値する。なぜなら、転移したのではなくさせられたからだ。
「よっ」
「……えっ。あ、貴方は……誰?」
「ふははっ、よくぞ聞いてくれましたとさ。我様の名前はルート。『魔王』ルートだ。跪いて跪いて跪いて跪いて平伏して崇め奉るがよい」
 イリザは、どこかにいた。
 少なくとも、先ほどまで演説をしていた場所とは違うどこかというのは確実だった。それがどこなのかは分からないけれど、特に何の変哲もないような、木があったり、草があったり、平地があったり、といった所。見通しはそこまで良いとは言えない場所だったけれど。
 そこに、彼女と一人の男がいた。
 漆黒のマントに身を包んだ彼は、さながら、
「……変質者」
「ちっがぁぁぁぁぁぁうっ!」
 のようで、腰に剣を一本提げていた。冒険者のように見えなくもない、といった風貌だ。
「私を攫ってどうするつもり……って訊くまでもなかったわね」
「ふむ、物分りが良くて助かる。そう、」
「男が女を攫ったんですものね。することは一つに決まっているはずよ」
「待て。待て待て待て。その先入観はなんだ、そんなわけがないであろう」
「私一人を攫うのに、随分と手の込んだ事をしてくれたものね。……ま、『転移』でも使わなきゃ私を攫うなんて芸当は不可能だったでしょうけど。私も完全に油断していたわね」
「……いや、この際それでもいい。だからさっさと我様の話を聞いて――」
「やーよ。変質者なんかに従うもんですか」
「……」
 ものすごく落ち込んでいた。よっぽど“変質者”というワードが効いたんだろう。
 と、そこでイリザははたと気づく。
「……『魔王』?」
「さっきからそう言っているであろう。我様は『魔王』。それとも……『万魔の王』と言った方が伝わり易いか?」
「……そう」
「ふははっ、どうした。我様の偉大さにようやっとの事で気がついたのか?今からでもこれまでの無礼は許してやらんことはない。だからさっさと跪いて跪いて跪いて跪いて平伏して崇め奉るがよい」
「……私は」
「……む?」
「魔物に、それも『万魔の王』に認められるほどの美貌を持っているということなのね。ああっ、私はなんて罪な存在なのかしら。この私の美貌が憎い、憎すぎるっ!」
「……おい」
「いえ、いいのよ。何も言わずとも言いたいことはわかる。けれど……ごめんね。私にはしなければいけないこともあるし、貴方のこともよく知らないし、色々と手順を飛ばしすぎてる気がするのよ。『万魔の王』自ら私に求愛してくれるのは光栄だけれど……ごめんなさい」
「……色々と誤解しかない。それと“求愛”とか言うのはやめろ、なんだか動物みたいではないか」
「でも……積極的なアプローチはありがとう。私、そういうのは好きだから」
「だからそんなんじゃないと言っておるだろう!」
「え……違うの?」
 困惑したような表情になるイリザ。その表情に偽りの要素は見当たらず、つまりは本気で勘違いしているようだった。頭が痛いとでも言いたそうな表情に彼はなる。
「いいかげんに我様の言葉に傾聴せよっ!話が全く進まぬではないか」
「分かったわ。……ところで、私はトマトが嫌いなのよね」
「“ところで”の使い方が色々と間違っておる!」
「だってね、あの食感はどうかと思うのよ。あ、あとそれと食べた時の奴の(トマトの)反応もよ。中から汁よ?汁が出てくるのよ?あれはそう、さながら人の肉の如しよ。人の肉を食い千切ったその後に流れ出る大量の血液、そう、そんなものなのよ、奴は。私は人間なんか食べたくはないのよ、食べ物が食べたいの。あんな人肉(トマトを)をおいしそうに食べてるやつの気が知れないわね」
「や、やめろっ!そんなことを言われては無類のトマト好きである我様がトマトを食べられなくなるという事態が発生してしまうぞ、それでもよいのか!?」
「別にいいけど。というか貴方トマト好きなのね……。それに人肉の話で嫌がるだなんて、貴方本当に『万魔の王』?」
「我様ともあろう者が、そのようなものを食べるわけがなかろう!我様ほどならば、それを必要とすることなどない」
「……そう。よかった。なら、貴方と――無理に争う必要もないからね」
 彼女は口調を変えて呟く。牽制、のようなものだ。だが、それを彼は鼻で笑うかのように一蹴する。滑稽だとでも、言わんばかりの表情。
「勘違いするでない。それでも我様は『万魔の王』に変わりはない。人間を食するなどということは無くとも、それでも殺しはする。……我様を止めたいと言うならば、今の内であるぞ?今殺す事で、多くの人間の命が助かる事になるやもしれぬ」
「それは、挑発?」
「さあ、どうであろうな」
「ふうん……。ところで、貴方の発言、一見ツンデレのように聞こえなくもないわよね」
「貴様は“ところで”が言いたいだけかっ!」
「ただ、“勘違いするでない”じゃなんだかお堅いイメージになっちゃうわよ。どうせなら、“勘違いしないでよねっ”の方がありきたりとはいえ貴方のイメージに合うと私は思うのだけれど、どうかしら」
「我様のキャラを勝手に作るでない!そもそも我様は男(♂)だっ!」
「えっ……」
「そこに驚いているとはそれこそ我様が驚きだ。こんな話し方をする女が(♀)がいるはずがないであろう」
「いえ、最近は多様化しているものよ。女でも男っぽい一人称を使うというケースだって増えてきているし、その逆だってなきにしもあらずよ。そういう先入観は良くないと私は思うわけよ」
「……」
 もうどうでもいい、という顔だ。実際どっちでもいいんだろう、彼からしてみれば。というより、一向に話が進まないというこの状況に嘆き始めていた。
「で、結局のところ貴方は何がしたくて私を呼んだのかしら」
「さっきからそれを言おうとしておるのだ!」
 本気できれた。ごほん、と咳払いをしてから話を続ける。
「今回、我様がわざわざ貴様を呼んだのは他でもない、そう、」
「ところで、咳払いってなんのためにあるのかしらね」
「……」
「っ!?あ、貴方から黒いオーラ的な?」
「的な!?」
 どこかのコントか、と彼は心の中でつっこむ。とても『万魔の王』とは思えない心理状況だった。再び咳払い。
「我様が貴様を呼んだのは、我様を貴様の同志にして欲しいと思ったからだ」
「……」
 イリザは絶句。どちらかというと、反応に困るという意味での絶句だ。しばらく言葉を模索するが、たいしていいボケも思いつかず(これまでも意図的だったということだろう)、普通に返すことになる。
「意味分かんないんですけどー」
 挑発的に。
「……貴様、我様を敬う気がないな」
「変質者を敬う女がいるもんですか」
「ぐっ……」
 再び落ち込む。しかしそれでは埒が明かないと悟ったのか、すぐに立ち直ってからイリザの方を向く。
「我様はな……貴様の心意気に感動したのだっ!」
「……へ?」
「ただの人間であるというのに、その思い。我様は心を打たれた。だからこそ、たまたま覗き見していた我様も貴様の手伝いをしたいと考えるのは必然というものだ」
「えっと……貴方ってそういうキャラなの?」
「そういうキャラとはどういう?」
「ん……なんでもない」
 今度は立場逆転でイリザの方が狼狽する。覗き見をしていた理由も気になるには気になるけれど、そんなことを訊く余裕は無かった。
「とにかく貴様は何も迷うことなく我様を仲間にすればそれでよい。それで万事解決だ」
「何が解決っ!?」
「安心してよい。我様は貴様が満足できる程の力は持っていると自負しておる。足手まといのなるなど、この『万魔の王』に限ってあるはずがなかろう」
「そんなことは訊いてない」
 自分勝手に話を進めるにも程があるだろ、と心の中で彼女はつっこむ(既に自分の事は棚に上げているようだ)。
「む、信用しておらぬな」
「たしかに信用してないけど、私の思っているそれと貴方が思ってるそれとはずれてる気がする」
「よし、ついて参れ」
「聞いてないし……」
 などと言いつつも、言われた通りに彼についていく。なんだかんだ言いつつも、彼女は押しに弱いのだ。彼女は優しいから。
 少し歩くと、ある町が目に入る。距離があるが、それでも彼女はそれがどこかは分かった。なぜならそれは、彼女にとっては見慣れた町だったから。そこは、ついこの間まで彼女が働いていた町、つまりはこの国の首都だった。演説を始めたのが夕方で、さっきまでルートと話し込んでいたので今では夜になりつつある。日が沈みきった直後、といった時刻だ。
 すると、彼が彼女に尋ねる。
「よし、貴様と対立しておる者たちはあの町のどこに住んでおる。言って構わないぞ」
「言って構わない、って……どうするつもり?」
「まあ、とりあえず言ってみろ」
 渋々彼女は彼に教える。彼はそれに満足したのかご満悦だ。なんだかにこにこしていて、彼女からしてみれば気持ち悪いこと極まれりだった。
「ふむ、あの城のような建物の上の方か」
「ような、っていうより城そのものだけどね……って結局どうしたいのよ、貴方は。まさかあそこに直接攻撃をぶっ放すだなんてことはしないわよね」
「そうだが」
「またまたぁ。そんな冗談ばっかり言わなくていいわよ。いくらなんでも、そんな馬鹿な真似を『万魔の王』ともあろう御方が本気でするわけないわよね、うん」
 自分で勝手に頷いていた(こういうのを、自分で勝手に話を進める、と言うと思うのだが、無論彼女はそんなことには気づかない)。
 だが、数秒後に彼女にとっては予想外の事態が発生する。そう、彼の言った通り、さっき教えた場所が爆発した。……爆発したのだった。彼が何かの魔法でも使ったんだろう、と彼女は至って冷静に考える。遠目に見て、城の上部が崩れているのが見える。これにも彼は満足したのか、清々しいまでの笑顔を浮かべて、彼女に言う。
「さあ、締めは任せた」
「何がっ!?」
 これまでで最速の反応だった。
「何してるのよ、貴方は!あれで皆が死んじゃったらどうするつもりなのよ。というか貴方は馬鹿?馬鹿なのね、馬鹿馬鹿馬鹿っ!」
「我様に向かって馬鹿馬鹿とうるさいぞ。それに貴様はあそこにいる者たちをいつかは殺すつもりなのだろう?これぐらいでうろたえてどうする。あれしきで死ぬような輩でまあるまいし」
「まあ……そうだけど。……って私が納得するわけがないでしょう!」
「ふははっ、久々に爽快な気分だ。我様は実に楽しい、楽しいぞ!」
「話聞いてないっ!?」
 久々に大きな力を使ったようで、なんだかすっきりしているようだった。周りから見ている分には、ものすごくうざいだけだったが。
「さあ、ここに戦争の幕開けを宣言せよ。あそこに見える人間ども全員に宣戦布告するのだ。我様が全員に声を届かせることができるようにしてやるから感謝するがよい」
 暗くてあまり見えなかったが、さっきの爆発音で家から出ている人がちらほら見えた。何が起きたかようわかっていない様子に見えた、気がした。そんなことより、彼女としては彼の態度のうざさの方に気が向いていたけれど。
「……私はなんだか頭が痛いから、貴方に任せるわ」
「む、そうか。無理はよくないからな、ふむ、我様に任せよ」
 彼は、対象者の精神に直接声を伝えるという魔法を使用する。魔法のバリエーションもさることながら、町にいる人々全員にかけることができるというのは、やはり『万魔の王』ということだろう。イリザとしては、とてもそうは思えなかったが。
「人間どもよ、よく聞け、傾聴せよっ!我様こそは『魔王』ルート。『万魔の王』なり。ここに、我様と人間の『魔王』たるイリザ=シュライナなる者は貴様らに宣戦を布告する。争いに加担せし者たちよ、我様たちは貴様らの行為を許すことはない。あくまでその姿勢を崩さぬと言うならば、我様らはそれを全力で迎え撃ち、必ずやこの世界をあるべき形に戻してみせよう。……べ、別に勘違いしないでよねっ、我様らはこの世界を壊そうと思ってるわけじゃないんだからっ!」
「……」
 世界が沈黙に包まれた。
 ……。
 …………。
 ………………。
「き、貴様が言えと言ったのであろう!」
「ま、まさかの責任転嫁っ!?」
 これにて、『神魔戦争』の幕開けたる宣戦布告は終了した。
「追撃はなし……か」
 先ほどの何者かによる攻撃によって、瓦礫の山となった自室でクオーツ=センセントルートは呟く。そして魔法によるシールドを解いた。空中に浮いていた彼だったが、そのまま瓦礫の上へと降り立った。
 それに合わせて、近くにいた彼の仲間である二人、エンド=クルノアとメスティア=シャイナルも彼のそばに降り立つ。三人には特に、目立った外傷はないように見受けられる。全員が全員、攻撃を受ける直前にシールドを張ったからだろう。というより、三人が同じ部屋で話していて、三人の中の一人が攻撃を察知したからという方が正しい。
「イリザも、随分と積極的になったものだな」
 凛とした女の声。彼女がメスティア=シャイナルだ。その風貌の力強さは、一見すると一流の騎士のようにも見える。腰にも一本の剣が提げてあるので、これで馬にでも乗っていればそれで騎士に見えるだろう。
「え、ええと……こ、これは、イリザさんじゃないと、僕は思うんですけど……」
 一方で、気の弱そうな雰囲気を醸し出しているのがエンド=クルノア。武器などは携帯しておらず、見た目は学者のように見えなくもない。チャームポイントは眼鏡、といったところか。
「『万魔の王』ルート……か。なんなんだかな、そいつは。まさか本当に『万魔の王』とは思えんしな」
「いや、案外本当かもしれねえぞ。真偽なんて俺の知ったことではないけどよ」
 クオーツの口調は、どちらかというと冗談に近いものだった。他の二人も、まさか本当に『万魔の王』がイリザについているとは考えていないようだ。信じる方が珍しいというものだ。
「それにしても……まさかイリザが本当に宣戦布告してくるとはな。俺としちゃ、できれば冗談であってほしかったんだが、そう上手く事が運ぶわけもない……か」
 イリザが追っ手を返り討ちにして、謀反をしたと報告された時、もちろん三人は冗談だと受け取った。共に国を治めてきたイリザが、その中でもリーダーであったイリザがそんなことをするとは、考えられるはずもなかった。だが、そんな三人の考えとは裏腹に、それを虚実であるという発表は一度たりともなく、むしろ三人にとっては都合の悪いことにイリザ側の勢力につき始める地域が現れ始める始末。最初から信じていなかった分対応が送れ、結果としてイリザ側にも多くの仲間を作らせることになってしまった。
 こちらの側には遠く及ばない――ということもなくなってしまい、一筋縄ではいかない状況になってしまっている。
「こう宣戦布告されちゃあ、流石に軍も動かさざるを得なくなっちまうよなあ」
 この一ヶ月ほどは、イリザ側も目立った動きはせず、あくまで仲間を集めているという段階だった。いつか戦う事になってしまうのかもしれないという危惧はあったものの、それでも実際に戦闘が行われたことはなく、一種の冷戦ともいえた。だが、現在首都にいる一般の人々にさえも宣言されてしまった今、これまでのように対応するというわけにもいかない。『革命』は、そう簡単にさせていいものではない。
「どうするん……ですか?僕は……イリザさんとは、争いたくはありません。あの人だって、そう思っている、はずです」
「私とて同意見だ。だが、私たちまでもがこの国を捨てるわけにはいかない。国の中心人物たる私たち全員が国を捨てては、この国を統べる者もいなくなるし、かといって、イリザの意見に賛成するというのもこの状況下では不可能だ」
 戦争に反対する人々がイリザの元に集まったということは、つまり、今現在こちら側にいる人々は戦争に賛成する人々、もしくはどちらでもいい人々ということだ(大半は後者ではないかと思われる)。
「……どうしたらいい、んだろうなあ俺たち」
「……」
「……」
 クオーツの問いに答える声はない。全員、こうなってしまっては戦うしかないということは自覚している。ただ、戦いたくないとも思っている。相反する二つの事柄に挟まれ、悩んでいるということだ。
「あいつも俺たちも、どっちも平和を願ってるだけんだよな」
「ああ。少なくとも私は、この世界を平和にしたいと考えている。そのために戦争をするというのも皮肉なものだが、その皮肉を受け入れる覚悟はある」
「僕もです。僕たちの進む道が正しいのか、イリザさんが進む道が正しいのか、それは僕には分かりませんけど……それでも、僕はこれが正しいと思えるから。僕は、この道を選ぶ」
「……そうだな。お前の言う通りだ。俺たちがこの世界に戦いを引き起こしているとはいえ、それはいつか平和に繋がる。未来永劫とはいかないだろうが、それでも俺たちの目指す平和はそこにある。平和は、作られるものではなく――」
「――作るものだ」
 瓦礫の山で、三人は確かめ合う。誰が正しく、誰が間違っているのかなんていうのは彼らには関係ない。多くの人々がこちらについている以上、それは一つの正義。それに反する者が――『魔王』。戦う運命は避けられない。
「でも……できることなら、僕はイリザさんを説得したい。戦うのは、その上での方がいいと、思います」
「当然だろ。それをしないのは、ただの悪党だ。俺たちはあくまで、悪党になるつもりはねえ」
 言うまでもない――そんな表情。言葉にしなくとも、それぐらいは三人の間で伝わる。
 そしてこの頃になってようやく、騒ぎを聞きつけた兵士たちが集まってきた。爆発の被害は思ったほどではなく、三人の部屋が全壊する程度だった。三人にとっては十分深刻だったが、それはそれ。



「……なるほどね」
 と、“遠くから盗聴していた”イリザが呟く。元仲間の三人にそれが気づかれていた様子はなく、無事に盗聴成功といったところだろう。イリザの魔法をもってすれば、これしきは容易い。
「貴様も、随分な仲間を持っていたようだな。敵とはいえ、流石の我様も感嘆の意を表しよう」
 尊大な態度でルートは言う。というより、これが彼の標準なのだが。
「そりゃあね。血迷ってるのは、状況を顧みるに明らかに私の方だからね。実際、三人の方が正しいの。あくまで私は『魔王』、決して正義にはなり得ない。あなたもそれは分かっているのでしょう?」
「というより、我様は貴様のその姿にこそ惹かれたのだがな。自ら『魔王』となることも厭わぬその心意気、我様感動っ!」
「……あっそ」
 心底どうでもいいという態度で、彼女はそっけなく返す。事実、どうでもいい。
「……はあ」
「どうした、今更心変わりでもしたのか」
「そんなのじゃないわ。むしろ逆というか、なんというか……」
「ほう……戦う決心がついた、か?」
「そう」
 彼女も、三人と戦うというのは迷っていた。おそらくそれは、元々はリーダーであった彼女は三人に比べてもより強く。どうにかして戦いを避けられないかだとか、そんなことをよく考えていた。けれど、改めて三人の思いを聞いた(盗聴した)今、なにかが彼女の中で吹っ切れた。たぶんそれは、三人の思いの強さを確かめたことによるのだろう。
「ふむ……なんというか、実に貴様らしい意味不明っぷりだな」
「あなたに意味不明呼ばわりされたくはない」
「そう言うでない、褒め言葉だ」
「どこに褒めの要素があるのかしらね。そんなことばっか言うのなら、あなたをトマトの海に沈めるわよ」
「どんな状況っ!?」
 実に他愛無い会話を、二人はなお続ける。
7, 6

  

 それから月日が流れる。
 宣戦布告のようなものをしたものの、別段これまでと変わりは無く、あれ以降大きな衝突といえる衝突はなかった。あったのといえば、それまで同様の小さな衝突、死者など出ないようなものだった。それはたまたまというわけではなく、『魔王』側と『神』側とが両方ともが争いを操作していたからだ。『魔王』はなるべく戦いを起こさないように考えて、『神』はそんな『魔王』の意図を読んで、互いに大きな衝突が起きないようにしていたのだった。
 けれど、そうは言ってもそれは長く続くものではない。当然そういう均衡状態を嫌う人間というのは多く存在する。そしてそういう人間は“改革”を目指して集まった『魔王』側に多く存在し、日々その不満は大きくなっていった。最初はたいした影響もなかったものの、それでもそういう思いというのは伝染するもので、争いの風潮が高まっていった。
「……はぁー」
「ふむ、どうしたのだ『魔王』。貴様らしくもなく溜息などついて。さてはエロいことでも考えておるな」
 彼女はドスッ、と鳩尾に突きを入れる。本気で。
 悶えるルートを無視して彼女は話す。
「そんなのじゃないわ。ただ、私は今の戦局に苦しんでるだけ。ちょっと好ましくないからね」
 そして再び溜息をつく。
「争いは避けられないというのは最初から分かってたけど、やっぱりそれが近づいてくるとね……。こうなると、さっさとあの三人と決着をつけないと駄目になるわけだけどどうしようかな」
「争っては駄目なのか?」
「駄目。それで目的を達成したって、私の目的は達成できない。あくまで私は、今の国の方針だけを変えたいの。国力を疲弊だとか、そいうのはしないほうがいい。周りの国から攻められても困るしね」
「あくまであの三人との決着、か。……理解した。ならば、我様がその場を設けてやらんこともない」
「それができれば苦労はしないのよ。当然三人の周りには守ってる人間が多いだろうし、だから三人に会うのも大変なのよ。私の力を以ってして武力行使でもすれば別に不可能なわけでもないけど、それじゃ交渉の余地もなくなってしまうでしょ。会おうと思うと、その人間をどうにかするしかない」
「……ふはっ、貴様は馬鹿か?大切なことを忘れておるだろう」
「大切なこと?別にもう食後の薬なら飲んだけれど」
「そんなことではない。というか貴様はなにかの病気なのか」
「さて、どうでしょう」
「ふむ……まあよい。貴様は、我様が『万魔の王』ということを忘れているのではないか?」
「貴方が『万魔の王』だっていうことが、今の話に関係するの?“敬え”だとか言ったらもう一回殴るわよ」
「そんなことは言わん。まあ……とりあえず我様の提案でも聞いてみるがよい。聞くことを許そう」
 尊大な態度で、彼は言う。



 それから一月後。いよいよ衝突が避けられないという状況になってきた頃、ついに事態は動き出した。つまり、本格的な戦争の始まりの合図。それが改革を目指す陣営で――『魔王』側で出たのだった。
 『魔王』からの指令は以下の通り。
《まず、こちらの陣営での目下の問題は知っての通り人員不足。こればかりはどうしようもなく覆すのだって無理でしょうね。だから、今現在各地に散らばっている敵の人員が一箇所に集まって首都を守ってしまう前に、一気にかたをつける。具体的に言うと、一番首都に近い町をまずは占領して、それからその勢いで首都にも攻め込む。物資だとかは占領した町だとかにもあるだろうから問題はないし、これなら各地から人が集まる前に決着をつけられる。――まあたしかに無茶なんだけど、こうでもしないと人員不足も補えないからね。ただもちろん、私が首都の方に牽制しといて、それから攻め込むことになるわ。私に注意が向いている間に、そっちが攻めるということね。先に断っておくと、いくら私でもあまりの数の差は覆せないからそちらは迅速に行動する事。万が一短時間で攻め落とせないと思った場合、もしくはなんらかのハプニングが起きてしまった場合は潔く撤退しておくこと。……ああ、別に合図だとかはいらないわよ。私はどちらにせよ自分の判断で撤退するから安心して。作戦決行が明朝だから、遅くとも次の日のそれぐらいまでには皆を見つけれると思うけど、詳しくは分からないわね。追っ手を撒かないといけないしね》
 というもの。衝突を嫌っていた『魔王』の、初めてのそれらしい指令だった。
 そしてその指令から3日後の夜、『魔王』軍はその町へと向かった。作戦の決行は明朝。イリザの“合図”から少し遅れての決行となる。だから、彼らは、夜の間は隠れて時を過ごすつもりだったのだ。そういう手はずだった。
 けれど、彼らはイリザの懸念していたハプニングというのに遭遇してしまったのだった。つまりは、先客。
 彼らが予定の位置へと着いた頃には既に、その町の上空に一つの巨大な影――『最古の古龍』グレイズヴェルドの姿があったのだった。夜の闇に映える、月の光に照らされるその姿は噂どおりの荘厳な姿で、彼らの目を惹き付けると同時に――次元の違いを否応無く思い知らせた。
 ――結果、彼らはやむなく撤退。どうしてこんな所に、こんな時に古龍がいるのかを疑問に思い、かつ恐怖を抱き、指示されていた通りに撤退したのだった。



「要は、首都にいる兵士たちを別のところに移動させればよいだけであろう」
「それができないから私は苦労しているのよ」
「ふははっ、別に我様たちが移動させようとする必要はないのだよ。つまり、それらの人間に自主的に移動させるような事態を起こせばよい。そしてそれは、『万魔の王』たる我様には造作もないことなのだよ」
「――なるほど、近くの町で騒動でも起こしてそっちに人員を割かせるということね。たしかに『万魔の王』たる貴方が近くの町で暴れているともなれば否応なしに反応するしかない……か。とてもじゃないけど貴方は一つの街の人員だけで相手が務まるような存在じゃないのは確かね。貴方にしては珍しくまともな意見じゃない」
「珍しく、は余計だ。……まあ、我様が暴れると決まったわけではないがな。というより、我様は貴様についていくつもりだからそっちで暴れるという役は受けることはできんな」
「別にいいわ、こっちについてこなくても。むしろついてこないでくれないかしら」
「我様はついていくもんっ。べ、別に我様は貴様が心配だとかそんなのではないんだから勘違いしないでよねっ」
「…………」
「……いやあの、マジ顔でドン引きされても困るのだが」
「…………ただ。その案でも一つ問題あるんじゃないかしら」
「ほぅ。この我様の緻密なる厳選された崇高な即興の即席の即座な適当な作戦たる戦略を無下に扱おうとは笑止千万、千客万来」
「客が来てどうすんのよ」
「……。で、問題とはなんなのだ」
「受け流せてないわよ。……そうね、単純な話よ。この戦いは知っての通り私だけの力で解決していいものではない。多くの人が協力した末に手にした勝利でないと意味がないわけよ。押し付けの平和じゃ、これまでとなんら変わりはないからね。でも貴方の計画だと“改革派”の人たちの出る幕が無いのよ。貴方が暴れている隙に私たち全員で首都を攻めるにしろ、貴方以外の誰かが暴れている隙にそうするにしろ、どうしてそんな人が協力しているのかっていう疑問がみんなの間で広がってしまう。貴方も分かっているでしょう、自分が『万魔の王』であるということは全員知らないことだと。みんなの間での貴方の認識は『いつもイリザにこき使われてる可哀想な友人役B』だってことも知ってるでしょう?」
「なぜBなんだ。Aはどこにいった、Aは」
「馬鹿ね、BがいるからってAがいる、なんてのは先入観以外の何物でもないことなのよ。言葉の順でAの次がB、それは確かに事実だけれど、別に言葉とか文字なんてのは記号であって世界の真実なんかじゃない。BさんがいるからってAさんがいるだなんて断言できる方程式は存在しない」
「そんなことはどうでもいいだろう!というよりもなぜこのような話になっている!」
「勝手に可愛く普通に勝手、それこそ私のチャームポイント♪」
「そこで開き直るか……。ふむ……貴様の仲間たちにも関わらせれば問題は無いのだな。ならば、別の手の打ちようもある。そうだな、そやつらにはその“暴れる”町に向かわせるというのはどうだ?時間制限などを設けておいて、それを満たせそうになければ撤退させるようにすればよいのだ。その辺りの詳細は貴様に一任させてもらうが、それならば“ハプニング”として扱う事が出来るから貴様が『神』の三人と勝手に話をつけたところで問題はないだろうからな。どうだ、我様の偉大なる計画。恐れ入れ」
「その尊大な態度はいらないにしても、その計画はなかなかの良案かもしれないわね……。うん、もう少し調整だとかして、それベースで計画でも立ててみようかしらね。ありがとう、ルート。助かったわ」
「――っ!べ、別に貴様などに感謝されたところで――」
「もういい加減にそのネタやめなさい。貴方は男でしょうが。目の毒ならぬ耳の毒だから即刻停止を求める」



「――ってなわけで、ついにやって来ました首都」
「どうして疲れたような口調なのだ」
「貴方がいるからよ」
 もうすぐ日が明ける。ルートによると、今頃『最古の古龍』が首都の近くの町で暴れている――牽制しているという。イリザとしてはなんでこんな馬鹿にそんな繋がりがあるのか甚だ疑問だったのだが、それは一応無視しておくとして。
 ルートにどこかに連れて行かれ、そこで会ったのはなんと『最古の古龍』。現存する古龍の中でも最も古くから生きていると呼ばれる、最強の古龍。そんな古龍に、なんと協力を要請しに行ったのだった。アポなしで。
 いや、協力の要請なんてものじゃなかった。むしろ、挑発といえた。実はこの『万魔の王』と『最古の古龍』、犬猿の仲だったのだ。『最古の古龍』が視界に映ったやいなや、いきなり攻撃してきたのだから。そしてそれにルートが乗ろうとするのだから余計ややこしくなった(イリザがルートを背後から回し蹴りで吹っ飛ばしてそれを止めた。それにあっけにとらわれている隙に、イリザが交渉した)。
 交渉の結果(これも交渉ではなく、ルートが首都の近くの町にいるからそこで決闘しようという挑発だった。日時と時間を指定してそこで決闘することとなった)、なんとか『最古の古龍』をあの町におびき寄せることに成功した。なぜそんな所で決闘などするのか『最古の古龍』は別に気にすることも無かったようで、イリザとしては一安心だった。ただ、近くに人間がいるので彼らを攻撃しないように、という約束はイリザから頼んだ。攻撃されても牽制だけしておいてくれ、ということだ。それも受諾してくれて、そして今に至る。
 ――だから『最古の古龍』は別に協力してくれている、というわけでもない。決闘相手のルートがここにいるのだから、『最古の古龍』に対してイリザは同情しているけれど。
「――この町の兵士たちもむこうの町に行ってくれただろうし、そろそろ行こうかしらね」
「そうだな」
 別に隠れはしない。正々堂々、正面から。イリザは『魔王』としての役割を果たすために。まずは――正門をブチ破った。
 正門をブチ破ってからは早かった。自分の庭ともいえる町を、ただひたすらに真っ直ぐに城(まだちょっと崩れている)へと向かう。さっきの轟音で目が覚めたのか、ちらほらと人が見えるものの、それでもイリザが歩いているのを見た人々は特に騒ぎ立てることも無く静かに家へと戻っていく。町の人々も、心の底ではイリザを信頼している。それでも他の三人とどちらが正しいのか判断がつかずに、ただ流れに任せて三人の方へと味方しているに過ぎない。だから別に邪魔するわけでもないし、協力するわけでもない。
 そして城へと着くと、そこには門番の兵士が二人いた。多くの兵士はもう一つの町の方へと行っているのだろうが、それでも全員行っているというわけではない。最低限の警備は残してあるままだ。
 そんな彼らにイリザは言う。
「『魔王』様の降臨よ。『神』様たちにお伝え願えるかしら?」
 沈黙。張り詰めた空気――ではなく、なんだか気まずい空気が流れる。
「……え、なにこれ、私?私が原因?」
「他に誰がおる」
 的確な迅速なつっこみ。珍しいシチュエーションと言うべきか否か。しばらく気まずい空気に包まれたままとなる。それに耐えかねたのか、イリザはいい方法を思いついたかのような表情になる。
「そっか、別に正攻法で行く必要性はないのよね。立場的に『魔王』を名乗ってるんだし。ふふ、ふふふ……」
 兵士たちが一歩後ずさる。ついでにルートも。
「この世の地獄を見せてあ・げ・る♪」
「怖いわっ!」
 的確に迅速に畏敬の念を込めてつっこむ。



 結果として、別に何もしなかった。なぜなら既に彼らは“イリザがやってきたら素直に通すように”と命令されていたからだ。だから初めから素直に通すつもりだったらしい。
「まるで私が今日やって来るのが分かってたみたいね――クオーツ」
「――まあな」
 そして三人がいる部屋へと通される。既に中には三人が待機していて、まさにこのタイミングでやってくることが分かっていたかのような手際のよさだった。
「こんなタイミングで、自然に『最古の古龍』が山から下りてくるわけはないだろうからな。何か仕掛けてくるなんてのが分からないわけがないだろ。むしろ分からない方が重症だ」
「ま、当然よね。わざわざ分かり易くしてあげたんだから」
 答えるイリザも、別に驚いてはいない。事実、わざわざ分かり易いような作戦を考えたのだから。
 “どう対応するか迷っていた”イリザだったが、実際は“どうしたら分かり易い作戦を考えられるか”で迷っていただけだった。頭が回りすぎるイリザは、逆に分かり易い作戦というのがどのようなものかが理解できなかった。彼女としては、いくらでも奇策と呼ばれるものは思い浮かぶ。相手の裏をかく事に関しては自分の右に出る者はいないとさえ彼女自身自負していて、現実問題それは正しい。
 ただしそのせいで簡単な策というのが思い浮かばなくて困っていたところで、ルートの“分かり易い策”というのが登場した。彼女としては、「ルートさえも思い浮かぶんだし、誰でも思い浮かぶわよね」という考えの下での採用だった。本人には言っていないが。
「みんな、久しぶり。きちんと会うのはいつぶりかしらね」
「ああ、久しぶりだな」
「お久しぶりです、イリザさん」
「お……お久しぶりです……」
 さも普通、とでも言わんかのような挨拶。
「馬鹿げた改革を断念するために来た……ってのじゃもちろんねえよな。やめるなら、もっと早くからやめてるだろうしな」
「ま、そりゃそうよね。ここまできて、引き下がるような人間じゃないもの、私は。それはみんなも知っているだろうし」
「私はイリザさんのそういうところが好きですし、そして尊敬しています。私には、そういうことができませんから」
 そう言うメスティアの言葉は決して嫌味だとかそんなのではなく、ただ単に尊敬しているというものだった。
「貴女はそれでいいのよティー。攻めの要のクオーツ、攻め兼守りの要のティー、後方支援のエンド、そして作戦指揮兼特攻隊長のこの私イリザ、それが私たちの理想形だったんだから。自分に足りないことなんて、他のみんなが補ってくれるから大丈夫。だから貴女はもっと自分に自信を持った方がいいわね。……もちろんエンドもね」
「ごもっともですね」
 間違いを正すかのように諭すイリザ。そしてそれを三人は止める事も無くむしろ聞き入る。それこそが、昔からの四人の日常だった。その日常を、イリザは自らで終わらせる。
「……分かってるだろうけど、そんなに時間は無い。騒ぎになってるかはともかくとして、時間をかけるのは私にとっては得策じゃない。だから世間話的なのもここまでにしておくとして、そろそろ本題に入るわよ。ここまできたらもう――言葉なんて無駄。どちらも譲れないのだから、潔く決着をつけましょう。戦いに入る前に言っておきたいことは何かあるかしら?」
「……一つ、ある」
 クオーツが、イリザを真っ直ぐに見据える。今にもその均衡がはちきれそうな、そんな静寂。ただ静かに、言葉を発する事も無く沈黙する。それから数瞬の後、ゆっくりとクオーツがそれを告げる。そう、“神魔戦争”の終戦を。
「俺たちは、あんたに投降する」
「……………………んんっ?」
 呆然としているかのような返答。イリザとルートの目が“点”になる。
「……ごめん、今なんて?」
「だから、この戦争ごっこはやめにするってことだよ。あんたの思想に賛同する」
(…………え、えええええっ?)
 イリザは、ズバリ戸惑った。ルートは、固まった。

 戦争は、終戦へと向かう。
9, 8

  

「あら、あららららっ!? なんだか私、今とーっても聞き捨てなら無い一言を聞いた気がするんですけれど」
「……?」
 どこからか、女の子の声がした。声から判断するに小さな女の子のようだったけれど、どうしてこんな状況で?
 そんなことを私が思っていると、一人の女の子が私とクオーツの真ん中に立っていた。いつのまにか、全く誰にも気取らせる事無く。見た目は普通なのに、なんだかその存在が間違っているようで――気味が悪く。表現し難いけれど、なにかがズレている。まるで、体と心の持ち主が違うかのような。
「もうっ、駄目じゃないですかみなさん。折角私が出てきたというのに、もう消そうとするだなんて。私は御立腹なんですよ。みなさんはここで戦う運命なんですから、きちんと責務を果たしてもらわないと」
「ちょっと貴女――いったい何を」
「つ・き・ま・し・て・わぁっ!! ……みなさん死んでくれますぅ?」
 そして――消えた。
(……っ!? 一体どこに――)
「でわでわぁ、またいつの日かお会いできますことを祈りまして、死んでくださいね♪」
「ぅ……ぉっ!?」
 どうやって移動したのだろうか、彼女はルートの懐に入っていて、そして彼の胸に手を当てていた。体勢としては精一杯背伸びしているようななんじだった。けれど、それはすぐに終わる。ルートが“消えた”からだ。彼が何かしらの魔法を使ったようには見受けられない、この彼女がその“何か”をしたんだろう。
「貴女、彼をいったいどこに――」
「殺しましたよ」
「…………え?」
「少々抵抗されたみたいで、存在ごとの“情報”の抹消はできませんでしたが、それでも今この場での彼は死にました。運が良ければ数百年後ぐらいにまた生き返ってるんじゃないですかね」
「こ、ろし……た?」
 あいつを? あの自尊心の塊の彼を?『万魔の王』の彼を?
「あ、もしかして会えなくなったことを悲しんでいるんですか?だったら安心してください、あなただけでもいつか生き返られるように殺してあげますから」
 いや、そんなことじゃない。一体、どうしてこんな事態が発生しているの?このまま話し合いで解決できそうな流れだったのに、この子は一体……?ルートが死んだ云々はよく分からないにしても、何かが異常だ。なんだか世界が――狂っている。
 まるでこの子は、全てを台無しにするためだけの存在――というよりも駒のようで、私には何が何だか分からない。この子はどこかが終わっている。始まっていないにしても、終わっている。始まりはなく、終わりだけをもたらす存在とでも言うのだろうか。
「イリザ、なんにしてもこいつは不確定材料過ぎる。どうこう言う前に拘束したほうが良さそうだぜ」
 クオーツもこの存在の異常さを感じ取ったのだろう、声にもどこか余裕が感じられない。
「イリザさん……この女の子……どこか変です……」
「……エンド?」
「なんだか……まるで中身と外見が一致しないみたいな……」
 中身と外見が不一致、か。なるほど、言われてみればそんな気がしないでもない。本来存在しないはずの存在が現れているとも言える気がする。
「はいはーい、余計な詮索は女の子に嫌われちゃうんですよー? 以上、私によるお得情報でしたーっ」
 そしてまた――消える。
(この消え方も……なんだか変。さっき感じたのは、まるで彼女が初めからそこにいたという錯覚。世界が根底からひっくり返されるような、そんな違和感)
「さてさてぇー、これで二人目ですね」
 声を辿ると、彼女はエンドが“立っていた”場所にいた。彼もまた、ルートと同じく消えていた。これまでと同様、それは、彼はそこに初めからそこに存在しなかった、とでも言わんばかりの違和感を私たちに残した。
(ま、さかっ……この子は……!?)
「貴様、図に乗るのも大概にしておけっ!」
 私が最悪の予想に辿りついた時、運悪くメスティアが彼女に対して抜剣して駆け始めた。静止の声をかけるが、その時既に遅かった。
「ティーっ! 待ってっ――」
「これで残るは二人、と」
 そしてメスティアさえも消される。今度もまた、彼女はいつの間にか移動していた。いや、移動じゃない。あれは、そんな類のものじゃない。
「ちっ、なんつー移動術だ。早いのか、魔法なのか……」
「クオーツ、そんなのじゃないわ。あれは……彼女が初めからあそこにいたから、ただその場所にいるだけなんだから」
「……なんだそりゃ?」
「つまり――」
「――えーっとですね、他人の個人情報をばらそうとするのはやめておいた方がいいと思うんですよね、私は。プライバシーの侵害です、そういうネタばらし、やめません?」
 にこり、と。悪意に満ちた笑顔。手に握っているのは、投擲用ではなく、大振りのナイフ。それも、さっきまでは持っていなかった。つまり今度はどこからか出した。
「……脅迫のつもり? 今更そんなことで驚きはしないわよ」
「あら、そうですか。残念です。でしたら、これはあなたにあげましょう」
「……?」
 数瞬後、それが私に“刺さっていた”。左の手首と肘の間、そこにそれが刺さっていた。あまりに一瞬すぎて、体の痛覚が追いつかないほどのスピード。いや、スピードではない。
 それを理解したところで、遅れて痛みがやってくる。
「ぐぅ……ぁっ……」
「なっ――」
 さっきまで彼女が持っていたナイフがいつの間にか消えていることにクオーツも気づいたんだろう。そして今度は私が声を洩らしたのでこっちを見てみたら、腕にナイフが刺さっているのが見えたといったところだろうか。
 大振りのナイフ、けれど意外と傷は浅い。こうして色々と考えている今だって絶え間ない痛みに襲われている私だけれど、それでもそういうことを考えられるだけの痛み。投げたらこんな傷にはならない。つまりこれも、“初めからそこにあった”。そういう風に――彼女が情報を改ざんした、ということだ。
 自身や物質における位置座標の改ざん。
 存在という情報の抹消。
 それこそが、これまでの彼女の行動の正体だ。つまりは……“消された”みんなは、彼女の言うとおりに殺された。消去されたんだから……それはつまり、死。
「あー、……なんでかしらねぇ」
 遠くを少し見つめてから、彼女を睨みつける。
「無性に腹が立ってきた」
「――っ!?」
 驚愕の――というよりは恐怖の表情を浮かべたのはクオーツだ。……無理も無い、自分で理解しているというのも変だけれど、私は怒ると怖い。半端じゃないぐらい怖い、らしい(クオーツ体験談)。
 自分で分かるくらいに不機嫌な顔を浮かべて、扇をパッと開いた。
「……クオーツ、突撃」
「っ、分かった」
 そのまま真っ直ぐにクオーツは彼女の方へと走り出す。当の彼女の方はというと実に余裕ありげな表情で、彼を見ている。
 そして、また“何か”をしようとしたんだろう。が、何も起きない。
「あら――?」
「ぅらぁっ!!」
 その間に、クオーツが彼女を一閃。斬ったクオーツさえも驚くほど彼女が何もしてこなかったので、見事に直撃。胴の部分で上と下とに体が分かれる。……血が噴き出す。血の噴水と言っても過言ではないほどの血の嵐。
 それでも何も無く、むしろ呆気にとられて彼も動けない。その“彼女”の血を返り血として大量に浴びることになっているが、驚きで動く事ができなかった。
「……『退魔』、ってね」
 ようは私が彼女の魔法を妨害したわけだ。だから当然さっきみたいな移動は起きないし、消されることもなかった。単純にそれだけの話、彼女は何もしなかったんじゃなくて、させてもらえなかった。そういうことだ。
 全身血まみれとなった彼が、はっとしたのかこちらを向く。
「今ので終わり……なのか?」
「手を下した貴方自身がそれをよく理解していると思うけれど?」
「いや、まあ……なんか、呆気なさ過ぎやしないか? あれだけの人間が、これだけで死ぬとは思えないというか、なんというか……」
「別にそうでもないんじゃないかしら。現実世界、そんなにくどくどと長い時間かけてやるような戦いなんてほとんどありえないし、物事なんてどんなことでも、呆気ないものだと思うわよ」
 これは私の本音だ。別に悟ったわけでもなんでもないけれど、経験上での話。終わってみれば、物事なんて大抵は呆気ない。すぐに過ぎ去ってしまうものだ。
 なんだか彼は渋々納得といった表情で同意する。
「…………こりゃー、服の洗濯が大変だな。新しい服でも用意してもらうとするか」
「そうしといた方がいいと思う……け、ど……!?」
 それが彼が“消える”直前、最期に言った言葉となった。
(また、感じる――)
 あの、どうしようもない違和感。ソレが、彼がいた場所になお立っていた。斬られたなんて、そんな事実は存在しないとでも言いたげな風貌でなお――彼女は立つ。
「これであなたで最後ですね。安心してください、あなたを消した後の事後処理に関しては、私の独断と偏見で創り上げてあげましょう」
「本当に……何でもありなのね……!!」
 私は気圧され、そして――なお一歩前へと進み出た。
「……駄目ね、これじゃ」
 私は扇を地面に落とす。既に、さっきの彼女のナイフによって右腕の感覚が無くなっていた。無理をしたせいか、少し頭もクラっとする。
「せめて、これだけは……!!」
 最後の力を振り絞り――最期の力を振り絞り、魔法を行使する。それは、扇の転移。ただし私は転移魔法というのが得意ではないので、少し工夫する。
 私の人格を、それに模写する。
 そうすることで、この転移は“物”の転移ではなく“自身”の転移として行使でき、その分簡単になる。
 そして扇が消える。転移先は自身――“時”の補正を加えて、未来の子孫だ。幸いにして子供はいるので叶うはずだ(暴露するなら、私とクオーツは既に結婚している。同様に、メスティアとエンドも然りだ。だからこそ、エンドが消された時にメスティアはあんな、らしくもない行動に出たんだと思う)。彼女の魔法を読み取って、将来『万魔の王』が再び覚醒する時代、そこに扇を送り込む。上手くいけばいいけれど、どうなることやら。
「さて、では終わりましたか? 最後の悪あがきは」
「まあね」
「そうですか、でしたらさっさと消えてくださいな」
 フッと彼女が消えた。私はもう抵抗しない、あるがままに流れに身を任せる。今回は敗れる、けれど次はそうはいかない。必ず、たとえ道連れだろうとも、勝利してみせる。次があるだなんていうのも馬鹿らしい話だけれど、それでも負けっぱなしなんてのはもっと馬鹿らしい。
 なぜなら私は、負けず嫌いだから。



【『パラ教』教典】
 
 ――なお、この宗教は『神魔戦争』と呼ばれる、数人の争いから学んだ事によって生み出された世界平和を目指すためのものである。かつて、世界には『神』と呼ばれる三人の人間と、『魔王』と呼ばれる人間が二人存在した。それぞれに人間は属し、そして争ったという。その争いを終結へと導いたのが『神』である三人とされた。その五人だけで集まり、決着をつけたと言われている。その内容は定かではないが、熾烈を争うものだったと伝えられている。その結果として『神』が勝利したものの、その三人の『神』さへも他の『魔王』二人と同様に、決着後に亡くなってしまったそうだ。しかし、その死の直前に『神』の一人はこう言ったそうだ。
《たとえ争いで世界を統一することになっても、指導者というのはこの世界には必要だ。たとえ何と思われようと、まずは世界を統一してから議論するべきである。しかし、決して驕ってはいけない。決して敗戦者の人間を下に見ることは許されることではない。相手も自分と同じ人間である――》
 そう言い残して、最後の『神』も息絶えたのである。よって、我々はこの遺志に則り遺志に従う必要がある。世界を救った『神』の遺志を蔑ろにしていい道理など、世界には存在しない。
 我々はここに、正々堂々たる統一を目指すことを宣言する。



「――という具合の筋書きでどうでしょうかねー。きゃはっ、実に偽善ぶってて私好みの筋書きじゃないですか。我ながら、なかなかいい物語を考えたものです。消した方々にも配慮を怠らないこの私、実に最高です。さて、では改ざんさせてもらうとしましょうか。世界の人々の記憶や書物や記録――その他諸々の改ざんですか、久しぶりに大仕事ですね。まあなんとかなりますよね――私ですし。……きゃはっ」
11, 10

黒鷺 先生に励ましのお便りを送ろう!!

〒みんなの感想を読む

<< 前 次 >>

トップに戻る