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第三話 主人公が不在の部屋

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三.主人公が不在の部屋


 ひとまず引かれた共同戦線であったが、その効果はたかだか知れているだろう。いずれにしても、第二のヒントのみで解答にたどり着くのは難しいように、他の誰でもない俺が作ったのだから。
 この第二のヒントというのはむしろ、交代で解答権が与えられるがゆえのルールだと思っておいた方が良いのだ。一度解答を間違えれば、相手の失策を待つしか自分には打つ手が無くなるというルール。自らの解答に対してある程度の自信を持たない限り、我先にと答える気にはなれないだろう。第二のヒントの役割とはつまり、その自信の材料となりうる物をこちらからあえて与えてやろうという事。第二のヒントそれだけでは、真実を手繰り寄せる為の糸巻にはなりえない。おそらく、その辺の感覚は十分彼女達も掴めているはずだ。ヒント二つを同時に出さず、まず第一のヒント、それから第二のヒントという順番で出した意図を少し考えれば分かる事。キーワードは必ず第一のヒント「きっかけ」に関係しているが、第二のヒント「部屋の中にある物」が即解答になるはずがない。
 とはいえ、これは心理と情報のゲーム。解答を導き出すには、それがどんな内容であれとにかく相手からより多くの言葉を引き出すのが最善であり最強の方法。その点から言えば、先程の御代の提案は沈黙が続くよりは遥かに有益だと言えるだろう。
「まず、お前がこの部屋の中で一番気になるのは何だ?」
 最初に御代が阿竹に意見を求めた。阿竹は見回して、ある物を指差した。
 それは俺の机の上に置かれた、パソコンだった。
「あの中に、何かヒントがあるかもしれない」
 御代と阿竹はただ無言でパソコンを見つめる。何を考えているのだろうか、モニター越しではやや測りかねる。
「……お前、やましい事は考えていないだろうな?」
「やましい事を考えてると思うあなたこそ、やましい事を考えているんじゃない?」
 口を一文字に結び、またも睨みあう二人。早くも共同戦線崩壊の危機だ。
「そもそもあなたの言うやましい事って何?」
 阿竹はなじるように御代に迫る。御代はそれを受け流すでもなく否定するでもなくただ堪え、どうにかこうにか応戦する、と表現した方が盛り上がるのかもしれないが、やはり御代は御代だった。御代は、さも当然の事のように簡潔に答える。
「そんな物、『エロ』に決まっているだろうが」
 俺は思わず噴出しそうになった。もしも何か飲み物を飲んでいる途中だったら、こちら側のモニターが壊れ、ゲーム終了となっていた所だろう。阿竹も俺と同じように驚き、というより戦慄していた。ド直球な御代の返答は、阿竹の意地悪な変化球よりも早くキャッチャーミットに届く。
「何をそんなに驚いている」
「そこまでストレートに言うと思わなかっただけよ!」
「不思議な事ではあるまい。好きな男子がどんな性癖をしているのか、知りたいと思うのは女子の常だ」
 ごく一部の、それも自らの主観理論を、一般論として語るのはやめてもらいたい。切にそう願う。
「で、でも流石に勝手に見ちゃうのはまずいわよね?」
 うまい返しをしたはずの阿竹が今度は慌てている。
「いや、構わないだろう。そもそも事の発端は隆志な訳だし、見られて困る物があるならそんなヒントは出さないはずだ。大体、今この状況だって隆志はカメラを通して見ている。予期せぬ事態に備えて近くにいると推察するのが妥当。つまり、私達の行動を止めようと思えばいつでも止められるという事だ」
 理屈上は正しい事を言っているはずなのだが、道徳的にどうかと思うのは先程の衝撃的台詞があったからだろうと俺は自分を納得させた。
「確かに、そうかもしれないけど……」
「入れないのか?」
「何を?」
「電源」
 確かに御代の言う通り、パソコンの中身を見られた所で俺は全く問題ない。だが『パソコン』も『パソコンの中身』も俺の出した第二のヒントではないという事はここではっきりと明言しておこう。
「うんん、でも……」
 パソコンの電源を入れて、本当に『エロ』が飛び出してきたら困るのだろう。阿竹はもじもじとしながら無機質極まり無いパソコンに遠慮しているようだ。
「ああもう、じれったいやつだ」
 そんな阿竹の態度に痺れを切らしたのか、御代。ついに動く。
「お前が調べないなら、私が先程から気になっている所を先に調べさせてもらうぞ。いいな?」
 阿竹は若干不服そうだった物の、やはりまだパソコンの電源を入れる勇気は湧かないらしく、それを承諾した。
 免罪符を得た御代は、あっという間にベッドの下へと潜り込んだ。
「ダメだ! 無い!」
 同類同士、適材適所。どうしてかは知らないが、俺の周りに変態が二人集まってしまったようだ。
「あ、あなたも最初からそれ目的だったのね!?」
 今度は阿竹動く。電光石火の如く電源をオンにして、パソコンを立ち上げる。壁紙は、青い空に白い雲。デフォルトの物をそのまま使っている。阿竹はデスクトップにそれらしきフォルダが無い事を確認すると、ハードディスク内検索ウィンドウを立ち上げ、「jpg」「avi」「mpeg」「exe」と立て続けに入力。なんでだろう、なんでこんなに慣れているんだろう。
 モニターの前でワクワクする二人はさながら姉妹のようだった。仲が良いのは良い事だが、二人は今競っているという事を忘れていないか、と喝をいれたくもなる。
 だが二人の期待を裏切り、いわゆる『エロ』は一つも出てこなかった。
「隆志の奴、本当に性欲が無いのか……?」
 絶望気味にそう呟いた御代に、あえて反論をするとすれば、「無いとは言わないが、とりたてて今必要な物では無い」というあたりだ。
 あまりにも長い間、モニターの前でうなだれているので、もう一度マイクを使って慰めの言葉の一つでもかけてやろうかとも思ったが、それはゲームを妨害してしまう事に繋がるかもしれない。なるべく二人には公平に、なおかつ純粋にゲームを楽しんでもらいたいのだ。こちらの方から茶々を入れるのは止めた方がいいと判断する。
「真剣に、ヒントを探しましょう」
 気を取り直し、自分に言い聞かせるような阿竹の言葉に、御代も大きく頷く。
「あとこの部屋の中で気になる物といえば……」
 我ながら、殺風景な部屋だ。机、ベッド、本棚、パソコン。何一つとして特徴的な物は無い。
「やっぱり、これかしらね」
 そう言って、阿竹が持ち上げたのは、例の黒いクマのぬいぐるみだった。
 半分だけ正解。だが、果たしてそこから答えにたどり着けるかどうか。
「黒いクマ……黒熊?」
「ぬいぐるみというと、何かしら」
 二人はぬいぐるみを挟んで悩ましげに記憶を思い起こしている。
 このゲームの最初期段階で最も重要なのは、相手よりも早く解答を引き出す事ではない。無論、それはこのゲームの目的であるし、最終的にはそうしなければならないのだが、それよりもまず回答者がしなければならないのは自分が持っている情報を確定させるという行為だ。
 それはこのゲームの防御的側面でもあり、また圧倒的有利を生むポイントでもある。こちらが相手の必要な情報に気づき、相手がこちらの答えに気づいていなければ、情報の引き出しやすさは歴然の差、という訳だ。
 ここまでの流れから察するに、恐らく二人ともキーワードに関係する情報は断定できていない。だからこそ、第二のヒントから解こうと御代が言い出して、阿竹もそれを了承した訳だ。
 ここでしばしの黙考。静かだが、勝負の分かれ目でもある。
 二人からすれば、ぬいぐるみが第二のヒントであると決定している訳ではない。だが、心にわずかな引っかかりのような物があるのだろう。先程のパソコンやベッドの下とは違った意味で、記憶のどこかに気になる部分があり、だから二人ともぬいぐるみから離れられないでいるのだ。
 誰も何も言わないまま、五分ほどが経過し、先に両手を挙げたのは阿竹の方だった。
「さっぱり分からないわ」
 そう言いつつ、さりげなくベッドに横たわろうとする阿竹を御代が制した。
「何をしている」
「……寝転がったら良いアイデアが出ると思って」
「……それは、私利私欲を抜きにか?」
「分かったわよ! 座るだけよ、座るだけ」
 阿竹が座ったのはまだ良い。なぜ御代までその隣に頬を染めながら座るのか。
 こうして見てるとまるで友達だな、と俺は思った。確かに一番最初に比べると、二人の間にある空気はいくらか和やかではある。先程のエロ探索が、二人の溝を僅かながら埋めてくれたのか、なんとも不可解極まる理由ではあるが、これでいくらかお互いに話を引き出しやすくはなっただろう。
「ねえ、提案があるんだけど」
 と、切り出したのは阿竹。
「交互に質問して、それに答えていかない? 『きっかけ』と言ったって色々あるだろうし、どちらか一方が先に一ノ瀬君と出会ったきっかけを全部いっぺんに話したら、後から話す方が不利でしょ? だから片方が質問して、もう片方がそれに答える。つまり一問一答ね。もちろん正直に」
 御代はぬいぐるみを見つめ、何かを考えている。
 何せ言葉を駆使するゲームゆえ『正直に話す』という取り決めは、大抵の場合守られる可能性が低い訳だが、今この場所に関してそれは鉄の掟だと言えるだろう。理由は単純明快、俺が二人の事を監視しているからだ。嘘をつけば、例えそれが相手にはバレなくても、俺にはバレる。バレたから何だ、という風に開き直る事ももちろん可能だが、それは相手も同じように嘘をついていた場合に限る。相手は正々堂々と正直に答えて戦い、こちらは嘘をついて敵を欺いたとあれば、このゲームの観客である俺に与える印象の差は明白。仮にそうして部屋を先に脱出したとしても、果たして観客である俺が納得するのかどうか。その辺が曖昧かつ相手が嘘をついてくれるという確証が無い上で嘘をつくのは非常に危険だ。嘘がバレるという可能性も加味すれば、正直に答えると二人の間で決めたならばそれは必ず守られる。これは戦争論に近い。敵国に宣戦布告をせずに奇襲する事も現実にはもちろん可能であるが、それによって勝利を得た暁には、たった今戦って勝った敵よりも強大な世論という物を相手にしなければならなくなる。
 そう考えると、意図的に情報を出し惜しみするくらいの事は出来るだろうが、質問に対して真っ向から嘘はつけないし、黙秘権を行使すれば話は先に進まない。確かに、阿竹の提案した一問一答交代制はこのゲームの常道だ。
「……しかし、別の方法もあるぞ」
 御代はこの常道以外にもある、俺が用意した一つのわき道に気づいたようだ。
「それだ」
 そう言って御代が指差したのは、クマのぬいぐるみだった。
「隆志がさっき話したルールの中に、『回答権は交互に与えられる』というのがあった。最初の一回はどちらが答えても良いが、間違えた場合お手つきとなって、次に相手が間違えるまで答えられないという奴だ。つまり、隆志との『きっかけ』について正直に話すという前提に則って言えば、後から話す方がわざとお手つきをして回答権を放棄する、という事も可能だと思うが?」
 なるほど鋭い考察力だ。確かに、お手つきのルールはその為に用意した面もある。無論それと同時に、ただの暴力を駆使したぬいぐるみの奪い合いにならない為でもある。そしてこれは、設定されたキーワードが、何度も誤答を許されればいずれ当たる物であるという事を示唆している重要なヒントであるが、二人がそれに気づいているかどうかは微妙な所だ。俺が洞察するに御代ならあるいはだが、阿竹は少し厳しいかもしれない。
 黒いクマのぬいぐるみには、これも含めて複数のヒントが仕掛けてある。だが、部屋にある物の中からぬいぐるみこそがヒントであると最初から確信を持たせるのはあまりにもったいないだろう。
 さて、御代の提案を阿竹が受けるかどうかの場面だ。
「でもそれだと、先に話した方がかなり有利ね。情報が互いに出揃ってから最初に答えられるのが先に話した方な訳だし」
「そうだが、先ほどの様子からするとあまり話したくなさそうだったんでな」
 阿竹に若干の揺らぎが見てとれる。素早い瞬きを二回繰り返す。これが阿竹の驚きや戸惑いの感情を示している。入り口からここまできちんと観察していれば、実に分かりやすい反応だ。御代もおそらくこの癖には気づいている。
「別に。状況が状況だし、話すくらいの事大した事じゃないわ」
「ならば先に話すか?」
「いいえ。一問一答交代制でいきましょう」
「話したく無いんだろう? 少なくとも私より先には。だからこそ今、お前は先行の有利について触れたんだ」
「そんな事は無いわ」
 そして沈黙に落ち着く。画面越しでも伝わってくるピリピリとしたムードを出す二人は、先ほどのふざけている二人とはまるで別人のようだ。
「先攻後攻制を嫌がる明確な理由を聞かせてもらえないか?」
「別に無いわ。あったとしてもあなたに言う道理は無いわ」
「私が提案したんだが?」
「それは『道理』とは言わないわね。とにかく、却下」
 突っぱねる阿竹に対し、御代が天井の隅っこにあるカメラを見た。そして無言で手をひらひらとさせた。おそらく御代はこう言いたいのだろう。「こんなに勝手な女と隆志は付き合うのか?」と。だがあえて言わせてもらえれば、勝手だからとか勝手じゃないとか、もっと言えば性格が良いとか悪いとかは全く持ってこのゲームの結果とは関係が無い。むしろ、相手を華麗に出し抜ける悪さはある種、自身の才能の証明とさえ俺には思える。先ほどの嘘の件と矛盾しているように思えるかもしれないが、それは違う。「嘘をつく危険性」に気づかず、配慮もしない人物であればそれまでの事。それに気づいた上で、嘘は許されるはずだとタカをくくるのは俺をみくびっているという事。そして俺の性格を分析し、それでいて嘘をつくというのならば、俺も同じく嘘をつくだけの事。即ち嘘をついたどちらかが脱出したら、俺は逃げる。そこまで分析できていないのならば、中途半端な分析は命取りになるという教訓をそいつは得る事になるだろう。阿竹と御代の組み合わせならばそうならないと踏んだからこそ、俺はこの二人を今日ここに呼んだ。
 だがまあ確かに、御代が俺に言いたい事も分からないでもない。今この瞬間の阿竹はただのわがままだ。俺や御代に対して何か隠したい事があり、それこそが阿竹の弱点になっているのだろう。
「よし、良いだろう。一問一答交代制で行こうじゃないか。こうしていてもラチがあかないしな」
 御代が折れたようだ。阿竹の強情さは、リーダーシップゆえの強情さでもある。人は、正しい意見ではなく強い意志を持った意見につき従う。
「質問はあなたが先にして良いわ」
 阿竹が呟くように言った。これが阿竹の言う「道理」という物なのだろう。
「分かった。遠慮なくいかせてもらうぞ」
 御代はもちろん受諾。上手くすれば、最初の質問と最初の答えだけで正解までたどり着けてしまうかもしれないが、それを期待するのは夏休みの最終日に大地震を願うような物だろう。
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和田 駄々 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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