とかく、ボウリングというものは女子だけで通うようなものではなかったのである。大抵はクラスのレクレーションだったり打ち上げだったり、ボウリング好きの男の子に誘われちゃったり。まだ合コンやなんかとは縁の無い中学生男女の交流の場として、それは大車輪の活躍であった。
私の場合もその例に漏れず、ボウリングと言えば仲の良い男女グループでたまに嗜む程度であったのだ、が、高校受験を控えた冬、何をトチ狂ったのか我々の間にボウリングブームが到来してしまう。それはもう、今冷静になって考えれば惨劇と呼ぶ他にない。受験シーズン特有の午前授業デーは決まってボウリング。休日は学習塾の自習室に行くと言いボウリング。この文章は親に見せられないものランキングのトップスリーぐらいにはランクインすること請け合いである。
そうして「受験なんて関係ねーよ! 文句あんならかかってこいや!」という熱いボウリング魂の下に集った有志、総六名。とは言っても推薦入学という荒業を使う予定であった私はまだしも、他五名のボウリング愛には今でも脱帽するしかない。
――その中の一人に、堀木という男子がいた。彼は、良く言えば私設ボウリング部の大エース。悪く言えばただ頭のブチ切れたボウリングキチガイであった。独特なフォームから繰り出される高速のカーブボールは圧巻で、アベレージは中学生にして常に160は下らなかったかと記憶している。その上彼は、その生まれもった天賦の才能だけでなく、私達五人の都合がつかなくても一人朝早くからボウリング場に通い詰めたり、資金が底をついた時には祖母を騙くらかしてボウリング代をかき集めたりという、あくなき向上心も持ち合わせていた。
しかしボウリングとは、やはりチーム対抗戦が熱い。1ゲームごとにジュースやアイスなんかを賭けちゃったりして、それがなかなか楽しかったりするのだ。となれば、一人頭抜けた天才は時には六人の輪を乱す弊害ともなりかねないのである。対抗戦は常に堀木擁するチームが勝利を収めるし、個人戦なんてやったって尚更お話になるはずもない。そんな訳で、ある時期からエース堀木は常にハンディキャップを背負って戦うこととなる。チーム戦なら、相手側に50点なり100点なり。個人戦なら、大体50~80点ぐらいのハンデが当時の相場であった。それでも堀木が負けた姿などほとんど記憶にないのは大エースたる所以であるが、ある日、とうとう事件が起こってしまう。
その日の彼は第1ゲームからあまり調子が思わしくなかったらしく、スコアも140~150程度に落ち着いていた。これは私に換算して2人分くらいに相当するのだが、彼にしてみれば不調なのだろう。かつ、その日に限って私達の調子が良かったものだから彼にとってはたまらない。3ゲーム、4ゲームと進むが、なかなか堀木が勝てない。次第に彼のイライラは募り、ゲーム中もずっとブツブツ呟いている。元から堀木とはそういうきらいのある人間で、「キレやすい」というのが皆が共通して抱いている彼のイメージであった。基本的にはとても優しく楽しい人物なので、それもまた彼の一つの魅力なのかもしれないが。とにかくも、1ゲーム毎に150円ぐらいずつを吐き出し続ける堀木。4ゲーム時点でおよそ600円。中学生の600円というものは現在の価値に換算して2万円ぐらいには相当する。
そしていよいよ第5ゲーム目も負けるボウリング部の大エース。こうなると結局は、「ハンデなんかいらねーじゃん!! あん!!?」と言いたくなるのである。最早、後の投球はとても見られたものではない。次第に不満の声も大きくなり、力任せのメチャクチャなプレイ。私と比べてもせいぜい20~30点ぐらいしか上回っていなかった。これはかなりの大珍事。腹いせにチョコボールを壁に向かって投げつけると、箱は破け中身は辺りに飛び散っていった。ああ、要らないなら私が食べたのに。
挙句、言い放った一言。「もうボウリングなんか二度とやらねー!!!」
まあ、それは誰も真に受けてなかったが、さすがにこのままじゃまずいと思う五人。最終的には、ボウリングこそ堀木に劣るものの、ボウリング以外のあらゆる要素で堀木に勝る藤村の提案で、最終ゲームはハンデ無しの個人戦で、堀木が勝てば今日の負けは全部チャラにしてあげようという話になった。さあ、ともなれば意気揚揚と最終ゲームに挑む堀木! ゲーム開始前から少し不穏な空気が全体に流れ、その第一投目で堀木がストライクを取り大はしゃぎしているのを見て、さすがに五人は完全に引いた。案の定、そのゲーム堀木は200を超えるハイスコアで貫録の圧勝。ゲーム中「いやー、やっとスッキリしそう!」とか「今日はずっと辛かった! マジで!」とかほざく彼を完全に無視して、私達は私達で最終ゲームをそれなりに楽しんだ。
――今回述べさせていただいたこの事件は、彼の確かな実力に裏打ちされたボウリングに対する情熱とプライド、そしてボウリング資金を出してくれた祖母の為にも絶対に負ける訳にはいかないというある種の責任感が生んだ悲しい惨劇だったのだ。その翌週のボウリングではまた平和を取り戻すことになるのだが、この一件が私達五人の心の中にいつまでも刻まれることとなったのは、以降の堀木に対する接し方からしてきっと間違いない。
だが私は、高校受験を犠牲にしてまでボウリングに明け暮れた堀木の事を、決して嫌いになれるとは思えないのだ。(了)