女は木の上から、川で水を飲もうとしている獲物を睨みつけていた。既に矢が装填されたボウガンを構え、獲物に向けてその矢を放った。突然の痛みに獲物はのたうちまわったが、矢に塗ってあった毒のせいか動きが鈍くなり、やがて動かなくなった。久しぶりの大物に女は笑顔を浮かべながら、動かなくなったそれに駆け寄っていった。その時、草むらから物音が聞こえて女の体が強張った。この森は肉食の獣も生息しているため、少しでも気を抜けば死ぬことになる。そう父に嫌というほど教え込まれてきた女は、自身の迂闊さに歯噛みした。女は矢を装填したボウガンを、草むらに向けて構えた。嫌な汗が流れ、緊張感が辺りを支配した頃に草むらから情けない声が聞こえてきた。
「な!ちょ、待って待って!俺だよムーヌ、そんな物騒なものをこっちに向けないでくれ」
両手を上げて大柄な男が姿を現し、ムーヌと呼ばれる女は大きくため息をついた。
「なんだ、ガルじゃない。びっくりさせないで。危うく凶暴な獣か何かと間違えて撃っちゃうとこだったわよ」
ガルはひきつった顔で乾いた笑いを洩らしながら、ムーヌに話しかけた。
「ムーヌ、一人で狩りは危ないから俺に声かけろって、この前言ったじゃないか。あんまり心配させないでくれ」
ムーヌは眼を細めガルを睨みながらにじりじり近づいていった。
「ろくに気配も消せないあんたを連れて狩りなんてできるわけないでしょ。むしろあんたがいた方が、余計な獣たちに気取られて危なくなるわよ」
「そうは言うけど…。やっぱり心配じゃないか」
俯くガルの肩に手を置いて、ムーヌは明るく笑いかけた。
「まあその話はあとでいいから、久しぶりの大物を運ぶの手伝って」
ガルはしょうがないな、と呟いて仕留めた獣を運ぶのを手伝った。
二人が住んでいる村はとても小さく、産業といっても織物や獣の毛皮くらいしかない貧相な村だ。畑に適した土地も少なく、作物の生産量もそう多くはない。男たちの大半は兵役で戦場に出ているか、そうでないものは出稼ぎに行っているため男手も少ない。そんな小さく貧しい村の外れにムーヌは住んでいた。昨年父親がはやり病で病死し、一人になってからもなお狩人としての生活を続けていた。
先ほど仕留めた獣を家に持ち帰ると、早速ムーヌは毛皮をはがし血を抜いて干し肉を作る準備をしていた。そんな作業をしているムーヌの横で椅子に座っていたガルが話しかけた。
「なあ、やっぱり村の方に移り住む気はないのか?」
もはや何度も聞いたセリフに、ムーヌはうんざりした。
「あんたもしつこいね。あたしはここを離れる気はないわよ」
「でも、もし何かあったら…」
「何かあったらその時はその時よ。あの陰鬱な雰囲気の村に居るよりましだわ」
「仕方ないさ。戦争が激化したせいで税が重くなってみんなつらい時なんだから」
ムーヌは獣の肉に包丁を思いっきり刺した。
「そんなのわかってるわよ!ただ、あの空気に自分も飲まれると思うと、あそこで住む気にはどうしてもなれないのよ」
床に目を落とすムーヌ。そんなムーヌを見て、ガルは大きく息を吐くと顔を真っ赤にして口を開いた。
「な、なら俺がここで一緒に住めば安心だな」
「へ?」
意外な申し出に眼をキョトンとさせるムーヌ。ガルの顔はいまだ真っ赤なままである。眼をそらすガルの様子を見て、ようやくムーヌはさっきの言葉の意味を理解した。
「え?今のもしかしてプロポーズ?」
ガルの顔がもはや獣から滴っている血と同じくらい真っ赤になったところで、ムーヌが大爆笑した。
「あはははははは!ちょっ、あんた顔赤すぎ!!」
村はずれの家で、ムーヌの笑い声が響き渡った。ツボに入ったらしく随分長いこと笑い続けていたムーヌだったが、ガルが涙目になったのを見て慌てて笑いを押さえた。
「ちょっ、ちょっと待って。ごめん今のはあたしが悪かった、ホントごめん」
とりあえず落ち着くために、ムーヌは大きく息を吐いて覚悟を決めた。
「うん、あんたのことは好きだし、嬉しいよ。でもあんたは村長の家の人間でしょう?あたしたちのことを、あんたのお兄さんが許してくれるはずないよ」
ガルは顔を上げて真剣な目でムーヌを見つめた。
「もしかして”義務”のこと知ってるのか?」
「村のみんなが知ってる程度にしか知らないけど…。村長の子は長男以外は、みんな一人で村の外に出ていかなきゃいけないって聞いてるよ?」
ガルはムーヌの手を握り締めると、力強い眼差しをして答えた。
「大丈夫。きっと兄さんならわかってくれるさ。俺が何とか説得して見せる。だから、一緒になってくれないか?」
ガルを抱きしめるムーヌ、それに答えるようにムーヌを力強く抱きしめるガル。二つの影は重なり、ゆっくりと溶けてゆく。二人にとって幸せな夜は更けていった…。