櫻井浩美はポケットから携帯を取りだして、液晶画面を開き、それを見るとすぐに閉まった。
「じゃ、あんまり時間ない子もいるしこの世界について知っていること話すわね。って、言ってもあまり期待しないでね。私も人から教わっただけだから」
このメンツの中では彼女、櫻井浩美がリーダーなのだろう。彼女が中心となって話を進めていく。
「その人はいないのか?」
この世界は得体が知れない。そうだから情報は多いほうがいい。そう思って、金田が訊くと、櫻井は首を振った。彼女にこの世界のことを教えた人はもう死んでいた。
「私はもう七回目。もがなちゃんが三回、速水くんは二回目で他の人が初めてね。金田くんも初めてでいいんでしょう?」
「よくわかんねんだけど、言ってること」
彼の疑問が答えになっていたので櫻井は最初の説明に入った。
「うん。じゃあ、携帯とりだしてくれる?」
櫻井に言われたとおり金田、田中浩平、花沢、倉敷は携帯を手に持った。
「その携帯の待ち受けに数字が出てるじゃない? この数字はこの世界にあと何日いなきゃいけないかを示しているわ。私の場合は四日と七時間十二分四十八秒ね」
金田の携帯には二日と十七時間四分九秒と表示されていた。
カウントダウン方式でこの数字がゼロになると現実といえばいいのか、もとの世界に帰ることができた。
方法はゼロになった後、来た時と同じく自分の携帯にコールすること。つまり、携帯電話は現実に戻るための生命線になる。
「なくしたり、壊さないようにしなさい。帰れなくなるから」
サラッと言う。二度と帰れないという噂はこういうところからきてるのだろうか。
ちなみに携帯は残り時間を表示するだけで帰還時以外使えない。電波塔なんてものはなさそうだし、当たり前だが一応。
時間は来訪回数が増えるたびに徐々に上昇する傾向にあるが、あくまで傾向というだけで、前回に比べて飛躍的に上昇、下降する場合もある。その法則性は櫻井にもわかっていないそうだ。
「次はスキルについてね。魔法でも技でも超能力でも呼び方はなんでもいいんだけど。
ま、見せたほうが早いわね」
櫻井の手にはいつのまにやらコルトパイソンが握られていた。言わずと知れた回転式拳銃の名機である。その手の中のコルトパイソンが青っぽい光になって姿を消し、今度はスミス・アンド・ウェッソン(S&W)のM&Pに姿を変えた。自動拳銃のほうだ。最後にFN社のP90に姿を変えた。
「こんな感じね」
つまり、あらゆる銃火器を生成、使用できるスキルということらしい。
「想像して創造する私たちに与えられたこの世界で生き残る術よ」
原則原理は知らないけれど、ひとつだけフィクションじみた超能力を覚えられるとのことだ。
新米四人になんともいえない気持ちがこみ上げてくるが、突飛なのはずっとなのだから、と思い込むことで納得した。都合のイイ展開も自分に都合がいいならば文句を言う必要はないのだ。
具体的に能力を想像して、「これだ」と決めたらすぐだ。面倒な修行だとか、抜群のセンスは必要ない。唯一必要なのは明確にスキルの「カタチ」を想像することだけ。
「じゃあ、さっきのも?」
「そうね。さっきのはもがなちゃんの『カメレオンクラブ』の能力よ。ゲームショップのじゃなくてね」
何人かが櫻井の最後の下手くそな冗談に首をかしげた。速水だけがどぅふふと笑った。同名のゲームショップが存在するのだが、それがわかるのは速水だけだった。
金田には岩壁から手が生えているようにみえた光景。しかし、実際は小さな横穴があった。もがなの『カメレオンクラブ』が穴の入口を岩肌に『見せた』のだった。
幻というか迷彩というか、実態がないため金田はぶつかることなくすり抜けた。いや、すり抜けたというのもおかしいか。もともとそこには壁はなく、横穴が口を開けていただけなのだから。
ホログラムとか光学迷彩とか、そういうものを岩津もがながイメージして創り上げたスキル。欠点としては能力使用中に岩津もがな本人は身動きがとれないということ。
田中浩平は顎に手を当てている。考える仕草なのだろう。
「あの、岩津さんのように「弱点」を設けなければいけないんですか?」
田中浩平の問いに櫻井が答える。
「そうだとスキルが強力になるのよ」
そんな気がする、と小さな声で付け加えたのを金田は聞き逃さなかった。確証はない。実感はある。ということだ。
情報がいちいち曖昧というか心もとないのは彼女も全容を知っているわけではないということか。
田中浩平がまた口を開こうとしたとき、速水の声がそれを上書きした。
「あ、あれを見るんだなー!」
速水が指さした方向に全員が顔を向けた。
その指の先にはさっきのカラスがいた。それも、十や二十の数じゃない。
「逃げるわよ!」
櫻井がかけ出すと、倉敷が続き、花沢、もがな、速水、田中浩平、最後に、全員が動き出したのを確認して金田が走りだした。
「おい、大丈夫か。足を止めるな」
金田が気遣う言葉をかけたのは田中浩平であった。彼は金田の言葉に声を返すこともなく、顎をひいて、頭をさげて、苦しそうに走っている。
一団の最後尾を走るのは意外にもその田中浩平だった。だれもが速水がぶふーぶふーと息を切らしながら、横に広い脂肪のたまった肉厚な体を揺らし、鈍重に走る姿を想像していただろう。
実際にして、速水の姿はそうであるが、それよりも田中浩平は遅かった。
地上を歩くウミガメにも抜かれてしまいそうな田中浩平を振り返りながら金田が少し先を走る。彼の体力をすれば先頭を走る櫻井の横について倉敷と並走しているのが普通なのだろうが、わりかしにして優しいのだ。
金田のかける言葉に返答する元気も、リアクションする元気もない田中浩平だが、唯一、背中を貸そうか、という言葉だけには首を振った。
男の子なりのプライドはあった。こういう状況では陳腐かも知れないが。同じ男の子の金田と前方で聞き耳をたてていた倉敷は微かに笑った。嬉しそうに、いや、楽しそうに だ。速水のほうが倉敷よりは近い距離にいたが、そんな余裕はなく、一団の三番目を走る花沢は「そういう言葉は女の子にかけなさいよ」と思った。そんな声をかけられるほど疲弊しているわけではないのだが。
後方とは別に先頭でも会話があった。
「さっきの銃でどうにかしてよ!」
花沢が怒鳴った。
「遠い! 多い!」
櫻井は走るのに一生懸命なせいかぞんざいに答える。
カラスの飛行高度が遠く、また数が多すぎると言いたかった。弾が当たらないわけじゃあない。しかし、全部を仕留めるあいだに、逆に彼女らが全滅してしまう。
「バズーカとか出せねえのかよ!」
これは倉敷だ。
残念なことに櫻井浩美は軍事オタクでも銃器マニアでもなかった。にわか知識でどうにか身につけたのがさきの三丁なのだ。
「速水はなんかないのか? 二回目なんだろ」
「うっ。拙者はまだ能力決めてないんだな。だって、だってスタンドだよ? ペルソナだよ? ガンダムだって作れちゃうかもしれないんだよ? そう思ったら決められないんだなあ!」
息絶え絶えに速水はそんな主張をした。オタク気質な彼にスキルを決めろというのは酷なものだ。倉敷が小さな声で「くだんねえ」とこぼす。まるで興味がないからだ。漫画だって『今日から俺は』くらいしか読まないのだから。
「っとに使えない、デブね! 気持ち悪いんだから役にくらいたちなさいよ!」
花沢が速水を罵る。妙に彼女は速水に絡んでいくのは何か理由があるのだろうか。ただ生理的に嫌いなだけかもしれない。
どれだけ走っただろうか。一団全体のペースが落ちてくる。
「わっ」
最後尾を走っていた田中浩平が足を絡ませて転げてしまう。それを見て、金田が足をとめる。
次の瞬間。
獲物が弱るのを待つように、上空から追ってくるだけだったカラス共が一斉に降下してきた。当然、狙いは田中浩平だった。
櫻井が威嚇射撃をするが、カラスどもはまるで気に止めない。偶然にも四射の内一射が命中した。命中した一匹がぼとりと地面に落ちる。しかし、死んではおらず、地面を這いながら田中浩平のほうへ動いていた。生命力という点で彼らの知る生物とは別物だった。
その一匹に向かって、櫻井は二射した。一射目を当てる気でいたが、当たらず、仕方なく二射目を放ち、頭部に命中した。そのまま弾を詰め替えることなく射撃を続けた。
それでもカラスどもの群れをとめるには至らず、田中浩平が起き上がるよりも速く、最初の一匹が彼に取り付いいた。
悲鳴があがる。彼のものでもあり、他のものでもある。
カラスのくちばしが彼の肉に食い込み、深くまで侵攻する。腸を引きずりだす。表面の肉ではなく、内臓を食うのだ。奇妙な音がする。肉をかき混ぜるような。すすりだすような。
金田が田中浩平に駆け寄ろうとしたが、櫻井がとめる。すでに手遅れだった。
「もう無理よ」
櫻井の言葉に一瞬、怒りがわく。しかし、金田は気づいた。声が震えていることに。
カラスどもに群がられて田中浩平の姿は見えなくなっていた。短い悲鳴が続く。
金田の顔に何かとんでくる。田中浩平の血と肉片だった。それを手で拭うと、また走りだした。
声が遠ざかり、いや、声がしなくなり、誰も後ろを振り向くことはなかった。