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14.麻雀

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 ミルナたちと別れた大将たちは、十人単位の巨大な小学生コロニーと化して家路を歩いていた。
 しかし、夕方の定めには逆らえない。
 最初は賑やかだった集団も、ひとり、またひとりと家の明かりの中へと帰っていき、少しずつ喧騒が削られていく。
 大将が転がっている空き缶を蹴り飛ばしたとき、まるでそれで頭のスイッチが入ったかのようによっちんと呼ばれる男の子が声を上げた。
「そうだ、大将、知ってる? 二組のまさやんが見たって」
 何々、とよっちんは押し競饅頭のように子どもたちの中に埋まった。
 大将だけが、少し離れたところからその様子を眺めている。
「また歩く人形かよ。まさやんのパチだって絶対」
「そうかなァ、まさやん、嘘つけるほど度胸ないよ」とナベちゃんという三つ編みの女の子が口をすぼめて言った。
 小学生らしからぬ辛らつさを含んだコメントである。
 大将はちょっと言いよどんだが、まさやんの気弱な笑みを思い出して、そうかもしれないと思い直した。
 嘘をついて英雄になるよりも、嘘がバレた時のことを気にして腹を下すのがまさやんである。
「じゃあ、聞くよ、まさやんの話」と大将が振り向いた時、その肩にぽんと誰かの手が置かれた。
「その話、私たちにも聞かせてくれる?」
 びっくりして眼を瞬いた大将の大きな瞳に、キャスケット帽が映りこんでいた。

「とうとう掴んだわよ、人形使いの最新目撃情報!」
 カンナは喜びと共に宙に握り拳を振り上げた。
「長かった……この一週間、寒い中、うろつき回った甲斐があったわ」
「マジで何の情報もなかったからな……」とげっそりしたクリスが言う。
「手紙にあった場所にいっても何もねえしよ。ったく風邪を引かなかったのが奇跡だぜ」
「あんた馬鹿でよかったじゃない。自慢していいわよ」
 もう相手にする気力もなく、クリスは鞄からミネラルウォーターを取り出してごくりと飲んだ。
 これは彼の知り合いの間では周知の事実だが、彼がもっとも好む飲み物は水なのである。
 ゆえに、いつも鞄の中にはペットボトルが仕舞われており、決して水道水などは飲まない。
「やっぱり天使さまの言うとおりだわ」カンナは夢見る少女のように手を組んだ。
「イレギュラーはみんな自分の力を隠し続けることなんてできないのよ。いつもその力を発揮することを願っている」
「誰だって縛られたまま動けなかったら気が狂うからなァ」とクリスは同情的な意見を述べた。
「その通り。この調子なら、殺人鬼だってすぐに見つけられるわ」
 殺人鬼、という単語にぴくっとクリスが眉を動かしたが、カンナは気づかない。
「行くわよクリス。大将くんたちが言ってた場所、今日は徹夜になったって張り込んで、犯人を探し出してやるんだから!」
「人形動かしてるだけじゃ罪はないと思うがねぇ」
「風紀の問題なのよ、風紀の。それに犯罪者予備軍には変わらないわ」
「さいですか。ま、俺は黙ってついてくだけだよ」
「それでいいのよ」カンナは満足げに頷いた。
「あんたは私の助手なんだもん。ちゃんとついて来てくれなきゃ、困るんだから」
 保護者の間違いだ、とは言えず、クリスは苦笑して跳ねるトレンチコートの裾を追った。
 ふと空を見上げると、いつの間にか背後に忍び寄っていた刺客のように、晴れ渡っていた空は一面どす黒い雨雲に埋め尽くされていた。
 雨が来る。



 『ビフレスト』の扉をミルナが肩で押して開け、つけられた鈴がちりんちりんと鳴った。
 マスターはカウンターに座って居眠りしている。職務怠慢だ、と師走が呟いた。
 雲行きが怪しくなっているため客たちはあらかた帰ってしまったのだろうか、カウンターの脇に置いてあるテレビは沈黙し、テーブル席には飲み干されたカップがいくつか残っているだけだ。
 すると、二階から制服姿のマリが降りてきた。
 ミルナと師走を見比べて、黙っている。
「どうしたの、マリ」とタオルを頭に乗せたミルナが聞いた。
「師走、もう動いていいんだ」
「ああ」師走は気まずげに頬をかいた。「ちょっとリハビリがてら、散歩にいってたんだ」
「ふうん、雨が降り出す前に帰ってこれてよかったね」
 師走がなんと返そうか考えているうちに、マリはてきぱきとカップを片付け、カウンターで洗物を始めた。
「ミルナ。あれって今夜なんでしょう」
「うん、あー、ごめんね、なんか勝手なことしちゃってさ」
「べつにいいよ。どうせ言ったって聞かないんだろうから」
 何のことかわからないまま、師走は二人の顔を交互に見やった。
 その答えはすぐに判明することになる。

 ミルナは部屋に戻るなり、押入れから四角い卓を引っ張り出した。
 縁が固く盛り上がっている。麻雀卓だった。
 明るい緑の卓上に牌が散らばり、師走の脳裏にチンさんの渋面が蘇った。
「マスターも若い頃は打ってたんだってさ。二十年ぐらい前っていったら、全盛期なのかな、麻雀は」
「ミルナって」師走は同じ年頃にしか見えない少女の横顔を見つめた。
「麻雀なんかできるんだ。不良少女だね」
「命の恩人に向かってなんちゅーことを!」とミルナはポケットから煙草を取り出して火を点けた。甘い紫煙の匂いが立ち込める。
「これがおまえの見せたい『面白いもの』なのか」
 師走はつい失望を抱いてしまう。
 今更ルールなんて説明されなくても分かっているし、打ったところで初心者の自分は負けるだけだろう。
 もっともミルナも覚えたてでやってみたいだけなのかもしれないが。
 なんだか今日一日、彼女のことをもっとよく知ろうとして、さらに謎が深まってしまったようだ。
 背もたれのあるお客用の座椅子を四つ配置して、師走がミルナの真ん前に座ると、いきなりでこぴんを喰らった。
「なに勝手に座ってんのさ」
「え、だって」師走は背を丸めて額を押さえた。
「マリ姉たちと打つんじゃないのか」
 ミルナが口を開きかけると、がやがやと襖が開いて、突如三人の男が現れた。
「やぁやぁどーも、こんばんは!」
 ミルナはにっこりと微笑んで、彼らを歓待した。
 師走は呆気に取られて、男たちを見上げている。そのひとり、狸が人に化け損なった風にしか見えない男に睨まれ、慌てて席をどき、逃げるようにミルナの背中に回りこんだ。
 見知らぬ男たちだった。
 師走は兄と違って交友関係は小さくまとめていたので、学校外の住民とはほとんど接点がない。
 狸似の男に合わせたかのように、細い目と長い顔をした狐似の男がいた。ミルナの両脇にさっと座る。
 最後に残った男は、混じり気のない白髪をオールバックにまとめ、首筋でひとつに結っていた。
 コートに包まれた背筋がぴしっと棒でも埋め込まれているかのように伸び、鋭い双眸は銀縁の眼鏡の奥で鋭く光っている。
 狐と狸を連れた侍のごとき侵入者たちに、師走はひどく戸惑った。
 元来、彼は人見知りの激しい方で、ゆえに先日まで続いたチンさんとの友情は奇跡的な相性であったのだ。
 ドサッと侍はミルナの真ん前に鎮座し、部屋を一頻り眺めてから、最後に少女の顔で視線を止めた。
「おまえさんかね、俺たちに喧嘩を売ってきたのは」
「そうです」とミルナは敬語で答えた。
「この町で昔、すげー強い麻雀打ちを聞いてみたら、みなさんに辿り着きましたんで」
「ふん、二十年以上も昔の話だよ。おまえさんなんか、まだ親父のタマん中にもいやしなかった頃だな」
 師走は身を四角くして、突然始まってしまった事の成り行きを見守っている。
「果たし状なんてこの歳でもらうとは思わなかった。が、打ってみろとせっつかれて逃げるわけにもいかん」
「覚悟しな、お嬢ちゃん」と狸が凄んだ。ぐっと顔にしわを寄せて迫力を増そうとしているが、かえって安っぽくなってしまっている。
 ミルナは彼らの年季の入った言葉も態度も、そよ風程度にさえ感じていないようだった。
「じゃあ、さっそく、レートについてなんですが」
 引き出しになっている点棒入れから、赤い点の浮いた千点棒を取り出すと、卓の真ん中に放った。
「千点が十万円です」師走が眼を見開いた。スロットでいうとコイン十枚が十万円といったところか。
「みなさんはこの町の顔役ですから、お支払いの心配はないですよね?」
「おまえが負けたらどうやって払うのかね」
「その時はもー好きにしちゃってくださいな! なんでもしまっせ! あはは」
 シン、と場が静まり返った。狸と狐がちらちらと侍に意向を仰ぐように視線を送っている。
 侍が口の端を吊り上げて、猛禽類じみた笑みを浮かべた。
「いいね、おまえみたいな馬鹿は嫌いじゃないよ。よし、んじゃ、やるか」
 四人が同時に卓に両手を伸ばし、手を洗うようなしぐさで牌をかき混ぜ始めた。
 じゃらじゃらと牌に手を埋めるミルナの顔から、飄々とした余裕が消え、代わりに触れれば切れてしまいそうな緊張感を滲ませている。
 それが師走の見た最初で最後の、博打打ちの横顔だった。

 麻雀とはどういうゲームか、説明される際に大抵は手札の多いポーカー、などと紹介されることが多いが、いまいち要領を得ない。
 そこでかつてチンさんは顔をクエスチョンマークにした師走に、こんな説明をしたことがある。
「師走、おまえ、RPGゲームをやったことがあるかね」
「そりゃあるけど、それが麻雀と何か関係あるのかい。レベル上がったりとか?」
「レベルは上がらないけどな」とチンさんは野球帽を脱いで、縮れた頭髪を撫でた。
「麻雀のアガリは、十四枚の中から牌を切ったり捨てたりして、役を作ることだと教えただろう」
「ああ」
「つまり、手牌を整えていくことは、魔法を詠唱していくようなもんだ。詠唱し終わって決まりに則った形ができたら、攻撃できる。その攻撃がアガリってことだな」
「ふうむ」と師走は腕を組んだ。
「難しい呪文――役をアガると攻撃力が高いってことか」
「簡単に言えばな」
「で、攻撃が成功したら、その分だけ自分は回復して、ゲームが終わるまでにどれだけ体力が残っているかで勝負が決まると」
「お、察しがいいじゃないか、見直したぜ」
「ロンは単体攻撃、ツモは全体攻撃」
「いいぞ、その調子だ」
「チンさん」
「なんだい」
「わかりにくい」
 チンさんは口をへの字に曲げて、しばらく口を利いてくれなかった。
 回想に耽る師走の前で、四人とも口を固く閉ざしたまま、反時計回りに二段に積まれた牌山から牌をツモり、捨て、三方に重い視線を注いでいる。
 チンさんに麻雀を教えてもらったものの、師走は四人で麻雀を打ったことは実際にはなかった。
 それでも一通りの役やルールは把握していたつもりで、肩越しに覗くミルナの手がやたらと高いことはわかった。
 頭の中で役を数えていく。タンヤオ、三色同順、イーペーコー、ドラ二つ。
 子の六翻は一万二千点である。チンさん風に言えば、まァ上級魔法に位置するだろう。
 ごく、と自分の飲み込む唾の音が大きく聞こえた。
 マリは、この賭け麻雀の件を知っているのだろうか。知っているだろう、さっきのやり取りはこのことを指していたのだ。
 なぜこんな危なさそうな連中を家に上げることを門鐘家は許しているのだろうか。
 それだけこの居候を信頼しているということか。
 自分は人を信じる、ということが苦手だ。だからマリたちの気持ちはわからない。相手の心が眼には見えない以上、そこに真実、何があるのかは不明なままだ。
 もしかすると――師走は居住まいを正して、ミルナのうなじを見つめた。マリからミルナの思惑へと思考をずらしていく。
 彼女はこの自分に期待しているのではなかろうか。
 金持ちを呼び出して、麻雀をする。勝っても負けてもよろしい。
 負けた時は、猿になった自分が侍たちを皆殺しにして金を奪い取る。
 考えすぎだろうか。そもそも彼女は師走が殺人鬼であることを知らないはずだ。
 そんな物騒なことを期待されても困る、と開き直ることもできる。
 いくら想像を膨らませても、師走には、ミルナの胸の奥に何が秘められているのか感じ取れなかった。
「あ、それロォン! あはは、やったね」
 ミルナがバタッと手牌を倒した。振り込んだ上家(左に座っている者)の狸が舌打ちして点棒をばらばらと卓に放る。
 いつの間にか、しとしとと、墨を塗ったように黒く沈んだ窓ガラスを細い雨が叩いていた。


<顎ノート>
麻雀か……。
「麻雀がわからない人もヒカルの碁的なノリでなんとかなるべ」と思っていた時期が俺にもありました。
麻雀が呪文どーのこーのってのもその名残。
でも書いてる当時からわかりづれーとは自分でも思ってたみたいね。

いまはもう、中途半端にウケようとはもう思わない。
たとえ残念がられようとも……

生涯、勝負の小説を書いていきたいと思う。


他のいろんな平穏は、わかりやすさは、
他の人がやってくれるだろうから。

売れずに消えていった多くの先人たちを見習って、
俺も野ッ原の端っこでくたばるような、小説を書きたい。



このあたりのカンナとクリスの掛け合いは「俺ちょっと調子出てきた?」と誤解したくだり。
最初よりかは若干マシか…?
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