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16.マリ

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 初めて眼鏡をかけた時、恥ずかしくて仕方なかった。
 鏡で自分の顔を見ると、ものすごく不細工に見えて、家から一歩も出たくなかった。
 けれどいくら祈ってもクリスマスプレゼントもいらないと意地を張ってみても、小学校の入学式は伸びてくれなくて、とうとうその日、父に引きずられて学校へ行った。
 校門の真ん前で大泣きして徹底抗戦も辞さない、と父親に襲い掛かったが首根っこを掴まれてあえなく沈黙させられ、苦笑いする先生に引き渡された。
 死にたかった。
 周りの笑い声が自分に向けられているとしか思えなくて、顔を上げられなかった。
 実際に父親の膝に泣きながらパンチを叩き込んでいたので、きっと笑い声の中には自分宛のものも混ざっていただろう。
 そうして教室へ連行されていく時に、ひとりの女の子と目が合った。
 綺麗な服を着ていて、自分と同じように父親に手を引かれて。
 二人とも母親がいない、ということを知るのはだいぶ後になってからだったけれど。
 そしてその子は、顔を真っ赤にして眼鏡をかけた女の子に呟いた。
「変なんかじゃ、ないのに」
 心を読まれた、と思った。
 はっとして何か言い返す間もなく、その子はすたすたと歩いていってしまった。
 その颯爽とした背中を、今でも覚えている。
 それが、門鐘真理と藍馬カンナのたった一度きりの、忘れられない出逢いだった。
 
 自分から積極的に他者へ働きかける、ということをマリは苦手とし、それは十七歳になった今でも変わらない。
 そんなマリを見かねたのか、ただ単に気に入ったからか、カンナは入学早々にとっ捕まえた空木アキラをマリの友達にした。
 首根っこを掴んだアキラをマリの前に突き飛ばして半泣きにさせ、
「こいつ、今日からあんたの友達にするから」
 と言い放ったのは今では伝説となっている。
 そうして一年後にはアキラ(その頃にはもうカンナによってクリスと名づけられていたけれど)の弟の師走も加えて、あっという間に、カンナは自分の周りを過ごしやすいものにしてしまった。
 自分の素直な感情を告げることがほとんどない彼女だったけれど、三人に囲まれる居心地のよさを気に入っていたことに疑いの余地はあるまい。
 それは、中学三年生の冬、ぶっちぎりで学園トップの成績を取っていた彼女宛に他県の有名私立高校から来た推薦入学の申し込みをあっさりと蹴り、地元の何の変哲もない公立高校に入学したことからも窺える。
 カンナはこの町と人を気に入っている。
 一緒に歩く帰り道、ふと何もない空中を見上げているカンナを見るたびに、マリはそこにある暖かい何かを感じた。
 そうして、自分もみんなも、このまま胸の中にある暖かいものに従って生きていくのだ。
 そう信じていた。心の最奥から、マリはそれを信じたいと願っていた。

 カウンターで、ミルナと師走が並んで朝食を摂っていた。
 トーストとコーヒー、恐らくは客用のものを勝手に食べているのであろう、開店時刻を少し過ぎたあたりで、もう少し日が昇らないと最初のお客はやって来ない。
 ゆえに店主であるマリの父は今も布団の中で丸くなっているのだろう。マリはため息をついた。
「ちゃんとお金払ったの、二人とも」
「当ッたり前」とミルナは胸を叩いた。
「万札で払ってやったし」
「千円札が無くなるからやめて。あのさ、勝ったからって無駄遣いしない方がいいよ」
 ミルナはマリの説教などどこ吹く風でテレビをつけて眺めている。
 いつまで居つくつもりなのかわからないこの居候だが、生活費は自分で稼いでしまうので、実際はいつまでいられても困らないのだった。
 それよりも、とマリは視線を憂鬱そうにパンをかじる弟分に向けた。
 かれこれ二週間近く泊まっているが、学校にもいかず、昼間の行動はマリにもわからない。
 最初の一週間は怪我がまだ疼く、と泣き言を言っていたが、さすがにそろそろ治っていていい頃合である。
 さりげなく家に帰るように諭すのだが、師走は決まって頭痛を催したような顔をして、殺人鬼がいるかと思うと恐ろしいだの、兄とはまだ顔を合わせづらいだのと、なんやかやと言い逃れてしまうのだった。
 もしかすると金髪緑眼の居候に惚れこんでしまったのではないか、自分がいない間に二人は何をしているのか、とマリの心配は音を立てて募っていくようであった。
 ミルナにそれとなく聞いてみると、
「あー、一緒にいる時もあるけど、だいたい別行動。師走って気難しくね?」
「じゃ、ミルナは師走のこと好きじゃないんだ」
「それとこれとは話が別ですな」とにやにやするミルナはへそまがりだ、とマリは思う。
「なんか、師走って可愛いじゃん。からかいたくなるっつーか」
「ミルナは誰でもからかうじゃない」
「うん、だから、マリも可愛い。えへへ」
「ちっとも嬉しくないし」
 冗談ではなく、師走のことについて、まじめに対応しなくては、と思う。
 まだ彼を匿っていることをクリスには告げていない。
 最近、クリス自身があまり元気がない。話しかけても反応がなかったり、急に明るくなったりする。
 弟がいなくなったことを気にしているのだろうと思い、師走の話題をそれとなく振ってみると、
「え、師走? ああ、まァ、あいつもいろいろあるんじゃないか。そんなことよりさ、なんか面白いテレビ番組でも始まらないかなァ。もうみんな食いついちゃって、わざわざ外へ出ようって気が無くなるようなやつ」
 てんで要領を得ない。
 また、カンナに相談してみようか、と思ったけれど、彼女は彼女で放課後、校舎へ残っていることが少ない。
 元からふらっと一週間くらい姿を消してしまうことは珍しくなかったけれど、最近の彼女は蜃気楼のように存在感がなかった。
 学校へ来てはいるらしいのだが、普段の騒々しさがフタをしてしまったかのように無くなっている。
 何かが変わってしまった。マリはそんな気がして仕方なかった。
「いいじゃないか、変わっても」と師走などは捻くれて言うのである。
「変わらないままがいいって思うやつもいれば、変わらないと息が苦しいってやつもいるんだから」
「でも、心配の種が増えるくらいなら昔のままでいいよ」
「マリ姉はそう思えるからすごいよ。見習いたいくらいだ」
「そうかな、師走だってずっと変わらないじゃない。いつもの師走だよ、今日も」
「うん」と師走は顔を歪める。
「そうだ、だから変わらなくちゃいけない。もっと簡単に変われたらよかったのに、僕はどうしてか、たくさんのものを必要とするらしいんだ。変わるためにね」
 こんなことを言うものだから、マリは師走をとても心配して無理やり学校へ行かせようという気持ちを失ってしまうのである。
 テレビが星占いのコーナーになって、ミルナはチャンネルを変えた。
 まだ若い女性キャスターが、朝のニュースを読み上げている。
『夕闇が丘一帯で発生している連続失踪事件ですが、今のところ失踪者たちは事前に失踪するような素振りを見せておらず、ある日ぱったり消えてしまったとのことです。また、二週間前に発生したホームレス殺人事件との関連性については、いまだ確固たる関係を裏付ける証拠はなく、現在捜査が続けられており』
「ローカル放送って言ってもさ、ただの失踪がニュースになるなんてねぇ。大げさっていうかさ」
 マリはミルナからリモコンを奪って星占いのコーナーに戻した。
「元々治安がいいから、夕闇が丘は」
 山羊座の命運を見ると、今日は最高にハッピーらしい。マリはほっとしたように息をついた。
「じゃさ、親父狩りとか万引きとかでもニュースになるわけ? やっべ私、銭湯に通い続けて名物になっちゃったらどうしよう。取材を受ける服がないよぉ」
 頬に手を当てて身をくねらせるミルナを無視して、マリは額に手を当てた。
「でも、本当に近頃は物騒。ねぇ、失踪事件ってやっぱり師走の言ってた殺人鬼の仕業、なのかな」
 師走を見ると、自分には関係ない、という顔をして優雅にコーヒーを啜っている。小指が立っていたが、マリはあえて注意しなかった。
 鏡の前で後ろ髪をゴムで結わえ、ポニーテールにまとめる。
 少しずれた赤いべっこうぶち眼鏡のつるを押し上げて位置を正す。
 いつものマリの出来上がりだ。
「じゃあ、私は学校に行くから、二人ともいい子にしててね」
「うん、わかったぜママ!」などとおどけるミルナにチョップをくれてから、マリは家を後にした。
 いってらっしゃい、という二人の声が背中を追いかけてきた。


<顎ノート>
×脇キャラにいいタイミングで過去エピソードを挟んで読者の同情を誘うナイスな顎(イケメン)
○薄いキャラにうすっぺらな死亡フラグをつけただけの哀れな顎(ヤラハタ)

おれ、なんか、フツーに幸せにしてるのとか、フツーに頭おかしいのとか、書くの苦手だ!
媚びを売る才能ねえ以上は戦って戦って死ぬまでだ!うおおおお!

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