27.いつまで経ってもヒトのセイ
クリスが高速でミルナの背後へ回ったのは、これもカンナの魔術のおかげだった。転移魔術、テレポートシフト。
二人からやや距離を置いた位置で事を見守っていたカンナがふっと微笑む。
抱き合うように密着したミルナとクリス。
ミルナの手がかすかにもがき、宙をかき――クリスの髪を掴み、そのまま膝蹴りを彼の腹部へと叩き込んだ。
砂袋を打つのに似た鈍い音がカンナの耳まで届いた。
「え?」
倒れこむクリス、その手がナイフを取り落とす。その手をミルナが握る。引き寄せ、彼の腹部に鱗手を叩き込む。
身体が無防備に浮く。ミルナは止まらない。生身の左手、また右、髪をつかんで再び引きよせ、膝、頭突き、抜けた髪が散る、フック、アッパー、回し蹴り。
吹っ飛ぶクリスを追い越す速度で接近。
トドメの鱗手を鼻面に打ち込んだ。やけに遅く感じた。薄く膜となって彼を覆っていた魔術防壁越しに鼻骨が砕け、血が噴出した。まともにミルナの衣服にかかった。
わずか一呼吸の間に繰り出された連撃、その果てにクリスは見た。
拳を打ち放ったままの姿勢で凶暴な笑みを浮かべるミルナと、彼女の学生服の奥にあるもの。
赤いセーター。斬っても裂いても燃やしても傷つかない、防御繊維。
マリの忘れ形見――クリスは気絶した。
クリスが大の字になってのびている。
ミルナは鱗手を水気を払うように振って吐息を吹きかけた。
「いってぇ……硬すぎるっての。なにこれ? 何製?」
ぎしっ、と何かが軋んだ。カンナが杖を折れんばかりに握り締めたのだ。
その眼は動かなくなったクリスに吸い寄せられたまま。
「ミルナ……」
「んー?」
「あんたを、絶対に許さない」
カンナの爪が割れた。力を入れすぎたのだ。滴る血がアスファルトを斑に汚す。
「バラバラにして、乾かして、烏の保存食にしてやるわ」
「それも魔術師の使命なのかね?」
ミルナの足元にクリスが落としたナイフが転がっていた。
湖の水面のように、刃が揺らめいている。爪先で器用に手元に蹴り上げ、その刀身を煙草にそうするように鱗指で挟み、愛でるように眺める。
「そうよ。私はこの町を守るの。守らなきゃいけないのよ」
「敵意のない超能力者を、危険だからって差別して虐殺しても? 工場で作られてはいないんだぜ、命はさ」
「仕方のないことだわ。ギャンブルで生きているとかいう、あんたみたいな自分勝手な人間にはわからないでしょうけど」
「じゃあ君は、殺してきた人間のすべてがわかってたんだ」
「そうよ」
「マリのことも? マリが、人を傷つけるように見えた?」
「それこそ差別するわけにはいかない。たとえ友達でも、よ。それが正義ってものだから。平等じゃなければ、ならないのよ」
「平等?」
くくく、とミルナは笑い、カンナは恐ろしい目つきで彼女を見据えた。
「何かおかしい?」
ミルナは刀身を鱗手で握り締めた。がりっ、と嫌な音がして、彼女の掌から血が溢れ出したがそんなことは一顧だにしない。
鱗手がひときわ大きく震え、烈しい音を立ててナイフの刀身が砕け散った。そのひとつひとつに、ミルナの顔と、カンナの顔が映った。
「平等っていうなら、一番殺さなくっちゃいけない人を忘れてるよ」
深緑の瞳が輝く。
「あんた自身を、だ」
「私? 何をいってるの? 私は」
「そもそも魔術師って何? 修行とかすんの?」
答えを待たずにミルナは続けた。
「一度も考えなかったなんて言わせるもんか。あんたはずっとそのことを考え続けてきたはずだよ」
「…………」
「助けたかった? 町の人のため?」
「そうよ」
「嘘ばっかし」
「そうだっていってるでしょッ!」
杖の先から黒い電流が迸った。ミルナの髪を掠め、信号が割れた。
血走った眼でカンナはミルナを睨みつけた。解れた髪が額にかかり、歯を砕けんばかりに噛み締める。
「おまえなんかに……私の苦しみがわかってたまるか! ずっと変な力を持って、どうすればいいのかわからなくて、誰にもいえなくて……ようやっと私は自分の役目を見つけたの! 生まれてきた意味を手に入れたのよ! それを今更、捨てられるわけないでしょ!」
ふうっとミルナが息を吐いた。奇妙な表情だった。微笑んでいながら、その眼は暗い闇を覗いているように沈んでいた。
「ま、普通のことかもねえ。友達より自分が大事ってのは」
「おまえ……!」
「ふん、この世に理由なんかあるもんか。どうして生まれてきたのか、なんでこんなヘンな力を持って生まれてきたのか、何もわからないし、誰も教えてくれない」
まっすぐに腕を伸ばす。拳を固める。ぎちっ、と鱗が噛み合い、震える。
「ホントはわかっていたんだろ。あんたの力は――」
「やめろ、黙れ、黙れッ! ――黙ってよッ!」
「あんたが思っていたような、素敵で不思議な魔術なんかじゃない。
ただ、自分の才能が魔術なんだと、君が勝手に思い込んだだけ。
同族殺しは楽しかったかい――イレギュラー」
だらん、とカンナの両腕が垂れ下がった。からん、と杖が道路を転がっていった。
耳が痛むほどの静けさの中で、二人は身じろぎもせずに向かい合ったままだった。
やがて、カンナの唇が蠢いた。
「わた、し、は……」
「気狂いの人殺し。ただの超能力者。世界に選ばれたわけでもなければ使命もない、ただのカンナ」
ふふふ、とカンナは微笑んだ。
掌をかざし、ミルナに向けた。その顔は凄絶な狂笑を浮かべている。
「死ね――――死ねッ!」
「やなこった!」
荒れ狂う烈風を、追いすがる光弾を、洪水のような殺意をミルナは踊るようにかわす。その眼はカンナのそれから一時も離れない。
相手の殺意から攻撃の方向を見切り、紙一重で避けていく。生死が揺れる綱渡りを彼女は難なくやってみせる。
ミルナはカンナの心を考えていた。何を思い、何に怒り、何がしたいのか。
そこから逆転を目指す。油断せず、甘えず、過信せず。ただ勝利の糸口を探すことにすべての神経を注いでいる。
身を伏せて烈風を潜り抜け、斜めに走って光弾をやり過ごし、少しずつ彼女に近づいていく。
が、カンナの膨大な力の余波が、着々とミルナの身体を削っていく。頬に赤い線が走り、布ごと肩の肉が後方へ消えていった。
そして、その猛攻がわずかに止んだ。
それは次の魔術を唱えるための一瞬の停滞だったが、そのとき確かにカンナとミルナの間には塵ひとつの障害物さえなかった。
鱗手の二の腕、真紅の宝眼のひとつが眩く発光した。眼を見張るカンナ。掌をかざす。
「刻まれろ、ウインドセパ――」
「ごちゃごちゃうるせえ――――!」
ミルナの姿がぶれた。もうそこに、ミルナはいなかった。ただ、ルビーの光だけが尾を引いていた。
間の抜けた烈風が彼女の残影を切り裂いた。
跳躍と呼ぶには烈しすぎる――まさに弾丸の速度に身を委ね、ミルナは地面を滑走していく。
身体をコマのように回転させ、カンナに突撃。
もはやカンナには、呪文を唱える余裕さえなかった。
(ただ鱗が生えるだけじゃない)
(こいつの、架々藤ミルナの能力は何もかもぶち壊してしまうほどの)
(――――加速!)
悲鳴のような摩擦音が廃墟に響き渡った。
ミルナの拳はカンナの顔面、その数十センチ手前で振動しながら進行を止めている。
拳とカンナの間には、幾何学模様が描かれた半透明の壁が生じていた。わなわなと魔術師の唇が震える。
カンナはミルナを食い止めるように、魔術壁に細い両手をかざしている。じりじりとローファーが道路を擦り、後退していく。
ミルナが壁を砕かんとさらに拳を打ちこむ。
カンナの喉から苦悶の呻きが漏れた。膝が震え、今にも、今にも。
(こんな……バカな……私の魔術が……突破されるわけが……!)
ぴしり、と壁にひびが入った。その向こうでミルナがかすかに笑った気がした。
(笑うな……笑うなッ!)
笑われるようなことは何もしていない。自分は間違ってなどいない。
こいつさえ消せば何もかも元通りになる。ミルナさえ倒せば。
カンナは片手で自分の胸に触れた。その瞬間、壁が破れた。
ミルナは黄金の拳を振りぬく。散乱する魔術防壁の結晶。
が、そこには誰もいない。
ミルナは振り返りざまに裏拳を振るった。鼻先まで迫っていた光弾が割れ光が散る。
「バレバレなんだよ」
「――ッ!」
空間転移で背後に回りこんでいたカンナが一歩引く。
距離が近すぎる。今、加速されては自分は一瞬でミンチにされてしまうだろう。
(それなら)
呼吸を浅く吸い、敵を見据え、両手を交差させて伸ばす。
(あんたのその腕でも心でも、防げない魔術で葬り去るまでッ!)
「燃え尽きろ――フレイムスネイクッ!!」
赤い炎の蛇が辺りを真昼のように照らし、獲物を見つけた獣の俊敏さでミルナへとまっすぐに躍りかかっていった。
それを見る深緑の瞳に火炎が揺らめく。
マリを殺した技だろう。ならば攻略してやろう。マリにできなかったことを、私の流儀で。
近づく猛々しい死に、ミルナは胸をときめかした。
その眼が、ぱっと地面に落ち、マンホールを捉える。
開いた鱗手をそのど真ん中に打ち込んだ。五本の指が鉄板に刺さる。
そのまま地面から引っこ抜く。
水平に手を伸ばし、即席の盾に赤い蛇が頭から突っ込んだ。轟々とマンホールの向こう側で蛇の唸り声が聞こえる。
が、炎は鉄を溶かすこともなく、蛇はやがて最後の尾まで盾に喰われて消えた。
物質を燃やせないことはマリの死体現場を見たときに見抜いていたことだ。今更驚くには値しない。
ミルナはそのまま、円盤を斜に構え、魔術師目がけて投擲。
空を切って回転し迫るくマンホールを、カンナは、
「止まれ!」
空中で停止させた。慣性を無視し沈黙したマンホール。ふっとカンナは安堵の息をつく。
鐘を鳴らすような音と共に、赤茶けた金属盤が夜空へ跳ね上がった。思わずそれを眼で追ってしまう。
円盤の裏に隠れていたミルナが、真紅の光を帯びて突撃してくる。
「止まれ!」
一瞬、身を捻ったミルナの身体が軋むように震えたが、彼女は苦痛を楽しむように、例の悪戯好きな子供のような微笑みを浮かべて。
「ル――――――――ァ!」
ルビーの宝眼が眩く輝き。
何もかも振り切って、どこまでも加速する。
廃墟に漂う塵が、彼女のために慌てて道を作る。
「死ね――――ッ!」
カンナが示した天空から、黒い稲妻が轟音をまとって降り注ぐ。
ミルナの影にさえ触れられず、アスファルトをぶち抜き、辺りを黒く照らした。色が狂い、ミルナが真っ白になる。
黄金の拳が、カンナの胸を打った。
インパクトが、魔術の守りを通過して、全身の骨が軋む。
すべての加速を引き継いで、カンナの身体が列車のように遥か後方へと吹っ飛んでいった。
拳を突き出した姿勢のまま、俯いていたミルナが顔を上げ、拳を開く。
「へへっ」
瓦礫の中に、カンナは仰向けに倒れていた。そのすぐ側のコンクリートマンションの壁面に新しい入り口ができている。
月が綺麗な晩だった。吐く息が白く視界を汚す。
身体に力が入らない。胸が上下するたびに、烈しい痛みが頭の先から爪先まで駆け抜ける。
けれど、生きていた。
魔術によって得られた防御力は、ミルナの拳から辛うじてカンナの身を守りきったのだ。
じゃり、じゃり、何かを潰す音。視界の下から現れる人影。
「あ、生きてた」
会った時と変わらぬ気安さで、ミルナは手を挙げた。学生服は粉塵に塗れている。
カンナは唇をゆがめた。
「殺しなさい……そうすればいいわ。マリの仇を討ちなさい」
「あー」とミルナは口に手をやり、夜空を見上げていたが、ふるふると首を振った。
「やめとくわ」
「……情けをかけるつもり? やめて、冗談じゃないわ。そんなのみじめったらしくて、生きていけない」
「うわぁ。それもなんかのセリフ?」
「……」
「そうやって、魔術師を気取ったり、探偵になってみたり、肩書きってやつに守られて生きてきたのかい?」
「そうよ……でも気取ってたわけじゃない。私は、本物になりたかった。本当の自分になりたかったのよ。近づこうと、努力していただけ」
「本当の自分なんか、いないって」声音に合わずミルナは辛らつだった。
「いつ、どんなときでも、自分じゃないときなんかない。いつだって本当なんだ、気の毒だけど」
「あんたは、強いからそんなこといえるんだわ」
「あんたにもできるよ。あんたは強かった」
「できない。ねぇ、殺してよ。捜してた吸血鬼事件の犯人は父さん? 私は魔術師じゃない? もう嫌、何もかも――。知らなければよかった。考えなければ救われた。なのにあんたが、あんたが――」
ミルナの姿は消えていた。
誰もいない虚空に向かってカンナは繰り返し続けた。
「あんたが悪いのよ、あんたが、真実を持ってきてしまったから――」
<顎ノート>
もう特に言うことないな……。
やっぱり戦闘モノはもう書かん!としか……。
まあ新作で書いてるんだけど、それもビミョーなんだよねえ。
や、たぶんピカリスよりは面白いと思うんですが……。
シマウマの短編書こ……。
うん?
ば、ばかな、長編になっている…だと…?