29.ミルナ
ふいっとひとりの男が雀荘から出てきた。
十六夜卓男だ。その顔は浮かない。
落ち目なんだな、と思う。そもそも上手くいきすぎた、この二十年ほど。
娘を失い、運に逃げられ、次はどんな不幸に見舞われるのだろう。
もうとても、生きていけるような心地がしなかった。
大人しく、家に帰って寝込んだ妻を慰めよう。そう思って重い足取りを自宅へ向けた時だった。
クローズドの板が下がった喫茶店から、まばゆい金髪をした学ランが出てきた。
彼女はこちらに気づくと、笑顔を咲かせて駆け寄ってきた。
「たっくんじゃん。元気かね?」ミルナは卓男の語尾をまねた。
「元気なように見えるか」卓男は細い肩をすくめた。
「娘が死んだってのによ」
連続失踪事件は解決していない。ホームレス殺しも、女子高生変死も。
だが、きっと娘はもう戻ってこない。そんな気がした。諦めがよすぎるだろうか。
けれど卓男は、感性だけを頼りにして生きてきた。
それを自ら取り下げることはできない。したくても。
「そっか……じゃ、いいこと教えてあげよっか?」
心配そうに上目遣いをしてくるミルナを見ていると、まるで娘のように思えてくる。
「ああ、なんだい」
「連続失踪事件の被害者たちは、自分で家を出て行った。それは、被害者の家族たちに聞いて回ったから間違いない」
「それがどうしたんだ」
「烈香の部屋は、荒れてたんだろ?」
「……」
卓男はむっつり黙り込み、額を手で労わるように揉んだ。
「てめぇ、あの時、もうわかってたんだな。――俺の娘の失踪は、連続失踪とは関係ねえって。
それに乗じた、本当の、ただの家出だってことを」
「えー知らなかったよーたっくんすごーい! いよっ、名探偵! ……なんてね」
「老人をもっと労わりやがれ。心労で少しハゲちまったんだぞ」
それは頭頂部からではなく、前頭部からきた。
「ふふん、楽しみにしてた勝負をオシャカにされた、お・か・え・しだっての」
「このヤロウ」思わず卓男は笑ってしまった。
「いい度胸してやがら」
夕闇が丘の陽が沈む。瑠璃色の空が、魚眼レンズで見たようにとても広く見えた。
ミルナと卓男は肩を並べて歩いていく。
「なぁ、ものは相談なんだが、いいかね」
「うん、そうだねえ、もうそろそろ許してあげてもいいよ」
卓男は苦笑し、言った。
「ここに、ひとりの寂しい老人がいる。そいつの嫁さんも家族が減って、とても退屈だ」
「それはよくないね。退屈してたら生きていけない」
「そこで」
ああ、懐かしい。この人と心を読みあう感覚。
「新しい同居人がいたら、いいと思うんだ」
ミルナは息を止めて、しばらくしげしげと卓男を見上げた。
「えーと、その」
「嫌ならいいぜ。ただの気まぐれだ。なんなら、俺の本当の娘が戻ってくるまでってことでもいい」
ごくっと生唾を飲み、二人は見つめあった。
エメラルドの宝玉の中で、ミルナの心が揺れていた。
「応援してくれよ、俺たち夫婦が、元気になるようにと」
学生服の少女は下唇を噛んだ。何かに耐えるように。
「私は、あんたらの子どもじゃない」
「代わりだとは思わんよ。というか、思えるもんか、おまえのようなワンパク娘」
「……」
坂の下に広がる町を見下ろす。ぽつぽつと灯りが灯り始めている。
それを見るミルナの横顔は、幽霊のように白かった。
「どんな気持ちなんだろう。誰かがいないと生きていけないってのは」
「そんなこと、考えたこともないか?」
「うん」
そしてミルナは卓男を見やって、にやりと笑った。
「そんな気持ちに、してくれますか?」
卓男は、かつての自分と同じ疑問を少女が抱いているのを感じた。
人は、抱えるものがある方が、強いのだろうか。
それともそんなもの、迷うだけの、重荷なんだろうか。
自分はどうだろう。ミルナはどうだろう。
金髪の学生服は悩みなんて知らないとばかりに、見知らぬ帰路を進んでいく。
架々藤ミルナのその答えを、まだ誰も知らない。
了
<顎ノート>
というわけで完結です。
人は抱えるものがある方が強いかどうか、昔は考えていましたが、どうも今の俺は「狂ってるやつが強い」としか思えなかったりもする。
俺って、気を使っていい話を書こうとしたり、うまくまとめようとしてもだめなんだよね。
もっとゲロ以下のぷんぷんする悪臭の中にブチこまれたようなモノを求められてる気がする。
でもそれってさあ、俺に人間らしく生きるなって言いたいのかなあ。
それもいいけどね。上等かもしれない。いや、ほんとに、それだけがスカッとする道なのかも・・・。
この後は二巻で「ミルナVS妖怪テープ女」と闘って、三巻で「VS幼馴染」やって、最終的には羽生やしたりする予定だったんだけど、まあ書かなくてよかった。
ここまで読んでくれた人、本当にありがとうございました。
そのうちまたなんか書くかもしれないんで、そのときはよろしくお願いします。