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中編/本間夕香子は語れない/蝉丸

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 これから語らせて頂きますのは、北陸の海沿いにある小さな田舎町にて発生いたしました世にも恐ろしい事件の記録でございます。この事件は俗に『本間夕香子殺害事件』などと呼ばれておりまして、既に発生から何年もの歳月が過ぎておりますが、その猟奇的な発端に奇妙な経過、さらには様々な疑念を生んだ幕引きのために、現在でも折に触れて話題に上ることが多いのでございます。

 今回は、当時の映像を中心に事件を振り返りまして、そこから浮かび上がります真実をお伝えして参ろうと考えております。

 まずは事件を世に知らしめるきっかけとなりました報道番組の特集からご覧頂きましょう。事件直後は本件に関する報道も僅かでありましたが、平日の夜半に放映されておりましたニュース番組『報道ターミナル22』におきまして、事件の詳細、とくにその残虐な殺害状況がたいそう抒情的に伝えられましたために『本間夕香子殺害事件』は急速に世間の注目を集めるようになったのでございます。
 特集のタイトルには『罰の当たった女』と銘打たれておりました。無慈悲に殺害されたうら若き女性に対して、なんと侮蔑に満ちたタイトルでありましょうか。当時の世論には水商売に従事する女性を非人の如きに扱う風潮がございました。時代の進んだ現在から顧みますと、何とも浅はかで卑しい風潮であったと感じるばかりでございます。


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 罰の当たった女

 一枚の写真がある。キャバレーと思しき店内で、初老に差しかかった男性二人と、彼らを囲んだホステス達が写っているものだ。常連客である男性二人は中央の赤いソファーに腰を下ろし、その両脇を年長のホステスが陣取っている。男性たちの背後には四人の若いホステスが立ち並び、カメラに向かって笑顔を見せていた。
 その右端に写っているのは背の低い痩せた女だった。胸のあたりまで伸ばされた髪は黒々として美しいものの、襟ぐりの開いた服から透ける身体は貧相で、一見したところ男性を惹き付ける魅力には乏しい感がある。
 夕顔という名で店に出ていたこの女性、本名は本間夕香子(二十三)。彼女は二週間前に起こった残虐な殺人事件の被害者であった。

 本間夕香子は勤務先であるキャバレーから車で二十分程の一軒家に一人で住んでいた。異臭がすると近所から通報を受け、彼女の自宅を訪れた警官はその凄惨さに声を失うこととなる。古めかしい家具に囲まれた居間は、さながら地獄絵図の如き有様であったのだ。
 明かりの点いたままになっている居間の中央で、本間夕香子の頭部は電灯の紐に括り付けられ宙吊りにされていた。首から下を無くした頭部は、切れ掛けのゼンマイねじのように電灯の紐を軸としてゆっくりと回っていた。
 警官は恐怖を覚えながらも本間夕香子の頭部に近づいて状況を確認する。既に頭部からの出血は止まっていたが、その下にあるテーブルは血塗れになっていた。夕食中であったのか、テーブルの上には数品の料理が食べ掛けのままに並べられている。そのうちの一品である、あさりの入ったスパゲッティの皿は、血を吸ってぶくぶくと膨らんだ麺で山盛りになっており、本間夕香子の長い黒髪はその中に混ざり込んでいた。
 本間夕香子の顔や髪には、あらゆる箇所に乾いた精液と思われる物質が付着していた。また恐ろしいことに、両の目には目蓋の上から錆ついた釘が根元まで打ち込まれていたのである。釘の刺さった部分から流れ落ちたであろう血の跡は、正に血の涙そのもののように見えた。警官は応援の人員が到着するまでに家中を調べたが、本間夕香子の身体を見つけることはできなかったという。

 平穏な田舎町に衝撃を与えた猟奇的事件は、捜査が進むに従い本間夕香子の隠された素顔を浮かび上がらせていった。一見、おとなしく目立たない印象である彼女には、まったく別の裏の顔があったのだ。近隣住民からはこんな証言があった。

「きちんと挨拶してたから最初はいい人かと思ったんだけどねぇ……あの人、夜中に生ゴミとか出すのよ。それで注意したら『仕事が夜なので』っていけしゃあしゃあと言ってきたのよこれが! あたしもカチンと来ちゃってね、そんなの朝ちょっと起きれば済むんじゃない? って言ったらさぁ『でも……』って黙って上目づかいに睨んできたのよ! 昼夜関係なしにしょっちゅう男が出入りしてたしね、前なんか真夜中にヘンな男たちが大騒ぎしてパトカー呼ばれてたこともあったのよ。あたしはね、いつか、何か起こるんじゃないかと思ってたのよ、本当のところ」

 取材を進めていくうち、彼女は近隣の住民にあまりよい感情を持たれていなかったことがわかってきた。ごみ出しのルールを守らない、地域の行事に参加しないなど、社会的なルールを守る意識が欠如しているとの証言は町のあちこちで聞くことができた。
 さらにもう一点、近隣住民が口を揃えたのは、本間夕香子の家に夜毎複数の男性が出入りし、しばしば騒ぎを起こしていたという事実だ。真面目そうな外見とは裏腹に、自由で奔放な生活をしていたとみられる彼女。勤務先のキャバレーではどのような印象だったのであろうか。彼女の勤めていたキャバレーの女性責任者に話を聞いた。

「あれはズル賢い娘だったわね。可愛くもないし、気のきいた話ができる訳でもないのに、うまいこと上玉を捕まえんのよ。あの娘はね、お客さんの前では、ただ黙ってにこにこして待ってるの。釣り針垂らして待ってるようなもんね。おとなしそうなのが好きな男ってのは必ずいるから。
 で、そんな男はあの娘が気になって話しかけるのよ。そうするとあの娘は聞こえないぐらいのちっちゃな声で何か言うの。聞こえなかった男は当然、聞き返すわよね? そしたらあの娘の思うツボよ。あの娘は待ってましたとばかりに男にすり寄って耳打ちするの。内容なんて何でもいいのよ。大事なのは耳打ちした後に、男の顔を見て照れたように可愛く笑うこと。その時、男の手でもそっと握ってあげたら完璧ね。あの娘に興味もつような男はそれで面白いぐらい簡単に熱を上げちゃってたみたいよ。
 まぁ、すぐに化けの皮が剥がれてたみたいだけどね。二、三ヶ月もすると、あの娘目当てで通ってきたお客はぜんぜん顔を見せなくなっちゃうのよ。本人に聞いたら『私、すぐに飽きられちゃうんですよ』なんて言ってたわ。『すぐにヤらせるからじゃないの?』って冗談で言ったら本気でムッとしてたわね。案外、図星だったのかも」

 本間夕香子は勤務先のキャバレーで、一・二を争う稼ぎ頭のホステスであった。自宅でもキャバレーでも、彼女の周りにはいつも複数の男たちの影がある。取材陣が彼女の交友関係に着目し調査を進めるうち、偶然では済まない奇妙な事実が浮かび上がることとなった。本間夕香子に熱を上げていた男達の中で、六名もの人物が死亡、あるいは行方不明となっていたのである。二十六歳から六十二歳まで年代はばらばらである。
 冒頭の写真に写っていた男性、桜井幸吉(六十二)もその一人だ。桜井幸吉は本間夕香子が殺害される二ヶ月前に死亡。さらにはその死のわずか三日前に、桜井幸吉から本間夕香子の口座に四百万円の送金が確認されている。
 また、市内に住んでいた三十六歳の男性は、本間夕香子と町を歩く姿がしばしば目撃されていたが、七ヶ月前から連絡が取れなくなっている。これは一体、何を示しているのだろうか?
 我々は行方不明となっている三十六歳男性の母親に話を聞いた。

「今度、付き合っている人を連れていくかもしれないって電話が来たんですよ。それっきり息子と連絡がつかなくなるなんて、その時は思いもしませんでした。その女性の方もお気の毒とは思いますが、いったい息子とどんな関係であったのか教えて頂きたかったというのが率直な気持ちです。方々手を尽くしましたが、息子がどこに行ってしまったのか皆目見当がつきません。どんな小さなことでもいいですから、息子に繋がる情報が欲しいです。私たちにはもう、息子の無事を祈るぐらいしかできなくなってしまいましたから」

 男性の母親はそう語って涙を流した。また、男性が住んでいた部屋からは預金通帳が見つからなかったという警察からの発表もあった。

 いったい本間夕香子の死の裏にどんな謎が隠されているのであろうか。何故に彼女はあれ程までに猟奇的な方法で殺害されなければならなかったのか。

 近隣住民への取材の中でこんな証言があった。

「死んだ人を悪く言いたくないですけどね、いろいろと腹に据えかねることはありましたよ。『あれは罰が当たったんだ』なんて言ってる人も結構いますしね」

 彼女にはこれほどの罰を受けねばならない『何か』があったのであろうか。本間夕香子に関係した人物の相次ぐ失踪や死亡。そして本間夕香子を猟奇的な方法で殺害した人物。事件の全貌はいまだ謎に包まれたままだ。

 しかし、大事な人を失った家族は今も悲しみの中にいる。
 捜査の更なる進展が待たれるところだ。

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 上記の内容が放映されたのち、放送局に一通の手紙が届きました。
 差出人は『三柴喜三郎』。彼は桜井幸吉氏の顧問弁護士と称し、只今の番組冒頭で使われましたキャバレーでの写真において、桜井氏の隣に写っているのは自分であると主張していたようでございます。
 手紙には番組内容に対する抗議がしたためられ、内容証明にて送付がされておりました。その原本の存在は杳として不明でありますが、放送局内において法務部から報道部へ通達された内部文書を入手することに成功いたしました。以下にその内容を転載させて頂きます。


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 ○月×日 報道部各位

 前略、先日の『本間夕香子殺害事件』に関する報道について、桜井幸吉氏の顧問弁護士を名乗る三柴喜三郎なる人物から、内容証明による抗議文を受領しております。法的な対応については当部にて行いますが、報道部におかれましてもガイドラインに沿ったご対応をお願いいたします。

 尚、今回の抗議文の概要は下記の通りとなっております。

 <以下、抗議文概要>

 □月△日における貴社の番組は、事実の確認を怠り特定人物の人権を明確なる悪意を持って踏み躙らんとするものである。桜井幸吉氏の顧問弁護士を務めた者として同氏の名誉、並びに同氏の生前の意思を尊重し本間夕香子氏の名誉の回復を望み抗議するものである。以下に抗議の対象たる事実・梗概を記載する。

 ・事実の梗概
 貴社は□月△日放送の『報道ターミナル22』において、桜井幸吉氏が本間夕香子氏に殺害されたかの如き印象を与え、両氏の人権・名誉を著しく毀損する報道を意図的に行った。

 ・抗議事項並びにその事由
 一、桜井幸吉氏から本間夕香子氏への金銭授受に対する悪意ある編集
 二、桜井幸吉氏の死亡理由の意図的な隠蔽

 桜井幸吉氏は昨年から胃癌を患い余命を知り得る環境にあった。四百万円の授受は桜井幸吉氏の意思に基き公証役場での手続きを経た契約行為である。この点を隠蔽し恰も金銭を騙し取ったかの如き編集は悪意に満ちた行為と云わざるを得ない。加えて桜井幸吉氏の死と金銭授受に事実無根の因果関係を匂わせる編集は両者の人権・名誉を著しく毀損するものである。

 三、本間夕香子氏の殺害状況に対する過剰な情報の開示

 殺害状況は個人のプライバシーに属する情報であり、家族・関係者に十分配慮した上で取り扱う極めて重要な個人情報である。にもかかわらず貴社の報道はそうした配慮を欠き衆目を集める事に終始した愚劣なものであった。

 ※法務部注
  上記三に関しては犯罪被害者の会からも同様の抗議文を受領しています

 四、本間夕香子氏の交友関係に関する悪意ある編集

 番組内での三十六歳男性は東京都内の労働施設で住込みの職を得ている事が当方調査にて判明している。また桜井幸吉氏と三十六歳男性以外の四名については警察記録でもその存在を確認できない。加えて本間夕香子氏の交友関係についても調査を行った所、本間夕香子氏に対して好意的である証言を得る事ができたのみならず、番組内で語られた類の悪評は確認できなかった。以上より悪意ある証言のみを選択した可能性、更には証言の捏造という疑義が発生している。

 列記した抗議事項を鑑みるに該当番組内において極めて悪質な人権侵害が行われた事は明白である。本抗議に対し返答並びに対応策の提示を速やかに求めるものである。尚、回答無き場合、法的手続きへと移行する旨、承知されたし。

 <抗議文概要、ここまで>

 追記
 三柴喜三郎氏は、番組内で使用された写真の左側に写っている男性であると連絡を頂いておりますが、真偽については現在調査中となっております。

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 さてさて、事ここに至り話は混迷して参りました。男を誑かしては金を搾り取り、不用となった男は次々と殺害して始末する。本間夕香子は殺されて当然の稀代の悪女。当初の放送からはそういった意図が前面に押し出されておりました。
 しかし三柴喜三郎氏の抗議文によれば、そもそも金銭を不当に得た事実はなく、桜井幸吉氏の死因は胃癌。母親の証言まで引き出した男性は生きていて、その他の被害者は存在すら確認ができない、ということになるのです。
 結論から申しますと、三柴喜三郎氏の抗議文は殆どが事実でございました。近隣住民は局側が用意した役者であり、実際のところ、近所での本間夕香子の評判は悪いものではございませんでした。複数の男性が出入りしていたこと、酒に酔った男性が夜中に騒ぎ、警察が出動したことは間違いないようですが、その騒ぎの後、本間夕香子は近所一帯へ一軒一軒謝罪に回っておりました。また、行方不明の三十六歳男性は東京都内で保護がなされ、件のキャバレーに行ったことはあるが、夕顔なるホステスと個人的な付き合いはなかったという証言も、後になって得られることとなったのでございます。
 一部、齟齬がありましたのは、公証役場にて行われたという四百万円の贈与契約。この事実を示す書類等はどこにも存在しておりませんでした。
 しかし、そのような些事が消し飛ぶ程の齟齬が抗議文には含まれておりました。そのために放送局は自らの過失を認めるのではなく、この抗議内容に対しての大々的な反証(番組内では事件検証とされている)を『報道ターミナル22』において行うという方法を選択いたしました。
 その齟齬とは『三柴喜三郎という人物がどこにも存在しない』ということであります。桜井幸吉氏の死因は確かに胃癌でありましたが、顧問弁護士と契約した事実はなく、写真に写っていた男性は桜井氏の取引先の社長でありました。
 検証番組は論理の飛躍が著しく、感情的で根拠に乏しい発言の目立つ内容でございました。その発言はすべて『三柴喜三郎を名乗る人物は本間夕香子殺害事件の犯人であり、抗議文は愉快犯的な動機から送付されたものである』という前提から出たものであるようです。

 それでは当時の映像をご覧ください。


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 検証!『本間夕香子殺害事件』

 『報道ターミナル22』のスタジオ。画面中央やや左寄りに男性司会者、間隔を開け画面右側に五十代後半の男性と四十代前半の女性が並ぶ。
 映像が司会者のアップに切り替わる。

「本日の特集は、以前、当番組で放映した『本間夕香子殺害事件』について続報をお伝えいたします。まずはこちらを見て頂きたいんですが……」

 司会者フリップを立てる。小さな字で印刷された文書。視聴者から内容までは確認できない。

「これはとある人物より本番組あてに送られてきました前回の特集に対する抗議文です。実に攻撃的な言葉が並んでいまして、ぱっと見ただけでも、愚劣・隠蔽・捏造・殺害など、物騒な単語の羅列に背筋が寒くなります。
 大変に長い手紙なのですが、書かれている内容を簡単にまとめてしまうと、前回の特集内容は嘘っぱちの出鱈目であるから謝罪せよ、さもなくば……ということになります。当然ながら私共は国民の皆様に正確な情報を伝えるべく日夜努力しています。また、常に至らない点はないかと驕ること無く自省を繰り返し、視聴者の皆様から頂くご指摘を胸に刻んでおります。
 しかし同時に我々は、報道の自由を脅かそうとする行為とは断固として戦っていきます。こちらの映像をご覧頂けますでしょうか」

 スタジオ背後に設置された画面に封筒の裏面が映し出される。差出人の部分がアップになり『三柴喜三郎』の文字が見える。

「この『三柴喜三郎』なる人物が抗議文の差出人です。あらかじめお断りしておきますが、頂いたご意見に対して差出人を公開するといったことは通常ありません。視聴者の皆様にはご安心頂くと共に、どうぞ誤解のないようお願いする次第です。
 さて、では何故、今回はこのような異例の措置を取ったかと言いますと、この三柴喜三郎なる人物、この世のどこにも実在していないんです。
 抗議文の中で彼の人物は、殺害された本間夕香子さんの知人で、既に亡くなっている桜井幸吉さんの顧問弁護士を騙っていました。しかしそのような事実はどこにもなかったのです。手紙に書かれている住所もまったくの出鱈目でしたし、役所に照会もしてみましたが三柴喜三郎なる人物は、どこにも存在していませんでした。
 ところが抗議文に書かれている内容は関係者しか知り得ない内容が含まれていました。では何故、この手紙の差出人は、すぐにばれる嘘を吐く必要があったのでしょう?
 思わず、何故、何故と繰り返したくなる奇妙な出来事ですが、伊勢崎さん、この手紙についてどのように考えられますか?」

 司会者に伊勢崎と呼ばれた五十代の男性が早口で話し出す。

「ええ、私もこの手紙見せてもらったんですがね、これはもう、明らかに明確な意図があって犯人は手紙を出しているわけですよ。ええ、私、いま思わず、犯人なんて口走っちゃいましたがね、まあ、身分を騙って手紙を出しているんですから、そういう面では犯人と言っても差支えはないと思うんですが、ええ、私が言いたいのはですね、この手紙を出した人物が本間夕香子さんを殺した犯人である可能性は非常に高いということをですね、ええ、申し上げたいんですね。
 だって考えてもみて下さい。内容は関係者でしか知り得ないことが書いてある、でも情報提供でもなく、メディアに対する挑戦状という形で、こうして攻撃的な手紙を出してきてるわけじゃないですか。これはもう、ええ、自己顕示欲の表れとして考える以外、説明のしようがないんじゃないですかね、ええ」

「なるほど、なるほど。つまり伊勢崎さんはこの手紙の差出人は本間夕香子さん殺害事件の犯人であり、この手紙を出した意図は自分の存在を世間に知らしめるためだと、そういったお考えですね」

「ええ、まあ、完全に断定はできませんがね、ええ、その可能性は非常に高いと思いますよ、ええ」

「なるほど。もし仮に、この手紙の差出人が犯人であるとして、本間夕香子さんを殺害した動機、これはもう想像でしか語れないとは思うんですが、宮古内さん、精神医学的な観点からすると、どのような可能性が考えられるでしょう?」

 司会者に宮古内と呼ばれた四十代の女性が話し出す。あまり抑揚のない口調。

「前提となる情報が少ないので一般論になってしまいますが、あれだけ残虐な殺害方法を取る以上、根の深い怨恨が動機であることは間違いないと思います。また、頭部に多量の精液が付着していた点から、痴情のもつれであることも間違いないと思います。
 ひとつ気になるのは、先ほどの手紙を出したのが犯人である場合、伊勢崎先生も仰っていましたが、これは典型的な自己顕示欲の現れです。これまでの常識からすると、怨恨による殺人を犯した者がその行為をひけらかすというケースは非常に珍しいと言えます」

「つまり今回の事件は、新しいタイプの犯罪、アメリカでは頻繁に発生している劇場型犯罪が、日本でもついに起こったということでしょうか?」

「いえ、単純に手紙の差出人と事件の犯人が別である可能性が高いということです」

 司会者の目が一瞬泳ぐ。宮古内の視線も司会者を離れ、カメラからずれた場所をしばらく見つめる。司会者が再び宮古内に話す。

「なるほど、劇場型犯罪が日本で起こる可能性は低いと、宮古内先生はお考えですね」

「たしかに高くはありませんが、社会の情勢を見ていると、いつ起こってもおかしくはない状態だと思います。仮に本間夕香子さんを殺害した犯人と手紙を出した人物が同じであれば、これは日本の犯罪が好ましくない新しい段階に入ってしまったということです。そうでないことを願いたいですね」

「ありがとうございました。それではここで事件についてもう一度まとめてみましょう」

 背後の画面に人物の相関図が映し出され、以降、事件のあらましが新しく判明した事実と共に説明される。特集も終わりかけた頃、司会者が再び話し始める。

「取材を続ければ続けるほど、複雑で凄惨な事件であることを痛感します。しかしこの事件の報道がきっかけとなって、ある母親の願いが届くこととなりました」

 画面は三十代後半の男性に母親らしき初老の女性が涙を流しながら抱きついている場面に切り替わる。女性は本間夕香子殺害事件の第一回特集で息子が行方不明になっていると語っていた人物。ナレーションが入る。

「行方不明になっていた皿崎俊哉(三十六)さんは昨日東京都内で保護され、一夜明けた今日、息子の無事を祈っていた母親の元に帰宅しました。俊哉さんは少し体重が落ちていたものの、健康状態は極めて良好だということです」

 映像は息子の横で涙を流す母親に切り替わる。

「こんなにも世間をお騒がせいたしましたことをまずお詫びいたします。誠に、誠に、申し訳ございませんでした。そして、改めて皆様に御礼申し上げます。情報を寄せて下さった視聴者の方々、また、その情報をわざわざ確認して下さった番組関係者様には、感謝のしようもございません。本当に、本当に、ありがとうございました」

 深々と頭を下げる母親。それに合わせるように隣に立つ息子も頭を下げる。映像がスタジオに戻ると司会者が話し出す。

「息子さんを思うお母様の涙に、私などは胸の奥を鷲掴みにされた思いがします。しかし、あの息子さんが事件にどう関わっていたのかは大変気になる部分です。伊勢崎さん、その証言によっては一気に真相解明などという事態も考えられますかね?」

「ええ、それはもちろんそういうことも考えられるでしょうね。本間夕香子が見知らぬ男達と浮名を重ね、その結果としてあのような事件に巻き込まれたのは、ええ、まったくもってその通りなのでしょうからね、ええ。その一端を彼が知っているのであれば、これはもう、ええ、手練手管といいますか、本間夕香子さんが何故にして怨みを買ったのかを知る端緒となるんではないですかね、ええ」

「とにかく息子さんは無事だった訳で、お母様も仰っていましたが、これだけ世間を騒がせたのですから、知っていることは包み隠さず話してほしいと、そう強く思います。それが、本間夕香子さんへの何よりのご供養になるのだと思います」

 映像は天気予報のコーナーに変わり、しばらくして切れる。

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 猟奇的に殺害されました悪女。彼女と関わった男達の相次ぐ死と失踪。そして事情を知ると思われる謎の人物の出現。報道のみを情報源とする善良な人々はブラウン管に繰り広げられる探偵小説さながらの事件に釘付けとなっておりました。
 話題性が高まるのに連れて報道は過熱感を増し、他局が特番を組む頃に至っては、本間夕香子殺害事件の関係者は外を歩けない程の騒ぎとなり、本間夕香子の同僚であったホステスの一人などは、ノイローゼに罹り精神病院の世話となったようでございます。
 一介のホステスである本間夕香子の顔を人々は記憶いたしました。生前の彼女を知る者など皆無であるにも関わらずでございます。そして誰もが今回の残酷極まりない事件に己は精通しているのだと思い込むに至りました。彼女の生い立ち、生活環境、殺害状況など本間夕香子に関するすべてを知り得たと、皆が疑いもせずに信じ込んでいたのでございます。
 その幻想は突然に霧散いたしました。人々は血の上った頭へ冷や水を浴びせられたような心持ちを味わったのでございます。
 その原因となったもの、それは始まりと同じく『報道ターミナル22』でありました。何の前触れもなく、番組の冒頭で『視聴者の皆様へのお詫び』とテロップが表示されまして、背筋を伸ばし神妙な顔で画面中央に立った司会者が、これまでの騒ぎを無に帰す内容を淡々と語りだしたのでございます。

 彼曰く、『殺害されたのは本間夕香子さんではありませんでした』、
 彼曰く、『本間夕香子という人物はどこにも存在していませんでした』と。

 この点のみをお伝えしたのでは、狐につままれたかのように感じられることでしょう。何よりもまず、当時の短い映像をご確認頂きたいと思います。彼の言が真実であるのならば、これまでの騒動とは一体なんであったのかが、するりと藪の中に消え失せてしまうのでございます。


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 視聴者の皆様へのお詫び

 番組オープニングを省略し黒地に白抜き文字で『視聴者の皆様へのお詫び』と画面全体に表示される。映像変わり、背筋を伸ばして立つ司会者の姿が画面中央に映し出される。※司会者は通常、画面奥のテーブルセットに座っている

「平素は当番組をご愛顧頂き、誠にありがとうございます。本日は一部予定を変更し、一連の『本間夕香子殺害事件』に関しまして、当番組より視聴者の皆様へのお詫びをお伝えさせて頂きます。
 まず、これまで被害者とされていました『本間夕香子』さんですが、警察の捜査により殺害されていたのはまったくの別人であることが判明しました。これは本間夕香子さんが通院していた歯科医に歯型の記録が残っていまして、照合の結果、別人であると証明されたことによるものです。なお、放映時点では『本間夕香子さんと思われる頭部が現場に残されていた』との警察発表があり、十分な確認期間を設けた後に当番組での放映を行っています。
 また、これまで『本間夕香子』さんとしてお伝えしてきた女性ですが、この『本間夕香子』という名前も偽名であることが警察より合わせて発表されました。発表によると、勤務先に保管されていた履歴書、自宅で見つかった『本間夕香子』名義の保険証などから被害者の氏名を確認していたが、記載の住所に該当する人物がいた形跡がなく、再度確認したところ、保険証は偽造されたものであると判明したとのことです。
 我々報道機関は警察発表に基づき、正確な情報を視聴者の皆様にお伝えするよう努めています。今回も正確性の確保に細心の注意を払っておりましたが、想定外の状況のために視聴者の皆様へ誤った情報をお届けする結果となってしまいました。心よりお詫びさせて頂きます。
 本事件に関しては、殺害されたのが誰であるのか、また、本間夕香子と名乗っていた女性はどこに消えたのかなど、解明されていない点が数多く残っています。今後も当番組は本事件に対して更なる取材を重ね、視聴者の皆様に続報をお届けできるよう、スタッフ一同、誠心誠意励んで参ります。

 本日は一部予定を変更し『本間夕香子殺害事件』の報道に関するお詫びを放送させて頂きました」

 深々と頭を下げる司会者。映像切り替わり、番組の通常オープニングが始まる。しばらくして切れる。

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 如何でございましょうか。日本中を喧騒の渦に巻き込んだ本間夕香子殺害事件は、とどのつまり、殆ど何もわかっていなかったのだと痛感するのみのものであったのです。このお詫びの後、本間夕香子殺害事件はぱったりと報道が為されなくなりました。そのために世間では様々な憶測や噂が乱れ飛んだのでございます。
 本間夕香子を東北のスナックで見かけた、あるいは九州北部のクラブで見たなど、彼女の目撃情報は全国津々浦々から集まって参りました。本間夕香子は秘密組織の諜報員で、山陰地方のアジトに潜伏している、といった荒唐無稽な話までもが実しやかに囁かれておりました。また、殺害されたのはやはり本間夕香子で、歯型の照会を行う際に鑑識が資料を間違えたという説や、とある要人の秘密を知ったがために始末され、予想外に騒ぎが大きくなったことにより、とある組織が裏から手を回して警察発表を修正させたなどという眉唾ものの話が多数ございました。
 いずれにしても、正式な発表はどこからも為されませんでした。次第に人々の興味は薄れ、誰が殺害されたのかもあやふやなままに『本間夕香子殺害事件』は風化していくのでございます。

 私は図らずもこの事件に少なからぬ関係を持つこととなり、それがきっかけでこの事件に関する資料を収集し、何が起こったのかを調査するようになりました。稀にではございますが、今回のように『本間夕香子殺害事件』を語る機会があります度に、僭越ながら私なりの考えをお伝えして参ったのでございます。
 本間夕香子殺害事件に関して、私は世間一般の方々が知り得ぬ情報を知る立場におりました。そのために報道された内容の中で、明らかに事実とは矛盾する部分に気がついたのでございます。
 それは歯型に関することでした。本間夕香子(これは偽名らしいのですが、便宜上、この名を引き続き使用いたします)の頭部から歯型を確認することは絶対に不可能なのでございます。何故ならば、本間夕香子の歯は悉く引き抜かれ、犯人によって嚥下されておったのですから。

 本間夕香子が殺害された当日、犯人は流し台の下に身を潜めておりました。本間夕香子の自宅近辺に居住していた犯人は、往来でしばしば彼女を見かけ、緑の黒髪と表現するに相応しい彼女の長く整えられた髪に抑え切れぬ劣情を抱くようになり、犯行に及んだのでございます。
 本間夕香子が帰宅したのは真夜中でした。疲労しているであろうに彼女は夕食を作り始めました。あさりを茹でた貝類特有の香りが流しの下まで漂って参ります。私などは古い人間でございますから、それだけで彼女を女性的な心根の優しい人物であると考えてしまい、彼女の人格を否定するかのような報道には秘かに憤りを感じておりました。
 犯人は本間夕香子が就寝してから襲い掛かる心づもりでおりました。しかし流しの下から垣間見えた本間夕香子は台所に背を向けて座っており、その長く長く艶のある髪を無防備に揺らめかせていたのでございます。
 犯人はそっと流し台の下から姿を現し、音もなく本間夕香子に近づくと、袖のないワンピースの襟首を掴んで、当時はまだ珍しかったフローリングの床に椅子ごと彼女を引き倒しました。本間夕香子は突然のことに驚きながらも悲鳴を上げようといたします。犯人は倒れた彼女に覆い被さり、持参した手ぬぐいを彼女の口にぐいぐいと押しこみました。大量に詰め込まれた布切れは手を使わねば吐き出すこともできません。仰向けの本間夕香子は必死に手足を動かして、なんとか犯人から逃れようともがいておりましたが、そのか細い腕では男の力に抗うことは叶いませんでした。
 犯人は様々な工具のついたベルトを腰に巻いておりました。本間夕香子を押さえつけながら犯人は金づちを手に取り彼女の眼前に突き出します。『騒ぐと殺す』と凄み、彼女が怯んだ隙に犯人はベルトの釘入れから五寸釘を素早く取り出して、本間夕香子の右の手の平を床に打ちつけました。
 声にならぬ彼女の悲鳴が触れ合った肉と肉を通して私の身体に伝わって参ります。私は息を荒くして金づちを何度も振り下ろしました。ただでさえ非力である上に、右手を完全に固定された本間夕香子には、抵抗の術が残されておりません。
 私は本間夕香子の残った左手を掴み、彼女の脅えた顔を見下ろしました。細い目を一杯に見開き、涙をぼろぼろ零しながら私を見つめております。その顔の造作には特筆すべき美しさはなく、また、その表情にも私の心を動かすものはございませんでした。私は本間夕香子の左腕を引き、両腕がいっぱいに伸びる位置で左の手の平を床に打ちつけました。
 悪意のある相手に身体の中央を曝け出すのは怖ろしいものでございます。馬乗りになった私の眼下で両腕を大きく広げた本間夕香子は、その表情に明らかな変化が生まれておりました。ここで私は一度目の射精に至ったのでございます。
 私は本間夕香子の身体を隅々まで楽しみました。脅える彼女の目にゆっくりと釘を打ち込んで、その度に跳ね上がる身体の感触を楽しみ、抵抗を諦めた彼女の服を切り裂いて、汗まみれになっている彼女の滑らかな肌を首筋、鎖骨、二の腕、掌、指、脇、乳房、乳首、腹、臍、腿、ふくらはぎ、足の甲、足の裏、足の指、そして肛門、陰核、膣口と嘗め回し、私の肌を擦り付け、彼女の身体を強く抱きしめ、彼女の歯を一本一本ペンチで引き抜いては嚥下し、その口内に私の怒張した局部を押し込み、彼女の膣に私の怒張した局部を押し込み、彼女の肛門に私の怒張した局部を押し込みました。
 本間夕香子はからっぽの目をしておりました。彼女の感じた恐怖、声にならぬ叫び、蹂躙され弱まっていく精神の移ろいの記憶は、今でも私の身体に深く刻みつけられております。しかし私と本間夕香子にとっては余りにも明確である諸々の真実は、他者からすれば虚実の判別すらつき難いものなのでございます。
 私はこの後も本間夕香子に数々の狼藉を働きました。一番の目的である彼女の髪を楽しむために、彼女の手首を切り落として身体を裏返した時に起こったこと、また首を切断して彼女の頭部を電灯に吊るした後、テーブルに上って私がした行為などは、私には明白でありますが、あなた様には何ひとつ知る術がないのです。さらに申せば、私が調子に乗って語って参りました内容こそが、嘘を並べただけの騙りそのものであるという可能性を、あなた様は否定することも肯定することも不可能なのでございます。ここまで申せば、あなた様にとっての明白な真実が、あなた様以外の人物にとっては実に朧げなものであることがご理解頂けるかと思います。

 私がお伝えさせて頂きたいのは、正にその一点にございます。もしも、あなた様が何の脈絡もなく、何者かによって本間夕香子のように理不尽な苦痛を受けたとしても、あなた様と犯人にしか、その真実は真実となり得ないのです。あなた様がどれだけの苦痛を感じ、どれだけの屈辱を受けたとしても、誰もそんなことには気付かず、世界は平和に廻り続けるのでございます。

 あなた様は何を語ることもできません。本間夕香子と同じように。
 その恐怖をお伝えするために、私はいま、あなた様の前に居るのでございます。

 それがお伝えできたとすれば、私も長い話を語った甲斐があるというものでございます。近頃は私も年を取ったせいか疲れやすくなり、趣味趣向も変わって参りました。人間など醜いものだと感じておりましたが、今では老若男女問わず、人の身体はすべて美しいものだと心の底より感じ入るばかりでございます。

 どうぞ、あなた様もあまりお一人ではおりませぬよう、お気をつけ下さい。
 それでは、近いうちに、またお逢いいたしましょう。
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