高峰零月は猫を飼っていた。
「零月ー! れーつーきー! 凜ちゃんのトイレ満杯だよ! 早く片付けてー!」
「分かったー今行くからー!」
零月の飼う猫は名前を『二宮凜』と言い、零月によく懐いていた。零月もかわいがっていたが、猫が好きな訳ではなかった。というよりむしろ犬派で、この町に来る前には自宅で犬を2匹飼っていたくらいだった。もちろん、猫を飼うのはこれが初めて。
二宮凜が人型になって玉砕した後、前プロデューサーは猫の扱いに困った。猫は外から特別毛並みが良く動物タレントとして育てられたのを買い取り、町に連れてきたのだが、主人公が気に入った以上、外に返す訳にも行かない。とはいえ、野良として町に野放しにしておくのも何かと問題。しかも前プロデューサーは猫アレルギーだったので、飼う事は不可能である。といった訳で、誰か信頼できる人物に預けようという話になった。その時、名乗りをあげたのが、高峰零月だった。
それに反対する者や、「いいや私がぜひとも飼いたい」と名乗りをあげる者はいなかった。あの主人公が気に入った猫ではあるが、設定上は野良猫な為、「自分が飼っている」などと話に出す事は出来ないし、また、猫がもしも病気や怪我をした場合多大な責任を負うのは分かりきっていて、普通の猫を飼うよりも遥かにリスクがある。実際、零月と一緒に住んでいる双子の姉、『高峰一陽』は、零月が飼いたいと言った時、机をドラムセットのように叩きまくって猛反対した。
だがしかしそれでも零月は、二宮凜をどうしても飼いたかった。藁にも縋る思いで、小さな希望に身を託すように、猫という存在にある救いを求めていた。
零月は、主人公の心を覗きたかった。触れたかった。知りたかった。
つまり零月は、主人公に惚れていたのだ。
この町に来た当初は、零月も他の者と同じように金銭が目的だった。『割の良いバイトのついた、実家から離れて暮らせる学校生活』という噂を聞いて、姉の一陽と一緒に履歴書を送って、面接を受けた。
そして見事に合格し、説明会にてこの町の仕組みと、主人公という人物について説明を受けた。
零月が、主人公を実際に(といっても、モニター越しではあるが)見た時抱いた感情は、実は零月自身良く覚えていない。単純に、珍しい物への興味だったかもしれない。こんなに大掛かりな組織を用意してまでこの町を作った雇用主もとい『黒幕』と、主人公の関係性は確かに気になる所だ。
あるいは、もっと単純な驚き。自分の知らない所にこんな滅茶苦茶な世界があった事に対する率直な感想。それが主人公という一個人を、間接的にぼやけさせていたせいという可能性もある。
零月は客観的に自分を見る能力に長けていた。見た目から行動から言動まで自分にそっくりな双子の姉と、ずっと暮らしていたおかげかもしれない。零月が、自分の心の変化に気づくのに、それほど時間はかからなかった。
例えば朝。そろそろ起きただろうか、何を食べただろうか、今家を出ただろうか。
例えば昼。どんな気持ちで今日を過ごすのだろうかと答えの無い疑問を抱く。
例えば夜。眠りに就く時に気づく。一日中、主人公の事を考えていた事に。
二宮凜を飼い始めてから、零月はぼーっとしている時間が長くなった。窓辺に座って、猫の頭をなでながら、外の景色を眺めて、ため息をつく。すると、一陽がやって来て言う。
「零月、明日のクラスメイトオーディション、本当に出ないの?」
「……うーん、うん」と、気の無い返事。
「はぁ……。双子キャラで売り込めば絶対イケるのに……」
主人公が本当に好きだったからこそ、零月は『役』をもらうのが嫌だった。役をもらって主人公に近づけば、自分が思ってもいない事を言わされてしまう。演技を強要される。そして何より、主人公に群がるその他大勢と、自分の気持ちが一緒にされてしまう。
一陽はため息をつきながら、明日の準備をし始めたが、零月の方は何も出来ないまま時間が過ぎていった。
零月は、想像していた。もしも万が一、私が主人公と付き合える事になったら、莫大な報酬はこっちから断ろう。そうしたら主人公は、私の事を本当に愛してくれるかもしれない。心を開いてくれるかもしれない。私は欲も負い目も無い状態で、主人公の心を受け入れよう。と、そこまで考えて、所詮は妄想と自嘲気味に笑うのだった。
何せ主人公を狙っている女子は吐いて捨てるほどいる。動機は大抵金の為だが、自分の気持ちがいくら強かった所でそれはたいした意味を成さないだろう。零月よりも運動神経が良く、頭がキレて、そして演技の上手い者は、いくらでもいるのだから、仮に零月が積極的にオーディションに参加したとしても、チャンスはなかなか回ってこないだろう。
しかし次の日、オーディション会場から走って帰ってきた一陽に運ばれて、零月の渇望したチャンスはあっさりと回ってきた。
「受かった! 受かったわ! 受かったわよーー!!」
大声で叫び、のた打ち回る姉をひとまず落ち着かせ、零月が事情を聞いた。一陽の説明は前後上下して何とも要領を得なかったが、5分後、ようやく事態を把握した零月に歓喜と葛藤が同時に押し寄せた。
オーディションを終えた一陽は、手ごたえの無いまま肩を落として帰り道を歩いていた。すると、後ろから声をかけられた。
「ねえ、零月ちゃんはいないの?」
振り返ると、プロデューサーの上者名結衣がいた。今この町で、この名を知らない者はいない。予想外のタイミングで突然振られた質問に、一陽はうろたえながらも答える。
「え!? え、と今日は来てません」
おそらく、プロフィールに双子と書いたのを見て、興味をもたれたのかもしれない。「呼べばいつでも来ますよ」というニュアンスを含んで、一陽は「今日は」とつけた。
「残念。じゃあ質問。あなたと零月ちゃんは似てる?」
「それはまあ、双子ですから……」
「いやほら、あんまり似てない双子ってたまにいるじゃない? 片方だけ鼻にほくろがあったりして」
「自分で言うのもあれですが……似てると思います。一卵性ですし、特徴の無い顔ですから、はい。似てます」
「そう。それは良かった。じゃあ、採用」
「へ?」
「採用。次のヒロイン役ね」
一陽が言い渡された役は、『超能力少女』だった。
最大で人ぐらいの大きさの物を、地球上のあらゆる場所にテレポーテーションできる超能力を持った少女。という設定。一陽は『本物の超能力者』を装い主人公に接近し、能力を信じ込ませる。主人公が超能力に興味を持ってくれれば、2人の関係もおのずと上手くいくはずだ、という上者名のまた例のごとく稚拙なシナリオだった。
この役をするのが、良く似た双子でないといけない理由は単純だ。この世界は紛れも無い現実であるからして、超能力なんて物は存在しないからである。
手品には種がある。そして大抵はくだらない種である。
1週間後、本番当日。同じ服を着て、同じ髪型にした高峰零月、一陽両名は、どこからどう見ても完全な同一人物だった。2人を見て、拍手する上者名。
「完璧。これなら成功間違いなし」
一陽はうんうん頷き、上者名の意見に同意する。今回は、台本もプラカードも全て上者名側で用意されており、一陽はきちんと全て暗記してある。自信があって当然だった。そして一陽とは対照的に、浮かない表情でうつむいているのは、
「零月?」
と、一陽が声をかける。零月は顔をあげ、心に決めた言葉を吐き出す。
「あの……やっぱりこの話、お断りします」
「あら、どうして?」と、上者名。「す、すいません。この子緊張しちゃって訳わかんなくなってて……」と一陽がフォローを入れる。
「私は、主人公さんを騙せません」
「自信が無いの?」
「違います。耐えられないんです」
上者名は零月の真剣な瞳を見て、その内にある感情を察する。
「一陽ちゃん。少し待ってて」
上者名はそう言うと、零月を連れてトイレに入っていった。
10分後、出てきた零月は別人のようにやる気を出していた。
「おはよう。意外とかわいい寝顔ね」
朝、目が覚めた主人公は、目の前にある少女の顔を見て、「またか」と思った。
目覚めを誰かに見られるのは慣れている。幼馴染、妹、姉。設定上の存在ではあるが、それら馴れ馴れしさを装う者達に起こされるのは、良くあるパターンだったからだ。
「あら、驚かないのね。見ず知らずの女が勝手に部屋の中に入ってきてるっていうのに。寝ぼけてない? 私はあなたの幼馴染でもなければ、妹でも姉でもないわよ」
簡潔に設定を交えつつのわざとらしい台詞。それも主人公は聞きなれている。
「自己紹介させてもらうわね。私の名前は高峰一陽。ちょっとお茶目な超能力少女よ。といっても、にわかには信じがたいでしょうから、その証拠を見せてあげる」
一陽はそう言って、主人公の部屋の本棚の本を一冊指差した。「はっ!」と力を込めると、本が飛び出して、地面に落ちた。言うまでもなく、本棚に仕掛けがある。
「いわゆる念動力って奴。もっと見たい?」
と、ここで選択肢が2つ。
『見たい』『もういい』
主人公はほんの少し考え、『見たい』の方を選んだ。
「いいわ! 見せてあげる。ほら、立って」
主人公をベッドから起こす。
「これからやるのはテレポーテーション。私の一番得意な技。せっかくだから、学校まで飛んでみましょうか?」
『はい』『いいえ』
の二択。主人公は『はい』を選択。一陽はプラカードを投げ捨てて主人公の両手を握る。
「よし、それじゃあ目をつぶって、私の両手をしっかり握ってね。私がいっせーのーせで合図したら、出来るだけ高くジャンプして」
主人公は言われた通り、目をつぶって手を握る。
「いくわよ。いっせーの……せっ」
2人の周りを勢いのある風が吹き抜けた。
「さあ、ゆっくりと目を開いて」
主人公が目を開くと、そこはいつも通ってる学校のいつもの教室だった。呆気にとられる主人公。どうだと言わんばかりの一陽。
この超能力も種は単純だが、ようは大掛かりな手品である。
まず、主人公の部屋とそっくりの部屋を作ったコンテナを用意する。そしてそこに主人公を寝かせたまま移動させて、コンテナを学校まで運ぶ。主人公の教室は3Fにある為、そこまでコンテナをクレーンで吊り上げ、教室の窓を取っ払い、コンテナを入れる。主人公を、背後の壁に穴のあいた所定の位置に立たせて、後は主人公に目を瞑らせ、ジャンプと同時にコンテナを外から引っこ抜く。主人公が目を開ける前に、教室の窓(開閉式に改造した物)を閉じて、瞬間移動のいっちょ出来上がりという訳だ。
普通、たかだか手品の為だけにここまで大掛かりな事はしない。だからこそ騙せる。主人公に、一陽の能力を信頼させる事が出来る。
「どう? すごいでしょ」
一陽が自慢げに言うと、主人公は頷いた。選択肢が出てないのに、意思を示すアクションをするのは、傾向的に見て食いついている証拠だ。
「ってあら、失敗したわ。あなたパジャマのままじゃない。着替えてから瞬間移動させるべきだったわね」
一陽は主人公の格好を見ながら言う。そして「まあいいわ。制服をとってきてあげる。実はね、誰かとテレポーテーションするのは1日1回しか使えないのよ。私だけが移動するのは何回でも出来るんだけど」
一陽はそう言いながら、主人公の背後に回った。主人公がゆっくり振り返ると、既にそこにはもういない。床には穴が空いていて、一陽は下の階のクッションに落ちて、穴はもう塞がっている。
「ねえ!」
と教室の窓の方から声が聞こえ、主人公が窓から下を眺めると、そこに一陽がいた。
「鞄も持ってきたほうがいいー?」
と、校庭で声をあげる一陽に主人公は頷く。
「そりゃそうよねー」
一陽を演じる零月がそういって、再度ジャンプをすると、舞い上がった砂埃と共に主人公の視界から消えた。校庭と教室ほどの距離があれば、人の視覚などはいくらでも誤魔化せる。
数十秒後、ガラっと教室のドアを開けた一陽はしっかり制服と鞄を持っていた。下の階に落ちた一陽が、あらかじめ用意したこれらを持ってきただけであるが、主人公から見れば、校庭に瞬間移動し、部屋に移動し、ここに戻ってきた事になる。本物の超能力だと思うのも無理はない。ましてやこの町は、つい先日本物の殺人者と本物の達人を雇ったばかり。もしも超能力者がこの世にいるなら、高額をはたいて雇ってきても何ら不思議ではない。
「それじゃ、授業頑張ってね」
と言って、制服と鞄を主人公に渡し、再びテレポーテーションをしようとしたその時である。
「……ま、待っ……」
誰もが耳を疑った。一陽も、主人公も、モニターを通してそれを見ていた全員が、息を飲んだ。
「待っ……て……くだ……さい」
途切れ途切れになりながらも、主人公は一陽に声をかける。当然、台本には無い事だ。一陽は焦る。
「な、何ですか?」
少し素に戻りながらも、一陽は聞き返す。台本に無いからといって、黙っていい訳ではない。選択肢の用意されていない質問は禁止されているが、この場合は仕方ないだろう。
「お、お願いが……」
主人公は顔を俯けたまま、申し訳なさそうにそう言うが、言葉が続かない。
もしも主人公が喋らなければ、次は一陽が教室の外にテレポーテーションして、そこから最後に告白をする手順だった。一陽と主人公が喋っている間に、校庭にいた零月が走って校舎を上り、教室の扉の前で待機する手筈だったのだが、こうなれば最早関係あるまい。 一陽は主人公の言葉を待ちきれず、尋ねる。
「お願い、ですか?」
「はい……」
また沈黙。懸命に、そして真剣に主人公は言葉を選んでいる。
「あの、その、テレポーテーションは、どこまで行けるんですか?」
主人公が尋ねる。一陽は設定で決められた事をそのまま答える。
「世界中のどこでもよ」
主人公は身を乗り出して続ける。
「だ、誰かと一緒に行くのは、1日1回なんですよね?」
「ええ、まあ……」
「そ、それなら!」
主人公が大声を出した。自分で思っていたよりも大きく声が出たらしく、少し恥ずかしそうにして、言い直す。
「それなら、あの、明日……明日、僕を、この町から出してくれませんか?」
一陽は答えなかった。いや、答えられなかった。
その台詞を、教室のドアの向こうから聞いていた零月は、声を殺して泣いていた。