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2ndActress ポッコモコ・ピョートル

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 ポッコモコ・ピョートルというへんてこな名前の少女は、絶対的なかわいさを武器に持ち、遠くロシアの地から、母親兼通訳兼マネージャーの手を引かれて、セスナからこの町へと降り立った。帽子を深く被り、サングラスをかけ、スカーフを口に巻き、さながらオフ中の芸能人のような隠密のいでたち。
「お待ちしておりました」
 プロデューサーが深々とお辞儀をすると、ポッコの母親は流暢な日本語で挨拶代わりの皮肉を返した。
「日本にしては、ここはわりと空気がいいようね」
 プロデューサーは張り付いたような笑顔を崩さずに、ポッコの方にも礼をした。ポッコは答えず、ロシア語で母親に何かを尋ねた。母親は首を横に振って、顔半分を覆い隠すスカーフを締めなおした。
「泊まるホテルは準備してあるわよね?」
「もちろんです。あちらにお車がご用意してあります」
「それと、ギャラについて詳しく話をしたいんだけど」
「かしこまりました。後ほど、直接私がホテルのお部屋にお伺いします」
「あら? 今すぐに話がしたいわね」
「ですが……」
 ずっと平身低頭だったプロデューサーが、ここで初めて意見を返した。
「ポッコモコ様も長旅でお疲れのようですし、ここは一旦ホテルにチェックインしていただいで、一休みしてからの方がよろしいかと」
 ポッコ母は横目でちらりとポッコの様子を確認する。表情は見えないが、確かに、動画で見せるようないつもの元気さはない。
「分かったわ。それじゃギャラの話は後で。早速ホテルに案内してちょうだい」
 親子を乗せた黒のベンツが、町で唯一の小さな空港から出て行った。
 それを深い礼で見送ったプロデューサーに、男が一人駆け寄る。眼鏡をかけた、神経質の塊のような若い男だ。男が通った後は、周りの空気が正しく整っている。
「プロデューサー、単刀直入にお尋ねします」
「何でしょう」
「ポッコモコを招来するのに、一体いくら使ったんですか? すごい額を使ったともっぱらの噂です」
 プロデューサーは苦笑いし、申し訳なさそうに人差し指を1本立てた。
「1千万……ですと? 日本に招くだけでですか? まだキャラクターについての打ち合わせもしていないのに? 主人公が気に入るかどうかも分からないのに? 人1人呼ぶのに1千万もかけるなんて、前代未聞ですよ!」
 質問攻めする男をなだめるようにプロデューサーは語る。
「仕方なかったんです。彼女には日本のテレビ局も目をつけていましたし、しかもあのマネージャーがついてます。相手の予想を上回る金額を出せなくては、すぐにうんとは言わせられなかった。若さと美しさに値段はつけられません」
「し、しかしですね……」
 食い下がる男に見切りをつけて、プロデューサーは身を翻す。
「経理部長どのの手は決して煩わせません。予算の説明を求められたら、私が直接しにいきますし、責任は全て持ちます」
 プロデューサーは経理部長と呼ばれた男から逃げるように離れながら、捨て台詞を吐いた。
「それと、1千万ではなくもう1桁上ですので、あしからず」
 経理部長は腰を抜かした。
 ポッコモコ・ピョートルとは何者か、簡潔に説明すればいわゆる「ネットアイドル」の一種に分類されるだろう。
 3ヶ月ほど前から、ネット上は突如彗星のように現れた「ポッコちゃん」の話題で持ちきりになっている。見た目は年相応、10歳の可憐な少女でありながら、パワフルな踊りと透き通るような歌声であっという間にその知名度は上がった。最初は某掲示板で写真が何枚か貼られ、それを見たロリコン達が詳細を求める事で話題は巻き起こった。その後、本人名義で有名な動画サイトに歌や踊りの動画がアップロードされるようになり、やがて地元の雑誌がそれを取り上げた。一度メディアに露出すれば、後は川が低い方へと流れるがごとく、ポッコの話題は世界中を電子の大波になって駆け巡った。
 ポッコの魅力は、なんといっても、その類稀なるかわいさにある。肌は紡ぎたての絹のように白く柔らかで、ナチュラルの金髪にはウェーブがかかり、泡立つ黄金の麦畑を彷彿とさせる。そして何といってもその瞳。濃いブルーの深淵は、覗く者を皆必ず虜にする。唯一にして無二、絶対にして完璧なかわいさ。
 言うまでもなく、この世界は現実である。いくらかわいいとはいえ、ポッコが有名になったのはそれだけの力ではない。才能は、それを磨く努力があってこそ光る。子供の場合は、親がその役割をどれだけ果たせるかが重要になってくる。そう言う意味においては、ポッコの母親は十分その責務を果たしたと言えるだろう。ポッコにつく値札を限界まで吊り上げ、ポッコのかわいさを管理する。日焼けは天敵。ポッコは外出する時いつも、肌の露出は最小限に抑える生活を強いられている。
 資料室へと戻ったプロデューサーは、持て余した時間で何本かのビデオをチェックした。どれも用意したヒロイン達が様々なパターンで見事に玉砕するシーンを集めた物だったが、得られる教訓は毎回同じだった。
 この世界の主人公は、ありとあらゆる他人を拒絶している。
 大金をはたき、ポッコを呼び寄せたプロデューサーには1つの策があった。
「ポッコさんにして欲しいキャラクターは、『幽霊』です」
 ポッコ母はそれを聞いて顔をしかめる。
「幽霊と生身の人間では、肝心の恋愛関係が成り立たないのでは?」
「心配ありません。主人公がその気になりさえすれば、シナリオ上は何とでも出来ます」
 無論、ポッコ母は簡単に「はいそうですか」とは認めない。
「納得の行く説明をお願いします」
「かしこまりました」
 プロデューサーは何枚かの写真を、ポッコとポッコ母に見えるように並べて、説明を始めた。
「主人公は自分の言葉を持ちません。こちら側が用意した選択肢を選び、良いか悪いか、可能か不可能かの意思を表現します。選択肢をこちらが用意せずに話しかけた場合は必ず無視されます。それでも話しかけるのを続けた場合、主人公は発狂します」
 1枚の写真を付け足した。主人公が体を丸めて、頭を両腕で抱えながら転がる写真だ。
「日本人は狂ってるわ」と、母親が呆れながら言った。
「しかし例外はあります」
 更に取り出した1枚の写真。それは猫耳少女『二宮凛』と主人公が相対した時の物で、その時主人公は珍しく、筆記用具を使って意思の疎通を図った。いや、これは珍しいなんて物ではなく、前代美問の快挙だった。
「この写真が示しているのは以下の2点です。主人公は、人間以外の存在にはそこそこ心を開く。そしていざとなれば、筆記用具を使っての表現が出来る」
 プロデューサーは畳み掛けるように、ポッコ用に作成したシナリオを取り出して読み上げた。
「突如として主人公の目の前に現れた幽霊は、何も言わずに主人公に付きまとう。どうやら、周りはその存在に気づいていない。幽霊はただニコニコ笑いながら、主人公の行く先々に現れる。幽霊に憑り付かれた主人公は、通りがかりの霊媒師に除霊を依頼する……と、こんな感じです」
 それまで黙って聞いていたポッコ母は、「稚拙だわ」と感想を言った。プロデューサーは構わず続ける。
「このシナリオの利点は、ポッコ様が日本語を喋れないという点を設定でカバー出来る所にあります。まさか通訳を用意して台詞を言わせる訳には行きません。そんな事をすれば興ざめですから。霊媒師役は既に用意してあります。残る問題は、除霊の方法についてです」
「ちょっと待ちなさい」と、ポッコ母。「まだそのシナリオで良いとは言っていないわ」
「ええ。是非今の話を訳してポッコ様にお伝え下さい」
 プロデューサーは飄々とかわしながら、ずっと置いてけぼりを喰らっていたポッコに、話を振った。ポッコ母はまたプロデューサーに言われてからその存在を認め、プロデューサーのした話を訳した。
 プロデューサーには、ロシア語は理解できなかったが、様子からして話のおおよそはつかめた。ポッコ母が感情的に、いかにプロデューサーの持ってきた話が不当かを語り、それにポッコが二言三言答えると、ポッコ母は不服そうに説明を付け加える。数分のやりとりがあった後、ポッコ母はプロデューサーに告げた。
「……分かりました。ポッコも納得しているようなので、シナリオに関しては従う事にします。で、除霊の方法は?」
 プロデューサーはあっけらかんと言い放つ。
「多少ベタですが、『キス』で良いかと」
「キスですって?」
 ポッコ母が立ち上がり、プロデューサーをにらみつける。
「はい。言葉で意思疎通が出来ない以上、行動で示すしかありませんので」
「ポッコはまだ10歳です。そんな破廉恥な……」
 プロデューサーはポッコ母をじっと見据えて、それまでひた隠しにしていた威圧感を前面に出してこう言った。
「ピョートルさん。まさかここに来るだけで、1億という大金が手に入るとは思っていないですよね。それくらいの仕事はしてもらわないと、価値が見合いませんよ。この町で起きた事は外には決して出ません。ポッコ様の今後の活動に影響は無いので、その点は安心してください。もちろん、ポッコ様本人が嫌がられるのでしたら、また別の案を用意しますが」
 金の事を言われると、ポッコ母も萎縮した。確かに1億というのは、たかだかネットアイドルに払われる金額としてはまさに異例で、破格で、無謀である。それを聞いて、二つ返事で依頼を受けたのは他の誰でもないポッコ母だった。
 結局、ポッコ、ポッコ母両名ともプロデューサーの案で合意し、ミーティングを終えた。
 次の日、ポッコは用意された衣装を着て、登校中の主人公に近づいた。
 主人公の制服の裾を掴むポッコ。主人公は後ろを振り返るが、そこには誰もいない。下を向いて初めて、そこにポッコの存在を認めた。
 設定通り、ポッコからは何も言わない。主人公も何も言わない。どちらとも声を出さなければ、話が始まる事は無い。主人公が別段困った様子もなく、前を向いて歩き出すと、ポッコは裾を掴んだままその後ろをついていった。
 学校。生徒から教師、用務員から来客にいたるまで、全てこの町に雇われた者達で構成されている。既に『ポッコの存在は無視する』という絶対指令が全員には伝わっており、主人公と共にやってきたポッコを不審がる人物は1人としていない。
 教室に入り、主人公が自分の席につくと、ポッコは主人公の前の席に座って、肘をつきながら後ろを向いて、主人公の顔を上目遣いで覗いた。やがて授業が始まっても、ポッコがいなくなる事はなく、いつも通りの授業が進行していく。
 その様子をプロデューサーとポッコ母はモニタリングルームで見ていた。
「流石の主人公でも、ただじーっと無言で見つめられるのは辛いでしょうね」
 と、ポッコ母が呟く。プロデューサーは、それを否定する。
「いや、大して堪えて無いでしょうね。主人公はいつも監視されている訳ですから」
「……それでは、この作戦は失敗ではないですか?」
「そうとも言いきれません。肝心なのは、主人公がポッコ様の事をかわいいと思うかどうかなので。そこさえクリアできていれば、最後の一押し次第で落ちますよ」
 主人公は相変わらず、無表情のままポッコを見ている。だが、その冷たい視線に対して、絶えず満面の笑顔を向けるポッコも、流石と賞賛すべき根性の持ち主だろう。
 授業が終わり、主人公が席を立ってトイレに行くと、ポッコもその後ろをついていった。男子トイレまでついていって、主人公の背中を眺める。主人公は主人公で、いつも通り堂々と用をたす。傍から見れば異常な光景。だがここまで徹底しなければ、ポッコが「幽霊」という設定に現実味が出ない。
「そろそろ霊媒師を投入してはどうですか?」
 ポッコ母が尋ねるが、「まだ早いでしょう」と、プロデューサーは否定する。
 体育の授業で、後ろをついて走るポッコが転んでも主人公は無視を決め込んだ。昼食もただポッコは見ているのみで、主人公は黙々と弁当を食した。途中、一度いなくなって、排泄と食事を早々と済ませた時以外、ずっとポッコは主人公にくっついていた。主人公は、一切の接触を拒否し続けた。
 帰り道、いつも通る道に、あやしげな占いの屋台が出ていた。通りかかった主人公に、台本通りに声がかけられる。
「もし、そこを行く少年。あなた、厄介な霊に憑り付かれているようですね」
 主人公は足を止めて、ポッコの方を見る。ポッコは相変わらず愛くるしい表情で、主人公を見上げている。
「私、占いと兼業で霊媒師もやっていましてね。もしよろしかったら、無償でその霊を払う方法をお教えしますよ」
 そして霊媒師が選択肢を示すプラカードを出した。
『是非お願いします』『結構です』
 主人公が選んだのは、『結構です』。霊媒師はうろたえる。それを見ていたプロデューサーとポッコ母も同じく。
「な、なぜですか?」
 予め、こういう事態も想定して用意しておいた選択肢が功を奏した。霊媒師は新たな選択肢を出す。
『これは霊じゃないから』『除霊する必要が無いから』『既に除霊の方法を知っているから』
 ほとんど間を置かず、主人公は即答した。
『既に除霊の方法を知っているから』
 霊媒師の出番はそこで終わった。これ以上の台詞は用意されていなかったからだ。
 この選択には、プロデューサーもポッコ母も疑問符を浮かべた。霊媒師からのヒント(この場合、キスをすれば除霊が出来るという理由付け)がまだ与えられていない状況下で、主人公が選ぶとは思いもよらなかったからだ。
 主人公はそのまま先を歩く。ポッコは日本語が分からない為、今のやりとりも把握出来ていない。ただ単純に、最初に指示された通り主人公の後ろをついていった。
 次に主人公とポッコは、帰り道にある本屋へと立ち寄った。当然、予定には無い行動である。
 この町で生活する者が普通に利用する事もあるため、本屋には外で売られている一般的な雑誌から漫画やラノベや文庫本が普通に販売されている。予定外である主人公の登場に、本屋の店員は目を見張って驚くが、ここで何らかのリアクションを返してはいけない。あくまでも日常のワンシーン。主人公はこの町で、いち一般人としての扱いを受けなければならない。
 主人公は真っ先に雑誌コーナーへと赴いた。色々な種類の雑誌が並んでいる。ファッション雑誌、ゲーム雑誌、ビジネス誌。主人公はその中から、旅行雑誌を1冊選び、レジに持って行き、お金を払い、雑誌を受け取ると、それをそのままポッコに渡した。
 無言で受け取ったポッコに一瞥もくれず、主人公は本屋から出て行った。ポッコは後を追いかける事もせずに、ただ渡された旅行雑誌を、爛々とした目で見ていた。
 一部始終を見ていたプロデューサーはその時気づいた。この世界で主人公だけが、ポッコの本心を見透かしていたという事に。
「今回も、私の負けのようです」
 そう言って、モニタリングルームから立ち去ろうとするプロデューサーをポッコ母が止めた。
「待って。どういう事か説明してちょうだい」
「考えてみれば単純な事でした。私の依頼を受けたあなたの一存によって、ポッコ様は言わば強制的に日本に連れて来られた。そしてあなたの指示に従い、役を演じる。そこにポッコ様の意思は1つとしてありませんでした」
 ポッコ母にも、思い当たる節は多々あるようで、黙したままプロデューサーの言葉を聞いた。
 いくら有名であるとはいえ、中身はただの10歳の女の子。初めての日本で、見たいものやしたい事が沢山あるはずだ。主人公にはそれが分かっていたのだろう。プロデューサーは改めて、主人公の一筋縄ではいかない性格を確かめる。
「さて、私はこれから色んな所に頭を下げに行かなければなりません。お母様は町を出る準備を整えておいて下さい。そして出来れば、ポッコ様を行きたい所に連れて行ってあげて下さい」
 モニターの中で雑誌を見つめていたポッコが、堪えきれず本当の笑顔を零した。
4, 3

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