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8話「名投手の視界」

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「おらおら最後まで振り切れー!!」
 いよいよ中体連を目前に迎え、練習にも熱が入る。エースに能見という絶対的存在を得た今の清陽は、守備練習よりも打撃練習に重きを置く傾向にあった。いくら能見が相手打線を抑えようと、こちらも点を取れなければ試合には勝てないのだ。
 例年なら、能見という存在だけでも全市大会出場は間違いないだろう。が、今年は同地区に雛形くんを擁する美香保中がいる。能見が美香保打線を抑える以上に、清陽の打線が雛形くんを打ち崩さなければならない。前回の試合で一人のランナーも出せなかったピッチャーを。
 全国大会へと続く道は険しく、まずは札幌市北区地区予選を勝ち抜かなければならない。次が札幌市全市大会、そして北海道全道大会。それらを全て勝ち抜いた後に、全国大会が待っている。……正直、能見がいなければ夢物語と言うしかなかった。もちろん、私の理想は岩田をエースに勝ち進むことだけれど……。
「おー、ナイスバッチーン」
 今日は久し振りにフリーバッティングを行っている。ネットで区切った五人が横一列に並び、並行してフリー打撃を繰り返す。守りを能見に頼れるという安心感からか、心なしか皆の打球も鋭い。中体連の直前練習だというのに気張っている様子もなく、程良い緊張感の中で動けているように思う。……約一名、気張ってもらわなきゃ困る奴もいるが。
「あ~あ~あ、ちょっとちょっと。真面目に打てっつーの~」
 左端のボックスで打撃投手を担当している能見は、力無く転がってきた打球を右足のスパイクで踏んづけた。
 ……そんな力無い打球の正体は、何を隠そう上本貫己。この時期になっても、こいつの打撃は糞のまま。
「真面目に打ってるんだっつーの! ほら、早く次頼むよ!!」
「ほいほい。あらよ~っと」
 言うまでもなく、ただの打撃練習で能見が全力投球してるなんてことはない。それどころか、ちゃんと良いコースに投げ込んでくれている能見は他の連中が務める打撃投手の何倍も打ちやすいはずである。
 貫己も、毎日素振りだけはしっかりやりこんでいるだけあってスイングはそこそこ鋭いし形になってる。なのにそれがいまいち結果に反映されないのは、やはり先天的にバッティングの才能が無いのだろうなと思えてくる。ボールを見極める目や、しっかりとバットの真芯で捉えるセンス。パワー不足はもちろん、そういう要素が決定的に欠けているのかもしれない。
 青空を裂く原口の打球を眺めながら、ぼんやりそんなことを考えていた。
 貫己とは比べ物にならない打球がライトの奥のフェンスにまで届くと、その向こう側に人影が立っていることに気がついた。
「!」
 見覚えのあるシルエット。一度しか会ってないのに、その姿は強烈に頭に残っている。私が駆け出すと、その人影は逃げるようにその場を離れようとした。私は思わずその名を叫んだ。
「雛形くん!!」
 その人物の足が止まる。
「驚いたな、あんな遠目からバレちゃうなんて」
 にっこりと笑う育ちの良さそうな顔。美香保中の大エース、雛形翔太郎。
「雛形くん……、なんでこんな所に?」
 すると雛形くんは何故か照れ臭そうに頭をかいた。その仕草がまた優等生らしい。
「ん~……。なんか、わざわざ偵察に来るなんて大物ぶってるみたいで嫌なんだけどさ。清陽に凄いピッチャーが入ったから一度見とけって周りがうるさくて」
 能見の話は雛形くんの耳にまで届いていた。……北海道、中学軟式を代表するであろう二人の好投手。
「で? その能見くんは今日は投げてないの?」
 雛形くんは少し背伸びして、フェンス越しの私の頭の上からグラウンドを覗き込んだ。
「あ、うん、さすがにもう中体連間近だから……。今日は軽くピッチングしただけで皆の練習に合流してる」
 そう聞くと雛形くんは残念そうに苦笑いを浮かべた。美香保も今日は練習日だろうに、わざわざ抜け出して清陽まで来たのだ。それを思うと少し不憫だったが、能見のピッチングをチェックされなくて私は素直にホッとした。
「雛形!?」
 私の背中側から聞こえてきた声。練習抜け出してないで一球でも多くフリー打撃やってこいと言いたくなるいつものアイツ。
「やっぱり雛形くんだ。なんでこんなとこに!?」
「……能見のピッチングを見に来たらしいよ。美香保でももう能見の事は知られてるんだってさ」
「わ、わざわざ偵察に来てくれるなんて……やっぱ、なんか凄いね」
 そう、偵察なんて超強豪校同士だけの世界だと思っていた。不思議な感覚に包まれたように、貫己は笑みをこぼした。
「あ、たしか……キャプテンの」
 意外にも、雛形くんは貫己の顔を覚えていた。もちろん、ただの一弱小校の一キャプテンとしてだろうけど。
「……美香保も今日は練習してるでしょ? こんなとこに来てて大丈夫なの?」
「んー……どうにも、ウチの連中は完全に全国狙っちゃっててさ。当然僕も狙ってるけど、能見くんに対しての警戒度はスゴイよ」
 雛形くんは少し笑いを含みながら話を続けた。
「有名な強豪校なんかと試合する機会は無かったけど、今年の練習試合もここまで全勝で来てる。もうすっかり強豪校になっちゃったつもりでさ、少なくとも札幌市内敵ナシみたいな雰囲気なんだよね。他の奴らは」
 ……清陽も、今年能見が投げた試合に限ればここまで無敗。圧倒的な二人の投手が札幌市内を蹂躙している。
「だからこそ、皆能見くんの事だけを意識してる。ウチの奴らは、全市に向かう唯一の障害が能見くん、ってくらいに考えちゃってるんだよ。バカばっかりだからさ」
 雛形くんはそう言うと可笑しそうに笑った。

「皆に言われた。勝敗は僕と能見くんの投げ合いに全て懸かってるって」

 ああ、そうか。
 話してみて分かったけど、雛形くんは人を見下すような人じゃない。美香保の人達は皆浮かれてるみたいだけど、この人だけは違うんだろう。
 でも……だからこそ、ちゃんと客観的に判断した上で、上本貫己は雛形くんの眼中にも入ってない。それは不遜でもなんでもなく、冷静で的確な判断。例えばプロの球団がリトルリーグのチームと試合するとして、手を抜かないならば、試合に負けるだなんて本気で心配する人はいないだろう。雛形くんや……能見にとって、上本貫己の力はその程度。それ程の開きがある。
「じゃあ、ほんとごめんね練習中に……。僕も、能見くんに負けないように帰って練習するよ」
 雛形くんは最後まで爽やかに、清陽グラウンドを後にした。
 ――雛形くんとの再戦をイメージして必死にバットを振ってきた貫己が、ばかみたいだね。
「…………」
 黙って皆の方へと戻っていく。
「か……貫己! しょうがないよ、私達はこの前の試合で完全試合やられてるんだもん! 雛形くんに多少なめられてたとしても、ある程度当然っていうか……」
 貫己は何も応えない。ただ黙って一番左のバッターボックスへと戻って行った。
「貫己……」
 でも、確かにしょうがないよ……。他のピッチャーもまともに打てない貫己が、いきなり雛形くんを打つだなんて正直私も考えられない。能見が美香保を抑えて、原口や能見のバットで最小点差を作り出す。それ以外に美香保に勝つイメージが湧かない。……本当に。
 ――それでも、貫己が振り抜いたバットは真芯でボールを捉え、打球は鋭く右中間を走った。
「!!」
「おおーっ!! ナイスバーッチ!!」
 わっと沸き上がるグラウンド。能見も驚いたように打球の方向を眺めている。
「勝敗は、俺のバットにも懸かってる!! ……懸かってるぞ!!」
 試合さながら、投手役の能見に向かって大声を張り上げる貫己。
「……うん。きっと」
 雛形翔太郎という強敵がいて、ますます加熱する清陽野球部。そしてとうとう迎える集大成。
 ――全日本少年軟式野球大会、当日――
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