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2.「こんにちは、トウキョウ」

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 700万キロメートル彼方。

 トウキョウIII。それが、この宇宙船に与えられた名前だった。精子のようなフォルムといえば聞こえは悪いが、ただ単に、頭が大きくて残りは細いというだけの話だ。
 地球、タネガシマを出てから3年もの時が経過した。冷凍パックに詰められたコーヒーを解凍しながら、ジェイソンは、いつになったらルシファーにつくのか、とボヤいた。恒星、ルシファー。窓の外を見ると、遮断フィルター越しにその姿が見えたが、距離は未だ100万キロの地点で、到着までまだ3ヶ月はかかると思われた。
 受精のために、ルシファーという卵子に向かう、巨大な精子トウキョウIII。太陽系という巨大な子宮。そんな他愛もない妄想話を、ジェイソンは同僚であるジェニファーとケンイチによくしていた。最初こそ、ジェニファーとケンイチも笑ってその話を聞いてはいたが、3年間もずっとその話をさせられると、さすがに飽きる。ジェイソンが口を開く度に、彼が何かを言う前に、二人は「その話はもう聞いた」と彼を制止していた。
 
 コーヒーを飲みながら、ジェイソンは、ルシファーに向けて電文を打つことにした。
 特に意味はない。ただ、暇つぶしのためだけだ。
 「こんにちは」
 ジェイソンは、出力を最大にしてルシファーに向けて電文を送信した。できたら、返信がくればいい。そんな風に考えていた。ルシファーに基地はない。基地はそこから少しはなれたエウロパにしかない。だから、ルシファーから返信が帰ってくる可能性は万に一つもないはずだ。だが。
 「こんにちは」受信コンソールに表示されたメッセージを見たジェイソンは、我が目を疑った。
 しばらく見ていると、次の文が書き込まれていった。
 「こんにちは、トウキョウ」
 ジェイソンは叫び声を上げ、椅子から転げ落ちた。ジェニファーとケンイチの名前を大声で連呼し、彼らの元まで走っていった。

 ○

 トウキョウIIIのコードネームを打ち込んで、電文を放った。「こんにちは」。少しだけ考えたのち、「トウキョウ」と、続きを付け足して送信した。
 
都庁こと、宇宙開発機構で働いているのは私だけではなく、大野もそうだったが、その全員が世界中の目の敵にされていた。ごく一部の、上層のリテラシーのある層を除いて。だからこそこの都庁は未だ存在していられるのだろう。政府は宇宙開発機構を擁護しているが、それも、衆議院選挙までだろう。反ルシファー派の議員が台頭し始め、力を強めていた。彼らは宇宙開発機構に謝罪を要求していた。擁護の姿勢で、「しかたなかった」を連呼するいまの政府より、彼らは国民が好感を持つのは当然だ。
 地球が暑くなりはじめてから、5年たつ。今から3年前、宇宙開発機構はルシファーにトウキョウIIIと名付けた宇宙船を送り込んだ。木星と土星をぶつけたぐらいでは太陽はできない。そんなことは誰だって分かる。だから宇宙開発機構はルシファーに質量を増加させる装置を設置した。だからこそ、ルシファーは核融合を成し遂げたのだ。
 トウキョウIIIは、その装置を止めるマスターキーを与えられた。
 
 「こちらは、トウキョウIII」
 20分ほどまって、帰ってきた電文を見て、私は今日の仕事が終了したのを確認した。24時間に一度の定時連絡。普段は命令を送るのだが、今日はどういうことか何も命令がなかった。そういうときには、最大限のユーモアを効かせて連絡文を打つのが宇宙開発機構での慣習みたいなものだった。「こんにちは、トウキョウ」。私のユーモアの限界はこんな程度か、と軽く鬱になる。
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