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あっちゃん(完結)

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 「あれ?もしかしてあっちゃん!?」
 昼間のコンビニで、刑部春(おさかべ しゅん)は店員に声を掛けた。
 「……すみません、どちら様でしょうか?」
 店員は戸惑っている。刑部はちらっと店員の名札を確認した。そこには「アルバイト手塚」と書いてあった。
 「はは、やっぱりあっちゃんだよ!俺のこと、憶えてないかなあ。小中一緒だった刑部春だよ!」
 刑部の名前を聞いた瞬間、店員は固まった。会いたくない人に会いたくない時に会ってしまった。そんな表情だった。
 「ああ、春か。久しぶりだな」
 無理やり搾り出したような、弱い声だった。
 「みんな心配してたんだよあっちゃん。同窓会にも成人式にも来なかったし……まさかこんなところで働いてるとはなあ」
 「まあ、な」
 顔いっぱいに喜びを浮かべる刑部とは対照的に、店員の表情は暗かった。
 少しの間、二人は何気ない世間話をした。
 「あっちゃん、少し変わったね。疲れてるみたいだよ」
 「お前は変わらないな」
 
 店が混んできたため、刑部は話を切り上げた。ポケットから名刺を取り出し、それを店員に渡した。
 「俺、今大学院に行ってるんだ。粗末な名刺だけど、一応連絡先が載ってる。今度一緒に酒でも飲もうよ!」
 店員は名刺を受け取ると、少し顔を引きつらせた。そこには、有名大学の名前が書いてあった。
 「じゃあねあっちゃん。仕事頑張ってね!」
 刑部の言葉に、店員の返事は無かった。
 

 手塚敦はクラスのリーダーだった。いつもクラスを盛り上げ、中心にいた。勉強こそ得意ではなかったが、運動神経がよくイベントでは大活躍をしていた。当然、女子からの人気もあった。
 そんな手塚を刑部はいつも羨ましく思っていた。刑部は小さな頃から親に勉強を強要され、ろくに友達と遊ばせてもらえなかった。おかげで刑部は友達が少なかった。女子と喋ることも滅多に無かった。明るい青春時代を送ったのは間違いなく手塚の方だった。しかし……。
 今や二人の差は歴然である。刑部は家に帰ってから、一人で大はしゃぎをした。あのガキ大将はいい歳をしてコンビニでバイトをしている。名刺を渡した時の奴の顔、あれは一生忘れられない。
 これからは毎日あの店に顔を出してやろう。俺は客、あいつは店員だ。どんなに嫌でも相手をしなくてはいけない。毎回ささやかな自慢をしてやろう。奴がバイトを辞めるまで、嫌がらせに行ってやる。刑部はそう決意した。


 「いらっしゃいませー」
 あの日から手塚敦の日常は最悪なものとなった。刑部春(おさかべ しゅん)は手塚のシフトに合わせて店に顔を出す。毎回自分の生活がいかに充実しているかをやんわりと話していく。中古だが外車を買った。今住んでいる家は家賃が高いが住心地が良い。大学院は大変だけどやりがいがある。サークルをまとめるのは将来のためにもなるし、人脈づくりに役立つ。そんな話を手塚は黙って聞いた。
 
 ああ、今日も奴が来る。自信満々の笑顔で店に入ってくる。畜生、胃が痛い。手塚はこのところ慢性的な胃もたれに悩まされていた。そろそろどうにかしないと、体を壊してしまう。
 
 
 「なあ春、俺はお前に何かしたかな?」
 近所の居酒屋に刑部を呼び出し、手塚は質問した。個室なので周りに話を聞かれる心配はない。
 「……?どういう意味かな?」
 刑部は知らばっくれたような顔で聞き返した。そのまま続ける。
 「俺こそ、あっちゃんに何かした?ごめん、俺鈍感だからさ。何か嫌なことしちゃったかな?久しぶりにクラスのヒーローだったあっちゃんに会えたのが嬉しくて仕方が無いんだ。つい話をしたくなっちゃう」
 そう言うと刑部はにんまりと笑った。その笑顔を見て、手塚は恐怖を感じた。こいつは自分が何をしてるか分かってないのか?嫌がらせをしているという自覚がないのか?……普通じゃない。頭のネジが外れてやがる。
 「率直に言わせてもらう。俺のシフトの度に毎回店に来られるのは迷惑なんだ。春が来てくれるのは嬉しいけど、俺にも仕事がある」
 そう言うと手塚はジョッキに残っていたビールを一気に飲み干した。よし、言ってやったぞ。
 少しの間、沈黙が漂った。
 「ごめん!そうだったんだ!いやあ、気付かなかったよ。……うん、あっちゃんもお仕事だもんね。分かった。今後はお店に行くのを控えるよ」
 刑部は本当にすまなそうな表情で言った。
 「いや、いいんだ。こっちこそごめんな。積もる話はここで酒でも飲みながらしようぜ」
 「うん!」
 これでしばらくこいつは店に来ないだろう。手塚はほっとした。

 しかし、次のシフトの日も刑部は当然のように顔を出した。

 
 手塚は真剣に悩んだ。体重が減り、日に日にやつれていった。店長やオーナーに相談し、シフトを変えてもらおうかと思った。だが、そんなことをしても刑部はすぐその新たなシフトに合わせて来るだろう。それに、立場というものがある。手塚はこの店でそこそこの位置にいた。こんな情けない理由でシフトを変えてくれなんて言い出せない。
 ひょっとして俺は小中の時、刑部に何かをしてしまったのだろうか?例えば、いじめだとか。手塚はそう考えてみたが、思い当たるふしがなかった。彼は元来正義感の強い性格でいじめのようなものが大嫌いだったのだ。クラスのリーダーだったのはその人間性も影響していた。
 いよいよ訳が分からない。胃が悲鳴をあげる。手塚の精神と肉体は限界に近づいていた。

 
 あの日、刑部は公共料金を払ってすぐに帰って行った。手塚は店控えを確認し、笑みを浮かべた。
2, 1

  

 手塚敦は白昼の知らない街をメモ用紙片手に歩いていた。メモには住所が書かれている。刑部春(おさかべ しゅん)の住所だった。奴を黙らせるには、もう力づくしか無い。
 
 手塚は刑部が支払った公共料金の用紙から住所を抜き出した。今では記載されない事が多いが、この当時は当たり前のように名前と住所が書かれていた。

 「ここか」
 そう呟くと手塚は一棟のアパートの前で止まった。住所は確かにここだった。しかし、何かがおかしい。
 聞いた話と違う。手塚はそう思った。刑部は自分の住居を「家賃が高いが住心地が良い」と言っていた。だが、今の目の前にある建物はお世辞にも「家賃が高く住み心地が良い」ものには見えない。どちらかと言えばその逆だ。木造の古びた狭い安アパートにしか見えない。
 疑問に思いながらも、手塚は建物の中に足を踏み入れた。埃っぽい廊下の先に刑部の部屋はあった。
 「103 刑部」
 インターホンを鳴らしても反応がない。手塚は裏側に回り、粗末なベランダを越え窓ガラスを蹴破った。

 「刑部ぇ!どこだっ!」
 部屋中を見渡したが人の姿はなかった。畜生、留守か。手塚は肩を落とした。奴め、命拾いをしやがった。まあいい。そのうち帰ってくるだろう。
 することの無くなった手塚は、部屋を物色し始めた。部屋の中はこざっぱりとしていて、あまり物がなかった。
 
 「あいつ、携帯を忘れてやがる」
 手塚は机の上に置かれた携帯電話を手に取り、中身を見た。その携帯には「母」と「実家」以外の着信が殆ど無かった。アドレス帳を見ても、そこには三件しか入っていなかった。

 もしかして刑部は携帯を忘れたのではなく、持っていく必要がなかったのではないか?そんな考えが手塚に浮かんだ。
 
 考えて見れば刑部の話にはおかしい点が多い。彼のアパートは彼が話していたのと違うし、最近買ったという中古の外車も見当たらない(近所に駐車場を借りているのかもしれないが)
 
 
 奴は嘘を付いている。そう考えると手塚はすべてが楽になった。もしかしたら、奴は大学院生ですらないのかもしれない。
 
 手塚は近くのホームセンターで野球の軟球を購入し、刑部の部屋に投げ入れた。こうすればボールが飛んできてガラスが割れたとでも思うだろう。彼の犯行現場を目撃した人間はいなかった。

 
 これからも刑部は手塚に自慢話をしに来るはずだ。しかし、そのことで胃を痛める必要はもうなくなった。(了)
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