第六章 南方の雄
曇り空だった。雪が降るかもしれない。すでに季節は冬に入っている。
西の城郭都市、ピドナを攻めるため、俺達は行軍していた。兵力は合計で三万である。本拠地では残りの兵が留守を守っていて、これは動かせない。本拠地だけは、何があっても守り抜かなければならないのだ。
出陣する将軍は、俺、シグナス、シーザー、クリス、クライヴの五人で、軍師はヨハンとルイスの二人である。
ヨハンが戦に出てくる。これは珍しい事だった。いつも、ヨハンは内政を見ていて、戦に出てくる事は無かったのだ。どういう戦い方をするのかは分からないが、シーザーはヨハンを褒めちぎっている。ルイスの数千倍はマシだ、とも言っていた。これについては、正直アテにはならないだろう。シーザーはルイスが嫌いだから、ヨハンを持ち上げているようなものだ。しかし、それを抜きにしても、ヨハンは信頼できる男だった。内政に関しては非凡なものを持っているし、頭に入っている軍学も相当なものである。特に、計略面については造詣が深い。
今回は攻城戦という事で、騎馬、槍、戟、弓兵隊とは別に、攻城部隊も出陣していた。これは三万の兵力の内の五千で、衝車(しょうしゃ:巨大な鉄杭を備えた戦車。杭を城壁に叩きつけ、これを破壊する)や雲梯(うんてい:城壁に取り付ける巨大なはしご)などを備えている部隊だ。ただ、この部隊は、重装備かつ攻城兵器を抱えての行軍なので、足は遅い。
まずは野戦だろう。俺はそう思った。官軍はピドナを背にして、原野に陣を敷いてくる。だから、まずはこれを崩すのが先だ。
俺の騎馬隊の具足は、黒と黄色の虎縞模様だった。これについては、特別な思いは何も無い。過去にもこういう軍は居たし、別に珍しい事でもないのだ。要は中身である。他の部隊とは違う、強烈な何かを持っていなければ、虎縞模様の具足などただの飾りだった。だからではないが、そうならないためにも、俺の騎馬隊はそれ相応の戦果を挙げてみせる。
メッサーナ軍は、ピドナまであと一日、という所に、幕舎を置いた。軍議を始めるのである。すでにピドナには斥候を放ち、情報も持ち帰っているようだ。
「まずは全軍でピドナを攻める」
貧乏ゆすりをしながら、クライヴが言った。幕舎の中には俺を含めた五人の将軍と、二人の軍師が居る。中では、かがり火が焚かれているが、やはり寒い。吐く息も白かった。
「南にも斥候を放っているが、まだサウス軍に動きは無いとの事だ」
「サウス軍が動いた場合は?」
シグナスが言った。これは誰もが気になる所だろう。
「ロアーヌの遊撃隊とシーザーの騎馬隊、そして軍師としてヨハンを回す」
「ピドナに対する騎馬隊が居なくなるぜ。良いのか?」
シーザーが眉をひそめながら言った。相変わらず、雑な言葉遣いだ。
「いや、野戦を展開している最中、シーザー、お前にはピドナに居て貰わねばならん。サウスがどのタイミングで動くのか、また、本当に動いてくるのかが焦点なのだが」
クライヴが腕を組む。
サウスは動く。これは俺の勘だが、ほぼ間違いなくサウスはやってくる。軍人としての血が、そうさせるはずだ。サウスは南の敵に飽きているだろう。そろそろ、新しい刺激を求めに来てもおかしくはない。
「ピドナに攻城部隊が取り付けば、騎馬隊はさほど必要ではない。だから、それまではシーザーにはピドナに居て貰う」
「では、サウスが動いた場合、まずは私とロアーヌ将軍がその対処に向かうのですね? シーザー将軍は、状況を見てから動くと」
「その通りだ、ヨハン。その際の動き方は、後でロアーヌと話し合うと良い」
「分かりました」
それからは、ピドナ攻略の戦略が話し合われた。まずは野戦で官軍を蹴散らす。これには特別な計略などは用いず、純粋なぶつかり合いをする事になった。ピドナを守る将軍は、あのフランツの部下だという。今まで、表に出て来なかった人間だ。だから、戦での実力は見えない。ただ、惰弱ではないのは間違いないだろう。
軍議を終えた。
俺は営舎で兵糧を取り、外に出た。相変わらず、寒風が肌を刺激する。兵達は武器を片手に、見張りをしていた。シグナスがその兵達に声を掛け、談笑している。
「ロアーヌさんは、兵と共に過ごさないのですか?」
ふと、声を掛けられた。クリスだった。まだ十代の少年だが、その戦ぶりは果敢さと慎重さを併せ持っている。だが、武芸はいくらかマシ、というレベルだ。体格も小柄である。
「俺が兵に話しかけると、兵の気分が落ちる」
「そんな事はないと思うけどなぁ」
「お前は良いのか? クリス」
「僕は兵と会話をするには、あまりにも歳が離れ過ぎています。それでも、みんな僕の指揮通りに動いてくれますが」
「お前は将軍だ。当たり前だろう」
「ただ、僕はロアーヌさんやシグナスさんのように、最前線に出られません」
クリスは後方で指揮を執るタイプの将軍だった。俺やシグナス、シーザーは自らを先陣を切るタイプの将軍である。指揮官が勇猛なら、兵も勇猛になる。これは持論だ。そして、これを最も体現しているのがシーザーだろう。シーザー軍は、指揮官の力量に頼っている所が大きい。これは弱点にもなり得るが、シーザーが居るだけで軍は活性化するのだ。
「それぞれ、適性がある」
「分かります」
クリスは年齢や体格のせいか、どこか守ってやらなければならない、という気にさせる何かを持っていた。これはおそらく兵達も同じで、そういう意味では人気のある将軍だった。そして、クリス軍の兵は自立心が強い。指揮官が指示を出さずとも、ある程度は動けるのだ。
「お前は俺より戦歴のある将軍だ。現場での判断力は、目を見張るものがある」
風が吹いた。その冷たさが、肌を突き刺す。しかしそれでも、兵達は直立しながら伝令を交わす声をあげていた。遠くからは、シグナスの笑い声が聞こえてくる。
「酒は飲めるのか?」
「はい。すぐに顔が赤くなってしまいますが」
「俺は官軍では若いとされてきた。シグナスもな。だからではないが、俺より年下の奴とも飲んでみたい」
「戦陣にお酒は禁物ですよ」
「分かっている。いつか、という意味だ。シグナスは良いのだが、シーザーはうるさすぎる。お前となら、落ち着いて飲めそうだ。潰れなければな」
言って、笑った。自分から笑ったのは、シグナス以来だという気がした。
「潰れませんよ」
「ほう?」
「もう、行きます」
クリスが頬を膨らませながら、去っていった。こういう所で、まだ子供らしさは残っている。
「サウスか」
呟いた。南方の雄、サウス。どれほどの男なのか。それに、ピドナを守るフランツの部下の実力も気になる。
俺は、ヨハンの幕舎に向かって歩いていた。サウスにどう対処するのか、ヨハンと話し合おうと思った。
西の城郭都市、ピドナを攻めるため、俺達は行軍していた。兵力は合計で三万である。本拠地では残りの兵が留守を守っていて、これは動かせない。本拠地だけは、何があっても守り抜かなければならないのだ。
出陣する将軍は、俺、シグナス、シーザー、クリス、クライヴの五人で、軍師はヨハンとルイスの二人である。
ヨハンが戦に出てくる。これは珍しい事だった。いつも、ヨハンは内政を見ていて、戦に出てくる事は無かったのだ。どういう戦い方をするのかは分からないが、シーザーはヨハンを褒めちぎっている。ルイスの数千倍はマシだ、とも言っていた。これについては、正直アテにはならないだろう。シーザーはルイスが嫌いだから、ヨハンを持ち上げているようなものだ。しかし、それを抜きにしても、ヨハンは信頼できる男だった。内政に関しては非凡なものを持っているし、頭に入っている軍学も相当なものである。特に、計略面については造詣が深い。
今回は攻城戦という事で、騎馬、槍、戟、弓兵隊とは別に、攻城部隊も出陣していた。これは三万の兵力の内の五千で、衝車(しょうしゃ:巨大な鉄杭を備えた戦車。杭を城壁に叩きつけ、これを破壊する)や雲梯(うんてい:城壁に取り付ける巨大なはしご)などを備えている部隊だ。ただ、この部隊は、重装備かつ攻城兵器を抱えての行軍なので、足は遅い。
まずは野戦だろう。俺はそう思った。官軍はピドナを背にして、原野に陣を敷いてくる。だから、まずはこれを崩すのが先だ。
俺の騎馬隊の具足は、黒と黄色の虎縞模様だった。これについては、特別な思いは何も無い。過去にもこういう軍は居たし、別に珍しい事でもないのだ。要は中身である。他の部隊とは違う、強烈な何かを持っていなければ、虎縞模様の具足などただの飾りだった。だからではないが、そうならないためにも、俺の騎馬隊はそれ相応の戦果を挙げてみせる。
メッサーナ軍は、ピドナまであと一日、という所に、幕舎を置いた。軍議を始めるのである。すでにピドナには斥候を放ち、情報も持ち帰っているようだ。
「まずは全軍でピドナを攻める」
貧乏ゆすりをしながら、クライヴが言った。幕舎の中には俺を含めた五人の将軍と、二人の軍師が居る。中では、かがり火が焚かれているが、やはり寒い。吐く息も白かった。
「南にも斥候を放っているが、まだサウス軍に動きは無いとの事だ」
「サウス軍が動いた場合は?」
シグナスが言った。これは誰もが気になる所だろう。
「ロアーヌの遊撃隊とシーザーの騎馬隊、そして軍師としてヨハンを回す」
「ピドナに対する騎馬隊が居なくなるぜ。良いのか?」
シーザーが眉をひそめながら言った。相変わらず、雑な言葉遣いだ。
「いや、野戦を展開している最中、シーザー、お前にはピドナに居て貰わねばならん。サウスがどのタイミングで動くのか、また、本当に動いてくるのかが焦点なのだが」
クライヴが腕を組む。
サウスは動く。これは俺の勘だが、ほぼ間違いなくサウスはやってくる。軍人としての血が、そうさせるはずだ。サウスは南の敵に飽きているだろう。そろそろ、新しい刺激を求めに来てもおかしくはない。
「ピドナに攻城部隊が取り付けば、騎馬隊はさほど必要ではない。だから、それまではシーザーにはピドナに居て貰う」
「では、サウスが動いた場合、まずは私とロアーヌ将軍がその対処に向かうのですね? シーザー将軍は、状況を見てから動くと」
「その通りだ、ヨハン。その際の動き方は、後でロアーヌと話し合うと良い」
「分かりました」
それからは、ピドナ攻略の戦略が話し合われた。まずは野戦で官軍を蹴散らす。これには特別な計略などは用いず、純粋なぶつかり合いをする事になった。ピドナを守る将軍は、あのフランツの部下だという。今まで、表に出て来なかった人間だ。だから、戦での実力は見えない。ただ、惰弱ではないのは間違いないだろう。
軍議を終えた。
俺は営舎で兵糧を取り、外に出た。相変わらず、寒風が肌を刺激する。兵達は武器を片手に、見張りをしていた。シグナスがその兵達に声を掛け、談笑している。
「ロアーヌさんは、兵と共に過ごさないのですか?」
ふと、声を掛けられた。クリスだった。まだ十代の少年だが、その戦ぶりは果敢さと慎重さを併せ持っている。だが、武芸はいくらかマシ、というレベルだ。体格も小柄である。
「俺が兵に話しかけると、兵の気分が落ちる」
「そんな事はないと思うけどなぁ」
「お前は良いのか? クリス」
「僕は兵と会話をするには、あまりにも歳が離れ過ぎています。それでも、みんな僕の指揮通りに動いてくれますが」
「お前は将軍だ。当たり前だろう」
「ただ、僕はロアーヌさんやシグナスさんのように、最前線に出られません」
クリスは後方で指揮を執るタイプの将軍だった。俺やシグナス、シーザーは自らを先陣を切るタイプの将軍である。指揮官が勇猛なら、兵も勇猛になる。これは持論だ。そして、これを最も体現しているのがシーザーだろう。シーザー軍は、指揮官の力量に頼っている所が大きい。これは弱点にもなり得るが、シーザーが居るだけで軍は活性化するのだ。
「それぞれ、適性がある」
「分かります」
クリスは年齢や体格のせいか、どこか守ってやらなければならない、という気にさせる何かを持っていた。これはおそらく兵達も同じで、そういう意味では人気のある将軍だった。そして、クリス軍の兵は自立心が強い。指揮官が指示を出さずとも、ある程度は動けるのだ。
「お前は俺より戦歴のある将軍だ。現場での判断力は、目を見張るものがある」
風が吹いた。その冷たさが、肌を突き刺す。しかしそれでも、兵達は直立しながら伝令を交わす声をあげていた。遠くからは、シグナスの笑い声が聞こえてくる。
「酒は飲めるのか?」
「はい。すぐに顔が赤くなってしまいますが」
「俺は官軍では若いとされてきた。シグナスもな。だからではないが、俺より年下の奴とも飲んでみたい」
「戦陣にお酒は禁物ですよ」
「分かっている。いつか、という意味だ。シグナスは良いのだが、シーザーはうるさすぎる。お前となら、落ち着いて飲めそうだ。潰れなければな」
言って、笑った。自分から笑ったのは、シグナス以来だという気がした。
「潰れませんよ」
「ほう?」
「もう、行きます」
クリスが頬を膨らませながら、去っていった。こういう所で、まだ子供らしさは残っている。
「サウスか」
呟いた。南方の雄、サウス。どれほどの男なのか。それに、ピドナを守るフランツの部下の実力も気になる。
俺は、ヨハンの幕舎に向かって歩いていた。サウスにどう対処するのか、ヨハンと話し合おうと思った。
メッサーナ軍三万と官軍四万が、原野に陣を敷いていた。クライヴの弓兵隊が横陣を展開し、射撃の用意を始めている。
俺は千五百の騎馬隊と共に、陣の最後尾で待機していた。これはサウスに対する備えで、南で何か動きがあった場合、速やかに俺の遊撃隊はその迎撃に出なければならない。俺の側には軍師のヨハンが居て、共に馬上である。
ピドナの前に陣を敷いた官軍は、今までに相手にしてきたそれとは違う何かを持っていた。それが何なのかは明確には言えないが、一筋縄ではいかないだろう。兵力差はほぼ拮抗しているが、こちらの五千は攻城部隊である。つまり、野戦として展開できるメッサーナ軍は、実質二万五千なのだ。遊撃隊である俺の騎馬隊は、サウスに対する備えで、自由に動くという訳にもいかない。
苦しい戦いになる。正直、今の段階では勝てるかどうかは分からない。相手の指揮官はフランツの部下だと言うし、陣の敷き方を見てもこれと言う隙は見えないのだ。それに加え、南のサウスが動く、という懸念材料も抱えている。
無論、戦はぶつかってみないと分からない事が多い。だから、気持ちが大事だった。精神論になるが、始めから負けると思っていれば、勝てるものも勝てなくなる。
鐘が鳴った。
総大将であるクライヴが、右手を上げた。弓兵隊が、一斉に前に出る。兵達が、矢を弓につがえた。
「放てぇっ」
矢の嵐。天空が、矢で覆われた。陣の最後尾であるここからでは、まさにそれは矢の嵐にしか見えなかった。矢によって、敵の前衛が、少しずつ散っていく。だが、陣を崩す程では無かった。こちらの攻撃が終わるのを、ジッと待っているようにも見える。ひとしきり、矢を撃った。
すると、今度は敵が矢の雨を降らせてきた。すぐに弓兵隊は下がり、シグナスとクリスの槍・戟兵隊と入れ換わる。大盾を持っているようだ。敵の矢は大盾に次々と突き刺さり、針鼠のようになっている。
歩兵が大盾を捨てた。槍兵隊と戟兵隊が二人一組となり、前進する。それに合わせて、クライヴの弓兵隊が二つに割れた。側面から、援護射撃を浴びせている。
「そのまま突き進め」
思わず、俺は声に出していた。敵の弓兵隊は縦二列となり、交代で矢を放っている。しかし、シグナス軍とクリス軍は止まらない。
先頭を馬で突っ走るシグナスが、敵前衛に取りついた。一騎である。しかし、その一騎が、敵前衛を圧しまくっていた。敵が連続で宙へと放り出され、シグナスが槍を横に払えば、そこに空隙が出来る。
「あの無双ぶり、さすがに槍のシグナスですね」
ヨハンが横で言った。俺の手は汗で濡れている。やはり、シグナスは強い。
そのシグナスの周囲に、敵歩兵が群がっていく。
「早く抜け出ろ。囲まれるぞ」
言っていた。
「大丈夫です、馬を返します」
シグナスが敵をあしらいつつ下がる。それと入れ換わるかの如く、歩兵での乱戦が始まった。喊声が戦場を支配し、金属音がここまで聞こえてきた。
クライヴの弓兵隊が、前進した。後方の騎馬隊に向けて、矢を放とうとしているのだろう。その中で、シーザー軍が妙に逸っていた。
「シーザー将軍が待ち切れるかどうか。これで戦の情勢は大きく変化します」
ヨハンには、戦の一手、二手の先が見えているのだろう。これは軍師の眼であり、才能の一つだ。俺には、そういった才はない。戦全体の情勢よりも、一軍の情勢の把握に走ってしまう。
敵の騎馬隊が、クライヴの弓を鬱陶しがるかのように、突撃を開始した。それに呼応するかの如く、シーザーの騎馬隊が動く。戦場が轟きをあげた。騎馬隊同士がぶつかり合いを始めたのだ。
情勢が、少しずつ変化を迎えていた。
「歩兵が」
押され始めている。兵力差がそれの要因だろう。これを押し返すには、騎馬隊の力が必要だ。敵の歩兵の中を騎馬が一回でも突っ切れば、それで敵は算を乱す。そうなれば、歩兵は楽になるのだ。だが、シーザーは敵の騎馬隊の相手に夢中だった。
「あの馬鹿」
剣の束に手をやった。俺の遊撃隊で。
「駄目です、ロアーヌ将軍」
ヨハンが手で制してきた。
「歩兵が押されている。シーザーの視野が狭い」
「違います。シーザー将軍は騎馬隊の相手に手一杯なのですよ。それだけ、相手が手強い」
ヨハンの語気が、僅かに強くなっている事に俺は気付いた。
「俺の遊撃隊で」
「駄目です、サウス軍に対する備えがなくなります」
「来るかどうかも分からない軍だ」
「あなたが献策されたのですよ、ロアーヌ将軍」
言われて、舌打ちした。やはり、俺は現場の人間らしい。つまり、戦人(いくさびと)なのだ。どこか、冷静になり切れない。兵と共に戦っている方が、落ち着ける。そんな気がするほどだ。
「ルイスが居ます。何とかするはずです」
何ができるのだ。クリスとシグナスは押され気味で、シーザーは敵の騎馬隊で手一杯だ。クライヴの弓兵隊は乱戦では役には立たない。五千の攻城部隊もそれは同じだ。何ができる。
その時だった。斥候が、駆けてきた。
「サウス軍が動きました。編成は騎馬隊のみ。疾走してきます」
「来ましたね。しかし、騎馬隊のみとは」
ヨハンが僅かに考えるような表情を見せた。
「数は分かりますか?」
「およそ、三千」
俺の遊撃隊の二倍だ。だが、二倍なら抑えられる。
「やはり、ここは出鼻をくじきましょう。手筈通り、攻城部隊五百を連れていきます」
俺は頷き、兵を呼んだ。伝令を担う兵である。
「クライヴ将軍に伝令です。ロアーヌ・ヨハンの両名はサウス軍迎撃に向かう。攻城部隊五百と共に、隘路にて迎撃戦を展開予定」
兵がヨハンの伝令を復唱し、駆け去っていく。
「さぁ、行きましょうか」
「あぁ」
返事をして、俺は前線に目をやった。まだ、歩兵は押され続けている。一体、どこまで踏ん張れるのか。
「ルイスを信じましょう。私達は、サウスを抑えます。しかし、この戦況では、シーザー将軍は私達の方には来れないでしょうね」
ヨハンが言った。つまり、俺の騎馬隊だけでサウスを抑えなければならない、という事だ。だが、元より、俺はそのつもりだった。いや、それだけではない。俺はサウスの首を取る。
前線から、目を離した。
「進発。行軍速度は通常の二倍。攻城部隊は遅れを取るな」
声をあげ、俺は馬腹を蹴った。
俺は千五百の騎馬隊と共に、陣の最後尾で待機していた。これはサウスに対する備えで、南で何か動きがあった場合、速やかに俺の遊撃隊はその迎撃に出なければならない。俺の側には軍師のヨハンが居て、共に馬上である。
ピドナの前に陣を敷いた官軍は、今までに相手にしてきたそれとは違う何かを持っていた。それが何なのかは明確には言えないが、一筋縄ではいかないだろう。兵力差はほぼ拮抗しているが、こちらの五千は攻城部隊である。つまり、野戦として展開できるメッサーナ軍は、実質二万五千なのだ。遊撃隊である俺の騎馬隊は、サウスに対する備えで、自由に動くという訳にもいかない。
苦しい戦いになる。正直、今の段階では勝てるかどうかは分からない。相手の指揮官はフランツの部下だと言うし、陣の敷き方を見てもこれと言う隙は見えないのだ。それに加え、南のサウスが動く、という懸念材料も抱えている。
無論、戦はぶつかってみないと分からない事が多い。だから、気持ちが大事だった。精神論になるが、始めから負けると思っていれば、勝てるものも勝てなくなる。
鐘が鳴った。
総大将であるクライヴが、右手を上げた。弓兵隊が、一斉に前に出る。兵達が、矢を弓につがえた。
「放てぇっ」
矢の嵐。天空が、矢で覆われた。陣の最後尾であるここからでは、まさにそれは矢の嵐にしか見えなかった。矢によって、敵の前衛が、少しずつ散っていく。だが、陣を崩す程では無かった。こちらの攻撃が終わるのを、ジッと待っているようにも見える。ひとしきり、矢を撃った。
すると、今度は敵が矢の雨を降らせてきた。すぐに弓兵隊は下がり、シグナスとクリスの槍・戟兵隊と入れ換わる。大盾を持っているようだ。敵の矢は大盾に次々と突き刺さり、針鼠のようになっている。
歩兵が大盾を捨てた。槍兵隊と戟兵隊が二人一組となり、前進する。それに合わせて、クライヴの弓兵隊が二つに割れた。側面から、援護射撃を浴びせている。
「そのまま突き進め」
思わず、俺は声に出していた。敵の弓兵隊は縦二列となり、交代で矢を放っている。しかし、シグナス軍とクリス軍は止まらない。
先頭を馬で突っ走るシグナスが、敵前衛に取りついた。一騎である。しかし、その一騎が、敵前衛を圧しまくっていた。敵が連続で宙へと放り出され、シグナスが槍を横に払えば、そこに空隙が出来る。
「あの無双ぶり、さすがに槍のシグナスですね」
ヨハンが横で言った。俺の手は汗で濡れている。やはり、シグナスは強い。
そのシグナスの周囲に、敵歩兵が群がっていく。
「早く抜け出ろ。囲まれるぞ」
言っていた。
「大丈夫です、馬を返します」
シグナスが敵をあしらいつつ下がる。それと入れ換わるかの如く、歩兵での乱戦が始まった。喊声が戦場を支配し、金属音がここまで聞こえてきた。
クライヴの弓兵隊が、前進した。後方の騎馬隊に向けて、矢を放とうとしているのだろう。その中で、シーザー軍が妙に逸っていた。
「シーザー将軍が待ち切れるかどうか。これで戦の情勢は大きく変化します」
ヨハンには、戦の一手、二手の先が見えているのだろう。これは軍師の眼であり、才能の一つだ。俺には、そういった才はない。戦全体の情勢よりも、一軍の情勢の把握に走ってしまう。
敵の騎馬隊が、クライヴの弓を鬱陶しがるかのように、突撃を開始した。それに呼応するかの如く、シーザーの騎馬隊が動く。戦場が轟きをあげた。騎馬隊同士がぶつかり合いを始めたのだ。
情勢が、少しずつ変化を迎えていた。
「歩兵が」
押され始めている。兵力差がそれの要因だろう。これを押し返すには、騎馬隊の力が必要だ。敵の歩兵の中を騎馬が一回でも突っ切れば、それで敵は算を乱す。そうなれば、歩兵は楽になるのだ。だが、シーザーは敵の騎馬隊の相手に夢中だった。
「あの馬鹿」
剣の束に手をやった。俺の遊撃隊で。
「駄目です、ロアーヌ将軍」
ヨハンが手で制してきた。
「歩兵が押されている。シーザーの視野が狭い」
「違います。シーザー将軍は騎馬隊の相手に手一杯なのですよ。それだけ、相手が手強い」
ヨハンの語気が、僅かに強くなっている事に俺は気付いた。
「俺の遊撃隊で」
「駄目です、サウス軍に対する備えがなくなります」
「来るかどうかも分からない軍だ」
「あなたが献策されたのですよ、ロアーヌ将軍」
言われて、舌打ちした。やはり、俺は現場の人間らしい。つまり、戦人(いくさびと)なのだ。どこか、冷静になり切れない。兵と共に戦っている方が、落ち着ける。そんな気がするほどだ。
「ルイスが居ます。何とかするはずです」
何ができるのだ。クリスとシグナスは押され気味で、シーザーは敵の騎馬隊で手一杯だ。クライヴの弓兵隊は乱戦では役には立たない。五千の攻城部隊もそれは同じだ。何ができる。
その時だった。斥候が、駆けてきた。
「サウス軍が動きました。編成は騎馬隊のみ。疾走してきます」
「来ましたね。しかし、騎馬隊のみとは」
ヨハンが僅かに考えるような表情を見せた。
「数は分かりますか?」
「およそ、三千」
俺の遊撃隊の二倍だ。だが、二倍なら抑えられる。
「やはり、ここは出鼻をくじきましょう。手筈通り、攻城部隊五百を連れていきます」
俺は頷き、兵を呼んだ。伝令を担う兵である。
「クライヴ将軍に伝令です。ロアーヌ・ヨハンの両名はサウス軍迎撃に向かう。攻城部隊五百と共に、隘路にて迎撃戦を展開予定」
兵がヨハンの伝令を復唱し、駆け去っていく。
「さぁ、行きましょうか」
「あぁ」
返事をして、俺は前線に目をやった。まだ、歩兵は押され続けている。一体、どこまで踏ん張れるのか。
「ルイスを信じましょう。私達は、サウスを抑えます。しかし、この戦況では、シーザー将軍は私達の方には来れないでしょうね」
ヨハンが言った。つまり、俺の騎馬隊だけでサウスを抑えなければならない、という事だ。だが、元より、俺はそのつもりだった。いや、それだけではない。俺はサウスの首を取る。
前線から、目を離した。
「進発。行軍速度は通常の二倍。攻城部隊は遅れを取るな」
声をあげ、俺は馬腹を蹴った。
強い。官軍は、生まれ変わっている。兵の練度なら俺達の方が上だ。しかし、兵力差を覆す程のものではない。それが力の差となって、今の戦況が生み出されている。歩兵は押され、シーザーの騎馬隊は敵の騎馬の対応で精一杯だ。このままやり合い続ければ、メッサーナ軍が倒れる。
どうする。
「シグナス将軍、中央が耐え切れません」
ウィルが言った。副官である。武芸は並だが、兵の心をよく読み取る男だった。慎重過ぎるという欠点は持っているが、同時に粘り強さも持っている。
味方歩兵が、中央を中心に次々に削り取られていた。敵の戦術は卓越している。というより、自分を知っていた。兵の練度が低い。しかし、兵力差で勝る。これを、知っている。だから、三人一組でこちらの一人に向かってくるのだ。こちらは二人一組で敵一人に対応しているが、それでは勝てない。
「陣形を変える。ウィル、お前は最後尾まで退がれ。兵を小さくまとめて、敵に対応するぞ」
「シグナス将軍は」
「俺は殿(しんがり)だ」
「なりません」
「黙れ、これは命令だ、早くいけ」
言って、俺は馬腹を蹴った。クリスの方に眼を向ける。懸命に指揮しているが、反撃の糸口は見えていない。戟兵隊は、小さくまとまり始めていた。
「戟兵隊と二人一組になれ、決して孤立するな」
叫びながら駆けた。ウィルが後方で指揮を執り、槍兵隊も陣形を変え始めている。
右手を上げた。麾下五百が集まってくる。これは精鋭だ。俺自身が鍛えた槍兵で、この五百だけは官軍相手に十二分に力を発揮できる。
「俺達は殿だ。武器を高く掲げ、声をあげろ。行くぞっ」
馬腹を蹴った。すぐに敵の最前衛が見えた。槍を構える。ぶつかった。もう敵は居ない。宙へと撥ね上げたのだ。遅れて、麾下の五百が敵前衛を蹴散らす。
「俺は槍のシグナスだ。俺の首を取れると思う奴は、いくらでもかかってこいっ」
叫んだ。頭上に槍を掲げ、両手でグルグルと回す。風が唸りをあげる。これに触発されたのか、敵前衛三人が飛び掛かって来た。だが、すぐにその三人は死体となった。敵の勢いが死ぬ。しかし、これはこの場だけの話だ。自軍の陣形は横に伸びていて、俺と麾下五百が居るこの場所だけが、敵に向かって前に突き出ている。このまま、ここで戦い続ければ、やがて左右からの敵に押し包まれるだろう。だから、長居はできない。
どうする。俺が考え得るのは、ここまでだった。つまり、崩れそうになった場所に俺と麾下五百が突っ込み、態勢を整えさせる。これだけしか、俺が出来る事は考え付かない。これは、今は良いだろう。崩れそうになった場所、危機を迎えている場所が、今はまだ一つや二つだからだ。だが、これが三つ、四つと増えていったらどうなる。持ち堪えられるのか。
そう考えている内に、右翼が押され始めていた。救援に。そう思ったら、左翼も押され始めている。
「くそっ」
八千という味方の数が重い。それはまるで足枷のようで、何をするにも重さが感じられた。どうすれば良い。
その時だった。後方で、鐘が鳴った。振り返る。ルイスが旗を振らせている。後退の合図だ。もう、これ以上は踏みとどまれない、というタイミングだった。
「後退命令が出たぞっ。後退しろっ。だが、敵に背を見せるなっ」
叫んだ。何のための後退なのか。これは考えないようにした。戦況はルイスが見極める。
「麾下を三隊に分ける。味方の後退の援護だ。二百を二隊と百を一隊。二百の二隊は左右へ向かえ」
敵をあしらいつつ、麾下が三隊に分かれた。内二隊が、左右へと駆けていく。
「百はこの場で暴れる。俺達の槍を官軍どもに見せてやるぞっ」
叫んで、槍を振り回した。次々に敵を突き殺し、宙へと放り出す。徐々に敵が怯え始めていた。だが、追ってくる。
シーザーの騎馬隊だけが敵と激しくぶつかり合っている中、槍・戟兵隊は退がり続けた。
敵の陣形が、縦に伸びていた。体力のある者とそうでない者との差が、開き始めている。これが兵の練度の差だ。メッサーナ軍は、未だに隊列をしっかりと保ったまま退いている。
最前衛で戦い続ける敵兵が、息を乱していた。明らかに疲労している。勝てるのではないのか。俺はそう思ったが、何も指示は出さなかった。槍を振り回すだけだ。大局での指揮は、ルイスに任せれば良い。
その時、天から赤い雨が降り注いだ。それは敵軍の中央に集中している。火矢。クライヴの弓兵隊の火矢だ。
火矢によって、縦に伸びた敵歩兵が真っ二つに割れた。割れた所で、炎が渦巻く。炎の壁。さらにそれは左右にも拡がり、敵歩兵を完全に二つに立ち割る形になった。
刹那、鐘。攻勢の鐘。
心臓が爆発した。
「槍兵隊、足を止めろっ」
叫んだ。兵達が踏みとどまる。敵軍に、明らかな動揺が走っていた。軍を二つに割られただけではなく、炎の壁によって退路も塞がれたのだ。
「槍構えっ」
ザッという足を踏み出す音。
「突撃、いけぇっ」
叫んで、俺も駆けた。先頭である。背後で兵達が吼えている。逆襲。
敵兵が算を乱した。だが、退路がない。
槍を突き出す。真っ直ぐに、直線に駆け抜けた。具足が血で濡れていく。俺が駆けた所に敵兵は居ない。ひとしきり駆け続けた後、馬首を返した。今度は縦横無尽に駆け回る。
炎の勢いが弱まっていく。その炎の向こうに、残りの敵歩兵が居た。だが、怯えている。この惨状に恐怖したのか。
兵をまとめた。炎の向こう側の敵に攻勢をかける。この場はクリスに任せれば良いだろう。
「いけぇっ」
そう叫んだ瞬間、敵歩兵は背を見せて逃げ始めていた。
どうする。
「シグナス将軍、中央が耐え切れません」
ウィルが言った。副官である。武芸は並だが、兵の心をよく読み取る男だった。慎重過ぎるという欠点は持っているが、同時に粘り強さも持っている。
味方歩兵が、中央を中心に次々に削り取られていた。敵の戦術は卓越している。というより、自分を知っていた。兵の練度が低い。しかし、兵力差で勝る。これを、知っている。だから、三人一組でこちらの一人に向かってくるのだ。こちらは二人一組で敵一人に対応しているが、それでは勝てない。
「陣形を変える。ウィル、お前は最後尾まで退がれ。兵を小さくまとめて、敵に対応するぞ」
「シグナス将軍は」
「俺は殿(しんがり)だ」
「なりません」
「黙れ、これは命令だ、早くいけ」
言って、俺は馬腹を蹴った。クリスの方に眼を向ける。懸命に指揮しているが、反撃の糸口は見えていない。戟兵隊は、小さくまとまり始めていた。
「戟兵隊と二人一組になれ、決して孤立するな」
叫びながら駆けた。ウィルが後方で指揮を執り、槍兵隊も陣形を変え始めている。
右手を上げた。麾下五百が集まってくる。これは精鋭だ。俺自身が鍛えた槍兵で、この五百だけは官軍相手に十二分に力を発揮できる。
「俺達は殿だ。武器を高く掲げ、声をあげろ。行くぞっ」
馬腹を蹴った。すぐに敵の最前衛が見えた。槍を構える。ぶつかった。もう敵は居ない。宙へと撥ね上げたのだ。遅れて、麾下の五百が敵前衛を蹴散らす。
「俺は槍のシグナスだ。俺の首を取れると思う奴は、いくらでもかかってこいっ」
叫んだ。頭上に槍を掲げ、両手でグルグルと回す。風が唸りをあげる。これに触発されたのか、敵前衛三人が飛び掛かって来た。だが、すぐにその三人は死体となった。敵の勢いが死ぬ。しかし、これはこの場だけの話だ。自軍の陣形は横に伸びていて、俺と麾下五百が居るこの場所だけが、敵に向かって前に突き出ている。このまま、ここで戦い続ければ、やがて左右からの敵に押し包まれるだろう。だから、長居はできない。
どうする。俺が考え得るのは、ここまでだった。つまり、崩れそうになった場所に俺と麾下五百が突っ込み、態勢を整えさせる。これだけしか、俺が出来る事は考え付かない。これは、今は良いだろう。崩れそうになった場所、危機を迎えている場所が、今はまだ一つや二つだからだ。だが、これが三つ、四つと増えていったらどうなる。持ち堪えられるのか。
そう考えている内に、右翼が押され始めていた。救援に。そう思ったら、左翼も押され始めている。
「くそっ」
八千という味方の数が重い。それはまるで足枷のようで、何をするにも重さが感じられた。どうすれば良い。
その時だった。後方で、鐘が鳴った。振り返る。ルイスが旗を振らせている。後退の合図だ。もう、これ以上は踏みとどまれない、というタイミングだった。
「後退命令が出たぞっ。後退しろっ。だが、敵に背を見せるなっ」
叫んだ。何のための後退なのか。これは考えないようにした。戦況はルイスが見極める。
「麾下を三隊に分ける。味方の後退の援護だ。二百を二隊と百を一隊。二百の二隊は左右へ向かえ」
敵をあしらいつつ、麾下が三隊に分かれた。内二隊が、左右へと駆けていく。
「百はこの場で暴れる。俺達の槍を官軍どもに見せてやるぞっ」
叫んで、槍を振り回した。次々に敵を突き殺し、宙へと放り出す。徐々に敵が怯え始めていた。だが、追ってくる。
シーザーの騎馬隊だけが敵と激しくぶつかり合っている中、槍・戟兵隊は退がり続けた。
敵の陣形が、縦に伸びていた。体力のある者とそうでない者との差が、開き始めている。これが兵の練度の差だ。メッサーナ軍は、未だに隊列をしっかりと保ったまま退いている。
最前衛で戦い続ける敵兵が、息を乱していた。明らかに疲労している。勝てるのではないのか。俺はそう思ったが、何も指示は出さなかった。槍を振り回すだけだ。大局での指揮は、ルイスに任せれば良い。
その時、天から赤い雨が降り注いだ。それは敵軍の中央に集中している。火矢。クライヴの弓兵隊の火矢だ。
火矢によって、縦に伸びた敵歩兵が真っ二つに割れた。割れた所で、炎が渦巻く。炎の壁。さらにそれは左右にも拡がり、敵歩兵を完全に二つに立ち割る形になった。
刹那、鐘。攻勢の鐘。
心臓が爆発した。
「槍兵隊、足を止めろっ」
叫んだ。兵達が踏みとどまる。敵軍に、明らかな動揺が走っていた。軍を二つに割られただけではなく、炎の壁によって退路も塞がれたのだ。
「槍構えっ」
ザッという足を踏み出す音。
「突撃、いけぇっ」
叫んで、俺も駆けた。先頭である。背後で兵達が吼えている。逆襲。
敵兵が算を乱した。だが、退路がない。
槍を突き出す。真っ直ぐに、直線に駆け抜けた。具足が血で濡れていく。俺が駆けた所に敵兵は居ない。ひとしきり駆け続けた後、馬首を返した。今度は縦横無尽に駆け回る。
炎の勢いが弱まっていく。その炎の向こうに、残りの敵歩兵が居た。だが、怯えている。この惨状に恐怖したのか。
兵をまとめた。炎の向こう側の敵に攻勢をかける。この場はクリスに任せれば良いだろう。
「いけぇっ」
そう叫んだ瞬間、敵歩兵は背を見せて逃げ始めていた。
俺は千五百の騎馬隊と共に、原野でサウス軍迎撃の構えを取っていた。軍師のヨハンは、そのサウスを誘引するため、五百の攻城部隊と共に山を登っている。
どうすれば、サウスを討ち取れるか。戦が始まる前、俺はヨハンと共にこれを考えていた。
サウスは純粋な軍人である。つまり、戦好きという事だ。戦好きならば、自分の軍には相当な愛着を持っている。これは俺もそうだし、シグナスやシーザーもそうだ。そして、自分の軍の力を試したいとも思うだろう。まず、ヨハンは、この部分に目を付けた。
これに加え、南からピドナへの援軍ルートは、小さな隘路を通る必要があった。この隘路は両脇に崖がそびえ立っており、伏兵などの心配はないのだが、落石や丸太落としなどの罠には注意しなければならない。ヨハンは、この隘路を塞ぐ、と立案していた。そして、そのための攻城兵器だった。
策としては、まず、攻城部隊五百を崖上に待機させる。次に、サウス軍を隘路に入れる。そして、サウス軍が無事に隘路を通り過ぎたのを確認して、攻城兵器を崖下へと突き落とすのだ。隘路の入り口は狭く小さい。だから、攻城兵器の山でそこは簡単に塞ぐ事が出来る。
すなわち、サウス軍の退路を断つのである。
これはサウスの心理を上手く衝いていた。攻城兵器をサウスに向けて突き落とせば、その兵力を減らす事ができる。しかし、それはやらない。つまりこれは、この先の軍でお前と真っ向勝負してやる、と言っているようなものなのだ。そうでなくとも、すでに退路は塞がれているため、サウス軍は前に進むしかない。そして、その先には、俺が居る。
ここからは、サウスの軍人としての質の話になってくるだろう。つまり、戦うのか、逃げるのか、である。
サウスは戦う。俺はそう思っていた。これは予想ではなく、ほぼ確信に近い。
そして、その確信は現実となった。前方から、土煙が見えてきたのである。馬蹄も聞こえてきた。
「全員、武器を構えろ」
兵達が黙って鞘から剣を抜く。金属の擦れ合う音が、一斉にこだました。
「相手は南方の雄、サウスだ。これは軟弱ではなく、精強である。数は三千。対する俺達は、千五百だ」
前方で、旗が振られている。サウス軍もこちらを見止めたようだ。だが、勢いはそのままで、止まる気配はない。このまま、ぶつかってくるつもりなのか。
「しかし、その兵力差以上に俺達は強い。虎縞模様の具足に恥じぬだけの働きをしてみせろ」
兵達が低く声をあげた。
「まずは正面からぶつかる。相手は勢いに乗っていて手強いぞ。心してかかれ」
剣を天に突き上げる。
「行くぞ、突撃っ」
振り下ろした。そして、馬腹を蹴った。喊声。敵味方の馬蹄とそれが入り混じる。
敵兵。先頭。褐色色の肌だ。剣を振り上げる。先に、相手の剣が飛んできた。即座に身体をねじり、避ける。刹那、一閃。敵の首が飛んでいた。
二人、三人と斬り倒す。圧力が、強まって来た。それを感じて、俺は馬首を返した。反転である。辺りを見回すと、他の兵も同じように反転していた。
三度、同じ事を繰り返した。相手の前衛は持ち堪えようと必死だが、こちらの攻撃は受け切れていない。錐(きり)の先端で貫くのと同じで、一点集中で攻撃を仕掛けているのだ。三枚か四枚の前衛の壁なら、たやすく撃ち貫く。
敵がバラバラに散った。攻撃を受け切るのは下策と判断したのだろう。今度は、受け流そうとしている。これに対して俺は、隊を三つに分けた。一隊五百名である。右翼・左翼・中央の三方向から、一斉に締めあげてやる。
不意に、敵軍の中央が動き出した。それはめまぐるしく動き、味方の右翼の騎馬隊を瞬く間に散らした。
「なんだ、あの軍は」
旗が立っている。サウスの旗だ。つまり、旗本。数は三百と言った所か。
右翼の騎馬隊が再び固まった。サウスの旗本に突撃をかけようとしている。
「待て、お前達では無理だ」
言っていた。
右翼が、突撃を開始した。だが、また散らされた。それは巨岩に水をぶっかけるような形で、突撃そのものが無力化されていた。あの旗本は、格が違う。
右手をあげた。右翼が集まって来る。
「敵の旗本には俺の麾下百名でぶつかる。右翼はその援護」
麾下百名が陣を組んだ。左翼は、まだ奮闘している。だが、兵力差があった。敵はあの旗本の活躍で、失った士気を取り戻しつつある。
「あそこにサウスが居るぞ。突っ込めっ」
腹の底から声を出した。敵の旗本が陣を組んでいる。剣を構えた。
ぶつかる。堅い。グッと押し込む。だが、押せなかった。
「なんだ、これだけの精強な軍の指揮官だから、どんな歴戦の将軍かと思ったが」
声が聞こえた。
「若僧だな」
サウス。血が、燃えた。首が取れる位置に居る。
「どけぇっ」
叫んだ。前を固める三人の敵兵の首を、まとめて斬り飛ばした。
麾下百名の兵が、それに続く。
「これは手強い。名は?」
「ロアーヌ」
「なんと、剣のロアーヌか?」
サウスと眼が合った。笑っていた。余裕のつもりなのか。
敵兵が次々と覆いかぶさってきた。それを何人も斬り殺す。あと少しで、サウスに俺の剣が届く。
「剣のロアーヌがスズメバチの親玉か。これは手強い。一騎討ちで殺してやろうかと思ったが、これじゃ俺が逆に殺されかねんな」
「サウス、俺と勝負せずに逃げるのか」
「ふん、戦を知らん若僧が。まずは、虚実を知れ」
言って、サウスが右手をあげた。不意に、左右の敵の圧力が増した。
右翼と左翼が、サウス軍に取り囲まれている。思わず、舌打ちした。自分の頭の中で描いている戦が、いつの間にか消えている。俺がサウス一人に夢中になってしまったせいで、軍全体の情況を見逃していたのだ。
首を横に振った。雑念を取り払え。相手は南の異民族を相手に奮闘してきた歴戦の将軍なのだ。戦の経験では勝てるわけがない。だが、俺には若さによる閃きがあるはずだ。だから、経験ではなく、閃きで勝負する。そして、その閃きの先にあるのは、サウスの首だ。
「退くぞ、態勢を整えるっ」
「逃げるのはお前か、ロアーヌ」
あえて、無視した。ここで逆上すれば、サウスの思うつぼだ。まずは、麾下百名を敵中から脱出させる。俺は殿(しんがり)だ。
刹那、右腕に激痛が走った。と思ったら、感覚が消えていく。
小さな針が、突き刺さっていた。
「吹き矢だ。南じゃ、よく見る暗器(隠し武器)だが、何の警戒も無しに貰ったのを見ると、これが初めてか」
「毒か」
「痺れ毒だ。この戦の間、お前の右腕は使い物にならん」
利き腕だった。まずい。
「首を貰うぞ、若僧」
サウスが、馬を駆けさせてきた。さらに周囲の敵兵が寄って来る。
冷たい汗が、背を伝った。
どうすれば、サウスを討ち取れるか。戦が始まる前、俺はヨハンと共にこれを考えていた。
サウスは純粋な軍人である。つまり、戦好きという事だ。戦好きならば、自分の軍には相当な愛着を持っている。これは俺もそうだし、シグナスやシーザーもそうだ。そして、自分の軍の力を試したいとも思うだろう。まず、ヨハンは、この部分に目を付けた。
これに加え、南からピドナへの援軍ルートは、小さな隘路を通る必要があった。この隘路は両脇に崖がそびえ立っており、伏兵などの心配はないのだが、落石や丸太落としなどの罠には注意しなければならない。ヨハンは、この隘路を塞ぐ、と立案していた。そして、そのための攻城兵器だった。
策としては、まず、攻城部隊五百を崖上に待機させる。次に、サウス軍を隘路に入れる。そして、サウス軍が無事に隘路を通り過ぎたのを確認して、攻城兵器を崖下へと突き落とすのだ。隘路の入り口は狭く小さい。だから、攻城兵器の山でそこは簡単に塞ぐ事が出来る。
すなわち、サウス軍の退路を断つのである。
これはサウスの心理を上手く衝いていた。攻城兵器をサウスに向けて突き落とせば、その兵力を減らす事ができる。しかし、それはやらない。つまりこれは、この先の軍でお前と真っ向勝負してやる、と言っているようなものなのだ。そうでなくとも、すでに退路は塞がれているため、サウス軍は前に進むしかない。そして、その先には、俺が居る。
ここからは、サウスの軍人としての質の話になってくるだろう。つまり、戦うのか、逃げるのか、である。
サウスは戦う。俺はそう思っていた。これは予想ではなく、ほぼ確信に近い。
そして、その確信は現実となった。前方から、土煙が見えてきたのである。馬蹄も聞こえてきた。
「全員、武器を構えろ」
兵達が黙って鞘から剣を抜く。金属の擦れ合う音が、一斉にこだました。
「相手は南方の雄、サウスだ。これは軟弱ではなく、精強である。数は三千。対する俺達は、千五百だ」
前方で、旗が振られている。サウス軍もこちらを見止めたようだ。だが、勢いはそのままで、止まる気配はない。このまま、ぶつかってくるつもりなのか。
「しかし、その兵力差以上に俺達は強い。虎縞模様の具足に恥じぬだけの働きをしてみせろ」
兵達が低く声をあげた。
「まずは正面からぶつかる。相手は勢いに乗っていて手強いぞ。心してかかれ」
剣を天に突き上げる。
「行くぞ、突撃っ」
振り下ろした。そして、馬腹を蹴った。喊声。敵味方の馬蹄とそれが入り混じる。
敵兵。先頭。褐色色の肌だ。剣を振り上げる。先に、相手の剣が飛んできた。即座に身体をねじり、避ける。刹那、一閃。敵の首が飛んでいた。
二人、三人と斬り倒す。圧力が、強まって来た。それを感じて、俺は馬首を返した。反転である。辺りを見回すと、他の兵も同じように反転していた。
三度、同じ事を繰り返した。相手の前衛は持ち堪えようと必死だが、こちらの攻撃は受け切れていない。錐(きり)の先端で貫くのと同じで、一点集中で攻撃を仕掛けているのだ。三枚か四枚の前衛の壁なら、たやすく撃ち貫く。
敵がバラバラに散った。攻撃を受け切るのは下策と判断したのだろう。今度は、受け流そうとしている。これに対して俺は、隊を三つに分けた。一隊五百名である。右翼・左翼・中央の三方向から、一斉に締めあげてやる。
不意に、敵軍の中央が動き出した。それはめまぐるしく動き、味方の右翼の騎馬隊を瞬く間に散らした。
「なんだ、あの軍は」
旗が立っている。サウスの旗だ。つまり、旗本。数は三百と言った所か。
右翼の騎馬隊が再び固まった。サウスの旗本に突撃をかけようとしている。
「待て、お前達では無理だ」
言っていた。
右翼が、突撃を開始した。だが、また散らされた。それは巨岩に水をぶっかけるような形で、突撃そのものが無力化されていた。あの旗本は、格が違う。
右手をあげた。右翼が集まって来る。
「敵の旗本には俺の麾下百名でぶつかる。右翼はその援護」
麾下百名が陣を組んだ。左翼は、まだ奮闘している。だが、兵力差があった。敵はあの旗本の活躍で、失った士気を取り戻しつつある。
「あそこにサウスが居るぞ。突っ込めっ」
腹の底から声を出した。敵の旗本が陣を組んでいる。剣を構えた。
ぶつかる。堅い。グッと押し込む。だが、押せなかった。
「なんだ、これだけの精強な軍の指揮官だから、どんな歴戦の将軍かと思ったが」
声が聞こえた。
「若僧だな」
サウス。血が、燃えた。首が取れる位置に居る。
「どけぇっ」
叫んだ。前を固める三人の敵兵の首を、まとめて斬り飛ばした。
麾下百名の兵が、それに続く。
「これは手強い。名は?」
「ロアーヌ」
「なんと、剣のロアーヌか?」
サウスと眼が合った。笑っていた。余裕のつもりなのか。
敵兵が次々と覆いかぶさってきた。それを何人も斬り殺す。あと少しで、サウスに俺の剣が届く。
「剣のロアーヌがスズメバチの親玉か。これは手強い。一騎討ちで殺してやろうかと思ったが、これじゃ俺が逆に殺されかねんな」
「サウス、俺と勝負せずに逃げるのか」
「ふん、戦を知らん若僧が。まずは、虚実を知れ」
言って、サウスが右手をあげた。不意に、左右の敵の圧力が増した。
右翼と左翼が、サウス軍に取り囲まれている。思わず、舌打ちした。自分の頭の中で描いている戦が、いつの間にか消えている。俺がサウス一人に夢中になってしまったせいで、軍全体の情況を見逃していたのだ。
首を横に振った。雑念を取り払え。相手は南の異民族を相手に奮闘してきた歴戦の将軍なのだ。戦の経験では勝てるわけがない。だが、俺には若さによる閃きがあるはずだ。だから、経験ではなく、閃きで勝負する。そして、その閃きの先にあるのは、サウスの首だ。
「退くぞ、態勢を整えるっ」
「逃げるのはお前か、ロアーヌ」
あえて、無視した。ここで逆上すれば、サウスの思うつぼだ。まずは、麾下百名を敵中から脱出させる。俺は殿(しんがり)だ。
刹那、右腕に激痛が走った。と思ったら、感覚が消えていく。
小さな針が、突き刺さっていた。
「吹き矢だ。南じゃ、よく見る暗器(隠し武器)だが、何の警戒も無しに貰ったのを見ると、これが初めてか」
「毒か」
「痺れ毒だ。この戦の間、お前の右腕は使い物にならん」
利き腕だった。まずい。
「首を貰うぞ、若僧」
サウスが、馬を駆けさせてきた。さらに周囲の敵兵が寄って来る。
冷たい汗が、背を伝った。
分銅が飛んできた。首を横に倒し、それをかわす。サウスの武器、鎖鎌である。
サウスは飛ばした分銅を手繰り寄せ、再び頭上でビュンビュンと振り回し始めた。
やられた。今、俺の頭の中にはこれだけが浮かんでいた。完全にやられた。集団戦、個人戦共に、サウスにやられた。
どうするか。まずはこの敵中から脱するべきだが、脱した先に活路はあるのか。右翼、左翼がサウス軍に取り囲まれているのだ。まずは、これをどうにかするべきだ。だから、最初に兵の指揮を。
違う。そんな暇はない。俺自身が脱出するのが先だ。そして、俺の百名の麾下。だが、脱出した先に活路が。
「くそっ」
右腕を振り下ろす。感覚がなかった。それ所か、鉛のように重く感じている。これではサウスの言う通り、右腕は本当に使い物にならないだろう。舌打ちしながら、剣を左手に持ち替えた。
瞬間、サウスの分銅。剣で弾く。微かに痺れが全身を包み込んだ。
「ロアーヌ将軍」
百名の麾下が、迷っている。突き進んで敵中から脱するか、俺を救うために戻るか。俺の指示を待っている。
麾下を呼び戻してしまえば、全員で討ち死にしてしまうかもしれない。だが、俺一人で、しかも左腕一本で、サウスと渡り合えるのか。それに敵はサウスだけではない。
思考中、敵の剣が左から振り下ろされてきた。刃の腹で受ける。火花。間髪入れず、敵の胸を貫く。
せめて、右腕が動けば。右腕さえ動けば、この程度の危機など、何程のものでもないはずだ。
「くそっ」
その刹那、分銅。さらに右から槍。
敵の同時攻撃。右腕。違う、左腕しか使えない。
吼えた。すると、身体が瞬間的に反応した。槍が具足を削り、分銅が頬を掠める。
「やるではないか」
サウスがニヤリと笑い、再び頭上で分銅を振り回し始めた。
指示を出せ。兵は俺の指示を待っている。逡巡するな。そして、自分の命を惜しむな。
「先に行け、お前達」
叫んだ。
「最後尾は俺が引き受ける。俺はいつ、どんな時でも殿(しんがり)だ。さぁ、行けっ」
「しかし」
「命令だ、行けぇっ」
俺が叫ぶと、麾下達が弾かれたように喊声をあげた。百名が、真っ直ぐに駆け抜ける。サウスの旗本が懸命に遮ろうとしているが、麾下百名は一本の矢のようにそれを貫き、突き破っていく。俺はその最後尾に付き、次々と覆いかぶさって来る敵を剣で斬り続けた。だが、一太刀で殺せない。途中で刃が止まってしまうのだ。左腕では、思うように剣が振り切れない。
「鍛練が足りなかった。剣のロアーヌと謳われ、どこかで慢心していたか」
声に出していた。
敵。剣を振る。だが、止められた。そこに分銅。不意打ちだった。駄目だ。避けきれない。
その刹那、何かが俺の前に出てきた。騎兵。そう思った瞬間、グチャリ、という嫌な音がした。
「馬鹿な」
麾下の一人が、俺の身代りになっていた。頭蓋を割られている。さらに身体に槍が突き立っていた。言うまでもない。即死である。
「何をやっている」
戸惑う俺に、次々に敵が襲いかかって来る。さらにサウスの鎖鎌。
麾下が俺の周囲を囲んだ。
「何を」
「将軍が死ねば、我らも死にます。将軍の命は、我らの命です」
「やめろ」
「敵陣から抜け出ます」
そう言った麾下に俺は両脇を支えられ、共に敵陣を駆け抜けた。その間、俺を守る兵が次々に脱落していく。そして、脱落する度に、新しい兵がすぐに補助にやってきた。
敵陣を抜けた。その瞬間、自分でも嫌になるほど冷静になるのが分かった。麾下は三十名しか残っていなかった。つまり、七十名が死んだのだ。しかも、俺のためにだ。
唇を噛んだ。だが、悔やんでいる暇などない。そう思った俺は、すぐに取り囲まれている右翼・左翼に指示を出した。旗本はここに居る。ここに向けて、敵陣を貫きながら懸命に駆けて来い。そういう指示を出した。
その間、サウス軍は陣を整え、攻勢の構えを取ろうとしていた。
軍は生き物だ。指揮官の心情によって、その動きは大きく変わる。サウス軍の兵達は、明らかに血気逸っていた。対する俺の軍は、この情況をどう切り抜けるのか、という事で切羽詰まっている。
このままでは負ける。そして、まともにぶつかるのは下策だ。というより、戦闘続行が下策だ。
目を閉じる。戦闘続行は下策。ならば、取る道はただ一つしかない。
目を開いた。
「退却っ。逃げるぞ、退却っ」
旗を振らせた。そして、馬首を返す。
「もう、誰一人として死ぬな、退却っ」
俺の軍が、一斉に反転して駆け出す。すぐに、サウス軍も追撃に入って来た。
逃げ切れるか。そして、ヨハンと攻城部隊の五百。どこかで戦は見ていたはずだ。だから、もう逃げている。いや、逃げていてくれ。
ひとしきり、駆け続けた。背後から矢の追撃を何度もかけられたが、幸い犠牲者は出さずに済んでいた。だが、何人かの兵は負傷している。
不意に、前方から土煙が見えた。馬蹄と喊声も聞こえてくる。
「シーザー軍」
獅子の旗が見えた。シーザーの旗印である。
それを見止めたサウス軍は、一斉に反転して駆け去った。追撃を諦めたのだ。だが、その駆け去り方は、まさに勝者の軍だった。
「何が、虎縞模様の具足だ。何が、スズメバチだ。何が、剣のロアーヌだ」
呟く。シーザーが駆けてくるのが見えた。
まだ、右腕は痺れたままだった。
サウスは飛ばした分銅を手繰り寄せ、再び頭上でビュンビュンと振り回し始めた。
やられた。今、俺の頭の中にはこれだけが浮かんでいた。完全にやられた。集団戦、個人戦共に、サウスにやられた。
どうするか。まずはこの敵中から脱するべきだが、脱した先に活路はあるのか。右翼、左翼がサウス軍に取り囲まれているのだ。まずは、これをどうにかするべきだ。だから、最初に兵の指揮を。
違う。そんな暇はない。俺自身が脱出するのが先だ。そして、俺の百名の麾下。だが、脱出した先に活路が。
「くそっ」
右腕を振り下ろす。感覚がなかった。それ所か、鉛のように重く感じている。これではサウスの言う通り、右腕は本当に使い物にならないだろう。舌打ちしながら、剣を左手に持ち替えた。
瞬間、サウスの分銅。剣で弾く。微かに痺れが全身を包み込んだ。
「ロアーヌ将軍」
百名の麾下が、迷っている。突き進んで敵中から脱するか、俺を救うために戻るか。俺の指示を待っている。
麾下を呼び戻してしまえば、全員で討ち死にしてしまうかもしれない。だが、俺一人で、しかも左腕一本で、サウスと渡り合えるのか。それに敵はサウスだけではない。
思考中、敵の剣が左から振り下ろされてきた。刃の腹で受ける。火花。間髪入れず、敵の胸を貫く。
せめて、右腕が動けば。右腕さえ動けば、この程度の危機など、何程のものでもないはずだ。
「くそっ」
その刹那、分銅。さらに右から槍。
敵の同時攻撃。右腕。違う、左腕しか使えない。
吼えた。すると、身体が瞬間的に反応した。槍が具足を削り、分銅が頬を掠める。
「やるではないか」
サウスがニヤリと笑い、再び頭上で分銅を振り回し始めた。
指示を出せ。兵は俺の指示を待っている。逡巡するな。そして、自分の命を惜しむな。
「先に行け、お前達」
叫んだ。
「最後尾は俺が引き受ける。俺はいつ、どんな時でも殿(しんがり)だ。さぁ、行けっ」
「しかし」
「命令だ、行けぇっ」
俺が叫ぶと、麾下達が弾かれたように喊声をあげた。百名が、真っ直ぐに駆け抜ける。サウスの旗本が懸命に遮ろうとしているが、麾下百名は一本の矢のようにそれを貫き、突き破っていく。俺はその最後尾に付き、次々と覆いかぶさって来る敵を剣で斬り続けた。だが、一太刀で殺せない。途中で刃が止まってしまうのだ。左腕では、思うように剣が振り切れない。
「鍛練が足りなかった。剣のロアーヌと謳われ、どこかで慢心していたか」
声に出していた。
敵。剣を振る。だが、止められた。そこに分銅。不意打ちだった。駄目だ。避けきれない。
その刹那、何かが俺の前に出てきた。騎兵。そう思った瞬間、グチャリ、という嫌な音がした。
「馬鹿な」
麾下の一人が、俺の身代りになっていた。頭蓋を割られている。さらに身体に槍が突き立っていた。言うまでもない。即死である。
「何をやっている」
戸惑う俺に、次々に敵が襲いかかって来る。さらにサウスの鎖鎌。
麾下が俺の周囲を囲んだ。
「何を」
「将軍が死ねば、我らも死にます。将軍の命は、我らの命です」
「やめろ」
「敵陣から抜け出ます」
そう言った麾下に俺は両脇を支えられ、共に敵陣を駆け抜けた。その間、俺を守る兵が次々に脱落していく。そして、脱落する度に、新しい兵がすぐに補助にやってきた。
敵陣を抜けた。その瞬間、自分でも嫌になるほど冷静になるのが分かった。麾下は三十名しか残っていなかった。つまり、七十名が死んだのだ。しかも、俺のためにだ。
唇を噛んだ。だが、悔やんでいる暇などない。そう思った俺は、すぐに取り囲まれている右翼・左翼に指示を出した。旗本はここに居る。ここに向けて、敵陣を貫きながら懸命に駆けて来い。そういう指示を出した。
その間、サウス軍は陣を整え、攻勢の構えを取ろうとしていた。
軍は生き物だ。指揮官の心情によって、その動きは大きく変わる。サウス軍の兵達は、明らかに血気逸っていた。対する俺の軍は、この情況をどう切り抜けるのか、という事で切羽詰まっている。
このままでは負ける。そして、まともにぶつかるのは下策だ。というより、戦闘続行が下策だ。
目を閉じる。戦闘続行は下策。ならば、取る道はただ一つしかない。
目を開いた。
「退却っ。逃げるぞ、退却っ」
旗を振らせた。そして、馬首を返す。
「もう、誰一人として死ぬな、退却っ」
俺の軍が、一斉に反転して駆け出す。すぐに、サウス軍も追撃に入って来た。
逃げ切れるか。そして、ヨハンと攻城部隊の五百。どこかで戦は見ていたはずだ。だから、もう逃げている。いや、逃げていてくれ。
ひとしきり、駆け続けた。背後から矢の追撃を何度もかけられたが、幸い犠牲者は出さずに済んでいた。だが、何人かの兵は負傷している。
不意に、前方から土煙が見えた。馬蹄と喊声も聞こえてくる。
「シーザー軍」
獅子の旗が見えた。シーザーの旗印である。
それを見止めたサウス軍は、一斉に反転して駆け去った。追撃を諦めたのだ。だが、その駆け去り方は、まさに勝者の軍だった。
「何が、虎縞模様の具足だ。何が、スズメバチだ。何が、剣のロアーヌだ」
呟く。シーザーが駆けてくるのが見えた。
まだ、右腕は痺れたままだった。
俺がフランツに呼び出されたのは、南に凱旋して三日後の事だった。しばらくは南で異民族を殺し、睨みを利かせてから都に行こうかと思っていた矢先の事である。
政治家は身勝手だ。自分の都合で、全てを決めたがる。これはフランツも例外ではない。あいつの世間の評判は大したものだが、所詮は政治家だった。
俺は政治家が嫌いだった。大した力もないくせに、権力を振りかざしてくる。ちょっと脅してやると、小便をちびらせる奴も居た。そして、そういうゴミ虫が俺を南に飛ばしたのだ。俺は腹が立った。真面目に軍務についていたのに、辺境である南に飛ばされたのだ。だから、俺はその鬱憤を晴らすために異民族を殺しまくった。女は略奪し、性欲の吐け口に使った。
いつの間にか、南方の雄というあだ名が付いた。だが、異民族の間では鬼畜と呼ばれている。
しかし、俺は心地よかった。都では全てを真面目にやらなければならなかったが、南ではある程度の暴挙が許されるのだ。殺したい時には異民族の村へ出かければ良いし、精を放ちたいと思ったら女を奪えば良い。
そのせいかどうかは分からないが、俺の兵達はみんな暴れたがりである。悪く言えば横暴なのだが、俺の命令はよく聞く連中だった。そして、俺は兵達を鍛え抜いた。暴れたかったら、強くなれ。そう言い続けて、俺は兵を鍛え抜いたのだ。
強ければ、ある程度の暴挙は許される。南の異民族をひねり潰し続けているせいか、国も何も言って来ない。というより、全ての暴挙が伝わっていないのだろう。南で大活躍する将軍、というイメージが強いのかもしれない。
そんな俺に、国は援軍要請を寄越してきた。城郭都市ピドナを防衛するため、力を貸して欲しい。国はそう言ってきたのだ。
俺はその要請を、快く承諾した。南には正直、飽きていたし、相手はあのメッサーナ軍だったのだ。メッサーナは官軍相手に二連勝中だった。しかも、大軍を少数で打ち破っている精強な軍だ。軍を率いる者ならば、血が騒いで当然である。
そして、剣のロアーヌの騎馬隊だった。
かなり手強かった。最初のぶつかり合いで、それが分かった。まともにやり合えば負けていただろう。だから、頭を潰そうと思った。それはきっとロアーヌも同じで、俺を見つけると、あいつは遮二無二、突き進んできた。
暗器を用いて殺そうと思ったが、首は取れなかった。これは運ではなく、実力である。ロアーヌ自身の実力でもあり、兵達の実力でもある。戦としては勝ったが、真の意味、すなわち首を取るという意味では負けだった。
だが、久々に楽しめた戦だった。俺より強い軍は大将軍配下の五万のみ、と思っていたが、そうではなかったのだ。しかも、それを率いているのは、俺より一回り以上は年下の若い将軍だった。
政庁の宰相室に辿り着いた。
「フランツ様がお待ちしております、どうぞ」
「待たせて悪かったな」
皮肉だった。だが、フランツの従者は大した反応も見せず、ただ頭を下げた。
宰相室に入った。
「急な呼び出し、悪かったな、サウス」
椅子に腰かけたまま、フランツは言った。前に見た時よりも、いくらか老けている。白髪の数は増えているし、口元や目じりに皺が刻み込まれていた。
「宰相さん、俺は忙しいんだ。話は手短に頼む」
フランツは立場としては、俺より上の人間だ。だが、俺は敬語は使わなかった。政治家だからだ。戦で命を賭ける軍人が、政治家より下な訳が無い。
「ピドナが陥落した」
「それは残念だ。だが、俺のせいじゃない。ピドナを守っていたのは、あんたの息が掛かった部下だろう」
「わかっている。それにお前は、メッサーナ軍のロアーヌを打ち破った。このロアーヌの騎馬隊は、メッサーナ軍最強という噂だ」
「あれは確かに強かった。この俺の軍よりもな」
「サウス、都に戻って来ないか?」
フランツの眼が、俺を射抜いてきた。何故か腹が立った。政治家のくせに、良い眼をしている。
「南はどうする。俺が居なくなれば、異民族どもは狂喜するだろう」
「別の抑えを送る。それともお前は、メッサーナよりも南の方が楽しめる、と思っているのか?」
こいつ。俺の心を読んでいる。歳は俺よりフランツの方がいくらか上だが、それの比ではない、まるで父親のような威厳を放っている。
生意気な。政治家の分際で。
「確かに南よりは、メッサーナの相手をする方が楽しめる。だが、都は窮屈すぎる」
「兵の調練が必要なのだ。今の官軍は、あまりにも弱すぎる。数だけの烏合の衆だ」
「ゴミ虫どもがのさばって、優秀な将軍を地方に飛ばしたからだ。地方の軍は、どれも強い」
「サウス、お前に戻って来て貰いたい」
「兵の調練なら、大将軍に頼めば良いだろう。大将軍配下の五万は、この国で、いや、この天下で最強だ」
本当にそう思っていた。噂では、俺の軍は大将軍の軍に匹敵するなどと言われているが、そんな訳が無い。大将軍自身の指揮と、その配下の力が合わさった時、それはこの天下で最強のはずだ。これは、絶対に揺るがない。
「大将軍は、地方の反乱如きでは腰を上げない。それに、もう老齢」
「おい」
俺はフランツの言葉を遮った。
「大将軍が老齢だから何だと言うのだ。お前、老齢だから戦など出来ない、と考えているだろう。もしそれを言葉に出してみろ。すぐに首を飛ばしてやる。政治家ごときが、知った風な口を利くな」
「政治家ごとき、か」
フランツが鼻で笑った。というより、自虐に似た笑い方だ。
「確かに私は政治家だ。だから、軍事には疎い。しかし、メッサーナは叩き潰さねばならん。ピドナが陥落し、領土は拡大する一方なのだ。それに、メッサーナにはロアーヌ以外にも、槍のシグナスや獅子軍のシーザーなどが居る。並の官軍では勝てん」
槍のシグナスと獅子軍のシーザー。この言葉で血が躍った。
南には飽きている。なら、メッサーナ軍と対峙するのも悪くはないか。だが、都では戦の機会は少ない。
「都ではなく、前線に回させろ。それなら、考えてやる」
「戦がしたいか」
「当たり前だろう。俺は軍人だ。それに、槍のシグナスともやり合ってみたい。獅子軍のシーザーともな」
「私が思ったより、ずいぶんと荒々しい男のようだな、サウス」
「南に居たせいで荒々しくなった。女を抱く回数も増えた」
「都の女は美しい女が多いぞ」
「そいつも手配できるのか?」
「まぁ、何人かは」
「五人。妾として使わせろ」
「道具扱いだな」
「俺は女に心を砕くことはせん。精を放つためだけに必要なのだ」
俺がそう言うと、フランツは口元を微かに緩めた。
「他に望むことは?」
「お前の部下を何人か寄越せ。副官、大隊長として使う」
「分かった」
「出立は明日。南の俺の軍は置いていってやる。せいぜい、上手く使いこなせる奴を引継に回すんだな。俺の兵どもは乱暴者が多い。腰抜けでは、舐められるぞ」
そう言い残して、俺は宰相室を後にした。
南の次はメッサーナ軍か。そして、ロアーヌ。あいつは雪辱を晴らそうとしてくるだろう。さらにシグナス、シーザーという楽しめそうな奴も居る。しかも、全員が若い。
「南方の雄、か」
俺は、鼻で笑っていた。
政治家は身勝手だ。自分の都合で、全てを決めたがる。これはフランツも例外ではない。あいつの世間の評判は大したものだが、所詮は政治家だった。
俺は政治家が嫌いだった。大した力もないくせに、権力を振りかざしてくる。ちょっと脅してやると、小便をちびらせる奴も居た。そして、そういうゴミ虫が俺を南に飛ばしたのだ。俺は腹が立った。真面目に軍務についていたのに、辺境である南に飛ばされたのだ。だから、俺はその鬱憤を晴らすために異民族を殺しまくった。女は略奪し、性欲の吐け口に使った。
いつの間にか、南方の雄というあだ名が付いた。だが、異民族の間では鬼畜と呼ばれている。
しかし、俺は心地よかった。都では全てを真面目にやらなければならなかったが、南ではある程度の暴挙が許されるのだ。殺したい時には異民族の村へ出かければ良いし、精を放ちたいと思ったら女を奪えば良い。
そのせいかどうかは分からないが、俺の兵達はみんな暴れたがりである。悪く言えば横暴なのだが、俺の命令はよく聞く連中だった。そして、俺は兵達を鍛え抜いた。暴れたかったら、強くなれ。そう言い続けて、俺は兵を鍛え抜いたのだ。
強ければ、ある程度の暴挙は許される。南の異民族をひねり潰し続けているせいか、国も何も言って来ない。というより、全ての暴挙が伝わっていないのだろう。南で大活躍する将軍、というイメージが強いのかもしれない。
そんな俺に、国は援軍要請を寄越してきた。城郭都市ピドナを防衛するため、力を貸して欲しい。国はそう言ってきたのだ。
俺はその要請を、快く承諾した。南には正直、飽きていたし、相手はあのメッサーナ軍だったのだ。メッサーナは官軍相手に二連勝中だった。しかも、大軍を少数で打ち破っている精強な軍だ。軍を率いる者ならば、血が騒いで当然である。
そして、剣のロアーヌの騎馬隊だった。
かなり手強かった。最初のぶつかり合いで、それが分かった。まともにやり合えば負けていただろう。だから、頭を潰そうと思った。それはきっとロアーヌも同じで、俺を見つけると、あいつは遮二無二、突き進んできた。
暗器を用いて殺そうと思ったが、首は取れなかった。これは運ではなく、実力である。ロアーヌ自身の実力でもあり、兵達の実力でもある。戦としては勝ったが、真の意味、すなわち首を取るという意味では負けだった。
だが、久々に楽しめた戦だった。俺より強い軍は大将軍配下の五万のみ、と思っていたが、そうではなかったのだ。しかも、それを率いているのは、俺より一回り以上は年下の若い将軍だった。
政庁の宰相室に辿り着いた。
「フランツ様がお待ちしております、どうぞ」
「待たせて悪かったな」
皮肉だった。だが、フランツの従者は大した反応も見せず、ただ頭を下げた。
宰相室に入った。
「急な呼び出し、悪かったな、サウス」
椅子に腰かけたまま、フランツは言った。前に見た時よりも、いくらか老けている。白髪の数は増えているし、口元や目じりに皺が刻み込まれていた。
「宰相さん、俺は忙しいんだ。話は手短に頼む」
フランツは立場としては、俺より上の人間だ。だが、俺は敬語は使わなかった。政治家だからだ。戦で命を賭ける軍人が、政治家より下な訳が無い。
「ピドナが陥落した」
「それは残念だ。だが、俺のせいじゃない。ピドナを守っていたのは、あんたの息が掛かった部下だろう」
「わかっている。それにお前は、メッサーナ軍のロアーヌを打ち破った。このロアーヌの騎馬隊は、メッサーナ軍最強という噂だ」
「あれは確かに強かった。この俺の軍よりもな」
「サウス、都に戻って来ないか?」
フランツの眼が、俺を射抜いてきた。何故か腹が立った。政治家のくせに、良い眼をしている。
「南はどうする。俺が居なくなれば、異民族どもは狂喜するだろう」
「別の抑えを送る。それともお前は、メッサーナよりも南の方が楽しめる、と思っているのか?」
こいつ。俺の心を読んでいる。歳は俺よりフランツの方がいくらか上だが、それの比ではない、まるで父親のような威厳を放っている。
生意気な。政治家の分際で。
「確かに南よりは、メッサーナの相手をする方が楽しめる。だが、都は窮屈すぎる」
「兵の調練が必要なのだ。今の官軍は、あまりにも弱すぎる。数だけの烏合の衆だ」
「ゴミ虫どもがのさばって、優秀な将軍を地方に飛ばしたからだ。地方の軍は、どれも強い」
「サウス、お前に戻って来て貰いたい」
「兵の調練なら、大将軍に頼めば良いだろう。大将軍配下の五万は、この国で、いや、この天下で最強だ」
本当にそう思っていた。噂では、俺の軍は大将軍の軍に匹敵するなどと言われているが、そんな訳が無い。大将軍自身の指揮と、その配下の力が合わさった時、それはこの天下で最強のはずだ。これは、絶対に揺るがない。
「大将軍は、地方の反乱如きでは腰を上げない。それに、もう老齢」
「おい」
俺はフランツの言葉を遮った。
「大将軍が老齢だから何だと言うのだ。お前、老齢だから戦など出来ない、と考えているだろう。もしそれを言葉に出してみろ。すぐに首を飛ばしてやる。政治家ごときが、知った風な口を利くな」
「政治家ごとき、か」
フランツが鼻で笑った。というより、自虐に似た笑い方だ。
「確かに私は政治家だ。だから、軍事には疎い。しかし、メッサーナは叩き潰さねばならん。ピドナが陥落し、領土は拡大する一方なのだ。それに、メッサーナにはロアーヌ以外にも、槍のシグナスや獅子軍のシーザーなどが居る。並の官軍では勝てん」
槍のシグナスと獅子軍のシーザー。この言葉で血が躍った。
南には飽きている。なら、メッサーナ軍と対峙するのも悪くはないか。だが、都では戦の機会は少ない。
「都ではなく、前線に回させろ。それなら、考えてやる」
「戦がしたいか」
「当たり前だろう。俺は軍人だ。それに、槍のシグナスともやり合ってみたい。獅子軍のシーザーともな」
「私が思ったより、ずいぶんと荒々しい男のようだな、サウス」
「南に居たせいで荒々しくなった。女を抱く回数も増えた」
「都の女は美しい女が多いぞ」
「そいつも手配できるのか?」
「まぁ、何人かは」
「五人。妾として使わせろ」
「道具扱いだな」
「俺は女に心を砕くことはせん。精を放つためだけに必要なのだ」
俺がそう言うと、フランツは口元を微かに緩めた。
「他に望むことは?」
「お前の部下を何人か寄越せ。副官、大隊長として使う」
「分かった」
「出立は明日。南の俺の軍は置いていってやる。せいぜい、上手く使いこなせる奴を引継に回すんだな。俺の兵どもは乱暴者が多い。腰抜けでは、舐められるぞ」
そう言い残して、俺は宰相室を後にした。
南の次はメッサーナ軍か。そして、ロアーヌ。あいつは雪辱を晴らそうとしてくるだろう。さらにシグナス、シーザーという楽しめそうな奴も居る。しかも、全員が若い。
「南方の雄、か」
俺は、鼻で笑っていた。