第十章 闘神
監視の目を感じていた。私がシグナス槍兵隊の副官となった頃からだ。おそらく、メッサーナの間諜部隊が動いているのだろう。
初めての事だった。私は今まで、誰にも何も気付かれずに任務をこなしてきたのだ。所が、今回は監視をつけられている。どこかで何かを踏み違えた。要はそういう事で、これにはロアーヌが一枚噛んでいるはずだ。
それでも私は平然としていられた。メッサーナの間諜部隊は、表立って動いているというわけではなく、あくまで監視だけをする、という事に専念しているようだからだ。おそらくだが、メッサーナはまだ何も掴んではいない。そして、私が監視されている事を、シグナスは知らないだろう。
だから、メッサーナのやっている事は無意味だった。いざ、行動を起こす時には、あらかじめ潜ませてある部下の三百名を使う。あとは私が動くだけだった。
シグナス槍兵隊の副官となって、暗殺に必要なものは全て揃った。それはシグナスの妻であるサラからの信頼であったり、他の兵や将軍達からの信頼だったりする。これらは目に見えないものばかりだが、だからこそ必要なものだとも言えた。表の世界の人間は、実よりも絆のようなものを信じる傾向があるのだ。
シグナスは正面から対峙して殺せるものではなかった。第一に、強すぎる。あの強さに比肩しうるのはロアーヌだけだと言うが、私にはシグナスの強さはロアーヌ以上だと思えた。だから、正面から殺すのは不可能だ。表の世界の戦の事はよく知らないが、あの強さでさらに兵が周りに居る事を考えると、討ち取るのは至難の業だろう。強さ以外にも人望などがあって、表で殺すのはとにかく難しい事だと思えた。
しかし、裏ならばそうではない。シグナスの持っている全てのものは、あくまで表の世界でのみ通用するものばかりだ。それは強さも例外ではない。裏の世界は、言ってしまえば何でも有りの世界だ。妻であろうが子であろうが、全てがこちらの武器となり得る。だから、裏でシグナスを殺す事はそんなに難しい事ではない。
自分の手は穢れている。これまでに、拷問などもやってきたのだ。女を男の前で凌辱し、首を刎ねた事もある。当然、情報を吐かせたらすぐに男も殺した。他にも数え切れないほど、自らの手を穢してきた。
だから、シグナスを殺す事も、殺す手段の事も、特別な思いは何も無い。
私はピドナの市を周っていた。当然、この間にも監視は付いている。だが、堂々としていた。
ある出店で買い物をした。買ったものは饅頭で、普通に銭を払った。出店の主人は私の部下である。こんな何気ない動作でも、きちんとした意味があった。
今夜、事を起こす。抜かりなくやれ。そう指示を出したのだ。
シグナス暗殺計画の始動である。まずはサラを餌にする。この餌に息子のレンを加えたかったが、今日はロアーヌの所に行っていた。ロアーヌは私を疑っている。だから、レンだけでも、と思ったのだろうが、無意味な事だ。その程度の事で、私の暗殺計画は狂わない。
それから一時間もすると、ピドナ中が一気に騒がしくなった。三百人の部下が動き出したのだ。騒がしくなった、というのは私の感覚で、表では何ら変化のない普通のピドナである。
メッサーナの間諜部隊は特に変化を見せていなかった。つまり、計画の始動に気付いていない。すでに私の部下はメッサーナの間諜部隊の背後に回っていて、すぐにでも始末できる状態になっているだろう。
私はそのまま、調練場に戻った。
「おう、ナイツ」
シグナスが笑顔で話しかけてくる。この笑顔は、数時間後には消えている。私は、そう思った。
すでに陽は暮れかけていた。本格的に動くのは、完全に陽が落ちてからである。
「ちょうど調練が終わった所だ」
「はい。では、最後に」
兵達の調練を終えた後、私はシグナスと立ち合う。これは日課のようなもので、おかげで私の槍の腕はかなり上がっていた。
一時間ほど、シグナスとやり合った。当然、打ちのめされたが、これが最期か、という思いが強かった。
「よし、では帰るとするか」
軽く息を弾ませながら、シグナスが言った。最初は息を乱させる事すら出来なかった。だが、今は違う。すなわち、それだけ私も強くなったという事だ。
「将軍、今日は飲みませんか?」
私は何気なく言った。
シグナスとはすでに何度か飲んだ事があった。それもシグナスの家でだ。
「別に構わんが。しかし、酒はサラの所のだぞ」
サラの実家は酒屋である。しかし、酒を売っているだけで、飲み屋というわけではなかった。
「当然です。私もあの酒には惚れました」
「サラには惚れるなよ」
「まぁ、それは。第一、入り込む余地がありません」
「それもそうだな」
言って、シグナスは声をあげて笑った。
「よし、なら俺は酒を買って帰ろう。お前は先に家に行っておけ」
「はい」
全てが順調だ。私はそう思った。
調練場を出た。すると、すぐに監視の目を感じた。同時に、部下の気配も感じる。メッサーナの間諜部隊は、それに気付いてはいない。
鈍いな。そう思いながら、シグナスの家に向かった。
「ナイツです、サラさん。いらっしゃいますか」
訪いを入れると、サラはすぐに出てきた。挨拶のつもりで、右手をあげる。
始末しろ。そういう合図だった。すぐにメッサーナの監視の気配が消えた。部下の気配だけが周りに残っている。
「まぁ、ナイツさん」
「こんばんは。実は、シグナス将軍から飲まないか、と言われまして」
「そうだったのですね。でも、今からレンを迎えに行かないと」
レンはロアーヌの所に行っている。本音としては、レンも手中に収めておきたかったが、これは仕方がない。多少の運はどうしても絡むのだ。
「息子さんはロアーヌ将軍の所ですか?」
「えぇ。たまに夫の代わりに面倒をみてくれて、レンも懐いているのですよ」
「そうですか」
「それじゃ、行ってきますね。すぐに戻ってくるので、上がっててください」
「はい。そうします」
笑顔で言いつつ、すれ違った。刹那、サラが物のように倒れ込む。当て身を打ったのだ。
すぐに部下が集まって来た。十名である。他の二百九十名は、タフターン山に潜ませてある。
すなわち、タフターン山がシグナスの墓場だ。
十名が馬を曳いてきた。気絶したサラをそれに乗せ、部下達も馬に跨った。
そうして、私はすぐに酒屋の方に向けて走った。シグナスの歩いている姿を見止める。
「シグナス将軍、家が」
息を切らせながら、私は叫ぶように言った。
「何だ、どうした」
「サ、サラさんが」
その瞬間、シグナスが血相を変えて走りだした。
家の前。十名の部下がこちらを見ている。部下達はシグナスに気絶したサラをわざと見せて、馬で駆け出した。
「貴様らぁっ」
シグナスの怒号。
「将軍、相手は馬です。これで」
シグナスの家から馬を曳いてきた。しかし、駄馬だ。あくまで農耕用の馬で、戦場で駆け回る馬ではない。
「この馬では追い付けん」
「将軍の馬はあの十名が奪ったのでしょう。ともかく、徒歩よりずっとマシです」
舌打ちして、シグナスが馬に飛び乗った。すぐに駆け出していく。
私はその背中を見つつ、自分の馬を曳いてきた。これは戦闘用の馬で、シグナスの駄馬とは比べ物にならない。私はこの馬で大きく迂回して、シグナスの前面に回り込むのだ。
あとは時間との勝負である。ロアーヌが異変に気付くのは間違いないだろう。レンを預かっている。そのレンの親であるシグナスとサラが、いつまで経っても迎えに来ないのだ。
しかし、十分に殺せる時間はある。そう思いつつ、私は馬に跨り、駆け出した。
初めての事だった。私は今まで、誰にも何も気付かれずに任務をこなしてきたのだ。所が、今回は監視をつけられている。どこかで何かを踏み違えた。要はそういう事で、これにはロアーヌが一枚噛んでいるはずだ。
それでも私は平然としていられた。メッサーナの間諜部隊は、表立って動いているというわけではなく、あくまで監視だけをする、という事に専念しているようだからだ。おそらくだが、メッサーナはまだ何も掴んではいない。そして、私が監視されている事を、シグナスは知らないだろう。
だから、メッサーナのやっている事は無意味だった。いざ、行動を起こす時には、あらかじめ潜ませてある部下の三百名を使う。あとは私が動くだけだった。
シグナス槍兵隊の副官となって、暗殺に必要なものは全て揃った。それはシグナスの妻であるサラからの信頼であったり、他の兵や将軍達からの信頼だったりする。これらは目に見えないものばかりだが、だからこそ必要なものだとも言えた。表の世界の人間は、実よりも絆のようなものを信じる傾向があるのだ。
シグナスは正面から対峙して殺せるものではなかった。第一に、強すぎる。あの強さに比肩しうるのはロアーヌだけだと言うが、私にはシグナスの強さはロアーヌ以上だと思えた。だから、正面から殺すのは不可能だ。表の世界の戦の事はよく知らないが、あの強さでさらに兵が周りに居る事を考えると、討ち取るのは至難の業だろう。強さ以外にも人望などがあって、表で殺すのはとにかく難しい事だと思えた。
しかし、裏ならばそうではない。シグナスの持っている全てのものは、あくまで表の世界でのみ通用するものばかりだ。それは強さも例外ではない。裏の世界は、言ってしまえば何でも有りの世界だ。妻であろうが子であろうが、全てがこちらの武器となり得る。だから、裏でシグナスを殺す事はそんなに難しい事ではない。
自分の手は穢れている。これまでに、拷問などもやってきたのだ。女を男の前で凌辱し、首を刎ねた事もある。当然、情報を吐かせたらすぐに男も殺した。他にも数え切れないほど、自らの手を穢してきた。
だから、シグナスを殺す事も、殺す手段の事も、特別な思いは何も無い。
私はピドナの市を周っていた。当然、この間にも監視は付いている。だが、堂々としていた。
ある出店で買い物をした。買ったものは饅頭で、普通に銭を払った。出店の主人は私の部下である。こんな何気ない動作でも、きちんとした意味があった。
今夜、事を起こす。抜かりなくやれ。そう指示を出したのだ。
シグナス暗殺計画の始動である。まずはサラを餌にする。この餌に息子のレンを加えたかったが、今日はロアーヌの所に行っていた。ロアーヌは私を疑っている。だから、レンだけでも、と思ったのだろうが、無意味な事だ。その程度の事で、私の暗殺計画は狂わない。
それから一時間もすると、ピドナ中が一気に騒がしくなった。三百人の部下が動き出したのだ。騒がしくなった、というのは私の感覚で、表では何ら変化のない普通のピドナである。
メッサーナの間諜部隊は特に変化を見せていなかった。つまり、計画の始動に気付いていない。すでに私の部下はメッサーナの間諜部隊の背後に回っていて、すぐにでも始末できる状態になっているだろう。
私はそのまま、調練場に戻った。
「おう、ナイツ」
シグナスが笑顔で話しかけてくる。この笑顔は、数時間後には消えている。私は、そう思った。
すでに陽は暮れかけていた。本格的に動くのは、完全に陽が落ちてからである。
「ちょうど調練が終わった所だ」
「はい。では、最後に」
兵達の調練を終えた後、私はシグナスと立ち合う。これは日課のようなもので、おかげで私の槍の腕はかなり上がっていた。
一時間ほど、シグナスとやり合った。当然、打ちのめされたが、これが最期か、という思いが強かった。
「よし、では帰るとするか」
軽く息を弾ませながら、シグナスが言った。最初は息を乱させる事すら出来なかった。だが、今は違う。すなわち、それだけ私も強くなったという事だ。
「将軍、今日は飲みませんか?」
私は何気なく言った。
シグナスとはすでに何度か飲んだ事があった。それもシグナスの家でだ。
「別に構わんが。しかし、酒はサラの所のだぞ」
サラの実家は酒屋である。しかし、酒を売っているだけで、飲み屋というわけではなかった。
「当然です。私もあの酒には惚れました」
「サラには惚れるなよ」
「まぁ、それは。第一、入り込む余地がありません」
「それもそうだな」
言って、シグナスは声をあげて笑った。
「よし、なら俺は酒を買って帰ろう。お前は先に家に行っておけ」
「はい」
全てが順調だ。私はそう思った。
調練場を出た。すると、すぐに監視の目を感じた。同時に、部下の気配も感じる。メッサーナの間諜部隊は、それに気付いてはいない。
鈍いな。そう思いながら、シグナスの家に向かった。
「ナイツです、サラさん。いらっしゃいますか」
訪いを入れると、サラはすぐに出てきた。挨拶のつもりで、右手をあげる。
始末しろ。そういう合図だった。すぐにメッサーナの監視の気配が消えた。部下の気配だけが周りに残っている。
「まぁ、ナイツさん」
「こんばんは。実は、シグナス将軍から飲まないか、と言われまして」
「そうだったのですね。でも、今からレンを迎えに行かないと」
レンはロアーヌの所に行っている。本音としては、レンも手中に収めておきたかったが、これは仕方がない。多少の運はどうしても絡むのだ。
「息子さんはロアーヌ将軍の所ですか?」
「えぇ。たまに夫の代わりに面倒をみてくれて、レンも懐いているのですよ」
「そうですか」
「それじゃ、行ってきますね。すぐに戻ってくるので、上がっててください」
「はい。そうします」
笑顔で言いつつ、すれ違った。刹那、サラが物のように倒れ込む。当て身を打ったのだ。
すぐに部下が集まって来た。十名である。他の二百九十名は、タフターン山に潜ませてある。
すなわち、タフターン山がシグナスの墓場だ。
十名が馬を曳いてきた。気絶したサラをそれに乗せ、部下達も馬に跨った。
そうして、私はすぐに酒屋の方に向けて走った。シグナスの歩いている姿を見止める。
「シグナス将軍、家が」
息を切らせながら、私は叫ぶように言った。
「何だ、どうした」
「サ、サラさんが」
その瞬間、シグナスが血相を変えて走りだした。
家の前。十名の部下がこちらを見ている。部下達はシグナスに気絶したサラをわざと見せて、馬で駆け出した。
「貴様らぁっ」
シグナスの怒号。
「将軍、相手は馬です。これで」
シグナスの家から馬を曳いてきた。しかし、駄馬だ。あくまで農耕用の馬で、戦場で駆け回る馬ではない。
「この馬では追い付けん」
「将軍の馬はあの十名が奪ったのでしょう。ともかく、徒歩よりずっとマシです」
舌打ちして、シグナスが馬に飛び乗った。すぐに駆け出していく。
私はその背中を見つつ、自分の馬を曳いてきた。これは戦闘用の馬で、シグナスの駄馬とは比べ物にならない。私はこの馬で大きく迂回して、シグナスの前面に回り込むのだ。
あとは時間との勝負である。ロアーヌが異変に気付くのは間違いないだろう。レンを預かっている。そのレンの親であるシグナスとサラが、いつまで経っても迎えに来ないのだ。
しかし、十分に殺せる時間はある。そう思いつつ、私は馬に跨り、駆け出した。
とにかく駆けた。しかし、追い付けない。男どもの馬は軍馬で、俺の馬は農耕用の駄馬だ。だから、追い付けないのは道理だ。そんな事は分かっている。しかしそれでも、心ばかりが焦っていた。
サラが攫われた。何故なのかは分からない。酒を買った帰り道、ナイツが家の異変を知らせてきた。まさか、と思って駆けてみると、十名程の男どもがサラを馬に乗せていたのだ。それは家の前で、まさに攫う現場に出くわした、といった感じだった。そして、当人のサラはぐったりとしていて、意識は無さそうだった。いや、意識が無いだけならばまだ良い。生きているのか、死んでいるのか。それすらも分からなかったのだ。闇夜で視界は利きにくく、遠目でしかサラの姿を確認できなかった。あとはレンだが、今日はロアーヌの所に行っている。だから、レンの心配はしなくても良い。
だが、何故。何でサラが。
「貴様ら、何の狙いがあるっ」
声をあげる。しかし、男どもは振り返る事もせずにただ駆けるばかりだ。
駆けながらも、頭の中の地図でどこを進んでいるのかは分かっていた。方角で言うと、タフターン山の方だ。ロアーヌの遊撃隊と、俺の槍兵隊の合同調練を行う山である。
しかし、何故、タフターン山に。あの山には、賊の住処などは無かったはずだ。というより、ピドナに賊など居ない。他にタフターン山に何かあるとするならば、眺めの良い景色ぐらいなものである。
槍を握り締めた。あの男ども、血祭りにあげてやる。俺の馬が軍馬であれば、一息で追い付き、二呼吸で十人全員を殺してやれる。サラを救える。
「頼む、もっと速く駆けてくれっ」
しかし、すでに馬は荒く息を吐いていた。これ以上、無理に駆けさせると馬が潰れるだろう。
「くそっ」
男どもの背中が遠い。サラは未だにぐったりとしていて、馬上で身体を揺らしていた。
ひとしきり、駆け続けた。男どもは本気で逃げようと思えば、逃げられるはずだ。だが、何故かそれをしようとしない。俺を弄んでいるのか。
頭に血が昇っているのが分かった。槍を持つ右手は熾り(おこり)のように震えている。
タフターン山。見えた。男が山へと消えていく。俺もすぐに駆け込んだ。
瞬間、両脇から矢。かわす。
さらに矢。馬に突き立った。転ぶ。その反動で、俺は地面に投げ出された。受け身を取ると同時に、矢が飛んでくる。すかさず、槍でそれを弾き飛ばした。
物凄い殺気である。それも、気味の悪い殺気だ。剥き出しにしているのではなく、滲み出しているかのような感じだ。しかも、十や二十の数ではない。百、いや、三百か。
「何が狙いだ、貴様らっ」
返事はない。月明かりを木々が消しており、視界は全く利かなかった。殺気だけを頼りに、この場を切り抜けるしかない。サラを救うためには、進むしかないのだ。
瞬間、走った。同時に両脇で土を踏む音が乱舞する。追ってきているのだ。
矢。かわす。さらに矢。刹那、身体が炎のように熱くなった。矢が、遅く見える。
手掴みした。それと同時に、殺気が強くなる。
両脇から四人。飛び掛かってきた。それは本当に飛び掛かって来るといった感じで、四人が頭上から降って来た。
一閃。槍の二振りで四人を撥ね飛ばす。この敵の動き、普通じゃない。身体能力が違う。と言うより、奇襲専門の動き方だ。
さらに両脇から四人。前から二人。降って来る。全員、武器は短剣だ。短剣。つまり、身軽さを重点に置いている。やはり、普通ではない。ましてや、賊などではない。
吼えた。両脇の四人を一閃し、前の二人をほぼ同時に突き殺す。刹那、矢。かわす。
前方。さっきの男どもだ。サラを地面に降ろしている。
駆けた。あと少しでサラに手が届く。
十名の男が四散した。サラに飛び付いた。息がある。ということは、まだ生きているという事だ。
殺気が強くなっていた。気味の悪さも倍増していて、敵はジリジリとにじみよって来ている。
息が切れていた。自分の呼吸の音を聞いて、僅かだが冷静になっていくのが分かった。三百という人数を相手に、闘えるのか。そういう思考が頭の中を駆け巡る。
「俺は槍のシグナスだっ」
吼えた。吼えて、現状を何とか打破したいと思った。
剣のロアーヌが居れば。そう思った。だが、その思いはすぐに吹っ切った。殺気が動いたのだ。全方位。囲まれている。
やれるのか。サラを守りながら、やれるのか。いや、やるしかない。
殺気が弾け飛ぶ。
「来やがれっ」
もう何人来たのか分からなかった。同時に、全方位から敵が飛び掛かって来たのだ。
感覚を研ぎ澄ます。刃の冷たさを感覚で感じ取り、僅かな体温をかすめ取る。
槍の一閃。突き出す。払う。振り上げる。何度、この動きを繰り返したのか。
気付くと、飛び掛かって来た全員が死体になっていた。
だが、体力と精神力を激しく消耗していた。視界が利かないせいだ。それだけじゃなく、この敵達は単純に強い。こういう場での戦闘に慣れている。いや、慣れ過ぎている。
全身が汗で濡れていた。それだけ動き、それだけ敵を殺したのだ。しかし、殺気の数は減っていない。それ所か、さらに倍増されている。
「どうなってる。貴様ら、正規軍じゃないな。暗殺を得手としている部隊、闇の軍だろう」
「その通りですよ、将軍」
聞き覚えのある声だった。
「ここがあなたの墓場です。槍のシグナス」
声の主が姿を現す。馬鹿な。
「ナイツ、お前」
「もう何も言う事はないでしょう。そういう事なのですよ」
何がどうなっている。
「しかし、さすがだ。やはり、闇夜でも普通に戦ったのでは勝ち目がないですね。本当に将軍は強い。強すぎる」
その刹那、矢が無数に飛んできた。しかし、狙いは俺じゃない。
「サラっ」
すぐさま身を挺した。槍を風車のように回して、矢を弾き飛ばす。瞬間、身体が後ろに持っていかれた。同時に右肩に激痛。何とか踏みとどまる。
矢が突き立っていた。防ぎきれなかった。
「ちぃっ」
額には大粒の汗が浮かんでいた。
サラが攫われた。何故なのかは分からない。酒を買った帰り道、ナイツが家の異変を知らせてきた。まさか、と思って駆けてみると、十名程の男どもがサラを馬に乗せていたのだ。それは家の前で、まさに攫う現場に出くわした、といった感じだった。そして、当人のサラはぐったりとしていて、意識は無さそうだった。いや、意識が無いだけならばまだ良い。生きているのか、死んでいるのか。それすらも分からなかったのだ。闇夜で視界は利きにくく、遠目でしかサラの姿を確認できなかった。あとはレンだが、今日はロアーヌの所に行っている。だから、レンの心配はしなくても良い。
だが、何故。何でサラが。
「貴様ら、何の狙いがあるっ」
声をあげる。しかし、男どもは振り返る事もせずにただ駆けるばかりだ。
駆けながらも、頭の中の地図でどこを進んでいるのかは分かっていた。方角で言うと、タフターン山の方だ。ロアーヌの遊撃隊と、俺の槍兵隊の合同調練を行う山である。
しかし、何故、タフターン山に。あの山には、賊の住処などは無かったはずだ。というより、ピドナに賊など居ない。他にタフターン山に何かあるとするならば、眺めの良い景色ぐらいなものである。
槍を握り締めた。あの男ども、血祭りにあげてやる。俺の馬が軍馬であれば、一息で追い付き、二呼吸で十人全員を殺してやれる。サラを救える。
「頼む、もっと速く駆けてくれっ」
しかし、すでに馬は荒く息を吐いていた。これ以上、無理に駆けさせると馬が潰れるだろう。
「くそっ」
男どもの背中が遠い。サラは未だにぐったりとしていて、馬上で身体を揺らしていた。
ひとしきり、駆け続けた。男どもは本気で逃げようと思えば、逃げられるはずだ。だが、何故かそれをしようとしない。俺を弄んでいるのか。
頭に血が昇っているのが分かった。槍を持つ右手は熾り(おこり)のように震えている。
タフターン山。見えた。男が山へと消えていく。俺もすぐに駆け込んだ。
瞬間、両脇から矢。かわす。
さらに矢。馬に突き立った。転ぶ。その反動で、俺は地面に投げ出された。受け身を取ると同時に、矢が飛んでくる。すかさず、槍でそれを弾き飛ばした。
物凄い殺気である。それも、気味の悪い殺気だ。剥き出しにしているのではなく、滲み出しているかのような感じだ。しかも、十や二十の数ではない。百、いや、三百か。
「何が狙いだ、貴様らっ」
返事はない。月明かりを木々が消しており、視界は全く利かなかった。殺気だけを頼りに、この場を切り抜けるしかない。サラを救うためには、進むしかないのだ。
瞬間、走った。同時に両脇で土を踏む音が乱舞する。追ってきているのだ。
矢。かわす。さらに矢。刹那、身体が炎のように熱くなった。矢が、遅く見える。
手掴みした。それと同時に、殺気が強くなる。
両脇から四人。飛び掛かってきた。それは本当に飛び掛かって来るといった感じで、四人が頭上から降って来た。
一閃。槍の二振りで四人を撥ね飛ばす。この敵の動き、普通じゃない。身体能力が違う。と言うより、奇襲専門の動き方だ。
さらに両脇から四人。前から二人。降って来る。全員、武器は短剣だ。短剣。つまり、身軽さを重点に置いている。やはり、普通ではない。ましてや、賊などではない。
吼えた。両脇の四人を一閃し、前の二人をほぼ同時に突き殺す。刹那、矢。かわす。
前方。さっきの男どもだ。サラを地面に降ろしている。
駆けた。あと少しでサラに手が届く。
十名の男が四散した。サラに飛び付いた。息がある。ということは、まだ生きているという事だ。
殺気が強くなっていた。気味の悪さも倍増していて、敵はジリジリとにじみよって来ている。
息が切れていた。自分の呼吸の音を聞いて、僅かだが冷静になっていくのが分かった。三百という人数を相手に、闘えるのか。そういう思考が頭の中を駆け巡る。
「俺は槍のシグナスだっ」
吼えた。吼えて、現状を何とか打破したいと思った。
剣のロアーヌが居れば。そう思った。だが、その思いはすぐに吹っ切った。殺気が動いたのだ。全方位。囲まれている。
やれるのか。サラを守りながら、やれるのか。いや、やるしかない。
殺気が弾け飛ぶ。
「来やがれっ」
もう何人来たのか分からなかった。同時に、全方位から敵が飛び掛かって来たのだ。
感覚を研ぎ澄ます。刃の冷たさを感覚で感じ取り、僅かな体温をかすめ取る。
槍の一閃。突き出す。払う。振り上げる。何度、この動きを繰り返したのか。
気付くと、飛び掛かって来た全員が死体になっていた。
だが、体力と精神力を激しく消耗していた。視界が利かないせいだ。それだけじゃなく、この敵達は単純に強い。こういう場での戦闘に慣れている。いや、慣れ過ぎている。
全身が汗で濡れていた。それだけ動き、それだけ敵を殺したのだ。しかし、殺気の数は減っていない。それ所か、さらに倍増されている。
「どうなってる。貴様ら、正規軍じゃないな。暗殺を得手としている部隊、闇の軍だろう」
「その通りですよ、将軍」
聞き覚えのある声だった。
「ここがあなたの墓場です。槍のシグナス」
声の主が姿を現す。馬鹿な。
「ナイツ、お前」
「もう何も言う事はないでしょう。そういう事なのですよ」
何がどうなっている。
「しかし、さすがだ。やはり、闇夜でも普通に戦ったのでは勝ち目がないですね。本当に将軍は強い。強すぎる」
その刹那、矢が無数に飛んできた。しかし、狙いは俺じゃない。
「サラっ」
すぐさま身を挺した。槍を風車のように回して、矢を弾き飛ばす。瞬間、身体が後ろに持っていかれた。同時に右肩に激痛。何とか踏みとどまる。
矢が突き立っていた。防ぎきれなかった。
「ちぃっ」
額には大粒の汗が浮かんでいた。
レンが、木の棒を懸命に振り回していた。まだ足元はおぼつか無いようで、棒を一振りすると身体がよろけている。
「やり、やり」
「それは槍ではない。木の棒だ」
俺がそう言うと、レンは再び無邪気に棒を振り始めた。
外に目をやった。
闇夜だ。街の方では、まだ灯りがともってはいるが、すでに時刻は宵を過ぎている。
俺は、街から妙なざわつきを感じていた。今日、何かが起こる。それもシグナス絡みでだ。はっきり言って、確証などは無い。だが、予感だけは強くあった。これは武人としての勘で、殺気を感じ取った事に似ていた。
それで俺は、シグナスの家に行ってレンを借りてきたのだ。これは別に珍しい事ではない。これまでに何度も、俺はレンと遊んでやった事があるのだ。
最善としては、俺がシグナスの家に居る事が望ましかった。しかし、それはやめておいた。何かが起こるのならば、全ての事が出来る限りいつも通りでなければならない。俺が今回、妙なざわつきを感じ取れた事は、何らかの天命だと思えた。次は感じ取る事すらも出来ないかもしれない。だから、俺はここであえて何かを起こそう、と判断したのだ。
そして、レンを俺の側に置いておけば、異変を察知しやすくなる。何故なら、何もなければ、シグナスかサラがレンを引き取りにやってくるはずだからだ。
一時間ほどが経った。レンは遊び疲れたのか、大人しくなっている。だが、シグナスもサラもやってくる気配はない。
立ち上がった。傍に立てかけてある剣を腰に佩く。
「ランド、居るか」
声をあげた。ランドは俺の従者である。ランドは無口な所があるが、仕事はきちんとこなす男だった。俺との付き合いも長い。
「お呼びでしょうか」
「あぁ。シグナスを探してくる」
「わかりました。レン様は?」
「シーザーかクリスの所に連れて行け。それと俺の部下を護衛につけろ」
レンが危険に晒される。これだけは絶対に食い止めなければならない。
「承知しました」
「頼んだぞ」
言って、家を出た。そして、すぐに馬に乗った。とりあえず、シグナスの家に向かう。
何も起こっていない、という事はもう考えられなかった。何かが起きている。それも悪い事だ。
俺の中の何かが、ナイツは信用するな、と言っていた。だから、俺はヨハンに相談して、ナイツに監視をつけたのだ。しかし、それで全てが万全だったと言えるのか。もし、ナイツが監視の目をかいくぐっていたら。
焦燥感が全身を支配していた。
「急がなければ」
馬腹を蹴る。疾駆させた。
シグナスの家。明るいままだ。だが、人の気配が無い。
「馬鹿な」
玄関の戸が、開いたままだった。家の中の様子を窺うと、やはり誰も居ない。何か妙な痕跡は無いか。外に出て、闇夜の中で目をこらす。
その瞬間、何かが身体を貫いた。シグナスの鋭気。
「呼んでいる」
馬に飛び乗った。
シグナスが俺を呼んでいる。地面に目をこらした。馬の蹄の跡がある。それはずっと続いていて、タフターン山の方に向かっているようだ。
すぐに駆け出した。
「あいつ、何で一人で」
何故、誰にも何も言わずに行ったのか。無論、シグナスがタフターン山に居る証拠はない。だが、シグナスは居る。これは確信だ。
一人で行ったという事は、何か急ぐ理由があったという事だ。ならば、サラの身に何かあったのか。もしくは、何かがあった現場に出くわしたのかもしれない。どの道、急いだ方が良い。
暗殺。不意に、これが頭の中を過った。
もし、国がシグナス一人に狙いを絞り、暗殺を企てていたとしたら。仮にそうだとしたら、俺やヨハンの見解はかなり甘かったという事になる。俺達はあくまで、離間の計に的を絞っていたからだ。
いや、ヨハンなら暗殺にも目を配っていたはずだ。だが、それすらも凌がれたとしたら。もっと言えば、メッサーナの間諜部隊を遥かに凌ぐ闇の部隊を、国が擁していたら。
事態は、かなり重くなっている。もしかしたら、間に合わないかもしれない。そう考えた時、息が乱れた。身体の内側が、不快にざわついている。
馬を疾駆させた。疾駆させながら、麾下だけでも一緒に連れて来れば良かったかもしれない、と思った。シグナス暗殺が本当に行われているとしたら、軍を連れてきた方が良い。だが、時間はない。だから、俺一人だけでも。
タフターン山が見えた。山全体が、殺気に覆われている。強すぎる殺気だ。戦場ですら、こんな殺気は感じられない。
嫌な予感が強くなった。
山に駆け込む。戦闘の形跡。やはり、シグナスはここに居る。ちょっと進むと、死体が散乱していた。全員、覆面に黒装束で、闇夜に紛れて動くのに適している外装だ。武器は短剣で、これも動きやすさを重視している。
「やはり」
闇の軍。国は闇を専門にする軍を擁していた。それも、メッサーナのような間諜のみを行う温い軍じゃない。きちんと戦闘をこなし、本格的に人の命を闇夜に葬る事ができる軍を、国は擁している。
「シグナスっ」
叫んだ。殺気はずっと先にあって、シグナスの鋭気もそこにある。
闘っているのか。たった独りで、闇の軍を相手に。
槍のシグナスならば、切り抜けられるはずだ。当然、この思いはあった。あいつは、天下無敵、天下最強の槍使いなのだ。だから、戦闘で死ぬはずがない。
だが、この胸騒ぎはなんだ。
「死ぬなよ。俺が行くまで、死ぬなよ」
呟く。俺は、馬腹を蹴り続けた。
「やり、やり」
「それは槍ではない。木の棒だ」
俺がそう言うと、レンは再び無邪気に棒を振り始めた。
外に目をやった。
闇夜だ。街の方では、まだ灯りがともってはいるが、すでに時刻は宵を過ぎている。
俺は、街から妙なざわつきを感じていた。今日、何かが起こる。それもシグナス絡みでだ。はっきり言って、確証などは無い。だが、予感だけは強くあった。これは武人としての勘で、殺気を感じ取った事に似ていた。
それで俺は、シグナスの家に行ってレンを借りてきたのだ。これは別に珍しい事ではない。これまでに何度も、俺はレンと遊んでやった事があるのだ。
最善としては、俺がシグナスの家に居る事が望ましかった。しかし、それはやめておいた。何かが起こるのならば、全ての事が出来る限りいつも通りでなければならない。俺が今回、妙なざわつきを感じ取れた事は、何らかの天命だと思えた。次は感じ取る事すらも出来ないかもしれない。だから、俺はここであえて何かを起こそう、と判断したのだ。
そして、レンを俺の側に置いておけば、異変を察知しやすくなる。何故なら、何もなければ、シグナスかサラがレンを引き取りにやってくるはずだからだ。
一時間ほどが経った。レンは遊び疲れたのか、大人しくなっている。だが、シグナスもサラもやってくる気配はない。
立ち上がった。傍に立てかけてある剣を腰に佩く。
「ランド、居るか」
声をあげた。ランドは俺の従者である。ランドは無口な所があるが、仕事はきちんとこなす男だった。俺との付き合いも長い。
「お呼びでしょうか」
「あぁ。シグナスを探してくる」
「わかりました。レン様は?」
「シーザーかクリスの所に連れて行け。それと俺の部下を護衛につけろ」
レンが危険に晒される。これだけは絶対に食い止めなければならない。
「承知しました」
「頼んだぞ」
言って、家を出た。そして、すぐに馬に乗った。とりあえず、シグナスの家に向かう。
何も起こっていない、という事はもう考えられなかった。何かが起きている。それも悪い事だ。
俺の中の何かが、ナイツは信用するな、と言っていた。だから、俺はヨハンに相談して、ナイツに監視をつけたのだ。しかし、それで全てが万全だったと言えるのか。もし、ナイツが監視の目をかいくぐっていたら。
焦燥感が全身を支配していた。
「急がなければ」
馬腹を蹴る。疾駆させた。
シグナスの家。明るいままだ。だが、人の気配が無い。
「馬鹿な」
玄関の戸が、開いたままだった。家の中の様子を窺うと、やはり誰も居ない。何か妙な痕跡は無いか。外に出て、闇夜の中で目をこらす。
その瞬間、何かが身体を貫いた。シグナスの鋭気。
「呼んでいる」
馬に飛び乗った。
シグナスが俺を呼んでいる。地面に目をこらした。馬の蹄の跡がある。それはずっと続いていて、タフターン山の方に向かっているようだ。
すぐに駆け出した。
「あいつ、何で一人で」
何故、誰にも何も言わずに行ったのか。無論、シグナスがタフターン山に居る証拠はない。だが、シグナスは居る。これは確信だ。
一人で行ったという事は、何か急ぐ理由があったという事だ。ならば、サラの身に何かあったのか。もしくは、何かがあった現場に出くわしたのかもしれない。どの道、急いだ方が良い。
暗殺。不意に、これが頭の中を過った。
もし、国がシグナス一人に狙いを絞り、暗殺を企てていたとしたら。仮にそうだとしたら、俺やヨハンの見解はかなり甘かったという事になる。俺達はあくまで、離間の計に的を絞っていたからだ。
いや、ヨハンなら暗殺にも目を配っていたはずだ。だが、それすらも凌がれたとしたら。もっと言えば、メッサーナの間諜部隊を遥かに凌ぐ闇の部隊を、国が擁していたら。
事態は、かなり重くなっている。もしかしたら、間に合わないかもしれない。そう考えた時、息が乱れた。身体の内側が、不快にざわついている。
馬を疾駆させた。疾駆させながら、麾下だけでも一緒に連れて来れば良かったかもしれない、と思った。シグナス暗殺が本当に行われているとしたら、軍を連れてきた方が良い。だが、時間はない。だから、俺一人だけでも。
タフターン山が見えた。山全体が、殺気に覆われている。強すぎる殺気だ。戦場ですら、こんな殺気は感じられない。
嫌な予感が強くなった。
山に駆け込む。戦闘の形跡。やはり、シグナスはここに居る。ちょっと進むと、死体が散乱していた。全員、覆面に黒装束で、闇夜に紛れて動くのに適している外装だ。武器は短剣で、これも動きやすさを重視している。
「やはり」
闇の軍。国は闇を専門にする軍を擁していた。それも、メッサーナのような間諜のみを行う温い軍じゃない。きちんと戦闘をこなし、本格的に人の命を闇夜に葬る事ができる軍を、国は擁している。
「シグナスっ」
叫んだ。殺気はずっと先にあって、シグナスの鋭気もそこにある。
闘っているのか。たった独りで、闇の軍を相手に。
槍のシグナスならば、切り抜けられるはずだ。当然、この思いはあった。あいつは、天下無敵、天下最強の槍使いなのだ。だから、戦闘で死ぬはずがない。
だが、この胸騒ぎはなんだ。
「死ぬなよ。俺が行くまで、死ぬなよ」
呟く。俺は、馬腹を蹴り続けた。
右肩に突き刺さった矢は抜かなかった。抜くと、血が流れる。この状況で血を失うという事は、命を失う事に等しい。だから、矢じりだけを残して、俺は矢をへし折った。
「まずは右肩。私も将軍を簡単に殺せるとは考えていません。まずは四肢を奪います。それから、命」
ナイツが言った。声は小さく、よく耳を傾けていないと何を喋っているのか分からない。俺の知っているナイツは、ハキハキと喋る快活な男だった。だから、今喋っている男はナイツではない。
ならば、この男は誰なのだ。姿形はナイツそのものだ。だが、この男が発している殺気、全身からにじみ出ている武術の気は、ナイツのものじゃない。
息が切れていた。何なんだ。一体、何がどうなっているのだ。ただ、分かっている事は、俺とサラが殺されかかっているという事だけだ。それも闇の軍に。
「お前は一体、誰なんだ」
言っていた。俺の後ろで、サラの静かな呼吸が聞こえている。サラは、無事だ。俺が守っている。だから、まだ、かすり傷一つさえも負っていないはずだ。
「私はナイツですよ」
「違う。お前はナイツではない。誰なんだ」
「ナイツです。というより、少し前までナイツでした」
「どういう意味だ」
「私が誰であるかなど、もうどうでも良いでしょう、将軍? 要はあなたを消したがっている人間が居るのですよ。そして、私はあなたを消すためにここに居る」
「俺を殺して何の意味が」
「あなたは自分の価値を存じていない。あなたは人を惹きつける。いや、それだけではなく、勇気を与える。希望を与える。すなわち、稀に見る英傑。それが将軍、あなたなんですよ」
言っている意味が分からなかった。何の話をしている。そうも思った。
「あなたは表の人間すぎる。影という影がない。もっと言えば、人間的欠陥がない。欠点であろうものも、大多数の人間からしてみれば、魅力の一つとして認識される。あなたはそういう人間なのですよ。そして何より、強すぎる」
「何の話だ。何を言っている?」
「このまま生かしておくには危険すぎる。だから、殺します」
言うと同時に、ナイツが右手をあげた。
刹那、木の幹から無数の殺気が溢れ出す。ほぼ同時に、殺気が動いた。敵が襲いかかって来る。全方位。
もう何も考えなかった。槍だけに全てを込めた。命すらも、込めた。
右肩に激痛。奥歯を噛みしめる。
「俺は、ここで果てるわけにはいかんっ」
家族が居る。友が居る。部下が居る。君主が居て、大志を抱いている。俺には、守るものが多くある。俺が死んだら、これらを誰が守るというのだ。
短剣。かわす。槍。真っ直ぐに、突き出した。風の音。敵の身体が螺旋状にねじ曲がり、吹き飛ぶ。
「なんという」
ナイツの呻き声。俺は、槍のシグナスだ。こんな所で、死んでたまるか。死ぬには、まだ早すぎる。
シグナスの槍は、尋常では無かった。私の部下達が、シグナスに近付く度に死んでいくのだ。それも、死に方が異常である。身体が螺旋状にねじ曲がっているのだ。シグナスの槍には気が漲っている。いや、命が漲っている。
左手をあげた。矢を射込ませる合図だ。このまま接近戦を展開させるのは上策ではない。
矢が、無数に射込まれた。しかし、シグナスはその全てを弾き返している。
狙いをサラに変えた。シグナスが身を挺す。それと同時に、私は右手をあげた。接近戦の合図。部下が一斉に飛び込むも、その全てが螺旋状に捻じ曲げられ、肉塊となった。
何なのだ、この男は。無敵か。それとも、伝説の闘神とでもいうのか。どうやったら、殺せるのだ。
冷静さを欠いている。私はそれに気付き、一度だけ小さく息を吐いた。
シグナスとて、人だ。だから、体力には限界があるはずだ。それにこちらにはサラが居る。サラはギリギリまで生かしておかなければならない。何故なら、サラはシグナスの枷なのだ。殺してしまえば、シグナスは野に放たれた虎になってしまう。
サラを上手く使う事だ。そして、私自身が動く。
「将軍、槍の稽古、ありがとうございました」
言って、走った。徒手空拳。私が極めた武術。
シグナスの眼。澄み切っている。槍の間合い。来るか。そう思うと同時に、わき腹を抉られた。というより、削り取られたような感覚だった。刃は触れていない。シグナスの気が、命が、私のわき腹を削り取ったのだ。
「ナイツっ」
「将軍、あなたは言いましたよね。戦場で武器を無くすのは、死と同じだと」
槍。かわす。しかし、気で身体の一部を削り取られた。それでも、構わず間合いに入る。
「それは間違いです。今から、私がそれを証明してみせます」
槍の柄を掻い潜る。拳。突き出す。よけられた。石突きが飛んでくる。それを掠めるようにかわし、回し蹴りを放った。同時に矢。狙いはサラだ。部下は私の呼吸を知っている。ここぞという時に、矢を放った。
刹那、金属音。シグナスは、槍で矢を弾き、私の回し蹴りを左腕で受けていた。
化け物め。普通なら、この回し蹴りで絶命する。それをシグナスは左腕で受けた。だが、その時の感触を、私はしっかりと感じ取っていた。
「左腕の骨を砕いた。これで、あなたは右腕しか使えない」
左手で矢を手掴みし、槍で蹴りを受けられていたら、立場は逆だっただろう。今のシグナスの槍は、それ自体が凶器なのだ。たとえ柄でも、槍で受けられていれば、私の脚など引き千切られていたかもしれない。
しかし、結果はシグナスの左腕を奪う事になった。残るは右腕と両脚。その中の右腕は、肩に矢が突き刺さっている。
運は、こちらにある。
もう、何もかもが限界だった。ただ、死ねない。守り抜く。この想いだけで、立っている。糸が張り詰めていた。命の糸。気力の糸。体力の糸。何かの拍子で、これらの糸は断ち切られてしまうかもしれない。しかしそれでも、俺はまだ立っている。闘っている。
ナイツの武は驚嘆に値した。なんと、武器が無いのである。己の身体そのものを武器とし、それも動きが一流である。シーザーぐらいなら、小細工なしでも殺せるだろう。俺も、一対一で、正々堂々とやってみたい。そう思うほどだった。
しかし、今の状況。
「正々堂々もクソもないか」
瞬間、ナイツの拳。かわす。槍を突き出す。だが、それもかわされた。徒手空拳と槍の間合いは違い過ぎるほどに違う。槍の間合いで闘いたいのが本音だが、サラが居た。サラから離れるわけにはいかない。ならば、あとは何とかして槍の間合いまでナイツを押し出すしかないが、押し出せる肝心要の機に矢が飛んでくる。つまり、ナイツと闇の軍が連携を取っているのだ。
拳の間合いに詰め寄られる前にナイツを殺せなかったのが、痛い。あれが最初で最後の機会だった。あの時、絶え間なく続く矢のけん制さえ無ければ、ナイツは殺せたはずだった。
だが、全ては終わった事だった。
刹那、右脚に何かが入った。視線を落とす。矢だった。
「もう、痛覚さえ無いのかよ」
笑みがこぼれていた。本当に、もう駄目かもしれん。そう思ったが、気力を振り絞った。まだ、俺は死ぬわけにはいかない。守るべきものがある。
その刹那、馬蹄が聞こえた。一つのものか、複数のものかはわからない。だが、軍馬の馬蹄だ。
ロアーヌか。ロアーヌなのか。いや、ロアーヌであってくれ。槍を振り回しながら、視線を向けた。
敵の、騎兵だった。複数居る。
「念には念を入れます。あなたは強すぎる。矢、私の武術、そして騎兵。この三連携で、あなたを殺す」
気が、滅入りそうになると同時に、憤怒が全身からこみ上げてくるのが分かった。
「まずは右肩。私も将軍を簡単に殺せるとは考えていません。まずは四肢を奪います。それから、命」
ナイツが言った。声は小さく、よく耳を傾けていないと何を喋っているのか分からない。俺の知っているナイツは、ハキハキと喋る快活な男だった。だから、今喋っている男はナイツではない。
ならば、この男は誰なのだ。姿形はナイツそのものだ。だが、この男が発している殺気、全身からにじみ出ている武術の気は、ナイツのものじゃない。
息が切れていた。何なんだ。一体、何がどうなっているのだ。ただ、分かっている事は、俺とサラが殺されかかっているという事だけだ。それも闇の軍に。
「お前は一体、誰なんだ」
言っていた。俺の後ろで、サラの静かな呼吸が聞こえている。サラは、無事だ。俺が守っている。だから、まだ、かすり傷一つさえも負っていないはずだ。
「私はナイツですよ」
「違う。お前はナイツではない。誰なんだ」
「ナイツです。というより、少し前までナイツでした」
「どういう意味だ」
「私が誰であるかなど、もうどうでも良いでしょう、将軍? 要はあなたを消したがっている人間が居るのですよ。そして、私はあなたを消すためにここに居る」
「俺を殺して何の意味が」
「あなたは自分の価値を存じていない。あなたは人を惹きつける。いや、それだけではなく、勇気を与える。希望を与える。すなわち、稀に見る英傑。それが将軍、あなたなんですよ」
言っている意味が分からなかった。何の話をしている。そうも思った。
「あなたは表の人間すぎる。影という影がない。もっと言えば、人間的欠陥がない。欠点であろうものも、大多数の人間からしてみれば、魅力の一つとして認識される。あなたはそういう人間なのですよ。そして何より、強すぎる」
「何の話だ。何を言っている?」
「このまま生かしておくには危険すぎる。だから、殺します」
言うと同時に、ナイツが右手をあげた。
刹那、木の幹から無数の殺気が溢れ出す。ほぼ同時に、殺気が動いた。敵が襲いかかって来る。全方位。
もう何も考えなかった。槍だけに全てを込めた。命すらも、込めた。
右肩に激痛。奥歯を噛みしめる。
「俺は、ここで果てるわけにはいかんっ」
家族が居る。友が居る。部下が居る。君主が居て、大志を抱いている。俺には、守るものが多くある。俺が死んだら、これらを誰が守るというのだ。
短剣。かわす。槍。真っ直ぐに、突き出した。風の音。敵の身体が螺旋状にねじ曲がり、吹き飛ぶ。
「なんという」
ナイツの呻き声。俺は、槍のシグナスだ。こんな所で、死んでたまるか。死ぬには、まだ早すぎる。
シグナスの槍は、尋常では無かった。私の部下達が、シグナスに近付く度に死んでいくのだ。それも、死に方が異常である。身体が螺旋状にねじ曲がっているのだ。シグナスの槍には気が漲っている。いや、命が漲っている。
左手をあげた。矢を射込ませる合図だ。このまま接近戦を展開させるのは上策ではない。
矢が、無数に射込まれた。しかし、シグナスはその全てを弾き返している。
狙いをサラに変えた。シグナスが身を挺す。それと同時に、私は右手をあげた。接近戦の合図。部下が一斉に飛び込むも、その全てが螺旋状に捻じ曲げられ、肉塊となった。
何なのだ、この男は。無敵か。それとも、伝説の闘神とでもいうのか。どうやったら、殺せるのだ。
冷静さを欠いている。私はそれに気付き、一度だけ小さく息を吐いた。
シグナスとて、人だ。だから、体力には限界があるはずだ。それにこちらにはサラが居る。サラはギリギリまで生かしておかなければならない。何故なら、サラはシグナスの枷なのだ。殺してしまえば、シグナスは野に放たれた虎になってしまう。
サラを上手く使う事だ。そして、私自身が動く。
「将軍、槍の稽古、ありがとうございました」
言って、走った。徒手空拳。私が極めた武術。
シグナスの眼。澄み切っている。槍の間合い。来るか。そう思うと同時に、わき腹を抉られた。というより、削り取られたような感覚だった。刃は触れていない。シグナスの気が、命が、私のわき腹を削り取ったのだ。
「ナイツっ」
「将軍、あなたは言いましたよね。戦場で武器を無くすのは、死と同じだと」
槍。かわす。しかし、気で身体の一部を削り取られた。それでも、構わず間合いに入る。
「それは間違いです。今から、私がそれを証明してみせます」
槍の柄を掻い潜る。拳。突き出す。よけられた。石突きが飛んでくる。それを掠めるようにかわし、回し蹴りを放った。同時に矢。狙いはサラだ。部下は私の呼吸を知っている。ここぞという時に、矢を放った。
刹那、金属音。シグナスは、槍で矢を弾き、私の回し蹴りを左腕で受けていた。
化け物め。普通なら、この回し蹴りで絶命する。それをシグナスは左腕で受けた。だが、その時の感触を、私はしっかりと感じ取っていた。
「左腕の骨を砕いた。これで、あなたは右腕しか使えない」
左手で矢を手掴みし、槍で蹴りを受けられていたら、立場は逆だっただろう。今のシグナスの槍は、それ自体が凶器なのだ。たとえ柄でも、槍で受けられていれば、私の脚など引き千切られていたかもしれない。
しかし、結果はシグナスの左腕を奪う事になった。残るは右腕と両脚。その中の右腕は、肩に矢が突き刺さっている。
運は、こちらにある。
もう、何もかもが限界だった。ただ、死ねない。守り抜く。この想いだけで、立っている。糸が張り詰めていた。命の糸。気力の糸。体力の糸。何かの拍子で、これらの糸は断ち切られてしまうかもしれない。しかしそれでも、俺はまだ立っている。闘っている。
ナイツの武は驚嘆に値した。なんと、武器が無いのである。己の身体そのものを武器とし、それも動きが一流である。シーザーぐらいなら、小細工なしでも殺せるだろう。俺も、一対一で、正々堂々とやってみたい。そう思うほどだった。
しかし、今の状況。
「正々堂々もクソもないか」
瞬間、ナイツの拳。かわす。槍を突き出す。だが、それもかわされた。徒手空拳と槍の間合いは違い過ぎるほどに違う。槍の間合いで闘いたいのが本音だが、サラが居た。サラから離れるわけにはいかない。ならば、あとは何とかして槍の間合いまでナイツを押し出すしかないが、押し出せる肝心要の機に矢が飛んでくる。つまり、ナイツと闇の軍が連携を取っているのだ。
拳の間合いに詰め寄られる前にナイツを殺せなかったのが、痛い。あれが最初で最後の機会だった。あの時、絶え間なく続く矢のけん制さえ無ければ、ナイツは殺せたはずだった。
だが、全ては終わった事だった。
刹那、右脚に何かが入った。視線を落とす。矢だった。
「もう、痛覚さえ無いのかよ」
笑みがこぼれていた。本当に、もう駄目かもしれん。そう思ったが、気力を振り絞った。まだ、俺は死ぬわけにはいかない。守るべきものがある。
その刹那、馬蹄が聞こえた。一つのものか、複数のものかはわからない。だが、軍馬の馬蹄だ。
ロアーヌか。ロアーヌなのか。いや、ロアーヌであってくれ。槍を振り回しながら、視線を向けた。
敵の、騎兵だった。複数居る。
「念には念を入れます。あなたは強すぎる。矢、私の武術、そして騎兵。この三連携で、あなたを殺す」
気が、滅入りそうになると同時に、憤怒が全身からこみ上げてくるのが分かった。
そうまでして、そうまでして俺を殺したいのか。何故とは思わなかった。とにかく、俺を殺したい奴が目の前に居る。しかし、俺は殺される訳にはいかない。サラが居る。レンが居る。
俺は、志を抱いてここまで来た。その俺を、理不尽に殺そうというのか。そんな事が、許されると思っているのか。
「俺はここで果てるわけにはいかん。生きて、ピドナに帰る。レンの奴に、槍の稽古をしてやらねばならんからな」
レンには武人の道を歩ませたくなかった。だが、この世は乱世だ。自分の身は自分で守らなければ、生きてはいけない。それに、レンは男だ。男なら、強くなる必要がある。
「まだ、レンには俺の槍を見せていねぇ」
左腕と右脚は使えない。だが、まだ右腕と左脚がある。これだけあれば、十分だ。俺は槍のシグナス。天下最強の槍使い。
「俺は生きるぞっ」
吼えた。
矢の乱舞。右腕一本で槍を振り回し、それを全て弾いた。脇から殺気。ナイツだ。
「化け物め」
拳。かわす。さらに回し蹴り。石突きで受けた。瞬間、乾いた音が炸裂する。ナイツの右脚が、変な方向に曲がっていた。叩き折った。槍に気を込めれば、人体の破壊など刃でなくとも出来る。俺の槍を、いや、俺の生命をなめるな。
瞬間、馬蹄。騎兵が突っ込んでくる。全身から気を発した。馬が棹立ちになった。
動物は本能で危険を感じ取れる。これ以上、俺に近付けば全身をバラバラにしてやる。そう気を放ったのだ。
「闘神、まさしく闘神だ。将軍、あなたは人の範疇を超えている」
ナイツが、笑っていた。
「槍のシグナスじゃない。闘神シグナスですよ」
返事はしなかった。もう、喋る余裕すらない。視界が、霞んでいく。だが、まだ死ねない。まだ身体は動く。気力もある。それは、まだ闘えるということだ。
右腕が、紫色に変色していた。矢傷を負ったうえで、酷使し過ぎている。だが、まだ動く。
「こんな人間が居るとは、いや、こんな人間を殺せるとは、私は嬉しくて仕方がない」
ナイツは確実に俺を殺せると思っている。それが憤怒を煽った。俺は槍のシグナスだ。殺されて、殺されてたまるか。憤怒が、全身を駆け回る。
矢が飛んできた。右腕。すぐには持ち上がらなかった。気を込めると、ようやく持ち上がった。すぐに槍を振り回す。
刹那、矢が胸に二本突き立った。左脚で踏ん張り、倒れそうになった身体を支える。視界が、消えていく。
さらに背に衝撃が走った。何かが入って来た。冷たい金属の感触。騎兵の、槍だった。だが、倒れはしなかった。何がなんでも、倒れはしなかった。さらに、冷たい金属の感触が身体の中に入ってくる。
不意に視界が白くなった。まだガキの頃のロアーヌが、剣を握っている。打ち合っていた。俺が初めて、こいつは強い、と認めた瞬間だった。剣と槍がぶつかり合った時、俺は初めて、他人の強さを認めたのだ。
ロアーヌとは、共に生きてきた。剣と槍。互いに天下最強と謳われ、官軍では音を鳴らしてきた。だが、あいつはそんな事には全く興味がなさそうで、ただ修練を積んでいた。それに負けたくなくて、俺も修練を積んだ。だから、共に最強と謳われる事になった。
国が腐っていて、大志を抱いて、メッサーナにやって来た。将軍となって、戦もやった。サウスという強敵にも出会った。全て、ロアーヌが一緒だった。そう、全てだ。
あいつ、これから一人でやっていけるのかよ。俺が居なけりゃ、自分の兵とすらまともに喋れねぇんだぞ。剣一本で、己の身体一つで、誰にも頼らずにやっていけるのかよ。なぁ、ロアーヌ。お前は、俺無しでやっていけるのか。
俺は、俺は、お前が必要だ。いや、お前だけじゃねぇ。みんなが必要なんだ。それなのに、今回に限って一人で行動しちまった。だから、こんな所で果てる事になった。俺一人じゃ、何も出来なかった。自分の身すら、守れなかった。
槍のシグナス。天下最強の槍使い。それでも、一人じゃこんなモンだ。ロアーヌ、お前は孤高すぎる。これから、誰がお前を支えるのだ。俺以外に、心を開いている人間が居るのかよ。俺が居なくなったら、お前はどうするんだ。くそ、最期の最期まで、心配させやがって。
だが、俺の人生は悪くはなかったぜ。恋をして、結婚して、子も儲けた。ただ心残りなのは、天下を見る事が出来なかった。国を叩き潰す事が出来なかった。
大志を抱いて、俺はここまでやって来た。しかしそれでも、死ぬ。死とは、何なのか。
タフターン山の頂上で、俺は理想の死を思い描いた。みんなが見ている中で、安らかに死にたい。そう思った。
何だよ。こんな真っ暗闇の中で、俺は死ぬのか。中々、思い通りにはいかないな。
視界が、戻った。
一騎の軍馬。駆けてくる。剣が閃いている。閃く度に、血が舞っている。
「シグナァァァスッ」
ロアーヌ、来てくれたのか。でも、もう遅いぜ。俺は、もう。
涙が、頬を伝った。ロアーヌ、お前は、お前は、最高の友だ。だから、あとは頼む。天下取りの夢を、大志を、お前に託す。そして、今まで。
「ありがとう」
全ての糸が、断ち切れた。
俺は、志を抱いてここまで来た。その俺を、理不尽に殺そうというのか。そんな事が、許されると思っているのか。
「俺はここで果てるわけにはいかん。生きて、ピドナに帰る。レンの奴に、槍の稽古をしてやらねばならんからな」
レンには武人の道を歩ませたくなかった。だが、この世は乱世だ。自分の身は自分で守らなければ、生きてはいけない。それに、レンは男だ。男なら、強くなる必要がある。
「まだ、レンには俺の槍を見せていねぇ」
左腕と右脚は使えない。だが、まだ右腕と左脚がある。これだけあれば、十分だ。俺は槍のシグナス。天下最強の槍使い。
「俺は生きるぞっ」
吼えた。
矢の乱舞。右腕一本で槍を振り回し、それを全て弾いた。脇から殺気。ナイツだ。
「化け物め」
拳。かわす。さらに回し蹴り。石突きで受けた。瞬間、乾いた音が炸裂する。ナイツの右脚が、変な方向に曲がっていた。叩き折った。槍に気を込めれば、人体の破壊など刃でなくとも出来る。俺の槍を、いや、俺の生命をなめるな。
瞬間、馬蹄。騎兵が突っ込んでくる。全身から気を発した。馬が棹立ちになった。
動物は本能で危険を感じ取れる。これ以上、俺に近付けば全身をバラバラにしてやる。そう気を放ったのだ。
「闘神、まさしく闘神だ。将軍、あなたは人の範疇を超えている」
ナイツが、笑っていた。
「槍のシグナスじゃない。闘神シグナスですよ」
返事はしなかった。もう、喋る余裕すらない。視界が、霞んでいく。だが、まだ死ねない。まだ身体は動く。気力もある。それは、まだ闘えるということだ。
右腕が、紫色に変色していた。矢傷を負ったうえで、酷使し過ぎている。だが、まだ動く。
「こんな人間が居るとは、いや、こんな人間を殺せるとは、私は嬉しくて仕方がない」
ナイツは確実に俺を殺せると思っている。それが憤怒を煽った。俺は槍のシグナスだ。殺されて、殺されてたまるか。憤怒が、全身を駆け回る。
矢が飛んできた。右腕。すぐには持ち上がらなかった。気を込めると、ようやく持ち上がった。すぐに槍を振り回す。
刹那、矢が胸に二本突き立った。左脚で踏ん張り、倒れそうになった身体を支える。視界が、消えていく。
さらに背に衝撃が走った。何かが入って来た。冷たい金属の感触。騎兵の、槍だった。だが、倒れはしなかった。何がなんでも、倒れはしなかった。さらに、冷たい金属の感触が身体の中に入ってくる。
不意に視界が白くなった。まだガキの頃のロアーヌが、剣を握っている。打ち合っていた。俺が初めて、こいつは強い、と認めた瞬間だった。剣と槍がぶつかり合った時、俺は初めて、他人の強さを認めたのだ。
ロアーヌとは、共に生きてきた。剣と槍。互いに天下最強と謳われ、官軍では音を鳴らしてきた。だが、あいつはそんな事には全く興味がなさそうで、ただ修練を積んでいた。それに負けたくなくて、俺も修練を積んだ。だから、共に最強と謳われる事になった。
国が腐っていて、大志を抱いて、メッサーナにやって来た。将軍となって、戦もやった。サウスという強敵にも出会った。全て、ロアーヌが一緒だった。そう、全てだ。
あいつ、これから一人でやっていけるのかよ。俺が居なけりゃ、自分の兵とすらまともに喋れねぇんだぞ。剣一本で、己の身体一つで、誰にも頼らずにやっていけるのかよ。なぁ、ロアーヌ。お前は、俺無しでやっていけるのか。
俺は、俺は、お前が必要だ。いや、お前だけじゃねぇ。みんなが必要なんだ。それなのに、今回に限って一人で行動しちまった。だから、こんな所で果てる事になった。俺一人じゃ、何も出来なかった。自分の身すら、守れなかった。
槍のシグナス。天下最強の槍使い。それでも、一人じゃこんなモンだ。ロアーヌ、お前は孤高すぎる。これから、誰がお前を支えるのだ。俺以外に、心を開いている人間が居るのかよ。俺が居なくなったら、お前はどうするんだ。くそ、最期の最期まで、心配させやがって。
だが、俺の人生は悪くはなかったぜ。恋をして、結婚して、子も儲けた。ただ心残りなのは、天下を見る事が出来なかった。国を叩き潰す事が出来なかった。
大志を抱いて、俺はここまでやって来た。しかしそれでも、死ぬ。死とは、何なのか。
タフターン山の頂上で、俺は理想の死を思い描いた。みんなが見ている中で、安らかに死にたい。そう思った。
何だよ。こんな真っ暗闇の中で、俺は死ぬのか。中々、思い通りにはいかないな。
視界が、戻った。
一騎の軍馬。駆けてくる。剣が閃いている。閃く度に、血が舞っている。
「シグナァァァスッ」
ロアーヌ、来てくれたのか。でも、もう遅いぜ。俺は、もう。
涙が、頬を伝った。ロアーヌ、お前は、お前は、最高の友だ。だから、あとは頼む。天下取りの夢を、大志を、お前に託す。そして、今まで。
「ありがとう」
全ての糸が、断ち切れた。
「うあぁぁぁぁっ」
シグナスが、地に伏した。それも微笑みながらだ。そして、その顔にはハッキリと死が宿っていた。
死ぬのか。あのシグナスが。天下最強の槍使い。俺と唯一、打ち合える男。親友。そのシグナスが、死ぬというのか。
「貴様らぁっ」
敵が次々に覆いかぶさって来る。それらを一呼吸の内に、剣でバラバラに引き裂いた。さらに馬腹を蹴り、首を刎ね飛ばしていく。
「ロアーヌも来たか」
どこかで聞いた声。
「まずはサラを殺す。シグナスの遺恨を全て断ち切るのだ、命に代えても、ロアーヌを押しとどめろ」
怒りが、全身を駆け回っている。邪魔する奴は。
「全て斬り殺すっ」
剣を振るいに振るった。首が次々と飛んで行く。敵の身体が、縦に、横に引き千切れる。しかし、それでも敵の勢いは止まなかった。それ所か、さらにまくし立ててくる。もっと言えば、死を全く恐れていない。
「何者だ、貴様らっ」
敵の攻撃をかわす刹那、サラの首の骨が折られるのを視界の端で捉えた。
その瞬間、俺の中の何かが飛んだ。
もう、良い。こいつらを全て殺す。殺して、殺し尽くしてやる。
馬腹を蹴った。馬が駆け出す。両脇で血の噴水。それを頭からかぶった。さらに駆ける。
「ロアーヌも一緒に殺せると思ったが」
見た事のある顔だ。思ったのはそれだけだった。気付くと、その男の首が胴から離れていた。グチャリ、という音と共に頭が地面に落ちてから、それがナイツだと分かった。
「やはり、お前だったのか。お前が」
呟く。そのまま、馬を反転させた。不意に、敵が一斉に逃げ出した。それを見て、カッと熱くなったものが冷めていく。それで、追おうとは思わなくなった。
涙が頬を伝っていた。手で拭ったが、拭えたのは涙ではなく、血だった。
もう周囲に人の気配はない。あるのは、生々しすぎる血の臭いだけだ。
自分の息を吐く音が聞こえていた。
シグナスの傍に寄った。もう、生気は無かった。ただ、やはり顔は微笑んでいる。目は見開いたままで、俺は指先でその目をそっと閉じてやった。
死闘だったのだろう。胸、肩、脚に矢が突き立っており、二本の槍が背を貫いていた。
シグナスは、闘い抜いた。闘い抜いて、果てた。
「なんで」
言葉が漏れていた。
何故、お前は死んだのだ。お前は死ぬべき人間じゃないのに。死ぬのなら、俺の方だ。俺は独りだ。お前が居なくなって、俺は独りになる。だが、お前は違う。部下が居て、仲間が居て、君主が居る。それらは全て、お前に対して心を開いている。だが、俺は。
しかしそれでも、シグナスは死んだのだ。雄々しく、死んだ。そして、サラも。
「お前の愛する人を、俺は守れなかった」
嗚咽まじりで、呟いていた。
俺は無力な人間だ。無力すぎる。シグナスも、サラも守れなかった。俺は生きるに値する人間なのか。俺も死ぬべきではないのか。
暗澹とした想いが、全身を駆け巡った。だが、それでも、生きる気力を失う事はなかった。シグナスは死に際に、笑っていたのだ。
「お前の想いを背負って、俺は生きる」
立ち上がっていた。シグナスの槍を拾い上げる。槍は、まるで生き物のように熱かった。シグナスの生気が、未だにしっかりとこもっている。
シグナスとサラの屍を担ぎあげた。そして、山を登っていく。
シグナス、お前は言っていたな。このタフターン山の頂上のような所で死にたいと。このタフターン山はお前で、頂上で見える山々はみんなで、そのみんなに看取られながら、死にたい。お前はそう言っていた。
あいにく、お前が死んだ場所は頂上ではなかった。だから、せめてもの餞で、頂上で眠らせてやる。そして俺は、お前の志を引き継ぐ。
お前は俺にどれほどのものを与えてくれただろう。お前が居て、俺は色々な事に気付けた。助けられもした。だが、俺はそんなお前に何もしてやれなかった。それでもお前は、最期まで笑っていたな。
頂上に、穴を掘った。そこにシグナスとサラを横たえる。
土を、かぶせていった。涙がとめどなく溢れてくる。それは止めようと思っても、止まるものではなかった。まだ、槍は熱い。
土をかぶせ終わった。夜が明けようとしている。天気は、曇り空だ。
「槍のシグナス、永遠に眠れ」
まだ熱を持っている槍を、地面に突き刺した。さらに鞘から剣を抜き放つ。
「俺は、もう死なん。ここに命を置いていくぞ」
槍の隣に剣を突き刺す。
「さらば」
それだけだった。それだけで、もう振り返りはしなかった。
風が吹く。全身に浴びていた血は、すでにかわいて固まっていた。
シグナスが、地に伏した。それも微笑みながらだ。そして、その顔にはハッキリと死が宿っていた。
死ぬのか。あのシグナスが。天下最強の槍使い。俺と唯一、打ち合える男。親友。そのシグナスが、死ぬというのか。
「貴様らぁっ」
敵が次々に覆いかぶさって来る。それらを一呼吸の内に、剣でバラバラに引き裂いた。さらに馬腹を蹴り、首を刎ね飛ばしていく。
「ロアーヌも来たか」
どこかで聞いた声。
「まずはサラを殺す。シグナスの遺恨を全て断ち切るのだ、命に代えても、ロアーヌを押しとどめろ」
怒りが、全身を駆け回っている。邪魔する奴は。
「全て斬り殺すっ」
剣を振るいに振るった。首が次々と飛んで行く。敵の身体が、縦に、横に引き千切れる。しかし、それでも敵の勢いは止まなかった。それ所か、さらにまくし立ててくる。もっと言えば、死を全く恐れていない。
「何者だ、貴様らっ」
敵の攻撃をかわす刹那、サラの首の骨が折られるのを視界の端で捉えた。
その瞬間、俺の中の何かが飛んだ。
もう、良い。こいつらを全て殺す。殺して、殺し尽くしてやる。
馬腹を蹴った。馬が駆け出す。両脇で血の噴水。それを頭からかぶった。さらに駆ける。
「ロアーヌも一緒に殺せると思ったが」
見た事のある顔だ。思ったのはそれだけだった。気付くと、その男の首が胴から離れていた。グチャリ、という音と共に頭が地面に落ちてから、それがナイツだと分かった。
「やはり、お前だったのか。お前が」
呟く。そのまま、馬を反転させた。不意に、敵が一斉に逃げ出した。それを見て、カッと熱くなったものが冷めていく。それで、追おうとは思わなくなった。
涙が頬を伝っていた。手で拭ったが、拭えたのは涙ではなく、血だった。
もう周囲に人の気配はない。あるのは、生々しすぎる血の臭いだけだ。
自分の息を吐く音が聞こえていた。
シグナスの傍に寄った。もう、生気は無かった。ただ、やはり顔は微笑んでいる。目は見開いたままで、俺は指先でその目をそっと閉じてやった。
死闘だったのだろう。胸、肩、脚に矢が突き立っており、二本の槍が背を貫いていた。
シグナスは、闘い抜いた。闘い抜いて、果てた。
「なんで」
言葉が漏れていた。
何故、お前は死んだのだ。お前は死ぬべき人間じゃないのに。死ぬのなら、俺の方だ。俺は独りだ。お前が居なくなって、俺は独りになる。だが、お前は違う。部下が居て、仲間が居て、君主が居る。それらは全て、お前に対して心を開いている。だが、俺は。
しかしそれでも、シグナスは死んだのだ。雄々しく、死んだ。そして、サラも。
「お前の愛する人を、俺は守れなかった」
嗚咽まじりで、呟いていた。
俺は無力な人間だ。無力すぎる。シグナスも、サラも守れなかった。俺は生きるに値する人間なのか。俺も死ぬべきではないのか。
暗澹とした想いが、全身を駆け巡った。だが、それでも、生きる気力を失う事はなかった。シグナスは死に際に、笑っていたのだ。
「お前の想いを背負って、俺は生きる」
立ち上がっていた。シグナスの槍を拾い上げる。槍は、まるで生き物のように熱かった。シグナスの生気が、未だにしっかりとこもっている。
シグナスとサラの屍を担ぎあげた。そして、山を登っていく。
シグナス、お前は言っていたな。このタフターン山の頂上のような所で死にたいと。このタフターン山はお前で、頂上で見える山々はみんなで、そのみんなに看取られながら、死にたい。お前はそう言っていた。
あいにく、お前が死んだ場所は頂上ではなかった。だから、せめてもの餞で、頂上で眠らせてやる。そして俺は、お前の志を引き継ぐ。
お前は俺にどれほどのものを与えてくれただろう。お前が居て、俺は色々な事に気付けた。助けられもした。だが、俺はそんなお前に何もしてやれなかった。それでもお前は、最期まで笑っていたな。
頂上に、穴を掘った。そこにシグナスとサラを横たえる。
土を、かぶせていった。涙がとめどなく溢れてくる。それは止めようと思っても、止まるものではなかった。まだ、槍は熱い。
土をかぶせ終わった。夜が明けようとしている。天気は、曇り空だ。
「槍のシグナス、永遠に眠れ」
まだ熱を持っている槍を、地面に突き刺した。さらに鞘から剣を抜き放つ。
「俺は、もう死なん。ここに命を置いていくぞ」
槍の隣に剣を突き刺す。
「さらば」
それだけだった。それだけで、もう振り返りはしなかった。
風が吹く。全身に浴びていた血は、すでにかわいて固まっていた。