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『バーニングショット』

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 熱い。
 地獄の中にいるような気がする。熱射は空気を何層にも渡って貫いて、青空の下のアスファルトを亀裂が入るほどに炙っている。吐く息がかえってぬるく感じた。
 空港だった。
 貸切の空港だ。誰もいない離着陸場がどこまでも広がっていて、火の消えた管制塔が一本ある以外は他に何もない。
 嶋あやめはその、無人の柱を見上げた。顔を上げるだけで冷たい汗が頬を伝って流れ落ちた。右腕一本動かすのさえ倦怠。ほむらの中にあるように揺らめく管制塔の窓の中に、誰かがいたような気がしたが、すぐにそれは見えなくなった。あるいは最初から何も。
 視線を下ろす。
 敵がいる。
 六メートルの距離を置いて、カッターシャツを着た凡庸な男が立っていた。灰色の顔色、窪んだ目つき。背骨が曲がっているのか姿勢は傾いでいて、不必要なまでに左足に体重を乗せていた。感情の見えない表情。ただじぃっとこちらを見ているだけの男。それがこの瞬間の敵だった。
 シマは真っ白なジャケットの裏地に手を差し込んで、くしゃくしゃになった煙草のパッケージを取り出した。吸い口をぴしぴしと二度叩いてから唇に差す。上着と同じ真っ白なズボンから純銀のジッポライターを取り出して、煙草に火をつけた。
 カチン
 使い慣れたジッポは、やけに大きな音を立てた。左手に握り締めたそれをポケットに戻す。
 煙を吸い込むと、舌先から痺れるような甘さが脊髄を駆け上った。眠気が襲ってくる。フィルターを噛み千切りたくなるのを我慢して、左に目をやる。そこにも男が立っている。
 ミイラ男だった。
 この酷暑の中で顔面に包帯をぐるぐる巻きにしている。わずかに両目だけが覗くだけで、あとは全てが縦横無尽の白線だった。身体の前で折り目正しく重ねられた両手も同じようにがんじがらめにされていた。ミイラ男がこちらを見返してくる。彼がこの瞬間の審判だった。
 包帯絡めの右手から、だらりと回転拳銃が垂れ下がっている。シマは紫煙を吐いた。視界がふわりと濃紺の霧に包まれて、あっという間に晴れた。あの拳銃のことはよく知っている。くたびれたニッケル鍍金の分厚い輝き。極限まで軽くされたトリガープル。ハンマーコックを起こすまでもなく、引鉄にかけた指が痙攣でもしでかせば瞬きする前に脳漿が吹っ飛ぶ。拳銃自殺取締役会の会員限定リボルヴァ。
 『バーニングショット』。
 からん。
 ミイラ男が拳銃を取り落とした。誰もいない空港のど真ん中で立ち尽くす三人の間に奇妙な沈黙が流れた。誰もそれを取れとは言わない。やがてミイラ男がのろのろと、めんどくさそうにそれを拾って、手の中で弄びながら、じっとそれを凝視し始めた。そして天を見上げると、誰か高位の廷にいる者から啓示を受けたかのように、リボルヴァを手の中で反転させると、銃身を握ってそれを差し出した。
 シマの方に。
 シマはそれを受け取った。
 記憶の中にあるそれを同じ重さ、同じ軽さだった。グリップに浮き彫りにされた渦巻きの刻印が掌に沈み込む。シマは右手の親指で覗き見防止用のガードがつけられたシリンダーを撫でた。
 死ぬのは久々だった。
 これから、とシマは思う。これから始まることはいったいなんなんだろう。自分の頭に向かって銃を突きつけ、お互いに引鉄を引き合う。装弾されているのは一発だけ。先に自分の頭を撃ち抜いた方の負け。一発で弾丸が出ればラッキー。でも、どっちにとって? 勝てば七億、負ければ死――いつも通りのお膳立て。
 左手が首筋を無意識に引っかいている。ばりばり、ばりばり。爪の先には血がこびりつき、皮膚は象の肌のように荒れていた。拳銃自殺などしなくても、この日差しの中にいるだけで死ねる気がした。
 煙草を吐き捨て、踏み潰す。
 灰色の顔をした敵を見る。彼もまたシマを見ている。
 シマは男の方に近寄った。無言のまま僅かに目を細めた男の、その眼前で拳銃をかざし、シリンダを開けた。それを左手で歯車を噛み合わせるように勢いよく回転させた。金属製の首吊りのような音が長く細く続いて、終わりかけた頃、手首のスナップを利かしてシリンダをフレームに戻した。
 男と視線を合わせた。
 逸らさない。
 心臓さえも盗み取れそうな手捌きで、シマはひゅっと手首を翻すと、『バーニングショット』を自分のこめかみに突きつけて、立て続けに引鉄を引いた。
 おそろしいほどその引鉄は軽かった。

 ガチガチガチガチガチカチ、ン…………

 六発の音がして、何も起こらない。シマは微笑んで、肩をすくめ、手の中で拳銃を翻し、グリップを向けて差し出した。
「確認どうぞ」
 男が、おずおずといった調子で、『バーニングショット』を受け取る。初めて触れる拳銃の感触。それを確かめながら、ダブルアクションのそれを自分のこめかみに突きつけた。
 シマを見る。
 汚れ一つない真っ白なスーツに、血に染まったようなワインレッドのシャツ。男のような格好をしているが、その体格は小柄で、まだ少女のそれだ。作り物のように整った顔の向こうには悪魔が潜んでいる。
 この少女に勝つためには、どうすればいいのだろう……
 そんなことをぼんやり考えながら、男は引鉄を引いた。

 ○

 アスファルトに転がって、血の絨毯をこんこんと広げている男の死体を、シマは一瞥して、新しい煙草を取り出した。唇にくわえ、空を見上げて、左手に握ったままだったジッポライターで火をつける。

 カチン

 ぼそ、っと呟く。
「熱い」

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