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十八話

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「なんだかこうして二人が揃ってうちにくるなんて、懐かしいねぇ。リョーコちゃんは毎年来てくれてたけど、ケンちゃんは来てくれないから」
 シノさんはにこにこ笑いながら、俺とリョーコの顔を順番に見比べた。
「はぁ、まあ。リョーコは毎年来てたんです?」
「そう、ちゃんと綺麗に浴衣着つけてね。あれは、やっぱり誰かに見せようと思って?」
「へっ」
 シノさんはにこにこ笑っている。リョーコはしどろもどろ。シノさんはにこにこ笑いながら、無言の圧力で答えを促す。何かを言わせようとしている。
「えっ、いや、別に誰かに見せようとかそういうわけじゃなくて」
 そうか。誰かに見せようとかそういうわけじゃないのか。うんうん。
 なんて納得するわけはなく、その誰か、とは誰か?
 俺。
 もしくは、さっきの男。
 さあどっち。俺ははらたいらさんに三千点。
「あらあら」
 シノさんは変わらずにこにこ笑っている。
「それじゃあせっかく来てくれた二人にご褒美をあげようかな」
 彼女はにこにこと俺達に一本の長い紐を手渡した。
「お祭りの時、それに提灯ぶら下げるから、あそこからあそこまで張り渡してね」
「ご褒美?」
 俺たち二人同時に疑問の声をあげる。
「うん、このシノさんのお仕事を手伝わせてあげる。光栄に思いなさい」
 こういう人なのである。

 脚立に登って木の枝に紐を結びつけている俺の足元で、リョーコが脚立を押さえつけている。
 二人一組で作業をするにあたって、俺は小柄で体重が軽いリョーコが脚立に上り安定感のある俺のほうがそれを抑えるべきであると至極真っ当な意見を主張したのだが、リョーコは「今日はスカートだから!」などという意味不明な理由でそれを固辞したのである。
 心の底から意味がわからない。
 紐を結ぶべき枝を選定しながら、俺は少し足元に視線をやった。リョーコはやたら真剣な顔をして、脚立を押さえつけていた。
「なに?」
「いや、別に」
「なにそれ」
 彼女は小さい頃と変わってない。いつもなんでも真剣だった。俺はといえば……どうなんだろう?
「ずっと毎年ここに来てたんだな」
「うん。あんたは、お祭りのことなんて忘れてたんじゃない?」
 忘れたも何も、昨日夢で見たよ。
「部活とか色々あるからな」
「お祭りは部活終わってる時間じゃん」
「まぁな」
 リョーコはお祭りの思い出をいくつか口にした。
「あの頃はよかったな。なんか、お祭りがもっときらきらでさ。上手く言えないけど、今よりずっと世界が大きかった気がする」
 それは、初めて彼女の口から聞いた、懐古的な言葉。彼女はあの頃を、よかったと思っている。それは、俺にとって涙が出るほど嬉しいことだった。
 だけど。
 じゃあ今は? という問いも浮かばざるをえないわけなんだ。
「ちょっと脚立左にずらしてくれ。手が届かん」
 もちろんそんなことは口にせず、聞いてないふり。リョーコはちょっと不機嫌に、脚立を蹴飛ばした。
「ひゃっ」
「うおっ」
 ちなみに前者のかわいらしい悲鳴が俺で後者のたくましい驚きがリョーコである。
 体勢を崩しそれは見事に宙に舞った俺という戦うバディは狙いすましたように、自業自得のリョーコさんを押しつぶす。
「いった……この馬鹿!」
「ぎょわ」
 理不尽に押しのけられて蹴飛ばされる。心外だ。しかし、二人のカラダが一瞬重なりあった瞬間、色々となんか、こう、感触を、あれしたわけで、それでわかったことは、こいつって意外と……。
「小さくない?」
「は?」
 また蹴飛ばされる。心外だ。
「いや、なんか記憶より背が小さいなって」
「背?」
「もっと大きいかと思ってた」
 リョーコは訝しげに眉を寄せる。
「あんたが伸びただけでしょ」
 そりゃそうか。人の背は簡単には縮まない。自分では気づいていなかったけど、背はいつの間にか伸びている。望むと望まざるにかかわらず、大人になっていく。
 俺が彼女の背丈を追い越したのがいつ頃なのか、それはわからないけど、実のところその瞬間に俺たちの関係は決定的に変わってしまったのだ、という想像すら浮かんでくる。
 また脚立に登って、紐を結び終える。そのタイミングを見計らったように、空から小さな水滴が落ちてくる。
 ずっと涙をこらえていた雨雲がついに泣きだしたようだった。

 雨を避けて俺達は社務所へ入った。シノさんは俺たちにタオルを渡したあと、すいかを切ってくると言って奥へ下がっていっていた。俺たちは会議室みたいな長机に向い合って座った。
 髪を拭きながらリョーコは、背後の窓に半身をひねって顔を向け、見える雨の空を恨めしげに睨みつけている。俺はその横顔を眺めている。
「雨、嫌いだったっけ」
 リョーコはこちらを振り向いて、
「雨が好きな人なんていると思う?」
「俺。部活が休みになるから」
「ばっかみたい」
 ちょっと彼女の表情が緩む。
「……ねぇ」
 呼びかけながらリョーコはまた窓の方を向く。ほとんど俺に背を向けて、そのせいで表情が見えなくなる。
「ん?」
「人生は山あり谷ありって言うでしょ? 私ときどき考えるんだけど、実は人生の山の頂上はもうとっくに過ぎてしまっていて、今はただ谷底へ向かって歩いているだけなんじゃないかって」
 俺はまた昔を思い出す。俺と彼女はいつも益体もないことばかり議論しあい、考えて、本気になって喧嘩したりもしたものだった。
「実際そうかも知れないけどな、でも」
 雨はいっそう激しく降り続いている。明日まで止まないかもしれない。
「頂上より綺麗な谷底がないなんて誰が決めた?」
 リョーコは何も答えなかった。顔は窓の外を向いたまま、机の上で意識的か無意識にか、手で爪の先をいじっている。そういえば、小さい頃の彼女は爪を噛む癖があった。いつからその癖はなくなったのだろう?
 古い付き合いだからわかる。こういう時の彼女は、何かを言おうとして、言えないでいるのだ。
 ただ、何を言おうとしているのかはわからない。

 そうこうしているうちに、シノさんがすいかの皿を乗せた盆を手に社務所から出てきた。彼女は俺達の前にすいかの皿を並べ、
「ごめんね、ありがと。助かった。なんせ今私、お腹がこんなでしょ」
 そう言いながら申し訳なさそうに笑い、生命の重さに膨らみ始めているお腹をさすって見せた。
 めでたいことだ。泣きそうになるくらい。
「ところで、雨すごくなっちゃったね」
 確かに外はバケツどころかバスタブくらいひっくり返したような土砂降りだった。
「ぐーぜんねぇ、今傘が一本しかなくてねぇ。ほんとぐーぜんねぇ」
 社務所には参拝客用であろうビニール傘が何本もストックされているのが見えていて、シノさんの言葉はあからさまに嘘なのだけど、嘘なのだけど。
「じゃあわたし傘いいです。濡れて帰ります」
 リョーコの脳天へシノさんの手刀が直撃セガサターン。
「わ、な、な……?」
 シノさんはニコニコしている。ニコニコしながらこっちに目配せしてる。こういう人だ。俺はため息をつく。
「二人一緒に入って帰りますよ」
「うっ」
「あら、リョーコちゃん、嫌なの?」
「嫌ですよ……もう子供じゃないんだし」
 シノさんの眼光が一瞬鋭くなる。
「あなたたちが子供じゃないなら、わたしなんてどうなっちゃうのかしら?」
「ひぃ」
 ともかくそういうことになった。

 帰りの道中、一つ屋根の下ならぬ一つ傘の下で俺たち二人、
「ちょっと、濡れるでしょ。あんま離れないでよ」
「そんなにくっつくんじゃねい」
「……ふん」
 悪くない。
19

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