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ep2.鳩山模様

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 黒塗りの車に乗せられ、鳩山の家に移送された。運転手も、彼女の専属なのだろうか。仕えて随分長いような、老齢の男性だった。

 鳩山ユキの家は洋館だ。私もそこに住むのだという。彼女のものになった私の家は、別の用途に用いるらしい。

 居住者は私も含め四人。長女、ユキ。彼女の父、一三郎。弟の一太郎。それと、立場上は私と同じ所属、お手伝いの加納由美子(ユミコ)。話の途中で「最も、最近は父が帰ってくるのなんて、月に一回あるかないかだけどね」と、ユキは小さな声で付け足した。私は彼女がどんな表情でそれを告げたのか、暗い車内では良く見えなかった。

 車は大きな門をくぐり、庭の一画を占める駐車場に停まった。私の方を一瞬だけちらりと見た運転手は、頭を下げて、きびきび歩く彼女を見送っていた。とりあえず、小さく会釈をして、少し慌てて彼女を後を追った。

 彼女は黙り込んだまま、背の高い玄関の戸を開け、高級そうな調度品が並ぶ洋館の中へ、私を招き入れた。

「ようこそ、鳩山の家へ」
「……お邪魔します」

 私の一般人が恐縮した姿を具現化したような挨拶は、ここでは酷く浮いているように思えた。きょろきょろとあたりを見回す私に、口早に彼女は洋館の構造を説明する。囁き声で話すものだから、聞き取るのに神経を使う。

 三階建ての洋館は、一階にリビング、洗面所、バスルームがあり、二階以降は全て個室だという。私の部屋は二階の突き当たりの一室で、ユミコさんという人の部屋からは最も遠い位置になった。

「ここが今日からあなたの部屋ね」
「うん……」

 部屋には時計が一つと、ベッドと少し大きな机、本棚があるだけだった。殺風景な部屋だけど、妙に居心地が良いのは、今の私の心象風景と一致するからか。

「服は明日にでも用意するわ。今日は私が昔使ってたので良いかしら?」
「あ、うん。ありがとう」
「他になにか要る物はある?」

 私はしばし考える。何もなさ過ぎて、何が必要なのかよくわからない。色々と足りないと思うのだけど……。

「あなた、考えるときに手を口に当てる癖があるのね」

 突然彼女がそう言って笑みを零すものだから、私は少しびっくりした。

「変?」
「いいえ。色っぽいと思っただけ」

 こともなげに、彼女は言う。色っぽいかな……? というか、仮にそうだったとしても、同性にわざわざ言うことだろうか?

「ま、それはいいわ。それで、ご要望、ないの?」
「んー……ドライヤーとか、タオルは?」
「バスルームにあるわよ」
「トリートメントとかは?」
「私の買い置きがあるから、使いなさいな」
「……なんか、色々ありがとう」
「いいの。化粧品とか、そういうのも必要な用意するけど?」
「あ、じゃあ、化粧水と乳液だけ、お願いしてもいいかな?」
「ん、用意しておくわ。普段は化粧しないの?」
「うん」
「そ。良いと思うわ。でもあなた、化粧映えする顔立ちだから、きっと凄く綺麗になるわね」
「そうなの?」
「ええ。……さてと、私はシャワー浴びてこようかしら。その間に、ユミコさんに挨拶しておいで。あなたの面倒を見てくれる人だから。まぁ私の面倒も見てもらってるんだけど。それに仕事の先輩だしね。いい人だから、安心なさい」
「うん。部屋、向こうの突き当たりであってる?」
「そうよ」

 言いながら、彼女は部屋を出て行った。まだ馴染まぬ部屋で、私は立ち尽くす。少し離れた大通りを行く車の音が、遠く聞こえる。少しだけ、孤独を感じる。意味もない感傷だ。かぶりを振って、私はユミコさんの部屋へと歩き出した。

 ユミコさんは気の良いおばさんだった。歳は五十に近いのでないかという程。ゆったりした話方が特徴で、近くに居るだけで、穏やかな気分になる。挨拶と、仕事の内容をほんの少しだけ話した。私の身の上を知ってか知らずか、「大変だと思うけど、一緒にお仕事頑張りましょうね」と別れ際に彼女は言った。なんだか、久々に胸に染みる暖かさを感じた。

 ユミコさんに挨拶を終え、与えられた部屋で所在なげにしていると、ユキが私を呼びに来た。

「お風呂、空いたわよ」
「わかった。今から入る」
「あと、これ」

 彼女は着替えと、化粧水、乳液、それにカレンダーを私に手渡した。

「カレンダー?」
「部屋に余ってたから。あると便利でしょう?」
「うん、まぁ。ありがとう」
「正式に働くの四月からだから。明日はゆっくりするつもりで、家に馴染みなさいな。明後日からは、きちっと働いてもらうけどね」
「了解だよ。明後日は木曜だけど、それも朝から?」
「当然」
「そうじゃない時間は何をしてれば良いの?」
「好きになさいな。本くらいなら貸してあげるから」
「あ、うん。じゃあその時はお願いする」
「はいはい。あ、それと学校は五日の月曜から始まるから」
「え?  あ、そっか。通わせてもらえるんだっけ。……え? でもどこに?」
「私の通ってる私立の女子校」
「……入学試験とかは?」
「父の力で入れてもらったの。たまには役に立つのよ、男も。最も、あなた成績悪くなかったみたいだから、受験で入学できたかも知れないけど」
「本当にそんなこと出来るんだ……」
「理事長が父の友人なんだって。冗談で言ってみたけど、なんとかなるものね」

 あの交換条件の一つは冗談で言ってみたものだったらしい。重ねられていく非現実的な言葉から、思考を切り離す。そのままでは、私の現実感覚が壊れていくような気がしたのだ。

「……お風呂借りるね」
「ええ。借りるものではないけど」
「あ、そっか。住み込みの仕事みたいなものだもんね」
「むしろ、それそのものね。じゃあ、また明日。おやすみ、ジュン」
「ん、おやすみ。えっと……お嬢様、とか呼んだほうが良いのかな?」
「いいわね、それ」

 彼女は笑って、扉を閉めた。

 彼女が去ったのを見送って、私はバスルームに向かった。身体を洗い、人が三人はゆったりできそうなほど無駄に大きな湯船に浸かる。身体を暖める湯に、疲れが溶けていく気がした。

 湯から上がると、すぐに部屋に戻った。初めて着る寝間着に身を包み、初めて寝るスプリングのベッドで、見慣れぬ天井を見つめて、何かから逃げるように、眠りに落ちる。

 流転する私の人生に先は見えず、振り返るほど大した過去もない。歩んできた軌跡に意味はなく、これから先もきっとない。

 けれど、私は生きていく。良く分からないまま、生きていく。

 一度は死のうと思った。依るものも、揺らぐものもない。私は空(から)だ。

 けれど、眠る直前脳裏に浮かぶ。最後に見たユキの笑った顔。端正な顔を綻ばせて。

 明けない夜はない。いずれ陽が昇る。迎える明日は、どんな日になるのだろう。
5

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