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Last Epsd-Slide away-C

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 背骨を下から、緩く貫く振動を伝えながらモノレールは走る。眼下の光景は、先程まで
闊歩していたイルミネーション輝くハニーマイルロードとは違い、街灯の間隔すらも暗闇
を際立たせてしまう程に静かな住宅街で、さながら夜の海原にも見えた。
 強襲を喰らったお陰で、今まで特に事態の分析に尽力しなかった。俺は乗客が極めて疎
らな車内で、何が起こっているのかを考えている。

 ノヴァトニー家の者を捜索しているのは……どうやらネオナチのようだ。お求めになっ
ている品は、おじさんがかつて開発した戦略用ナノマシンの事であろう。あのダークな色
のコートを着た男には“データを回収後、機密保持の為に一家と開発に関して知っている
者を始末せよ”と指令を下しているのだろう。サラさんの報告によって俺の事を……
 あの夏はとにかく暑くて……それでもあの火柱に囲まれてエリスと抱き合った、あの時
が暑かったかと思うと……それは一概にイエスとも言えない。

 話を進めようにどんどんと湧き上がる疑念、それは何故にサラさんが両親だけは命を奪
おうとして(手口がなかなか中途半端だったのは、きっと夫婦がサラさんを信用しきって
いて実は……実にややこしい)エリスをあそこまで優しく扱っていたのか……エリスだけ
を生かしておく理由が、とても気になる。彼女にカウンターナノマシンが移植されていた
事実を知っていたとしても……コートの男達の様子から、それは報告済みであったようだ
が、それでは両親を殺す事にメリットが生じないのではないだろうか……彼女が本当にエ
リスを護りたいのであれば、エリス独りではその後がただ過酷になるだけであろう道を選
んだとは考え難い。

「………」

 サラさんらからはどうも俺を育てて、途中からはただ見守っていてくれた人と同じ匂い
がする。だからこそ、俺は残りの人生を贖罪の気持ちだけで過ごそうとする彼女にエリス
の身の周りの世話を頼んだ。とりあえずは安心のはずだ。あの人は俺の師匠で、俺よりも、
それこそ圧倒的に強い。襲撃に逃げる事はあっても決してエリスに決定的な被害が及ぶと
いう事はないだろう。
 エリスとトモハラさんが暮らすあの場所はまず奴等には見付からないだろう。
「………」
 そう考えた時、ネオナチがこの先行き着く可能性が指摘されるのは、各国各方面の要人
が身を寄せる、あそこであった。

 おそらく、その時は極めてすぐ来るだろうが、“いつ”とは言い難かった。しかし、それ
を左右するであろうひとつの要素が存在していて、それを確認しなければならなかった。

 車窓から臨む、揺れる街の灯りを眺めながら考えていると、隣の車両から数人の男達が
移ってきた。金髪碧眼の男や黒髪の東洋人、発する雰囲気だけで既にカタギじゃないのが
よく分かる、実に親切な奴等だ。向かい合う座席、車両の中程でただ独り座っている俺を
見つけるや否や、彼等は真っ直ぐに俺の方へと歩み寄ってきた。

 先程までは数十キロの遠回りをしてまで追跡者を撒いたが、今となってはむしろ目立つ
ようにしていた方が良い。エリスの身が安心な今、迎え撃つ準備は万端で、おそらく奴等
は今から俺が向かう場所へ行き着く過程と同時進行で俺を攻撃する作戦を取っている、な
らば俺はそれを倒しながら行くつもりだ。それしか俺が出来る事はないのが現状であるが。




 モノレールは、街灯を揺らしながら移す大規模河川を跨ぐ。それまでとは違う固い振動
と唸るような音を立てている。
 先頭に立っていた、金髪碧眼の男が一度後ろを振り向き確認するような目配せをしてか
ら、振り返りながら右の掌をタカハシのいる方へと向けた。男の意識が掌へと収束されか
かったが、状況の変化に力の流れが乱れた。男が振り返った時には既に向かい合わせの座
席に腰を掛けていたタカハシの姿が消えていた。

「!?」

 ふいに長い前髪の間から覗く碧眼が、それまでの目線より若干上を向いた。タカハシは
そこにいた。河を跨ぐ際の音に乗じ、虚を突くように跳び上がると、一瞬にして二人との
間合いを詰めていた。

(それまでの事を忘れて……二人で王冠を掴むんだ、そう約束したんだよな)
(それなのに未だに俺はこんな事をしている。君は怒るのだろうか)
(君が俺を見捨てなかったから……共に戦ってくれるから………)
 タカハシの左脚は虚空を切り裂き
(俺も、心臓が止まらん限り…………)

 ティンバーランドのブーツの爪先が金髪碧眼の男の下顎を砕き、そのまま上顎にめり込
んでいった。その直後、タカハシの背後で、それまで座っていた座席が跡形も無く弾け跳
んだ。

(君と生きよう)

 一瞬にして極端に下顎がしゃくれたように顔が変形した男が、伸身宙返りして、そして
顔面から車両の床に墜落した。
「くっ!」
 相棒の宙返りによって一瞬視界を奪われた黒髪の男は、狼狽しながらも反射的に腰から
オートマチック型の拳銃を抜いていた。
「え?」
 開けた視界、そこにタカハシの姿は無かった。瞬時に男の目が前方のありとあらゆる方
向へと動く。
「ここ、だよー」
 鬼さんこちら、と言うような軽薄な口調のその声が男の耳に届き
「ハァァァアアアアッ!!!」
 一瞬だけ遅れて拳銃を構え開いた男の懐に、タカハシは地を這うような体制から潜り込
んでいた。そして、合皮製のグローブに包まれたアッパーカットが、男の顎を捉えた。男
の体は自発的に跳び上がったかのような勢いで浮き上がり、自分が先程通った車両の連結
部に、閉まっていた引き戸のガラスを突き破って消えていった。
 床に倒れ臥した金髪の男の顔から流れる血は、今や赤黒いカーペットのように広がりを
見せている。タカハシはそれを光の映らない目でしばらく見つめていた。

「………」

 河を渡りきったモノレールは、間もなく停車した。タカハシは薄暗い、ほとんど無人の
ホームに降り立った。軽くストレッチをするように周囲を見渡し、改札へと歩き出した。
 荷物をわずかに揺らし自動改札を跳び越えると、バスケットコート程度に開けた空間が
そこにあり、何を映すでもない瞳で虚空を見上げる汚い髪の浮浪者達が壁際で寝そべって
いた。

 タカハシは彼等を一瞥しながら、頭上で吊るされている電光掲示板の鈍い光が示す先へ
と爪先を向けた。広場から抜ける動く歩道が続く通路の入り口その隅に、頬の肉が痩せこ
けた、日焼けなのかあるいは汚れなのか、もはや判別もままならない様の中年の男が一人、
壁に背を預け立っていた。やはり瞳は何も写していなようにタカハシは感じた。
 靴底を鳴らすタカハシに、浮浪者達の目線が集中した。

 タカハシの足が、動く歩道へとかかろうとした直前だった。壁にもたれた浮浪者と、タ
カハシとが目と鼻の先の距離に近付いた瞬間、浮浪者は突き飛ばされるように背後の壁に
背中を打ち付けて、反動で地面に口付けをした。倒れた浮浪者をちらりと見て、力なく地
面に寝そべっていた他の浮浪者達は、それまで自分が取っていたスタンスを崩すわけでも
なく、すぐさま彼等の目は虚空へと向いてしまった。明らかに関わる事を避けていた。
 タカハシは陸に揚げられた小魚のようにビクビクと身体を震わせながらうつ伏せになっ
ているそんな男に一度として目を向けずに、秒速八十センチで動くローラーで運ばれてい
った。直後から、じわじわと床に赤い染みが広がり出した。男の喉には深々とサバイバル
ナイフが刺さっていた。

 やがて、放れた所に寝そべっていた不老者達にも血糊が確認出来るようになり、改札前
の空間がしゃがれた叫び声で満たされた。彼等の方向からは確認出来ない倒れている男の
左手には、リボルバータイプの拳銃が握られていた。
「雉も鳴かずば……」
 流れていくタカハシの口から、言葉がわずかに漏れた。


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 冬でもビルの谷間から吹き降ろされる生暖かい風は、国道を通る大型トラックによって
排ガスと一緒に掻き混ぜられて、俺の顔を舐める頃にはこの上なく不快な代物になってい
る。無人のバスターミナルはそんな空気の溜まり場で、空気の良い田舎から状況したての
人であれば数分と耐える事無く頭痛を覚えるだろう。俺の他に人は確認出来ず、遠くから
聞こえる自動車の排気音だけが動きを持っていた。

 そんなバスターミナルの脇に、一軒の廃ビルがあった。テナントの当てもなく何年も放
置された結果、見るも無残な様子になっていた。景観もあったものではない程に汚い。入
り口であったのだろう扉には鎖を張り巡らせて人の侵入を拒んでいる。
「………」
 頑強な鎖も、取り付けられる基が脆ければ特に意味はない。何の事もなく蹴り飛ばして
扉の蝶番を外した。開けた先には、灯りもない暗闇の中にある埃の積もった階段があった。
俺は一度、後ろを振り返ってからビルの中へ足を踏み入れた。階段に足を掛けると、埃が
控えめに足元で散った。

 強烈に埃臭い踊り場の脇、そこに何処の団地でも見るような、安っぽい金属製の扉があ
った。向かいにももう一つ同じ扉があったが、そっちは見るからに使われた形跡がなく錆
びきっていたのに対して、こちらはというと

「兵共が夢の……」

 ドアノブ、そして表に覗く蝶番は綺麗なままで、未だに日常的に使われている事が分か
った。俺はノックもせずにドアノブに手を掛けると、開け放って無遠慮に土足でお邪魔した。
「この世は敬意で成り立っていると言ったのはお前じゃなかったのか?」
 本来はあったはずの壁を全部ブチ抜いて一部屋にした、その真ん中に数台のデスクトッ
プ型のパソコンを並べた机に向かい、椅子に腰を降ろす背中があった。
「あんたに威厳があったのは裏ムエタイ界でのわずかな日々だけだ。結局あの地下の王国
も崩壊したのはあんたの不手際だっただけじゃないか」その背中に俺は語りかける。「俺の
襲われ損だ」
「また……厄介な連中に追われているようだな」背中越しに見えるディスプレイでは男の
新ビジネスか、児童ポルノの編集作業が行われていた。「相変わらずだな」
 無駄話をしている余裕はなかった。こいつの雇った殺し屋軍団をまとめて再起不能にし
たのは過去の話だ。おかげさまで、の一言を発する時間も実は惜しかった。
「俺がそっちで獲得した賞金総額、記録は残っているか?」
「検索するまでもないな」男の両手が後頭部で組まれた。「特別ボーナスを併せ一億三千万
とプラチナが少々……だ」
「一度……一度だけモスクワの口座経由で振り込ませた事があったな」
 最初の戦いの後だった、第三者を介してファイトマネーを海外の偽装口座からノヴァト
ニー夫妻の病院へと生命維持装置の維持費を振り込ませた事があった。今思えば、面倒で
も全て自分でやれば良かったのだ。

「………」
「まさか横着なんてしてないだろうな」
「………」

 一瞬で、場の空気が膨張した。そして次の段階へも一瞬だった。
 男は椅子を跳ね飛ばしながら振り返った。その手に握られていたのは薄暗い部屋でもは
っきり分かった。自動小銃だ。
 想定の範囲内だった。向こうの放った銃弾は俺の後方の壁を穿った。トリガーを引く時
には男の身体は俺のベレッタでパソコンごと部屋の向こうにぶっ飛んでいた。
「だから東南アジアのマフィアは……」
 毒づく頃には俺は部屋を飛び出して、階段を飛び降りていた。

 ここまでアリなのかよ、といった感じだった。あらゆるツケがこの機を狙って襲ってき
ている。このままならハタケヤマコーポレーションから施設の修繕費を請求されるのも近
そうだ。

 バスターミナルを抜け国道に出ると、すぐそこにはコンビニがあった。数台のカワサキ
が駐車場の脇に停められていた。
 持ち主の怒号も聞こえたが、そんな暇はなかった。
 空気の壁が顔面を叩いて、息苦しかった。深夜の国道の風景全てが真後ろにぶっ飛んで
いった。



 コンクリートの地面の上に猛烈なスピードで火花が走った。
 タカハシの乗ってきたバイクは横転し、火柱のような轍を作りながら地下駐車場へと消
えていった。空気を引き裂くような火災報知機の警報が響き渡り、駐車場の入り口から黒
煙が姿を現した時には、タカハシはその場を離れていた。
(……よし、まだいない)

 建物の中は静まり返っていた。わずかな足音もはるか先の壁に跳ね返り建物全体にまで
響いてしまう。
 程無くして、屋内が慌しくなってきた。地下駐車場の火災が内部にも知れ渡り、遠くか
ら駆け足が聞こえてきて、歩を進めるタカハシの脚もペースを上げ始めた。
 目的の場所へと続く階段へと近付くにつれ、タカハシは何度も、何度も振り返って、我
が身の後ろに広がる光景の端々まで目を走らせていた。
 その時
 キンッ
 耳の奥で、鼓膜を圧迫されるようなわずかな痛みを感じた次の瞬間だった。
「!?」
 建物全体を襲う猛烈な揺れと共に聞こえたのは
(爆発音……)
 途端に、それまで完全な臨戦態勢を崩さずに表情一つ変えずに進んでいたタカハシに大
きな変化が現れた。焦燥の色が顔に浮かび、背中に冷たいものを感じている様子が、激し
い身震いから分かった。
(くそっ!!)
 岩を穿つようなブーツの足音が鋭く廊下に響き、タカハシの体は薄暗い階段へと飛び込
んでいった。

 全てが後手に回っている事でタカハシは冷静さを失っていた。それは自分も追われ命を
狙われている立場である事を忘れてしまう程に。
(遅かったのか!!)
 ヘアピンカーブのような踊り場を、跳ねるように曲がって階段を昇っていく。踊り場に
申し訳程度に取り付けられた照明は、階段の段差を明確にする事もなく、タカハシは勘を
頼りに数段を飛ばしていった。踊り場に取り付けられた階数の表示が増すにつれ、色々な
物がいっしょくたに燃やされたような、異臭が鼻を突くようになった。

「………」

 タカハシの脳裏に浮かぶのは、今向かっている場所の変わり果てた惨状だった。必死に
それを否定しようと、何か別の事が原因で、何処か別の場所が、爆ぜたのではないか、そ
んな事を。

「!!!!!」

 岩がぶつかり合うような鈍い音が辺りに走る。タカハシの身体は一瞬早くその場から跳
び退いていた。一段上の踊り場、薄暗く逆光のお陰で輪郭のみ確認出来る、誰かが見えた。
「………」
 跳びずさった後、立て膝の体勢でタカハシの動きが止まる。目が合った、階下の自分を
見下ろす殺気の源との位置関係、体勢、何もかもが彼にとって不利な状況だった。
 唸るような、生唾を飲む音がタカハシのこめかみで響き、殺気の刃はその形を現さんと
する気配を連れて額を貫き、周囲の空気の密度が膨張した。
(祈る資格もなければ、祈りたくも無い……でも、まだ俺は)
 苦渋の表情を浮かべ、タカハシは
(選択の余地が……)
 拳を握った。
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 間の抜けた、聞き慣れない人にとっては一体何の音なのかがさっぱりなのだろう、弾け
る音が聞こえて、見上げていた人影はぐらりと崩れると、俺の足下までノンストップで転
がり落ちてきた。
「………ありがとう」俺の口の中は寝起きの時のように乾ききっていて、とりあえずの無
事を理解した身体は、一気に震えだした。「トモハラさん」
 逆光によりシルエットだけ、辛うじて女性だとしか分からないそれを、俺は確信として
彼女だと分かった。
「上は……」
 一段ずつ、ゆっくりと階段を上がっていった。彼女が俺よりも上の階にいたという事は
もう俺が急ぐ必要はどちらにせよ無いという事を意味していた。
「申し訳ありません……」
 そう言って、表情も明確に浮かび上がったトモハラさんが首を振った。
「そうか……」
 力任せに、鉄槌を傍らの壁に叩き込んだ。小指の付け根から滴り出した血が、腕を伝っ
て肘の先で床に落ちていくのが分かった。
「エリスは……?」
 彼女は俺の顔を見つめて、ややあってから
「決して安全とは言い難いですが……私のセーフハウスへと」
「皮肉だな、まったく」
「………」
 彼女の横をすり抜け、俺は階段に足を掛けた。
「何か形見を……すぐ戻るよ。急ぐよ、だからさ、エンジン暖めて……すぐに逃げよう」


 爆発で空いた大穴から、厳しい寒さを帯びた風が身体に絡みつくように吹き込んでいた。
病室の中は、一体ここが何処だったのかも分からない程にヒドイ有様だった。
 焦げながらも原形を留め、辛うじてそれと分かる、壁に張り付いた左手の薬指に、見慣
れた指輪を見付けられた。わずかに差し込んだ月明かりに、それは俺に向けて自己主張した。
「考えたくもない……認めたくねぇ……」
 先程までの厚い雲は風で流され、顔を上げたそこに星々の輝きがはっきり見えた。
「そうか……そう言えば今日だった」
 予てよりメディアが引っ切り無しにアナウンスしていた、流星群が、見上げる上空を邪
魔する灯りのないこの病室からよく見えた。
「おじさん、おばさん………」拾った指輪を、カーゴパンツのポケットに突っ込み、少し
だけその中で握り締めた、目を瞑りながら。「サラ……さん」
 一年前とちょっと前、俺は彼女とこれを見に行こうと、約束していた。
「ごめんよ」
 ポケットから手を出して、俺は踵を返した。
 もし、もし雨のように無数に降り注ぐ君達の中に、ひとりでも気まぐれに……燃え尽き
る前だというのに俺の話に耳を傾けてくれる者がいるのなら


描いた未来を少しだけ叶えてくれやしないだろうか。
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ウド(獅子頭) 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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