――問十三。二○一○年七月にシェフィールド大学とワーウィック大学の共同研究チームが発表した論文のタイトルを答えよ。
受験勉強をしていた私の目にその文が飛び込んできたのは、日付が変わる一時間前のことだった。
答えを知らない私は参考書を捲って解答を見る。
――答十三。『卵の殻のたんぱく質による結晶核の構造抑制』。備考、この論文は『卵が先か、鶏が先か』という水掛け論に一つの答えを出した。
そういえば、夏ごろにそんなニュースを目にした気がする。
うろ覚えのそのニュースでは「卵を構成するために必要な物質を生成するには鶏が不可欠な為、卵は鶏が存在しなければ存在し得ない」ということを言っていた。
つまり『卵が先か、鶏が先か』は『鶏が先』ということなのだ。
んん……? でも、それは鶏の卵を生成するのに必要な物質であって、『最初の鶏が生まれた卵』が先にあるはずなんじゃない?
――なんて、私はちょっと捻くれたことを考え始める。
やっぱりそうだよ。鶏が生まれる卵が先に存在しないとおかしいんじゃない。
けど、そうなると『鶏の卵は何が産んだの?』って問題が出てくるなぁ……。
あっ、鶏が生まれる卵は鶏が産んだ訳じゃないから、鶏の卵じゃなくて違う鳥の卵なのか。
でも、鶏が生まれるなら、それも『鶏の卵』と呼べなくはないし……。
そもそも『卵』の部分は『鶏の卵』のことなのかな? 他の動物――鳥とか爬虫類や魚類でも『卵』は『卵』だよね……? いや、それは関係ないか。
そういえば、卵って『玉子』とも書くよなぁ……。
あれ? 『玉子』だけだと違和感が無いけど、頭に何かつけると――例えば『トリケラトプスの玉子』だと違和感が……。
えーっと、辞書辞書……。た、た……ま……あった。
――卵。鳥、虫、魚などの雌から産み出される、殻や膜に包まれた球形のもの。鶏卵。将来、ある地位や職業につくために、修業中の人。本格的になる前の未発達のもの。
なるほど、つまり受験生の私は大学生の卵なのか……。あー、楽して孵化したいなぁ……。
おっと、ダメだダメだ。こんなことしてないで勉強しないと……。
でも、その前に『玉子』の意味を、っと……。
――玉子。『卵』と同じ意味。一般的には鶏卵を使った料理に用いる。
え? 『玉子』は調理されたものってことなの?
でも、スーパーだと『生玉子、一パック八十八円』なんてポップに書いて安売りしてあるけど……あれは『玉子』の使い方を間違ってる?
いや、調理用だから『玉子』の表記であってるのかな?
となると、『生玉子』は『未調理の調理用の卵』ってこと、かぁ。
なるほど、調理前だから『生』って付けてあるんだ。
……こんなこと調べてる暇あったら英単語の一つでも覚えた方が有益だ。よし、集中!
……。
卵のことなんか考えてたから、お腹空いてきちったよ……。
だいたいさ、この参考書がいけないんだよね。何よ、『卵の殻のたんぱく質によるなんちゃら』って。本当にあんな問題が試験で出題されるの? よしんばそんな問題が出たとして、それが何の役に立つんだっつーの。そんなことで私の胃は満たされません!
……あっ、お腹は膨れなくても点数にはなるか。んーっと、卵の殻の、たんぱく質による、結晶核の、構造抑制、っと。
よし、覚えた。覚えた、けど……いまいちすっきりしないというか、腑に落ちないというか……。
いや、もういい。『卵が先か、鶏が先か』って、そんなの卵が先に決まってるじゃない。だって、卵が無かったら鶏が生まれないんだし。
はい、論破。これが私なりの結論。異論は認めない! さぁ、勉強するぞぉ!
――って、割り切れれば楽なんだけど。
こういうのって、一度気になるとすっきりするまでずっと気になるよなぁ。
どうにかすっきりする方法を……。あっ、ネットで調べれば答えまでとはいかないまでも、すっきり出来るヒントぐらいはあるかも。
……ん? 『まず卵って何よ?』?
卵はあれだよ、鶏の卵のことよ。それぐらい文脈で分かるじゃない。……いや、待てよ。この『卵』の部分は本当に鶏の卵のことなのかな? あれ? これはさっき考えて――ないっ! さっきは『卵』と『玉子』の違いを調べただけで、肝心の部分は何も分かってない!
そうだよ、まず『卵』の部分が何を指すのか決めないと話が進まないんじゃん。
この『卵』が鶏の卵ってのは分かるんだけど、そもそも『鶏の卵』って何?
……多分、『鶏が生まれる卵』だよね?
けど、それだけで本当に『鶏の卵』って言えるのかな?
おかしくないとは思うんだけど、『トリケラトプスが産んだ鶏の生まれる卵』だとなにか違うような……。この場合『トリケラトプスの卵』とも言えるし、『鶏の卵』とも読み取れる卵が存在することになっちゃうし……。
つまり、私の脳内では、卵派の私が『トリケラトプスが産んでも、鶏が生まれるなら鶏の卵』って主張してて、それに対して鶏派の私は『鶏が産んだ卵が鶏の卵』って主張している訳だ……。
なんかもう、こうなってくると、きのこの里派とたけのこの里派の言い争いみたいだなぁ……。どっちも美味しいんだからそれで良いじゃん。
あー、お菓子のこと考えてたらさらにお腹減ってきた。なにかあったっけ……?
……なんにも無いし。台所に行けば蜜柑ぐらいありそうだけど、部屋から出るのも億劫だなぁ、寒いし。
こう寒い時は温かいタマゴスープとか飲みたいなぁ……。
……また卵かよ。
別に卵じゃなくても、ワカメでも、コーンでも、かぼちゃでもいいじゃない。なんで、今、よりにもよってタマゴスープなんて選ぶわけ?
きっと卵のことばかり考えてたからに違いない! そうよ、べ、別にタマゴスープが好きなんじゃないんだからねっ!
……って、私は誰に言い訳してるんだろ。
それよりも、空腹のことは置いていて、今は卵と鶏のことを考えないと……。
ん? なにかおかしくない……? ……まっ、いっか。
しかし、誰なんだろう、『卵が先か、鶏が先か』なんて言い始めたのは。そういうこと言い出す前に『卵』が何を指すのかを決めておかなきゃ答えが出ないことなんて分かってるじゃない。そりゃまぁ、普通に考えれば鶏の卵なんだろうけどさ……。
……。
だーかーらぁ、鶏の卵ってなんの卵なのッ!
いや、なんの卵って、鶏の卵でしょっ!
……鶏の卵って、そもそも何? これはさっき考えたはずだ。えーっと……確か『トリケラトプスが産んでない鶏が生まれる卵』だったっけ……?
うん……なんかちがーう!
なんなの、トリケラトプス! トリケラトプス、なんなの! なんでトリケラトプスに拘ってるの、私!
……ちょっと落ち着け、私。こういう時は要点を纏めるんだ!
まず、『卵が先か、鶏が先か』という問題があります。
これは『卵が先に存在したのか、鶏が先に存在したのか』ということです。
この問題は『卵が無いと鶏が生まれないが、鶏が居ないと卵が産まれない』という矛盾点があるので、解決出来ません。
つまり、解決するには、先に『卵』が『鶏が生まれる卵』なのか、『鶏が産んだ卵』なのかを定義する必要があります。
では、どちらを『卵』とするのが正しいでしょう?
……いやいやいや、どっちも卵でしょ、これ。――と、ますます堂々巡りの底なし沼に思考を沈めそうになったその時、部屋のドアをノックする音が聞こえ、私は我に返った。
少し間を開けて「ほーい」と返事をすると「調子はどう?」と私に尋ねながらお盆を持った母が入ってくる。
一時間近く頭に居座り続けた疑問は、目の前に差し出された親子丼で吹き飛んだ。
(了)
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最初は――
【sceneXXX:もしも碇シンジが鶏だったら】
「鳥骨鶏! 鳥骨鶏! ――鳥骨鶏よ!」
【sceneXXX:もしも島田紳助が鶏だったら】
「オイラはブロイラー」
【sceneXXX:もしも女性が鶏だったら】
鶏は卵を産む機械。
【sceneXXX:もしも我輩が鶏だったら】
我輩や雌鶏である。卵はもう無い……。
――みたいなのを百個書こうとしてたのですが、百個なんて到底無理なので止めました!